「なのはちゃん?」
気付くと、ハヤテが俺の顔を覗き込んでいた。少し過去に浸りすぎたらしい。軽く頭を振って苦笑する。
「なんか悩みでもあるん?」
ああ、心配させちまったな。俺は苦笑混じりに答えた。
「いや、ハヤテと初めて会ったときのことを思い出してた。」
ハヤテはなおも俺の顔をじっと見て。嘘ではないと納得したのか、頬を緩ませた。
「そか。実はな、カリム姉様がなのはが来るなら会いたいて騒いでな。今、書類仕事やっとるはずやし、お茶でも飲みに行く?」
悩みはないと納得しても、気疲れがあるのだろうと気を回したらしい。確かに、俺が人前でものおもいに耽ることは珍しい。
別段、自覚するほどの精神的疲労があるわけじゃないが、ハヤテの気遣いを無にするのもなんだ。カリムとハヤテと3人で茶を飲んでゆったりするのも、楽しくないと言えば、嘘になる。
「なら、ちと甘えようか」
「こんなん、全然甘えのうちに入らんよ? もちっとずうずうしく振舞うてもうたほうがええくらいや」
「根が謙虚に出来ててな。なかなか難しい」
「なのはが謙虚やったら、ずうずうしい人なんていなくなるやん」
「ハヤテなんかどうだ?」
「なに言うかな。この才色兼備、巧言令色で有名なハヤテちゃんを捕まえて」
「ふむ、だが確かに俺が謙虚を名乗るといろいろ不便か。平和主義で謙虚な魔王……管理局のキャッチフレーズに使われそうだな」
「いや、ちょうスルー? ちょう待ちぃ。突っ込まれんボケを哀れとは思わんのかい」
「やはり、説得と書いて砲撃と読む、がいいか。管理局のイメージにぴったりだ」
「放置プレイ?! 高度やろ、その技は!」
軽口を交わしながら立ち上がり、本部棟に向かって歩く。軽口といっても、もっとずうずうしく……遠慮なく振舞ってほしい、というのは本音だろう。あからさまなはぐらかしに乗ってくれたハヤテに俺は、わずかな罪悪感を覚えた。……俺は今だ、彼女を親友と公言したことはない。
本部棟の廊下に足音が響く。沈黙を破ってハヤテがぽつりと言った。
「なのちゃんがどう思おうとな? 私はなのちゃんに救ってもろうたと思っとる。ほんまに感謝しとるんや」
俺は否定の言葉を返そうとし……できなかった。今までも何回か話し合い、平行線のまま終わった話題だ。俺は彼女の言葉を受け入れられないが、否定の言葉は彼女を傷つける。
無言のまま歩く俺を、ハヤテは笑みを浮かべて見つめた。
「なのちゃんの誇り高さも判る。でもな、あのとき……私の前で私の為に「夜天の書」に術を使おてくれたあのとき、私は思ったんや。
私はこの人に救われた。結果がどうなろうと変わらへん。ただ、損も得もひっくるめて、その辺を超えて、この人は私のために力を尽くしてくれてる、結果なんかどうでもいい、ただ、この人の私を全力で助けようとしてくれてるその気持ちだけで、私は救われた、救われるんやって思った。それだけなんよ。」
俺はとっさに声をだせなかった。ハヤテの顔を見ることもできなかった。
そんな俺に、ハヤテは一段深い笑みを向けると、頭の後ろに手を組みながら俺より数歩前に出た。
「さーて、今日のお茶請けは、ハヤテ印の特性クッキーやで! 期待してや!」
その姿勢のまま、鼻唄を歌いつつ歩くハヤテの背中を俺は見つめた。ハヤテの前で「夜天の書」に術をつかったとき。そのときのことが鮮明に脳裏をよぎった。
俺は、呪詛の媒介と判断した本を床におき、その表紙の上に札をおき、さらにその上に術をかけた両面鏡を置いた。隣でははやてが緊張した面持でこちらを見ている。結界にでも隔離するべきかとも考えたが、呪詛の詳細がわからない以上、なにかあったときに庇える位置にいてもらった方が安全だと判断した。無論、はやてにはそのあたりのことをきちんと説明して了解を得てある。
……2週間待ったが、結局、グレアム達は俺に対する行動を起こさなかった。調査もなんの危険も妨害もなく進み、はやてに見せてもらった住所と同じ住所が「ギル・グレアム」の戸籍に書かれていたときはいささか拍子抜けした。その住所に建つ家が、なんの術的防御もしていないのを見たときはいささか呆れた。
隠す必要も常時守る必要も感じないほど自分の力量に自信があるのかもしれないが、俺から見れば、それはただの間抜けな行為だ。行動を監視されれば分析される。分析されれば、より的確な策が練れるようになる。監視が常時できれば、より的確な分析ができるようになる。どんなに強くとも、人間である以上、隙はあるし、相手の情報があれば、隙を大きくすることができる。人は所詮、最強にはなれても、無敗にはなれないのだ。
もちろん、俺に見抜けないほど高度な技術での防衛網が敷かれているか、あるいは幻像をみせられているだけ、という可能性もある。しかし、俺はそれを考慮しない。相手の実力が見抜けないほど彼我の差があるなら、その可能性について悩んでも仕方ないのだ。実際に戦闘になったときに、実力差に関わりなく脱出できるような方法を検討しておけばいい。
結局、俺は式をグレアムの家に潜り込ませることまでやった。間にいくつかの呪物を挟んで、式から俺への糸を辿れないように工夫した上で。しかし、数日に渡り式を潜ませている間も、家の住人達は、なんらこちらに気付いたような様子を見せなかった。PC内の情報も確認したが、英語に似た未知の言語で書かれていた為、解析できなかった。
あと判ったのは、グレアムらが朝、空間転移によってどこかに出かけ、晩遅く空間転移によって帰ってくることだ。例の「力」を使ってだ。「力」は術式に変換すると目視できる様で、転移を行う際に浮かび上がる光の模様と数式・文字は、まるでおとぎ話の魔法のようだった。空間転移は、陰陽術ではあまりに高度なために既に失われた術だ。もしかすると、この世界では、本当に魔法が存在するのかもしれん。
決まった時間に家を出、大体同じ時間に帰ってくる彼らを見て、まるで会社員だな、と思っていたら、本当にそうだったようだ。彼らの話す言葉も、英語に似た未知の言語だったが、ところどころニュアンスはとれる。それに制服らしきものを着用していた。彼らは、それなりに大きな組織に所属していると見て間違いないだろう。空間転移先を確認したいところだが、いくらなんでも、ばれるだろうと思って、断念した。
しばらく調査して、グレアム側から接触がなければこれ以上の情報は得られない、と判断する段階に至った俺は、方針を変え、はやての受けている「呪詛」を調べて「力」についての知識を得られないか試してみることにした。2週間の間にそれなりに仲良くなったはやてに自分が陰陽師であることを打ちあけ、自分とはやてが陰陽術とは異なる「力」をもっていること、はやてが例の「本」が発する呪詛の影響を受けていること、足が動かないのはその呪詛のせいである可能性が高いことを話し、「本」を調べさせてほしいと頼んだのだ。無論、呪詛を調べることによる呪詛の急進・暴走などの危険の可能性も話した上で。
はやてはすこし考え込んだが、「なのはを信頼する」とOKしてくれた。
陰陽術で呪詛の詳細を調べることはあまりない。呪詛のほとんどはすでに知られているモノだし、霊視すれば、大体予測がつくからだ。呪詛を解いたり「返す」だけなら、詳細がわからなくとも大雑把な呪詛の系統の理解だけで行える、ということもある。
だが、今回は、未知の「力」を収奪する呪詛だ。グレアム側の注意を喚起しないために強引な呪詛祓いや呪詛返しも避けたい。少々危険だが、俺は呪詛の媒介と推定した呪物=「本」のなかに、精神とリンクした式を通じて潜りこんでみることにした。
鏡の上に右手を当て、目を閉じ、精神を集中する。
霊力を高め、右手の手のひらに集中させる。
「オン・アキシュビヤ・ウン」
アシュク如来の真言を唱える。鏡のように全てを映し出すと言う智、「大円鏡智」を司る如来の力を借りるために。
「オン・アキシュビヤ・ウン」
呪物として鏡を用いることで、「対象を映す」象徴である鏡と、真言により呼び込まれるアシュク如来の力との間に類感が生じ、「全てを映し出す」力の発現を後押しする。
「オン!」
呪言と共に霊力を一気に鏡に向かって流し込む。時に「異界に通じる」と人々に恐れられた鏡。流れ込む霊力が鏡に対するその認識と類感し、高められたアシュク如来の力と、式に変じた札を取り込んで、そのまま「異界」である呪物=「本」のなかに流れ込む。
ふっ、と目を開けたとき、俺は既に「異界」の中にいた。
■■後書き■■
今回使用の術はオリジナルです。
そもそも陰陽術は、陰陽五行説をもとに、密教や修験道、そのほかの原始呪術が合わさったもの、という話です。術の効果の有無はともかく、仏とか神とかの力を借りて、いろいろと非科学的(=原因と結果の因果関係が論理的に説明できない)なことをする術、と理解しています。(詳細に興味ある方は、Wikipediaで「陰陽道」「陰陽師」の検索をどうぞ。)
ので、今回は、密教系の真言に、類感呪術をミックスさせてみました。ちなみに、アシュク如来の功徳と真言はホントです。
※類感呪術:形や存在概念が似たり同一である2つの存在の片方に何かをしたら、もう片方にも影響が出る、というやつ。わら人形に五寸釘打つとか。