かつて、戦乱の時代があった。
始まりのきっかけも、何年続いたのかも定かではない。静かに、埃のように降り積もった悪意や善意、富の偏在やささいな軋轢、なにより、人が他者への寛容を見失っていった事が土壌を整えた。やがて、その奥深くでそれは熱を放ちはじめ、静かにじりじりと、次元世界の温度を上げていった。
多くの人間はその熱に気づかず逆に浮かされ煽られ、わずかに気づいた者たちの中の少なくない数が、そこから利を得るために蠢き、ほんのわずかな人間たちが、それが炎に至るのを押し留めようとした。
だが、ときの趨勢はいかんともしがたく、やがて熱は熾火となり。わずかな風によって熾火は炎となって各所で噴き出した。時の経過と共に、炎は、傍観していた世界も、利を得る機会とほくそえんでいた者たちも、平等に、その業火の中にとりこんでいき、遂には、次元世界の全てを巻き込み、全てを火種にして、轟々と燃え盛った。
それは、現世に顕現した地獄だった。
罪人に限らない多くの命が責め苦に遭い、悪鬼羅卒の代わりに人間が狂気と恐怖をふりまく、そんな世界。
憎悪が憎悪を呼び、悲しみが報復を呼んで、もはや始まりを誰も問わず、終わりは誰にも見えない、泥沼の戦いが、延々と続いた。
多くの世界が科学によって滅び、多くの命が魔法によって奪われた。だが、限られた才能にしか発現しない魔法に比べ、科学による被害が、目に見える形で大きかったのは間違いないだろう。正式な統計はとられていない。科学に拠ろうと魔法に拠ろうと、死は死、滅びは滅びだった。
だが、そんな理屈は現実の恐怖に怯える人々には関係なく。ただ、科学が悪用されたときの恐ろしさが、人々の心に強烈な負のイメージを植え付けた。その恐怖はやがて、一部の武装に「質量兵器」という名がつけられたとき、明確な指向性を持つことになる。
即ちー質量兵器は廃絶すべきである。
未曾有の戦乱は、始まりと同様に終わりも明確ではない。公式には、新暦と称されるこよみが発令される年より、さらに70数年遡った頃には、ほとんど終結していたとされるが、その後も、各所で残り火が燃える事態が頻発。戦乱の終息に力を入れ、平和を目指す人々の心に少なからず、傷を残し、その心をさらに強く固めることになる。
溶液に満たされたシリンダーの中で、彼は、静かに想いを馳せる。
100年前は、治安も良くなかったが、それ以上に、各世界間の関係が悪かった。戦争を防ぐために、破滅を防ぐために、強権をもって行動することは必要だったし、その権力を裏付けるための武力も必須だった。戦力差を容易に覆しうるロストロギアの確保も急務だった。
やがて各世界との政治交渉の中で、治安についてもある程度、責任をもたされることになったが、それはあくまで妥協の産物であって、力を入れるべき分野ではなかった。悲劇の再来を防ぐことが第一だったのだ。
近年、レジアス・ゲイズなどは、治安回復に力を入れ、その充実のための予算配分の見直しを求めているが、それは彼から言わせれば、本末転倒だ。時空管理局は、あくまで破滅を防ぐための組織であって、個々の世界の平穏を守る組織ではない。各世界に政治取引の材料を与えない程度にこなせばよい仕事に過ぎない。
もっとも、ゲイズの生真面目さと組織管理能力は使いでがあったので、適度に地位を引き上げ、時折要求を容れつつ、そこそこ使ってきた。が、そろそろ潮時かもしれない。管理外世界の小娘の案を採用して、魔法のみによらない手法を組み上げつつあるようで、本局の上層部に不満が溜まりはじめている。
魔法を特別視する価値観を広め、強力に過ぎる兵器のうち、それほど高い科学力がなくても製造できるものを質量兵器として排除することによって、戦力を才能に依存する魔法に限定し、魔法の才有る者を管理することで次元世界の戦力バランスをとってきたのに、それにそぐわない方針だ。実害には至っていないから、放ってきたが、そろそろ、灸をすえてやるべきかもしれない。
ほかにも、あちこちで、昔を知らない者たちが賢しげに囀りまわっているようだ。仕方のないことかもしれないと思いつつ、苦々しい思いは抑えきれない。なにも知らない若造が騒ぎ立てることへの怒りと責任感。
大規模な紛争が起こらなくなってから、150年余が過ぎた。当時のことを覚えているのは、もはや3人しかいない。……100年以上前の誓いと意識を保ち続けているのは、3人しかいない。
ならば、その3人が、世界を導きつづけるのは、必然であり、義務にして権利。
スカリエッティが次元世界中に、管理局の命令で行動していたことを明かしたが、彼は気にしていなかった。
弾劾には慣れた。全て正義のためだ。信じる信念のため、平和な明日のため。彼は戦いつづけてきた。周りが頼りなく、後進も全て任せるには不安があったから、限界を迎えた肉体を捨て、脳髄だけとなっても戦いつづけた。
彼は宗教家ではない。100の不幸の全てを救えるとは思わない。100のうちのいくらかを切り捨てることで、残りの不幸を防げるのなら、敢えてそれを為そう。彼は現実的であり、理性的だった。目的のためにもっとも効果的な道を選択してきた自負があった。怨嗟の声も無念の声も、全ては次元世界全体のためだと跳ね返してきた。
今回もそうするだけだ。
「それでは、今回の件の対応だが……」
彼が同胞2人に声をかけたとき、ごく一部の限られた者が呼ばれたときにだけ入る扉が、音を立てて開いた。
「なにかね。君のことは呼んではいないが」
同胞がやんわりと叱責する。
入ってきた女性士官がニンマリと笑う。その笑みに、不穏なものを感じたときには遅かった。
破壊音と爆発音。同胞の狼狽した声。嘲笑混じりの声が響く。
「あんたたちはもう、用済みだよ。次元世界のために死んどくれ! 本望だろう?」
なにが生じたのか、明確にはわからない。だが、反乱であることは間違いない。それも、自分達の命の危機だ。
「いかん、我々がいなくなれば、誰が世界を正しく導くのだ……?!」
対応をとろうとして、全てのコントロールと指示が、シリンダー外部に通じないことに愕然とする。またたくまに意識が朦朧としていく。どこかで、水流が床を叩く音がする。
焦りと恐怖。記憶が明滅する。
滅んでいく世界、泣く人々、無理矢理戦いに駆り出される子供たち。
あれを止めなければならないのだ。自分達がやらなければならないのだ。そうでなければ。
(誰が……世界を……)
「まあ、誰にしろ、あんた達よりはマシだろ」
その声は、暗闇に沈んだ彼には、もう聞こえなかった。
■■後書き■■
最終編? いや、そのほうが楽だったんですが、感想で、リクエストというかちょっとこの辺不完全燃焼というか……というご意見があったので、素材的に面白そうなご意見を話にしてみました。でも、ちょっと短かったかな。
外伝は次話で終わる予定。リクエスト頂いても、全部にお応えする/できるわけではないので、ご了承くださいね。読者の皆さんの想像に任せたいとことか、本編で細切れながら触れたりするとことかもありますから。