レジアスは罪を背負ったまま。
俺はその罪を許さないまま。
そうして二人は生きていく。
オーリス嬢が、なにか微妙な表情を俺に向けてから、部屋を出て行った。
彼女の見せた表情の意味がわからず、首をひねりながら酒を啜っていると、レジアスが苦笑しながら話し掛けてきた。
「すまんな。アレは、俺がお前に気があるものと思っているらしい」
吹き出さなかったのは奇跡に近い。
だが、相当奇妙な表情をしていたのだろう、レジアスが肩を震わせて、クックックッと笑った。
ここはレジアスの家。その家の居間で、俺はレジアスと差し向かいで酒を酌み交わしている。机の上には酒の瓶と、酒が注がれた杯が1つ、槍型のデバイスを置いた椅子の前に置いてあるきり。
静かに時が流れる。
お互い、喋るのが好きなわけでもない。口にしなくても伝わる言葉もある。夜の静けさと心地よい沈黙に包まれて、俺達はただ、杯を重ねていた。
「……お前には礼を言うべきなのだろうな」
不意に。ポツリとレジアスが言った。隠し切れない苦汁がにじむ声で。
だから俺は即答した。
「いらんさ。
そんな事を言われたら、むしろ、恥をさらして神輿になってもらっていることを詫びなくちゃならん」
「…………すまんな」
風の囁きに消えるように、レジアスが言った。俺は、黙って杯を口に運んだ。
やがて、ほどよく酔いが回ってくる。
「なあ、レジアス」
腹の底にたまったものが吐き出される。視線で続きを促すレジアス。
「俺たちに、こんな時間はないはずだった。未来は次の奴らに引き継げば十分だと思ってた」
「それは大人の役目だ」
「……そうだな」
俺は、杯を一息にあおった。
「だが、現実には生き残ってる。各勢力の勢力争いの関係で、誰も俺たちという火種をつつきたがらんだろう。都合のいい方向に安定しかけてる現状を崩したくはなかろう。
期せずして、俺たちも生き延びる羽目になったわけだ」
「……」
「それは構わん。それは構わんのだよ。
あいつらの為なら俺は負担だとは思わないし、それはあいつらもきっと、そうなんだろう。ゆりかご戦とクーデターでつくづく思い知らされた」
「お前は良い友を持った」
「……そうだな。
だが、それに甘えつづけるわけにもいくまい」
レジアスが黙って、俺の杯に酒を注ぐ。
またクイッとあおると、俺は一息ついて、続けた。
「政治状況に甘えることもだ。
俺達は悪党で犯罪者だが、それだからこそ、汚泥掃除には適任だった。汚れを落として礎を敷いたあとは、真っ当でホンモノの英雄たちが未来を紡いでいってくれるだろう。俺たちは引き際を間違わんことに注意して、彼らにつながる道を築き上げてやることを最期の仕事にすべきだろう」
「……お前はそれでいいのか」
俺は失笑した。
「いまさらだな、レジアス、レジアス・ゲイズよ。
俺たちは正義じゃない。そんなものは人を騙すくらいにしか、使い道が無いと知っている。
俺たちは真っ当じゃない。人の道を踏み外した外道と、それを見逃し利用した外道だ。倫理を知りながら、それを足蹴にする無法者だ。
いまさら、光を浴びても、身に纏った腐臭と死臭が鼻をつくだけだ。染み付いた怨嗟と穢れが浮かび上がるだけだ。ひとには見えなくても、俺たちは、それがそこにあることを知っている。なら、最低限の仕事をした後は、真っ当な連中に道を譲るのが、せめても、恥を知る行いだろう?
今は必要だから、陽の下で道化の真似事もするが、必要が無くなったら、さっさとふさわしい場所に戻りたいものだね」
この半年、何度も何度も繰り返した問答。ああ、レジアス、レジアス・ゲイズ。愚かで頑なで、どうしようもなくお人よしのお前よ。今更お前ひとり、地獄に置き去りにすると思うか。お前ひとり、生贄にささげて口を拭うと思うか。同じ過ちを繰り返そうとするほど、恥知らずと思うか。
俺たちは戦友であり、共犯であり、同属だ。貴様と共になら、喜んで煉獄のなかに留まり生を終えよう。かつての誓いは今もこの胸に。高い空を地の底から見上げて、俺たちには手の届かぬ星々の煌きを、共に讃えよう。
それとも、俺が地獄の道連れでは不足か、レジアス?
「……いや」
なら。それでいいだろう。
どうせ、誰かがやらねばならん後始末。
貴様は覚悟もとりまとめる能力も十分だが、決定的に甘い。それを補う人材がいるのになにを躊躇う? いまさら、年齢も性別も、俺にあてはめるのは無意味。辛いのなら、俺を最後のひとりにするために、利用し尽くすがいい。
「…………」
ふふふ……愚かだな、レジアス。お前は本当に愚かで…いい男だ。
だが、諦めろ。貴様がいかに拒もうと俺はすでに決めた。覆すことは誰にも許さん。俺が、俺の意志で、俺の生を決めたんだ。
「…………」
ふふふ、らちもないことを言ったな。許せ。
せめて。今は静かに、夜の闇のなかに身体を沈め、酒を酌み交わして時を過ごそう。
苦悩も悔恨も数え切れないが、今だけは忘れて、静かに酔おう。
ほら、見るがいい、レジアス。
空には月、手には美酒、傍らには友。俺たちのような輩には、もったない贅沢だぞ。
笑う俺を、しょうがない奴だという目で見て、杯を干すレジアス。無言で突き出される器に酒を注ぐ俺。静かに夜が更けていく。
双月が空に冴えている。
レジアスの家からの帰り道。夜空に輝く双月を見上げ、俺は思い出す。
あの双月を目指し昇っていった巨大なカタマリ。妄念と執着の象徴。俺は、JS事件と呼ばれるようになった一連の日々のなかで、最大の動乱の日のことを思い返した。そしてその日喪ったものと得たもののことも。
夜空に浮かぶ顔に向かい、俺は笑い含みに呼びかけた。
「もうしばらく待っていろ。いずれ、俺もそこにいく。そのときは、また存分に語らおう。話題はきっと尽きんだろう」
その光景を想像して、俺は笑った。脳裏の男も、嬉しそうに笑った。
陶酔しながら饒舌に語るスカリエッティ。苦い顔をしながら、黙って聞いているゼスト・グランガイツ。馬鹿にしたような表情を浮かべながら、しっかり聞いているレジアス。時折混ぜっ返しながら、スカリエッティと議論を交わす俺。
周囲には荒涼とした大地が広がり、燃え上がる業火が肌を灼く。空は暗い雲が重く垂れこめ、遠雷が轟く。そのさなかで、存分に語らいあう俺達。
想像してみると、それはとても幸せな光景に思えた。
足取りが軽くなる。街灯が照らし出す空間を避け、闇の深いところを選んで軽やかに跳ねる。
双月が空に冴えている。
帰り着いた宿舎のキッチンで、水道の栓をひねり、コップに水を満たすと一気にあおった。酔いが少し退いて、わずかに楽になる。
もう一度コップに満たした水を、ちびちびと舐めながら、部屋を横切る。さまよっていた視線がふと、壁にピンで留められた写真を捉えた。先日、ハヤテがもってきて勝手に貼り付けていったものだ。
ふらり、と近づいて、そっと写真を撫でる。写っているのは機動六課の面々。
ふ、と俺は吐息にも似た笑いを漏らした。だが、その笑いには悲しみや羨望はあれど、嘲りや後悔は無かったように思う。
シャワーを浴びて、さて寝ようか、というときになって、部屋の端末に着信履歴があるのに気づいた。個人端末のほうにかけてこないということは、私用だろうか? 確認するとティアナからだった。何時になっても構わないので、連絡が欲しいと。
俺はガウンを羽織って、ティアナの端末に連絡を入れた。ほどなく画面が表示される。
「高町少将」
ティアナが緊張した声で言う。制服姿だ。
これは、悪いことをしたかな、と自分の格好を思いつつ、軽い言葉をかける。
「非公式の場だ。なのはでいい」
「いえ、業務上のことですので」
「……そうか」
自分の目が細まるのがわかる。ティアナは目を逸らさない。怯えもひるみも見てとれるが、芯にある熱意が静かに熱を放っている。
「業務上背任の可能性が閣下にあります。事情をお伺いしたいので、近日中にお時間を頂きたいのですが」
「ほう?」
ティアナは目を逸らさない。
「将官に対し、そこまでいうからには、それ相応の根拠や物証はあるのだろうな?」
「はい」
俺は、ティアナの目を見つめたまま、思考に沈む。おそらく、いま、俺の目は氷の針のような色をしているだろう。ティアナは目を逸らさない。
「わかった。明日の午後、時間を設けよう。本部受付には話を通しておく。来られるのは、貴官とハラオウン広域独立捜査官か?」
「いえ。小官1人です」
ほう。声に出さずに呟いた。
「少将への事情聴取に、捜査官補佐1人のみが赴くと?」
「はい」
ティアナは目を逸らさない。わずかに震えた声は流すことにした。
また思考に沈みかける俺に、ティアナが言葉を続けた。
「本件については、小官のみが承知していることです。ハラオウン捜査官も、フィニーノ補佐もご存知ではありません」
俺の目が極限にまで細まった。自然に放たれる殺気に近い気迫を押さえもせずに、ティアナに向ける。ティアナは、身体をびくりとさせたが、それだけだった。ティアナは視線を逸らさない。
「ほう」
いくばくかの沈黙のあと、俺の口から漏れたのはそんな言葉だった。ティアナは変わらず、俺に視線を向けている。
俺は浮かぶ笑みを抑えられなかった。いや、抑える気がなかった、と言ったほうがいい。
彼女に告発されて身の破滅を迎えることもありうるのに、俺に恐怖はなかった。手塩に掛けた部下の有能さが、ただ嬉しかった。俺が、必要なら彼女を謀殺することも辞さないだろうことを知っているだろうに、1人で疑惑を抱えて1人で俺のところに来ると言い切る、その姿勢が好ましかった。
「わかった。明日午後、お待ちしている」
「……ありがとうございます」
ティアナの顔からわずかに強張りが抜けた。数瞬おいて、俺に敬礼を向ける。
「ご協力に感謝します。夜分に失礼しました」
「ああ。……おやすみ、ティアナ」
「……おやすみなさい、なのはさん」
そして切れる通信。
俺は含み笑う。まさかと思っていたが……優秀な奴だ。
「楽しみだな……」
明日、俺の前に立ち、真っ向から挑んでくるであろうかつての部下の姿を思い描いて、俺は自分でもわかるくらい柔らかい笑みを浮かべた。
双月が空に冴えている。
あぁ ――― 明日は、いい日になるだろう。
■■後書き■■
問い:なぜ、ゲイズ家に杯があるのか。
反応1:無粋な問いだな。(レジアス・ゲイズ)
反応2:日本酒の味と一緒に作法も仕込んでやった。(高町なのは)
反応3:えーとね、しらないっv。(ヴィヴィオ)
次回、最終話「魔王の契約」。