「閣下は、昨年のJS事件の数年前に、すでに最高評議会の犯罪を知り、スカリエッティとのつながりを知り、スカリエッティの所在まで掴みながら、彼らに対して何もしなかった。間違いありませんね?」
「ああ」
どこから引き出したのか、どこで消し忘れたのか、明確なデータを突きつけられては、ごまかしなど無意味。
俺の対面に座るティアナは、一瞬の間も置かず、さらに言葉の槍を続けざまに繰り出してくる。
「なにを目的として、そのような行為に及んだのですか?」
「確実に最高評議会の政治生命を仕止め、管理局内に広がっていた膿を摘出して、綱紀粛正をおこなうためだ」
「なの……閣下が信じる正義の為に、閣下に寄せられていた信頼を裏切った、と」
「……そうだな」
「閣下は、自分個人の判断が、課せられた職責に優先すると考えられたのですか? 貴女のその判断で、本来なら失われずに済んだ多数の命が失われた。明らかに当時の閣下に課せられていた、管理局員としての義務に反しています」
「それは間違いだな」
「……どういうことです?
閣下の判断で、多くの失われなくてよい命が失われたのです。次元世界の秩序と安全を守る時空管理局員として、明らかに職責に反した行動であったと思いますが?」
「ふむ。貴官は勘違いをしているようだ」
「……なにをです?」
「時空管理局は全てを救う組織ではない。それがより大きな成果の為に必要と判断すれば、多くの命を切り捨て、そしてそれが正しい行動として称賛される組織だった。大規模次元災害を防ぐためなら、次元世界の一つや二つ、切り捨ててかえりみない。それが管理局のテーゼであり、管理局員の職責だ。従って、目的の為に犠牲を許容した私の判断は、管理局員の職責に反していない。
まあ、どんな組織であれ、効率をとらねば成り立たないところはある。一概に責めることはできんが……かといって、仕方ないと開き直るのは、恥知らずというものだろうと、個人的には思うが」
「……あなたは、では、あなたの判断が正しいものであったと、なのはさんを信頼する人々に恥じない行いであったと仰るんですか?!」
「勘違いするな。
私は、いま貴官が言った、私の行為が当時の私の職責に反した行動だということを否定した。当時の私の行動は、管理局の常態に照らせば、決して職責に反してはいないと。
だが、それだけだ。
私は自分の判断が正しいとは一言も言っていない。
いいか、貴官の言い方を借りれば、時空管理局は正しい組織ではなかったのだ。それが人々に認識されずにいたのは、一重に現場の人間の個人的努力を、管理局という組織の努力と混同していたからに他ならない。管理局は正しい組織ではなかったからこそ、私は、反逆の狼煙を上げ、そしてその行為を各次元世界の代表方や聖王教会も認めたのだ。その成功の為に時間を掛け、それが寄せられていた信頼を裏切っていたというのであれば、それは私という一個人が、人間として背負うべき業だ。決して、管理局の名を傘にして避けてよい類の非難ではない」
「……では、閣下の行為自体が、人道に悖るものであったことは認められるのですか?」
「仕方ないと開き直るのは恥知らずだろうと言った」
ティアナは押し黙り、部屋に鋭い静寂がはりつめた。
「本当にわからないか?」
俺は笑った。
「10歳に満たない年齢で「保護」の名目で別世界に連れて来られ、たった3ヶ月の訓練で戦場に放り込む、そんな組織を嫌うのは不思議か?」
「……ご冗談を。武装隊配属当初から、貴女は赫々たる戦果をあげてらっしゃる。その過剰な攻撃と悪辣な戦術で、魔王という二つ名をつけられておいでだったではないですか」
「俺としては、過剰な攻撃も悪辣な戦術も望んで行なっていたわけではない、としか答えられない」
「……望んで苛烈な戦闘をおこなったわけではないと。何度も懲罰をうけながら、繰り返した行為を望んでいなかったとおっしゃる。なら、なぜ、そのような行為をおこなったのです?」
「怯えていたからな」
「…………は?」
「怯えていたからだ。自分の力に自信がないから、悪辣と言われる戦術を弄す。自分の能力を把握し切れてないから、オーバーキルと言われる攻撃を仕掛ける。自分の能力が把握できて、自分の力に自信があったら、必要最小限の力で仕留めるさ。
できるだけ余力を残すよう心がけるのは、戦闘の基本だ」
ティアナは再び押し黙った。彼女にも覚えのある感情だからだろう。
俺は肩を竦めた。
「もう一度聞こう。
せめて、自分と同じ目に遭う人間を減らしたい。そう願うことが、そんなに不思議か?」
管理局としての正義ではなく、次元世界を統べる秩序でもなく――ただ一人の人間として戦ってきた。
傷つけながら傷付きながら、自分自身で望んで進んできた。
「「世界はいつだってこんなはずじゃなかったことばっかりだ」」
俺は静かに口にした。
「クロノの口癖だよ」
「……聞いたこと、あります」
「正道を通して全てを救う。掬おうとする掌から零れ落ちていく一粒でさえ、失われないように救いあげていく。そんなことは不可能だ。輝けるただの理想。捜査に携わっていれば、わかるだろう?
組織は多くの人々を助けられるかもしれない。だが、たった一人の為に全身全霊を賭けようとする行為は、しばしば組織では阻まれ、矯正される」
ティアナが息をついた。張りつめた空気が緩む。
俺を鋭く見つめていた視線を落とし、ティアナは酷く疲れた表情を露わにした。
しばらくの沈黙の後、ティアナは、プライベートの口調で呟いた。
「……なのはさんは、ほんとうは、なにがしたかったんですか?」
「さて……大したことではなかったんだがな」
「……ここまで来て、はぐらかさないで下さい……」
俺は苦笑した。
「本当に、大したことではないんだ。誰にも生き方を強制されない世界。生まれや資質や才能で、生き方を縛られない世界。自由な世界」
スカリエッティよ、お前が目指したものと俺が目指したもの。どんな違いがあるんだろうな。ただ、立ち位置とアプローチ方法が違った、それだけのように、今は思う。滑稽なことだ。いまさら気づいても、喪われた命は還らない。
「誰もが夢見て実在を信じて、けれどけして手に届くことのない、大人のおとぎ話だ」
同じことを繰り返し繰り返し。それでも気が付いたらわずかなりとも良くなっている。そう信じたい。クローベル女史が言っていた。わたしたちはうまく引き継げなかったけれど、あなたたちはうまくいくように願うわ。と。
俺たちは今を生きるのに必死で。抗うことあがくことに必死だけれども。いつか立ち止まったとき、少しでも時代が良くなっていたら、と、そう思う。虚飾に包まれた俺だけれども、メッキはメッキなりに、本物とは違う輝きで果たせる役目もあるだろう。
「俺は悪党で、外道だ。文字通りの魔王だ。そして、それを直したいとも思わん。俺は俺なんだ。
どんな皮を被ろうと、どんな力を持とうと、俺は俺という、ひとりの人間にすぎん。そして、そのあり方をゆがめることは、もうしたくない。
許しは請わん。見逃せとも言わん。だが、お前には、理解はしてほしいと思う。……甘えだと、自分でも思うのだがな」
「……フェイトさん達には…おっしゃらないんですか?」
俺は苦く笑った。
あの2人が、2人だけじゃない、あの連中が、俺のことを想ってくれていることを、俺は受け入れることができた。だが、それでも、まだ。あるいは、だからこそ、俺は。
「フェイトのような、理想を掲げ続ける、強さも優しさも。
ハヤテのように、全てを投げうつ純粋な心も情の深さも。
どちらも俺にはないものだ。だからこそ、俺はあいつらに憧れて、あいつらに託そうと思ったのかもしれない」
告発がなされれば、各世界は、レジアスや俺の口から共謀が漏れるのを恐れて、口封じに出てくる可能性が高い。いまの次元世界の形のほうが、彼らにとっては以前より有利なのだから。俺とレジアスを除くことの不安はあるだろうが、カリムを中心に、聖王協会主導のもと、固まりかけている新しい秩序は、この半年で、俺たち無しでもなんとか進められる状況まで来ている。
だから、もう、俺たちが不要と言われるなら、それでいいんだ。もうやることはやり、そして汚れと匂いは十二分に染み付いている。俺たちがしなくてもすむなら、それに越したことはない、のだろう、きっと。
なにより、託せる相手がいる。自分がいなくても、世界はすすんでいけるだろうと、理屈抜きに信じられる。
「反省されるお気持ちはない、と?」
俺は笑った。笑うべきではなかったかもしれない。だが、俺にはほかに自分の感情をどう表していいか、わからなかった。
「言ったはずだ。私の行為が人の道を外れたものであり、業として背負うべきものであることには変わりない、と。
私が名乗り出なかったのは、いまだ動揺がつづく組織と次元世界の人心を抑え、適切且つ効率的に運用する人間として、私が必要な存在だと思っていたからだ。裁きをうけたところで、なにも変わりはしないと思っていることもある」
「……とおっしゃいますと?」
「私の罪は私のものだ。ほかの誰にも由縁を求める気はないし、誰に裁かれたところで降ろす気もない。私の業だ。
他人にどう評価されようとどんな贖罪を課されようと、それが消えることも変わる事もない。私の生の一部として、墓場まで共に抱きしめていくことになるものだ」
「……」
歯を食い縛るティアナに、俺はかすかに微笑いかけ、言葉を続けた。
「とはいえ、自分が組織と次元世界にとって必要だ、という考えの傲慢さは、手厳しく指摘されたがな。
人は己の意思によってのみ生きるべきで、なにかや誰かにすがり管理されて生きるべきではない、と宣言した私が、保安局の管理者づらして振舞うのは、たしかにちゃんちゃら可笑しい話だ。我ながら、赤面の至りだよ」
「……なのはさんは、自分の思うとおりに周りを気にしないで振舞うのが、らしいです」
「誉め言葉なのか、それは?」
自嘲の笑みを浮かべる俺。ティアナは、だが、容赦なく言った。苦悩の窺える声で。
ああ、俺はまた、こいつにこんな声をさせている。心の奥底が疼く。
「……なのはさんのおっしゃるとおりなのかもしれません。いえ、きっと、なのはさんが正しいんでしょう。それでも……それでも私は、納得できないんです」
「それでいい。お前はお前の道をいけ。もう、おぼろげながらでも、見えはじめているはずだ。お前の進むべき道、進みたい道が。
もっとも……厳しい道だ。たどりつくことなど、おそらくはない道。報われない道だ」
「……ええ。きっとそうでしょう」
「そうと知って、なおそれでも、その道を征くのか?」
「なのはさんは……不可能に見える道なら諦めるんですか? それが自分の望む道だったとしても」
「…………っくっくっ。一本とられたな」
「ですから、わたしの要求はひとつだけ。これからも逃げないで下さい。保安局の一員として責務を果たし続けてください。
全てを独りで背負うんじゃなく、ひとりの人間として生きてみてください。フェイトさんやハヤテさんが、行動で示して、なのはさんも受け入れたことです。できるはずです。貴女なら。私たちを率いてあの騒乱を駆け抜けた貴女なら」
ティアナは、感情を隠そうとして結局失敗しながらも、はっきりと言い放った。現実を知りながら、それでもなお、こんな青臭いことを堂々と言ってのける人間を呼ぶ言葉を俺は知っている。俺が、けして呼ばれることのない言葉。誰もが一度は夢見る存在。
「私たちに、飼われる羊でいいのかと問いかけたのは、なのはさんです。自分の意志で、自分の行為に責任を負うべきだとおっしゃったのは、なのはさんです。……それとも、やっぱりまだ、私たちは頼りないですか? 信頼できませんか?」
俺はこみあげてくる笑いを感じた。
これまで含んでいた苦味も陰も、欠片もない笑い。またそんな風に笑える気持ちになれるとは、思っていなかった。
だから。
俺は笑った。大いに笑った。ひとりの人として、か。教えられたつもりでも、気づいたつもりでも、なかなか簡単には直らないものだ。だが、それを指摘する友人と……そして部下、いや後輩がいるなら、なにを憂えることがあるだろう。ティアナも微笑を浮かべていた。
だがそうやって、ひとしきり笑い、話が決着したような空気が流れはじめる中、笑いの残滓を浮かべたまま、俺は切り出した。
「その要求、条件付で受け入れよう。俺は時空保安局に長居することはない。長くて10年、それがリミットだ」
ティアナは、唖然とした表情をした。
「俺は、俺が自由でいられる環境を望み、事実上、それを手に入れた。建前が建前で終わらない世界、というのは無理っぽいが、それでも、少しはマシになったと思う。
ところがな、ティアナ。笑えることに、自由になってみて、俺は、自分がなにをしたいのか、考えていなかったことに気づいた。笑っていいぞ。10年かけて、束縛からの解放を望み、実現させてみたら、その先、どう進めばいいか、わからなかった。笑える話だ……」
ティアナはまだ、急転した話についていけないようで、混乱しているのが表情に出ている。だが、話を理解しようと食いつくような意志は、瞳に宿っている。
俺は続けた。
「まあ、だが、この際だ。少しばかり、趣味と実益を兼ねたことをしてみようかと思ってる」
ほんとうは、真剣に検討していたわけじゃなかった。だが、ひとりの人として生き直してみろ、というティアナの言葉が、俺の心のどこかにあったスイッチを切り換えた。
やりたいことをやってみるのもいいじゃないか。たとえ、それが自分の罪業に絡むことだったとしても。義務感でなく、なさねばならないから為すのでもなく。ただ、自分が望むから。
自分の望みのために、自分の心のままに、おこなうなら。同じ行為でも、きっと、全く違う光景が俺のいくさきには広がるだろう。
「ティアナよ、俺たちの戦う相手は何だと思う?」
俺は、心のままに語りはじめた。それは、理解を求めるための話ではなく、ただ、自分の思っていたことを垂れ流していくだけの行為。だが、緻密に練り上げてもいない言葉を、反応を求めずに口にしていくという行為は、思わぬほどの開放感と清涼感を俺にもたらした。
俺はひたすら、喋りつづける。
「犯罪者じゃない。暗躍する政府でもない。そいつらは、ただの枝葉だ。本当の敵は、その根にあるもの……社会だよ」
一息ついて、間をあける。結論を先に言って、そこに至る思考の経緯を説明していく。
「保安局を10年で去るというのは俺だけじゃない。レジアスも、ハヤテもその予定だ。クロノとフェイトはすこし難しいだろうがな」
「……なぜです?」
搾り出すような声で、ティアナ。
「管理局の轍を踏まないために。それが必要だろう」
表情をみるに、ついてこれていないティアナを無視して、俺は続ける。
「初期の管理局の理念や行動が間違っていたと、俺には断言できん。状況によっては劇薬を使わなければならないときというのは、確かにある。だが、それが当たり前のことになり、時代の変化を無視して、組織も、最高指導部も変わらないまま、数十年、同じ方針で行動しつづけたのはまずかった。
どんな組織でも老化する。それを防ぐために様々な手が打たれるが、それでも完全に防ぐことはできない。
防ぐことができないなら、どうするか? 簡単だ。老化を受け入れ、刷新すればいい。人も、組織も、時によっては方針も」
ティアナの表情に浮かぶ、疑問と反発を読み取って続ける。
「勘違いするな。保安局は管理局じゃない。もう理念を示し、法を定める政治的存在じゃないんだ。
理念は次元世界連盟が定める。保安局は、その理念の元、治安委員会が検討した方針に従い、犯罪対策の戦略を立てるのが精々のところだ。保安局は、治安維持機構であって、政治組織でも行政組織でもないんだ」
「……それが、どう、さきほどのお話とつながるんです?」
やはり、ティアナは優秀だ。理解し切れなくても、本筋を忘れることはない。それが嬉しくて、俺は少し意地悪く、わざとずらした言葉を紡いだ。
「俺とレジアスはな……ちと名声が高くなりすぎた。状況が状況だけに、即退局というわけにはいかないが、10年あれば、とりあえず、基礎は固められる。種も撒ける。
枠組みは作ろう。道標も示そう。方法の検討の仕方も教えよう。だが、歩いていくのはお前達がやるんだ。
俺とレジアスが絶対視され、俺たちの言葉や行動の内容ではなく、俺たちが行なう、という理由で、全ての行為が支持されるようになるのは、おそらくそう遠くはない。すでに、その傾向は出ている。
だが、10年間程度なら、おそらく舵取りをうまくやれば、決定的に歪まずに済む。個人が組織に対する影響力を持ちすぎるのは、決していいことじゃない。ハヤテも同じ意味で退局しなけりゃならない。あいつの場合は、聖王教会の若手の重鎮としての立場もあるしな」
「……クロノさんとフェイトさんはどうなんですか?」
俺は、ため息をついて、椅子の背に体重を預けた。
「あいつらについても好ましくない。好ましくないが……次元航行艦隊を中心とする部隊での暗闘やかけひきは、10年程度で収まらんだろう。クロノには悪いが、かなり長い間、各勢力をとりまとめていってもらうことになると思う。
あいつを引き止める部門内の政治的抗争そのものが、組織の硬直化やクロノの権威の絶対化を防ぐ。あいつにとっては、反対派に命も行動の隙も狙われつづける、ろくでもない日々になるだろうが……悪いがほかに適任がいない。使える奴のほとんどは、クーデターのときに、さっさと恭順と反省を示すと称して、とんずらこいてくれたからな。沈む船で真面目に補修作業に取り組む堅物だけが残った、というわけだ」
「……」
「フェイトは、クロノが政治抗争に関わらないように配置するだろう。もともと、当人にそのセンスがさっぱりないし、性格的にできるタイプでもない。有能な執務官でありつづけ、昔を知らない海の若手の憧れ、海の新生とその清新さと有能さを示しつづけることになるだろう。
心情的な影響力は大きなものになるだろうが、組織運営の中枢に関わらない限り、組織を奇形化するほどの影響力は持ちえんよ」
「……保安局を辞めて、どうするつもりなんですか?」
「ああ、すまん、話が逸れたな。つまり、ここで、最初の問いに戻るわけだ。俺たちの戦う相手にな。
保安局内については、10年間で打てるだけの手を打つ。その先はお前らに任せる。俺が次に相手にすべきは、保安局の外―次元世界全域だ」
「……え?」
俺は悪戯をしかける子供のような気持ちで、言葉を続けた。
「当たり前の流れだろう?
犯罪も世界間の政治的軋轢も、生み出すのは社会だ。次元世界の常識やありかたそのものだ。そいつらを相手にする。世界を敵に回すなんて、いかにも魔王らしいだろう?」
言って、俺はクスクス笑った。
「政治家、にでも、なるおつもりですか?」
「性に合わんな。それに、政治は枠組みを整えることはできても、意識やあり方まで変えることは難しい。いまの、政治闘争が激化しつつある次元世界ならなおさらだ。
とりあえず、いろんなところをぶらついてみようと思ってる」
「ぶらつくって……」
「種を撒くんだよ、管理局でやったように。
魔力だけが人の価値じゃない。組織のために人が生まれて生きるんじゃなく、人がよりよく生きていくために組織があり、それを使いこなす方法がある、それを思い出させてやるんだよ、あちこちでな」
「……騒動を巻き起こしながらですか?」
頭痛をこらえるようなティアナに、俺は素直に答えた。
「ま、そういうこともあるだろうな」
「そういうこともあるだろうな、じゃありません! ただでさえ、不安定な各世界に、火種を撒いてどうするんですか?!」
「その辺は、お前らがなんとかしろ」
「そんな無茶苦茶な!」
俺は笑った。
「誘きだされるテロリストもいるだろうし、活性化する反政府組織もあるだろう。政府自体が動く場合も少なくないと思う。うまくやれば、次元世界の犯罪の根を、劇的に減らすことができるぞ。世界間の抗争も、穏健派・融和派が優位になるような方向にもっていくことも可能かもしれん」
「……単独で囮になられるおつもりですか?」
つかの間、絶句したティアナは、搾り出すようにそう言い、俺は笑いを深めた。
「まさか。そこまで殊勝じゃないさ。
俺はあちこちうろつきまわって、気に食わん価値観を凹ませてやって、ついでに新しい考え方を撒いて歩くだけだ。
それに釣られて寄ってくるかも知れないハエ共を、俺共々どう扱うかは、治安機構が考えることで、俺の知ったことじゃない」
「……詭弁です」
複雑な表情で呟いたティアナに俺は、笑いかけた。
「もうすこし、柔軟に考えるようにしろよ。物事には一面だけしかないわけじゃない。色んな立場があり、色んな見方があり。それぞれが考えて起こす動きがある。一つの行動が生み出す波紋は、一つの物事だけをひきおこすんじゃない。色んなところで、色んな結果を引き起こし、目に見える影響、目に見えない影響を生み出す。そいつらを全部読みきるのは不可能に近いが、できる限り予測して、最善の結果を引き寄せていけ。
いますぐは無理でも、それを念頭において物事をみるようにしていけば、必ず見えてくるものがある。指揮官の素養と重なる部分もあるからな。お前なら大丈夫だよ」
ティアナは、額を押さえながら、うんざりした表情でつぶやいた。
「次元世界中に騒動の種を蒔いて歩く……。ホントに魔王ですね。いえ、むしろ、いたずら好きの悪魔?」
「せっかくだ。魔王にしておいてくれ」
「ハア……。……もういいです、それで。
その代わり、一つ、約束してくれませんか?」
「うん?」
「もしも…………」
・
・
・
「ああ、わかった。約束ーいや、契約しよう。相応の対価を期待するぞ?」
「ええ。期待してください」
そして、後世、「ランスターの前にランスター無く、ランスターの後にランスター無し」と讃えられることになる少女は、俺の前から歩み去っていった。
自分自身の道に向かって。
静かに俺はそれを見送り。
執務机に戻って椅子に座り。
背もたれに全身を預けると、目を閉じて宙を仰ぎ、深く深く、腹の底から大きく息を吐いた。
しばらくそのままでいた俺は、やがて身体を起こして、一つ鋭く呼気を吐き、机に向き直ると、コーヒーカップを片手にとって、残る片手でウィンドウを開き、大量の書類を消化しはじめた。
……仕事の合間に啜るコーヒーは苦く、だがその裏にほのかな酸味と甘味を含んだ、いい味だった。
ふっ、と姉さんのコーヒーの味を思い出す。淹れる時の彼女の表情を思い出す。そう、俺の家族のことを。俺の大切な家族のことを……。
数秒の間、動きをとめていたなのはは、不意に、静かにカップを置いて立ち上がると、執務室の次の間、普段彼女が休憩するために使っている部屋に入っていった。
そして、その部屋の隅にある、彼女の私物が入れてあるロッカーの前までいくと、ロッカーの扉を開き、下のほうの棚をなにやら漁りはじめた。しばらくゴソゴソとやっているうちに、彼女の手が止まった。少しの間、迷うような、ためらうような表情を浮かべていたが、やがてそっと手を深く差し入れ、目的のものを持ち上げた。
その何日かあと。
第97管理外世界の、島国のある地方都市に、3人の男女がテレビにかじりつくように見入っている家があった。今朝届いた郵便物に、経営している喫茶店を臨時休業にし、集まれる家族が集まって、末の娘から送られてきた久しぶりのビデオレターを見ようとしていたのだ。
久しぶりに見る彼らの可愛い大事な家族は、妙に機能的な感じの部屋でソファに座りながら、照れくさそうに、けれども以前より遥かに明るく、親しみを表にだした表情で、ときどきつっかえながらも、近況を話していた。
そして、1年半ほど前に約束したとおり、この夏には一度、顔を見せにいくと告げたあと、少し間をおいて付け加えた。
「……いまの仕事だが、以前に比べるとかなり危険は減った。なくなったわけじゃないが……まあ、納得しにくいとは思うが、俺もいい年になった。もうすぐ、日本の法律でも成人になる。すまないと思うが、強制じゃなく、今の俺が自分で選んだ道だ。納得してくれとは言わんが、認めてほしいと思う。その辺は、そうだな、帰ったときにでも少し話をしよう。機密の関係もあって、通信や郵便で、詳しく話せるようなことじゃないんでな。
そうだな、問題のない範囲で仕事内容を言えば……」
そこで、画面の中の少女は言葉を切り、ちょっとの間、なにか考えるような様子を見せた。そして不意に、こちらに向き直って笑顔を見せた。家族の誰も見たことのない、悪戯っ子めいた、年相応の笑顔だった。
「うん、ちょうどいい言い方があった。ついさっきも、人にそう言われたところだ。うん、一番適当な表現だろう」
話しながら、彼女の表情はますます悪戯っぽいものになり、声は笑いを含むようになり。そして、片目を閉じて彼女は告げた。
「……つまり、職業、魔王ってな」
「俺の名は高町なのは。職業、魔王。」 完
■■後書き■■
全編完結。ありがとうございました。