<読まなくても支障ない、ウンチク的な設定集② 神話伝承関連解説>
修正履歴
・09年11月11日 ご指摘をうけ、「幕間5」の「ヒルコ」の項目を一部修正、注釈を追加。
<6話登場>
「煉獄」
……キリスト教。死後、地獄直行確定ではない魂の罪業を浄化する場所。ここで浄化を終えれば天国にいけるらしいが、罪業の浄化はとても痛く苦しいらしい。「煉獄の炎」なんて恐怖と苦痛の代名詞みたいに使われる言葉もある。過ぎれば天国、ということは言い換えれば、留まれば苦しみつづけるだけ、ということになる。
本来は、その苦しみを越えれば救いを得られる、という宗教的な意味があるらしいが、今では、ただ単に罪に見合った苦しみを受ける場所、というイメージだけが広まっている気がする。このSSでも、その意味に近い使い方である。
<16話登場>
「7日間」
……神道。SS内で、自我を持つ式神作成の前に身を清め、霊気を高めるのに掛けた日数だが、それについては元ネタはない。神道で、7が完全数で神を表す数字だったので採用。ちなみに西洋でも7は神聖な数字だが、主人公が用いるのは東洋系の術onlyなので、関係ない。
「月読」
……日本神話。月を表す神。実はエピソードがほとんどなくて、性質や能力はよく判らない。採用は月つながりonly。賢さでは日本神話随一とされることが多い神「思兼(オモイカネ)」とどっちを採用するか、迷った事実がある。でも月読採用。ちなみに漢字は、某メイドにして並行世界では赤の近衛軍中尉の苗字でも可。でも月読採用。
<18話登場>
「磐長媛命」
……日本神話。今更だけど「イワナガヒメノミコト」と読む。「命(ミコト)」を省略しても可。岩長比売と書くことも。天照大御神の孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、天照大御神の命により、葦原中国(日本でいいと思う)を統治するため高天原(神様の世界)から来たのだが、木花咲耶媛命(コノハナサクヤヒメノミコト)に一目惚れして求婚。それを聞いた媛の父神が喜んで、木花咲耶媛とその姉の磐長媛を共に后として差し出すのだが、磐長媛の見た目が醜かったため、瓊瓊杵尊は磐長媛を返し、木花咲耶媛とだけ結婚した。ところが、父神曰く「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、磐長媛を妻にすれば瓊瓊杵尊の命は岩のように永遠のものとなり、木花咲耶媛を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと願ったからである。木花咲耶媛だけと結婚したので、瓊瓊杵尊の命は木の花のようにはかなくなるだろう」。ということで、瓊瓊杵尊から始まり、その曾孫神武天皇とその先へ続く天皇家の一族は、人間並みの寿命しか持たなくなった、という話がある。(説明、長っ)
この伝承を踏まえて、クラナガンの住民の安全及び担当の局員達の安全と殉職の減少を願い、首都監視システムにこの女神の名がつけられた。魔力や魔法に頼らない「美しくない方法」だ、という魔法至上主義に対する皮肉の意味も込めている。
「天照」
……日本神話。太陽を表す神。天空から地上を見渡し全てを明るみに出す監視衛星、という希望も混ざった命名。別に焦点をあわせることで、黒い炎を発火させたりはしない。
「ヘカトンケイレス」
……ギリシャ神話。50個の頭=100の目と100の手をもつ巨人「ヘカトンケイル」の複数形。ヘカトンケイル、というのは「100の手」の意味らしい。コットス、ブリアレオス(別名アイガイオン)、ギュゲス(またはギュエス)の三兄弟なので、複数形。SS内でもデバイスは量産される予定なので、複数形で命名。
「須佐乃男」
……日本神話。日本の神々の中でも、武御雷、じゃなくて建御雷(タケミカズチ)とどちらが最強か、ってくらいの武神。天照、月読とは三兄弟で末っ子。ヤマタノオロチを退治したりするが、本編では関係ない。勿論、剣を持った幻影が使用者の背後に浮かび上がって剣を突き刺した敵を封印したりもしない。漢字表記のとき、使われる字いろいろあるが、一番画数の少ないのを採用。
<22話登場>
「5枚の小さな符」
……典拠なし。一応、五行それぞれに対応するため、ということでに5枚にした。呪符の大きさというのは、けっこう色々あるみたい。今回は、小さくないと、地図のどの辺を指してるかわからないので、小さな符を使用した。らしい。
<26話>
「思兼」
……日本神話。番外小話でも出てきたが、あれは番外なので、この話を初出として扱う。
16話の「月読」の解説ですこし触れたが、日本の神々のなかでは、賢さ随一とされる。名前から、思考・知恵を神格化した神と推測されているからだそうな。その割には、古事記での目立った活躍は、天照大御神が天乃岩戸に閉じこもったときに、そこから引きずり出すための策を出したことくらいか。どーでもいいが、ナデシコSS読者にはルリちゃんの友達の名としてお馴染み。
ちなみに、最初、地上本部のメインコンピュ-ター名は「月読二番機」くらいにするつもりだったが、実際に書いてみると、逆にわかりにくかったので、個別の名前を付けることにした。
「業」
……仏教。カルマ(サンスクリット語で‘行為’の意)とも言い、人に善悪に応じて果報を与え、死んでも失われず、輪廻転生に伴って、伝えられるモノ。
陰陽道は神道や仏教(密教)、道教の影響を受けているため、死後については幾つかの意見がある。阿部清明を基準とすれば、泰山府君(仏教で言う閻魔大王)の治める死後の世界へ行って暮らす、という考え方である。特に裁きや刑罰はない模様。
ちなみに、神道では黄泉の国へ行き、道教は仏教の影響により、泰山府君ほかの裁きにより前世の業により六道のいずれかに転生するとしている。
なのはさんの場合、裁きを受けた記憶もなく転生してしまったので、仏教的考えの証明事例として自分を見ている。となると、前世でやらかした呪術や殺生などのカルマも引き継ぐということで、なまじオカルトな人だけに、まともに受け入れて前世の罪業まで背負い込むことを自然としている節がある。
別に転生したからといって、仏教的な考え方の全てが正しいという証明にはならないのだが、気づかずに(或いは敢えて目を背けて)今まできてるあたり、彼女の前世への想いとか今生への対し方などが、いろいろ透けてみえる気がする。
<幕間5>
「幸福の青い鳥」
……ベルギーで1908年に発表された戯曲。しかし童話に書き直されたものの方が有名。普通は、幸福は気づかないだけですぐ傍にあるんだよ、ってな感じのいい話っぽい解釈がされるが、作者はひねくれてたのか、“青い鳥”自身はどうなるんだろ、とか思った記憶がある。誰かの幸せのために、その誰かの傍で一生飼い殺しな訳? ひょっとして本能からしてそんな感じ?
理由のわからない欲求のまま、追い立てられるように“ただ飛びつづける”鳥と、理由のわからない欲求のまま、そこを籠とも知らないで一生を囚われて過ごす鳥。あなたたちの幸せはどこにあるんでしょうか。
「太陽に近づきすぎて堕ちたイカロス」
……ギリシャ神話。羽を蝋で固めた翼で、空に飛び立った人間の少年イカロスは、飛ぶことに夢中になり、「太陽に近づきすぎないように」という父の言い付けを忘れて、ひたすら高く遠く飛び、ついには太陽の熱で羽を固めていた蝋が溶け、翼を失って墜落死したという。
調子乗りを戒めた話だとか、挑戦する勇気を象徴しているとか、解釈はいろいろあるが、とりあえず、その辺は考えなくていいだろう。蝋で固めた羽などという危険極まりないシロモノで空を高く遠く飛んでいく人を想像して、ハヤテの心配する胸のうちを理解してもらえたら、作者的には、比喩に用いた甲斐ありである。
「ヒルコ」
……日本神話。日本列島の島々や、様々な神々を生んだイザナギ、イザナミの夫婦神の長子とされる。骨のない異形の子として生まれたため、「失敗した」とあっさり捨てられた(異説有り、後述。)。葦の船に乗せて海に押しやり流れ去らせたという。流れ去ったその後について、正統の伝承はない。夫婦神も二度と彼(性別は不明だが仮にこう呼ぶ)について触れることはなく、彼の言葉も心情も、伝えている逸話はない。(正統の見解としては、の範疇。後述。)
※09/11/11、神話好き様のご指摘により、下記注釈を追記。神話好き様、ありがとうございました。
①葦で組んだ船で流したのは、捨てたのではなく、再生を祈っての呪術的行為であるとの解釈が、専門家から出されている。
②神道で正統とされる「神典」と呼ばれる数冊の書物には、流された後についての記述はない。が、民間伝承レベルでは、日本各地にヒルコが流れ着いたという話がある。外来の神である恵比寿との同一視も生じて、現在では、恵比寿=ヒルコ、というのは、けっこう一般的認識だとか神社の人が言ってた。その意味では、その後の逸話や伝承はない、というのは間違い。
ただ、各地で自然?発生した民間伝承なので、矛盾のない統一された見解や逸話ではない。ヒルコのその後、というのは、境遇と創造の余地が広いこととあいまって、義経伝説と同じように、日本人的な感性に訴えるものがあるんだろうか。
「ルシファー」
……キリスト教。日本で魔王と言うと、大抵は、このルシファーか、エデンでイヴを誘惑したサタン(“敵”を意味する)を指すそうな。ばい・Wikipedia。現在は両者を同一視する解釈が一般的らしいが、本来は別々の存在である。
名前は、明けの明星を意味し、黙示録の日(世界の終末)に再臨するキリストと対をなす、始まりの栄光を顕す天使長だった。妬みと傲慢により神に反逆、敗れて堕天し、魔王となったとされる。ちなみに明けの明星とは金星のこと。
なのはさんが本文で語ってるのは、17世紀にジョン・ミルトンが叙事詩「失楽園」で描いてみせたルシファー像に近い。現代に至るまで同様の表現や解釈はあるが、文学的・ロマン的・啓蒙主義的解釈で、宗教的にはありえない解釈であることに注意が必要である。
なお、陰陽道では金星は、歳殺神(さいせつしん)という、殺気をつかさどり、万物を滅するとされる神である。
<27話>
「伊邪那伎」
……日本神話。伊邪那美(イザナミ)の夫。この夫婦が、日本列島の各島々や多くの神々を生んだ。伊邪那美が火の神を生む時に焼け死んだため、妻に会うため、黄泉の国へと赴く。そこで伊邪那美に再会するが、地上に戻る準備をするからその間は自分の姿を覗かないでくれ、という彼女の頼みを破って、彼女の姿を盗み見、腐敗して蛆の沸いた彼女の姿を恐れて、その場から逃げ出す。怒って追いかける伊邪那美とその仲間らをなんとかギリギリで振り切って、黄泉の国への入り口を巨岩で塞いで、辛うじて生き延びた。
そのとき、伊邪那美が恨んで「日に1000人の人間の命を奪う」と呪いの言葉を投げたのに対し「私は日に1500人の人間を生もう」と返した。
この逸話に基づき、死=停止状態からの帰還=復活と、拠点をいくら潰されてもそれ以外の拠点で維持するという性質をもつ、本部コンピューターのバックアップシステムの名称に採用した。
「阿頼耶識」
……仏教。心の深層部分であり、心理学で言う集合的無意識に近い存在であり、人間存在の根本にあると考えられている。人間の感覚や意識を八つの「識」に分け、その一番底、八番目の識であり、ほかの7つの識全ての源とされる。人間がなにかを行ったり話したり考えたりすると、その影響は種子(しゅうじ)と呼ばれるものに記録され、阿頼耶識のなかにたくわえられる。それぞれの種子は、阿頼耶識の中で相互に作用して、新たな種子を生み出す可能性を持つ。
集合的無意識に近い存在であり、多くの存在の記憶や感覚とつながりつつ、ひとつの存在を成しているという解釈もあることから、多数の端末とそのネットワークにより構成されている戦術データリンク(「軍事関連用語」外伝6「戦術データ・リンク」の項参照)の名称として、採用した。
※もともと阿頼耶識は、ブレイカーズさんからヘカントンケイレスの和名案としていただきました。そのときは各種事情により不採用とさせていただきましたが、このような形で利用させていただく機会がありましたので、使わせていただきました。ブレイカーズさん、ありがとうございました。
「天眼」
……仏教。仏教語としては「眼」は、ゲンと読むのが普通であるらしい。まあ、由来が仏教にあるだけで仏教用語というわけではないので、ここではガンでも構わないと思うが。
天眼とは神々の眼であり、昼夜遠近の別なく物象(ぶつしょう)を見つめることのできる眼。肉眼は、常識の域を脱せず、実利ばかり求めている眼とされていて、これを超えて悟りへの一歩として天眼を開くことが求められているようである。
ここでは、宗教色は除いて、単純にその性能と言うか機能だけに注目して、ターミナル(「軍事関連用語」外伝6「戦術データ・リンク」の項参照)の名称として採用させてもらった。……考えてみると、ちょっと罰当たりな話である(汗)。
※天眼は、阿頼耶識と同様、ブレイカーズさんからヘカントンケイレスの和名案としていただきました。これもターミナルの端末として、その形状的・機能的に非常にイメージに合うので、この形で使わせていただきました。ブレイカーズさん、ありがとうございました。
<幕間6>
「サタン」
……キリスト教。幕間5の「ルシファー」の項で触れたが、“敵”を意味する言葉で、現在ではルシファーと同一視する見解が一般的。
その由来と経緯を見れば、キリスト教成立以前のユダヤ民族の奉じる神の、残虐非道にして苛烈な一面、あるいはその役割を担う神の使いとして、サタンの名が登場する。しかし、キリスト教成立後、愛を説く善なる神という概念が確立されたことにより、サタンはその位置付けが難しい存在になった。中世の頃には、善悪2神が対立して世界を構成していると考えるミトラ教やゾロアスター教の影響を受け、サタンを神から独立した霊的存在と考える一派と、あくまで神は全知全能にして世界の支配者であり、サタンは神の道具として悪を振りまいているだけで、黙示録の日にはその行為は全て善なる結果に結びついていることが明らかになるとする一派が、論争を繰りひろげたようである。
やがて、聖書の研究の過程で誤読が生じ、天から堕ちた明けの明星とサタンとを同一視する解釈が生まれ、ミルトンの叙事詩「失楽園」が同様の解釈を示すことにより、一般レベルでその解釈が広く浸透するようになった。だが、全知全能の善なる神が創り支配する世界に、紛れもなく悪をおこなう存在がいることは、現代に至るも様々に解釈や議論が繰り返されている。
スカリエッティの“サタン”宣言は、自身を、作り出され“悪”を為すべく使われてきた存在と認めつつ、支配下から脱し造物主に“敵”するものとして、彼らにとって代わるという宣戦布告を、なのはの「ルシファー」というコールサインの由来になぞらえて行なったものだろう。同時に、サタン=ルシファーという認識と、両者は別の存在だという解釈とのせめぎあいに、自身となのはの関係を重ねることで、なのはにひねくれた形のラブコールを贈ったともとれる。
<幕間7>
「曙光の子ルシファーよ(中略)落とされん」
……ジョン・ミルトンの「失楽園」より。古文かい、おい、ってな言葉遣いなので、あんまりなとこは、わかりやすい言葉に変えている。これには元ネタがあって、聖書のなかの「イザヤ書」の一節らしい。聖書は確認してないが、ネットの情報だと、ほとんど引用に近い。
以下、この詩の理解のために、「失楽園」に描かれているルシファー像の解説。別にそこまで関心ないよ~、って人は読まないほうがよいかと。なんか、ぐだぐだと細かい内容だし。ちなみに、決してキリスト教の教義や解釈ではなく、極めて文学的な解釈と表現をされていることに注意してください。
ルシファーとは「明けの明星」を意味する。終末に再臨する、希望の星たるキリストに対比すべき存在としてつくられた神の愛し児だった。本来は。しかしながら、栄光の座につくキリストへの妬みとその元となった傲慢(全能の神の被造物=道具に過ぎないのに、自分の価値観をもって優劣を測ったということ)により、ついには、神の道具ではないと自己の尊厳を主張して、勝ち目がないと知りながら、父なる全能の神に叛旗をひるがえし、当時の天界の軍勢の約1/3を従えて闘争を挑む。敗北し地獄に落とされ、サタンと呼ばれるようになった。
ミルトンが失楽園を書き始めたのは1658年、ピューリタン革命が1641~49年(ミルトンはイギリス人である)。ミルトンは他の著作でも、自由や人権を主張しており、つまりは、基本的人権の主張、絶対王政への反発を、ルシファーの反逆に仮託して描いたのだとか。もっとも、「失楽園」自体は、アダムとイブのエデンからの追放の話なので、本全体の主題ではない。
<30話>
「鏡像」
……原始宗教、心理学。(一般用語や数学、物理学でも用いられる言葉だが、それらについては、ここでは省く。)
鏡像は影と同じように、本体とそっくりの存在だが、本体そのものでは決してなく、神話や民話では、しばしば鏡の中の自分や影の自分に入れ替わられる話がある。
触れたくとも決して触れえない存在。一見、同一に見えて決して同一ではない存在。別の世界に存在する自分と瓜二つのモノ。
押し隠した自らの本心であり、捨て去りたい自分であり、理想の自分である、とは、心理学者らの説である。
ちなみに影や鏡像を殺したら、自分も死ぬ、というのはよくあるモチーフ。
「4つの印を連続して組み終え」
……密教の印は両手で組むことが多いが、片手印を複数組むことで、両手印と同じ意味を持たせることもある。ということで一つよろしく。
「幽世(かくりよ)」
……日本民間伝承。現世(うつしよ)=現実 の反対語で、霊魂や妖怪、神仏の世界。現実世界の認識も法則も全く通じない。いわゆる「異界」の一種。
「オン・トライローキャヴィジャヤ、オン・クンダリー、オン・ヤマーンタカ、オン・ヴァジラヤクシャ」
……五大明王のうち、不動明王以外の4明王の梵名。真名みたいな感じか。
一応、付け加えると、名前が本質に直結しているために、本名は家族以外には知らさない、という原始呪術における考え方での本名のことを、真名という。恋姫とは関係ないので、悪しからず。イスラム、ネイティブアメリカン、ポリネシア、ケルトや古アフリカの民話伝承では、真名を押さえられて人間に逆らえなくなる悪魔や精霊、という話がけっこうある。
「霊力を込めた瞳というのは、その光だけで、ある程度の呪縛や精神操作の力がある」
……瞳に特殊な力があるというのは、世界各地の宗教や原始呪術に共通して見られる考え方。インドのシヴァ神の第三の目とか、東南アジア地域に残る魔除けの眼の模様とか古代エジプトの護符とか。吸血鬼やサキュバスの魅了の眼も、キリスト教以前の土俗宗教や伝承から紛れ込んだ考え方らしい。
「諸天諸尊」
……密教。天は天部(仏を守る神様たち。帝釈天とか毘沙門天とか。)、尊は如来や菩薩、明王などの諸仏を指す。要は、超常存在に対する呼びかけ。
「五大明王」
……密教。明王とは如来または菩薩の化身で、忿怒の形相で、頑迷で愚かな人々を強引に仏の教えへと導き救済する存在。その中で特に格の高い5尊(尊は仏の数え方)の明王を、五大明王または五大尊という。概略は以下のとおり。
降三世明王(ごうざんぜみょうおう):東を担当。薬師如来の化身。三面八臂。過去・現在・未来の三世の敵と迷いを征服する。
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう):南を担当。観世音菩薩の化身。目が3つ手が8臂。軍茶利(霊薬を入れた瓶)で種々の害を除く。
大威徳明王(だいとくみょうおう):西を担当。阿弥陀如来の化身。六面六臂六足。強大な威力をもつ徳性によって悪を征伐する。
金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう):北を担当。釈迦如来の化身。三面六臂五つの目。不浄を浄化する。
不動明王(ふどうみょうおう):中央を担当。五大明王筆頭。大日如来の化身。悪しきものを滅ぼし、人々を守る。
「不動明王」
……密教。概略は「五大明王」のところで述べたとおり。その功徳のためか、日本では歴史的に、修験者や密教系の僧がおこなう戦勝祈願や医療の祈祷のときには、不動明王が祈りの対象となることが多かったらしい。現代の陰陽師ものフィクションでも、しょっちゅうその名や真言が用いられている。
右手に剣を持ち、迷いや邪悪な心を断ち切り。左手に綱を持ち、悪い心を縛る。背中に炎(迦琉羅炎)を背負い、悪毒を焼きつくす。
ちなみに、なのはが不動明王の印を切る直前に唱えているカタカナの羅列は、不動明王の真言である。
「十一面観音菩薩」
……仏教。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一。「救わで止まんじ」の誓願を持つ。除災、除疫、聖天調和の功徳を持つ。
本来なら、なのはの力量では、こんな簡単な呪言で霊威を借りたりできないレベルの尊格だが、その誓願と、五大明王の結界の中であることが、術の発動を後押しした。
「泰山府君」
……陰陽道。道教でも出てくるがここでは省く。
阿部清明が宇宙の生成、森羅万象を司る神として、陰陽道の最高神と定めた。後代に、仏教の閻魔大王、神道の素戔嗚尊と同一視されるようになった。歳殺神は、言わばこの神の部下なので、その力を借りることを事前に断ったわけである。多分、術者に力量があれば省略できる過程。
「太白星」
……陰陽道。金星のこと。というか、扱われ方とか感じ的に、金星の真名みたいな気がする。道教由来なのか日本の陰陽道由来なのかまでは調べなかった。ちなみに、日本の陰陽道では、惑星には全てこんな感じの呼び名がある。
「歳殺神」
……陰陽道。幕間5の「ルシファー」のところで少し触れたが、金星の精で、殺気と滅びを司る凶神。一説には火星の精であるともいうが、ここでは金星説をとった。
ほかに大将軍という神も金星の精だが、彼も殺伐を司る凶神である。
「類感呪術」
……原始宗教一般。4話の後書きでも簡単に説明したが、似た存在や同一とみなせるものに行なった行為が、本体に影響を与えるという呪術の考え方。藁人形に釘を打ったり、人形や人の形に切り抜いた紙で身代わりを作ったり、髪の毛や真名を使うと呪いがかけられる、といった類の術は、この呪術に分類される。
今話の場合は、なのは=金星=死を与える存在、ということを会話でクアットロに認識させた上で、歳殺神=金星の名の下に死を与えると宣言することで、類感を発生させた。
「九天応元雷声普化天尊」
……道教の3人の最高神の1人。最高位の雷神である。
よくこの神の名を呼ぶだけで雷を呼ぶ小説があるが、術者どんな力量だよ。当然、うちのなのはさんはそんな力量はないので、この方に許可を申請した上で、その配下の皆様の力を借りることを願ったわけである。
「我は雷公の気勢、雷母の威声を受け、五行六甲の兵を成し百邪を斬断し、万精を駆逐せん」
……中国民間伝承。こう書くとなんか凄えかっこいい呪文だが、中国で実際に使われる魔除けの呪文だそうな。なんか言葉と効果が違わねえ?と思ったが、道教系の呪文の資料って、結構ネット上では少なかったので、雷術の呪文にねじまげて採用した。ちなみにこの部分は伝承に基づくが、それ以外は、適当に捏ねてくっつけたオリ呪文である。
「雷部」
……道教。九天(中略)天尊の配下の神々の一部を、雷部という。つまりは、雷神の皆様。
ちなみに、彼らが派手好きだとかノリがいいとかいうのは、オリ解釈である。でも、中国の神話や伝承読んでると、道教の神々っていい性格してる。元々民間信仰の対象だったとは言え、親しみの持てる方々だと思う。雷部に限らず、派手でノリのいい逸話が多いのはホントの話である。
<三十一話>
「火界呪」
……密教。諸天諸仏へ呼びかける真言には、普通の真言、中真言、大真言の3種類があるが、不動明王の大真言は、特に火界呪という別称で呼ばれる。正しくは印を組みながら10回繰り返し唱えるらしい。昔の修験者や僧たちが唱えるとき、どういう目的や効果を期待して唱えたのかは不明だが、陰陽師小説なんかで火を呼ぶ呪文では屈指の使用率だと思う。このSSでの効果はもちろんオリ設定。
「マザーグース」
……英国民間伝承。ナーサリーライムとも呼ばれる一種の童謡だが、西欧の童話や伝承の例にもれず、無邪気に見せかけて結構グロい歌詞が多い。なのはさんが言っている詩の日本語訳の一例は下記。(詩なので、訳し方にはけっこうばらつきがある)
「赤ちゃん、ゆりかご、樹の梢(こずえ)
風が吹いたら ゆりかご揺れる
枝が折れたら ゆりかご落ちる
赤ちゃん、ゆりかご 皆落ちる」
「迦琉羅炎」
……仏教。不動明王のまとっている炎をこう呼ぶ。天部(仏を守る神々)の一種族、迦琉羅の炎。物理的効果も及ぼすが、本質的には物理現象ではない神霊の力なので、酸素の供給を断ったり温度を下げたりしても消えない。対象を浄化し尽くしてはじめて消え去る、ある意味、無敵の炎である。
「いわんや、屑をや」
……浄土真宗。言葉としては、「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」のパロである。
<幕間9>
「メフィストフェレス」
……西欧民間伝承。悪魔の個体名。ゲーテの戯曲「ファウスト」により、人間を誘惑する悪魔として、広く一般に認知されるに至った。戯曲では、美しく、教養ある姿と言葉、態度をもって言葉巧みに誘惑する姿で描かれる。
「ファウスト」
……16世紀に実在した錬金術師。名前が民間伝承に組み込まれ、ゲーテの戯曲では悪魔の誘惑に抗いきれず、一時の栄光ののちに破滅する役割を演じる。
「コールをかけた」
……某少佐の言葉と勘違いする人も多いと思うけど、実はさらに元ネタは、哲学者ショーペンハウエルの「運命がカードを混ぜ、我々が勝負する」。
<外伝9>
「優れた戦士が常に優れた指揮官であるわけではなく……」
……引用した割に典拠は忘れた。スポーツで言う「名選手必ずしも名監督ならず」か? でも、さらに元があった気もする。
まあ、現場の人間に求められる能力と、彼らを指揮管理する能力、さらに全体を管理運営する能力がそれぞれ違うのは経営学や人事業務では常識らしいので、あまり気にしないで使ってしまった。後悔はいまのところしていない。
ここでのミゼットさんの引用は、「魔王への道」より。
「名馬は老いて厩に臥せるとも……」
……神話でも伝承でもないが、一応。中国三国志の英傑曹操孟徳の作った漢詩「歩出夏門行」の一部。
ネット上にいろいろ訳が散らばっているが、わかりにくいので、思い切った意訳をしている。訳に関する異見はなしでお願いします(笑)。納得いかない方は、下記の原文を好きに訳して当てはめてください。大意は違わないハズ。
老驥伏櫪 志在千里。
烈士暮年 壯心不已。
盈縮之期 不但在天。