窓から吹き込む風に金糸が踊る。それをそっと繊手で押さえ、優雅に紅茶のカップに口をつけるカリム・グラシア。騎士というより、深窓の令嬢という肩書きのほうがよほど似合う女だ。まあ、深窓の令嬢というのも、彼女の一面ではあるのだが。
紅茶を一口すすると、カリムは上品な手つきでカップをソーサーに戻した。
「そうですか。オンミョウジュツというのは本当に不思議な技術ですね、その考え方も、興味をひかれます。」
俺はかすかな微笑で返した。カリムのことは信頼しているが、手の内は身内にもできるだけ隠しておくべきだ、というのが俺の持論だ。
初見の技は対応しにくい。未知の技術ならなおさらだ。だがその優位は、こちらが未知の技術をもっているということを知られるだけで容易に揺らぐ。その技術の名前がわかれば、技術について調べることも可能だ。調査結果が当たっていようが的外れに終わろうが、こちらの手に対応される可能性を増やすというだけで、俺にとっては歓迎できない事態だ。
俺のその辺の考え方を説明して、ハヤテにもカリムにもシャッハにも口止めは一応してあるが、用心に越したことはない。
「かつてベルカは全てを科学で解明し、未曾有の繁栄を築きあげました。ですが、その繁栄も今ではその残照をわずかに残すだけ……。それを思うと、人知を超えた力の存在を、私も想うことがあるのです。」
顔を伏せ気味に語るカリム。ハヤテは静かに義姉の横顔を見つめている。
「いまの魔法文明の繁栄も永久のものではないのではないかと疑ってしまう……臆病とお思いになりますか、なのはさん」
「いや。」
端的に返して紅茶を口に含む。うん、あいかわらずいい茶を使っている。
「むしろ健全だろう。繁栄の時代に繁栄を謳歌するのは誰でもできる。繁栄の時代に衰亡を恐れ、心を砕くのが真っ当な指導者だと俺は思うがね。」
「真っ当…ですか」
苦笑交じりに言うカリム。自身のレア・スキルと家名の力で今の地位にあるという意識が強い彼女は、自分への評価が不当に低い。俺の言葉が皮肉に聞こえたのだろう。
だが、カリムの感傷を無視して俺は続けた。
「以前話したように、陰陽術は世界の理の外にある存在の力を借りて術を行使する。その術を使う俺からすれば、世界の法則に縛られ、定められた方法で定められた現象をひきおこす魔法は、たかの知れた技術の1つにすぎん。その効果の大きさや利便性に惑わされがちだが、万能では決してない。むしろ社会基盤に据えるには問題の多すぎる技術だ。
魔法文明の衰退は必然だろうと俺は思うがね。」
カリムはほろ苦く、けれど優美に微笑った。
「必然、ですか。我々は所詮、超越的な意思の下、押し込まれた箱庭で定められた運命をなぞるしかないのでしょうか。」
「必然ってのは単純に技術的な話だよ。魔法中心で社会を運営していこうとすれば、社会システム上無理が生じる。その無理は、技術上、避けられないし、修復も出来ない、ってのが俺の考え。
超越的な力については、認識できないなら、気にしてもしょうがない。存在そのものが俺達とはすれ違った次元にあるんだ。箱庭だろうと運命だろうと、認識できないなら同じだ。ないものとして全力全開でいくしかなかろ?」
肩を竦めて俺が放った言葉に、カリムはやっと曇りのない笑いをみせた。
「なのはさんらしいですね」
「そうか」
「ええ」
「まあ、魔王やしね。細かい理屈は見なかったことにして踏み潰すお人やから」
「言っとけ」
「実際にご自分の扱ってらっしゃる力のことを「ないものとして」なんて、普通は言いませんよ」
カリムはクスクス笑う。
「まあ、魔道師からしたら、認識できない力だからな。
霊力は生命力、魂の力とも言われる。「超常的」とか「オカルト」とかいわれる力だ。そして、魔力は物理エネルギー。科学的に説明される力だ。だから、霊力と魔力は、互いに互いを認識していない。できない。
だから、超越者ってのは、騎士たるカリムが考えに入れるべき対象じゃない。」
我ながら、強引な理屈をカリムに押し付ける。カリムが微笑ましげに笑って、はい、わかりました、とか言ってる。ハヤテが、ほんま、ツンデレやな~、とが寝言ほざいてる。ちっ、幻聴だ、錯覚だ。……くそ、頬が熱い。
まあ、カリムの不安に答えるには強引な理屈だったが、霊力と魔力の関係については、別に間違っちゃいない。
夜天の書のなかにサイコ・ダイブできたのも、その辺が理由だろうと思う。そもそも、魔法の理屈で言えば、認証されない人間が精神体とはいえ認証機構のあるデバイスにアクセスできるはずがないのだ。行為としては、コンピューターに対するハッキングと言っていい。普通なら認証機構にはじかれるし、そこを何とか越えても、防衛機構が働いておじゃんだ。だが、認証機構にしろ防衛機構にしろ、技術的なアクセスには対応していても、技術とは別の次元にあるオカルト的なアクセスは、存在自体を認識できなかった。
霊視で、魔力や魔力素、八神邸周囲のサーチャーを見れなかったのも同じ理由だろう。魔法と陰陽術とは、互いに認識できない、別次元の存在なのだ。
当時の俺は、そんなことは知らず、魔法のなんたるかも、そもそもそれが魔法と呼ばれていることさえ知らなかったから、ただ、普通の呪詛相手にやるつもりで「本」の中にサイコダイブし、目を開いた瞬間の目前の光景に一瞬の驚きと納得を感じた。
「異界」で目をひらいた俺の周囲は、さまざまな数式や未知の文字列で囲まれていた。それは、グレアムの家でみた空間転移の際に生じた光景に良く似ていた。やはり、グレアムらとこの呪詛、そして未知の「力」はなんらかの関係にあるのだ。数式と文字は、目の届く限り、前後左右、上から下まで、遥か彼方へと続き、消え去っていた。
とはいえ、呆けてはいられない。俺は、俺の認識では呪詛のただなかにいるのだ。目を閉じ意識を集中し、俺は呪詛特有の禍禍しい気配がより強い位置を感じ取ろうとした。周囲の文字や数式に禍禍しさを感じないことを疑問に感じながら、俺は意識を集中し続けた。
精神世界では物理的距離や時間は意味をなさない。ただ、人間の認識で理解できる形に光景を構成し、距離があるかのように感じさせているだけなのだ。俺は、禍禍しい気配を感じるままに、その間近に立つことを望んだ。
……次に目を開けた俺の目に映ったのは、黒くねばついた沼のように広がる呪詛と、それに絡みつかれた5つの人影だった。4つの人影は、呪詛の沼の端にわずかに触れている程度の位置にいた。だが一人、銀髪の人影は、沼の中央近くで左半身から下半身にかけてのほとんどを呪詛に覆われていた。呪詛のなかに、時折、文字や数列が黒く光った。だが、それらの文字はいずれも歪にゆがみ、一見してまともとは思えなかった。呪詛はかすかにビクリビクリと震えていた。「本」を包む靄が脈動していたのと、同じように。
さて、と俺は考えた。
この黒いヘドロがはやてから「力」を奪っている呪詛の本体だとみて構うまい。だが、一緒にいる5つの人影はいったいなんだろう。
いずれも目を閉じ、意識がないようだ。禍禍しさは感じないが、例の「力」をその身に含んでいるようだ。よく見なければわからないが、彼らの皮膚にも時折、文字列と数列がうっすらと浮かんでは消えている。「力」で構成された式神のような存在だろうか? そうだとして、呪詛との関係は? 呪詛の効果を高めるため、贄として用いられたのか。以前、呪詛により取りこまれたのか。それとも……。
ふっ、とここに来る前に居た空間に無限に並んでいた、数式・文字列を思い出した。禍禍しさを感じないのは、呪詛と直接かかわりのないブースト機能か外殻構成かの役割を担っているためかと思っていたが……。改めて目の前の光景を見ると、ここにある数式や文字列にも呪詛特有の禍禍しさを感じない。黒い沼に触れられた文字・数式のみが歪にゆがんでいる。まるで、侵食されたように。
あるいは、「本」そのものは本来は呪詛を担う存在ではなく、むしろ呪詛に侵され、変質した呪物なのか。だとすると、目の前の人影は、「本」本来の役割を果たすための存在か。その場合、「本」が呪詛に抵抗できていない現状からみて、もっとも侵食されている人影が、おそらくは中心的役割を担う者。
ふむ。
この5人が、考えられるいずれの存在であるにせよ、「力」について知るにも「呪詛」について知るにも、あの銀髪の存在が、おそらくもっとも適切だろう。だが、呪詛にあそこまで侵食されて、正気を保っているだろうか。いや、そもそも意識を呼び起こすことができるだろうか。それに呪詛に対し、刺激をあたえることは避けたい。現在は静かにしているようだが、爆発的に増殖したり、暴れだしたり
されては、自分もはやても危険にさらされる。
目的と、それを達成する方法。そのリスクとリターン、それぞれの可能性と生じた場合の影響。それらを検討し、結局俺は、銀髪の人影に接触することにした。ここで危険を避けて退いても、情報を今回より安全に得られる目処がない。
それに、生活を(資金も周囲の環境も安全を保障してくれる筈の公的機関も)握られ日常的に監視され、現在進行形で呪詛の侵食を受けているはやては、例え逃げても最終的には逃げきれないと判断したからだ。
はやてを見捨てて彼女が呪詛に飲まれていく過程を観察し、情報を得るという手もある。だが、それをするには、はやてがあまりに弱い、普通の少女であることを俺は知ってしまっていた。自分の保身のためだけに一般人を犠牲にするのは性に合わん。陰謀や戦いで苦しむのは、叶う限り、自分で闘う意思を固めた人間だけにとどめるべきだと思う。苦く自嘲に口許をゆがめながら、俺は軽く足元を蹴り、銀髪の人影の上に移動した。
さきほど言ったように、精神世界では物理法則はみせかけだけの存在だ。俺は宙に浮いたまま、まだ呪詛に侵されていない、銀髪の彼女の額に手を当てた。
……そして、俺は「夜天の書」の悲劇と魔法の世界について、知ることになる。
■■後書き■■
うーむ、多少、ご都合主義かも。できるだけ無理のないようにもってきたつもりなんですが。
でも、霊力となのは世界の魔力って、こういう関係だと思うんですよね。(とらはシリーズの霊力でなく、オカルトで言われるような霊力ですが) 魔力はあくまで物理現象を引き起こすだけ。物理現象ではない霊力には対抗できないのではないかと。相性というか立場の問題ですね。
近頃、話の内容が理屈とか説明に偏りすぎて固いなあ、あまりよくないなあー、とおもう作者でした。でも次回も多分そんな感じ。時系列もいったん、回想から戻ってなのは13歳現在になります。
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