始まりの合図はもちろん俺から。相手が動くのを待つなんてのは性に合わないのだよ。こっちからガンガンいかないとすぐにペース持ってかれるよ。TATAMIを蹴り付け駆け出して、目標は俺よりも随分大きなマッチョ女。体中に魔力を通して筋肉繊維の一本一本から強化。強化。強化! 強くなりなさい僕の筋肉! 筋肉筋肉!固めた拳を、目の前にある相手の腹へと、「うおりゃあ!!」殴りつけたところで、「ふんッ!」相手の膝蹴りが俺の顎にミラクルヒット。がくん! と上のほうに視界がずれて、とてもじゃないけど立っていられない。これが人生で何度目かになる、本気の脳震盪。ぐらぐらと揺れる地面と、歪んでいく風景。俺はいつの間にかTATAMIに座りこんでいて、ぼんやりとした視界で「終わりか?」と聞いてくる相手を睨みつけたのですが、ああ、もう駄目だはぁぁああ……。ぷつん、とあたりは真っ暗になった。戦闘訓練。一週間での戦績。二十六戦中、二勝二十四敗。負けすぎだよ、こんちくしょう。08/ホワット・イット・フォーああもう、何でこんなに勝てないんだろ……。たった一週間で見慣れた天井になってしまった医務室の白。ため息しか出ない。ため息だけしか出ない。ちくしょう。ちくしょうちくしょう。俺って結構強いと思ってたんだけどなぁ。「何で勝てないのかね?」『まぁ・魔法が・使え・ませんから・仕方ない・でしょう』「……」そうなのである。俺はもう魔法バリバリ使わないと勝てないのである。考えれば当たり前だよね。大人と子供だし。負けて当然とか言われてるけどさ、そんなんじゃ嫌なんだよ。勝ちたいんだよ。何とかリーチの差を埋めれれば勝てるのに。てか魔法使わせないって何だよ。ここ魔導師のための訓練校じゃねぇのかよ。と、思っておりましたところ、戦闘訓練の教官殿から有難いお言葉をもらいました。「お前は魔法の有難さを分かっていない。何もかもを魔法に頼り切っている。もっと魔法を理解し、魔法だけで戦うのではなく、魔法を使うのが誰なのかを知る必要がある。誰だ、魔法を使うのは。お前だろうが。お前が魔法を使うんだろうが。それなのにその不細工な加速は何だ。分かっているのか? 魔法はな、ただの道具じゃないんだよ。とても便利な武器なんだよ。わかるか、武器なんだよ。武器に使われてるようじゃ何にもならないだろうが。お前はデバイスに翻弄されてんだよ。自分の加速に自分でビビってんだよ。自分の爆発に怖がってるんだよ。お前あれか? そういう性癖でも持ってるのか? 自傷したくてたまらないタイプの人間か? 死ねよゴミが。お前、生きている価値はあるのか? それだけの魔法が使えて、その真価を発揮しないまま終わるつもりか? クズみたいな人生だなホント。虫にも劣る。ただのゴミクズだ。まさかお前自分が生きてるとでも思ってるのか? 馬鹿が、お前なんざデバイスに使われてるだけのデバイスだろうが。わかってるよな、ああ? そういうヤツはな、私は死んでいいと思っている。自分のデバイスもろくに扱えないやつは死んでもいい。ぜんぜんなっちゃいない。まったくなっちゃいない。お前ほどのゴミを見たのは本当に久しぶりだぞ。まさかここまでデバイスに依存している人間がいるなんて、私は人生で初めてだ。こんな人間を見るんだったら私は入校式の日に辞職するか首でも吊っておくんだったよ。いやなに、これは別にお前だけを責めているんじゃない。お前みたいな、もう、何て言ったらいいんだろうな、とにかく他人の人生の役に一片たりとも益にはならない人間に出会ってしまった、この私も馬鹿だったんだよ。ティッシュに出された精子の一匹にも劣るような人間を指導する私のみにもなれ。どうだ? なんだ? もう立てないなんて言うのか? おいおいおいおい、それは駄目だろう? 立つんだよ、立ってみせるんだよ。ここで立てなかったら本当にお前は死んだほうがいい人間だと私はふれ回るぞ? 精子と卵子からやり直したほうがいい人間だと、そう言ってふれ回ろう。ほらどうしたんだいお嬢ちゃん。死にたくなかったら立つんだよ。ほらほら、さあ、膝を立ててみろ。体重を前に出してみろ。心臓を動かしてる最後の力を振り絞ってもいいから膝に力を入れてみろ。どうだ? そうだ、そうそう、ほぉら立てるじゃないか。無理だの限界だの、簡単に口にすべきじゃないんだよ。私は自分に限界を感じた事は一度も無いよ。それなのにお前はどうだ? もう無理もう限界疲れたキツイしたくないやだ。死ぬぞ。お前、本当に死んじゃうぞ。そんな調子で管理局を目指して、そんなの何が楽しいんだ? さあ来い。来てみろ。なんだ、腹は立たないのか? お前、本当に金玉ついてんのか? そんなんだからお嬢ちゃんなんだよ。ちっとも楽しくないじゃないか。もうちょっと私を楽しませるんだよ。そうしたらお前は強くなる。どうだ、一石二鳥だろう? さあ来てみるんだよ。お前だけの力で来てみるんだよ。さあ来いゴミが。クズが。精子の一匹が。悔しいんだったら私にその拳を突き立ててみるんだよ!」「うわッ、うわぁぁあああん!!」……懐かしいぜ。ほんの二週間なのに、もう何度聞いたか分からないゴミ、クズ、セーシ! ちくしょう。精子ってなんだ精子って! 女が精子精子言うなちくしょう! 何であの女あんなに強いんだよ! 恵まれた精子を使って生まれてきてんだろうがテメエちくしょう!鬼だよ。アイツは本物の鬼だよ。俺が言うんだから間違いないよ。あんなの魔法を使わせてくれるだけデスサイズのほうがマシだよ。なんで俺には変なやつが近づいてくるのかな。どっか行っててください。みんなこっちくんな。こっちみんな。局員になる気なんざねーっての! ばーかばーか! 年増! ……言った瞬間、俺は死ぬのだろうね。なのセンセといい鬼年増といい……ちくしょう、ちくしょう! みんな俺のこと馬鹿にしやがって! 馬鹿にしやがって!「シェル」 『イエス』「あの年増は卒業する前に絶対殴り倒すぞ」『出来・ますか?』「……いや、無理そうだったら倒すまで行かなくても……殴るだけでもいい」『出来・ますか?』「いやいや、無理そうだったらおっぱいでもいい。おっぱい触るだけでもいい」『行けそうな・気がするー!』「あると思います!」『……』「……。……ごはん、食べにいこっか……」『イエス』うん。俺なんだか疲れてるみたい。食堂。皆さんモグモグと美味しそうにご飯食べてます。何たってタダだからね。無料だからね。しかもこっちの注文に答えてくれるといういたせりつくせり。やっぱ管理局って儲かってんのかな。お金をたくさん持ってるのかな。だったら限界を感じるくらいまではここで働いてもいい気がしてくるんだけど……、いやよそう。うん。こんなセーシセーシいう女が居るトコなんてろくなもんじゃないはず。セーシセーシいう鬼がいるくらいだから他にももっと激しい変態が居るはず。なんか知らんが俺は変態によく絡まれるから、管理局とかにいたら大変な事になる。よし、飯だ飯。飯が食いてぇ!「ヘイヘイそこな美しい食堂のおばちゃんや!」「あいよー」「トンカツとカツ丼とカツカレーとカツレツとチキンカツとチキンカツカレーとKAT-TUN(カツーン)と……とにかくカツを全部くれ!」「あいよー」「全部ギガ盛りで!」「あいよー」「米たくさん入れてね! あとお箸ちょうだい!」「あいよー」「サンキュー」「あいよー」「あいよー」「まいどー」席に付いて、次々と運び込まれてくるカツたち。楽勝だな。今の俺の腹具合なら楽勝すぎて御代わりすら可能な気がしている。あくまでも気がしているだけなのでどうなるかはもちろんわからないが。あれだよ、あれ。やっぱご飯はたくさん食べなきゃ強くなれないんだよ。科学的に考えて~~とかいらないんだよ。美味いもんたくさん食べてたくさん動いてたくさん戦ったら今よりは強くなるだろ。食ってやる!むしゃむしゃバクバク。モグモグぱくぱく。ごくごくめぎょめぎょ。まふまふもふもふ。もっちもっちもっちもっち。「……あ、もう無理」『まだ・一番・最初に・頼んだ・カツ丼・ですが?』「ギガ盛りやばい。やばいギガ盛り」『残すと・後が・面倒・ですよ』この食堂では、てかもちろんどんな寮でもそうなんだろうけど、やっぱりお残しは許しまへんでー、と。ペナルティーはその時のおばちゃんしだい。以前ぶよぶよしたおばちゃんのマッサージを担当したお残し犯は二度と食べ物を粗末にしないことを誓ったとか誓わなかったとか。「いける気がしてきた。むしろいかなきゃいけない気がしてきた」『私も・ガンガン・吸い取り・ます。とにかく・口を・動かして・ください』「やってやる! やってやるぞぉ!」むしゃむしゃ。い、胃袋に直撃!? うわぁぁああ! まだだ! まだやれるぞ! 俺の胃袋はまだ堕ちちゃいない!そこだあ! まだまだ入る!カツカレー、グゥレイトォ!ぐはっ、逆流を……、これでは人類に品性を求めるなど絶望的だ……。出てこなければ、食われなかったのに!なんとぉぉおお!ええい、食堂のギガ盛りは化け物かっ!い、痛いぃ……痛いぃ!ユニバァァァアアアアス!!俺はっ! ユーノと添い遂げる!よし、いい米だ。チキンカツ補足、狙い撃つぜぇ!ニンジンいらないよ。俺の胃袋は伊達じゃない!カツレツだからさ……。マリィ! うわぁああ!これを食えたら、神様信じる!でろぉぉおおお! トンカァァアアアツ!!おかしいよ! ギガ盛りさんおかしいですよ!ギガ盛り・チキンカツカレー……お前を殺す。ところがギッチョン!胃袋がはじけるまで食い続けてやる!「……やばい、マジでやばい。ぽんぽんいっぱい。ぽんぽんいっぱい」『私も・限界・です』「出る。上から下からいろんな穴から出る可能性がある」『私も・何か・汁的なものが・出そうです』「え?」コアからか? デバイスコアから汁的なものが出るのか? 止めろきもち悪ぃ。ぬるぬるしそうじゃねぇかよ。しかし……、うう……まじで、おなか一杯になってきた……。いやだ。おばちゃんのマッサージしたくない。 あのおばちゃんが可愛いおばちゃんならよかったけどあのおばちゃんカピバラみたいなおばちゃんだもん。料理の腕は認めるがあのカピバラみたいなのは駄目だ。なんかもう駄目だ。俺は色々駄目だ……。そしてあたりをキョロキョロ。どこぞに俺を助けてくれるナイスガイは……。「お、美味そうだな。俺もチキンカツにしようかな」居た。「俺のチキンカツが食えないってか!!」「な、なんだぁ? ただ美味そうだって言っただけだろ」「じゃあ食え! その一皿で終わりなんだよ! 頼むから食ってくれ!」「え、ああ、別にいいけど……」「ありがとぉおお! マジでありがッ、うぷ、マジでありがとう……」『貴様・なかなか・いい男だな。私の・マスターと・ファックして・いいぞ!!』「ホントに!? ファックしていいの!?」「あ?」『え?』「……こほん、ああ、言っとくけど俺ロリコンじゃないから」そしてロリコンは俺の最後の一皿、チキンカツをペロリと平らげてくれた。ああよかった。これでカピバラマッサージは免れた訳だ。「だけどアレだね、君も色々大変だ」「あ?」「更年期障害に絡まれてるしさ」「お前なかなかセンスのあるあだ名つけるな」「それに同室はウララだろ?」「ウララw」「あいつ、問題あるよ。君もなかなか可哀想なヤツだ。はぁ……どこにでも居るんだよね、なにかの間違いで合格するやつ……」「……ふーん」なにモンだろうか、ウツロくん。んで、ご飯たくさん食べて元気百倍勇気凛々なわたくしディフェクト・プロダクトなのでした。自室に戻ったのでした。明日は、明日こそは勝てる。今日アレだけカツ食って勝てなかったらもう二度と迷信信じない。ていうか消化の方に力使いそうで、何だか明日はだるい気がしてるんだが……。まあ気にすんめぇ。うん。たくさん食べて、たくさん寝よう。それだけでいいや。「まず走るだろ。俺が殴ろうとするとたぶん今日みたいに膝使ってくるはずだから……どっちの膝だった?」『右』「……じゃあ左に移動して上がった膝を持ち上げる。んでマウントを取るのはどうだろ」『体重が・軽すぎます。間違いなく・返される・かと』「要研究だな。まぁ、やってみないとわかんないし、明日はこれで攻めてみる。敗北感さえ与えられれば……、おっぱい揉んでこんなんじゃ興奮できねぇとか言ってみようぜ」『また・泣く羽目に・なりますよ』「な、泣いてねーよ! 全然泣いてねーよ!」『あらやだかわいい食べちゃいたい』そんなこんなで自室の扉を開けると、ウツロくんがこちらに背を向けてせっせせっせと蠢いていた。……閉めたほうがよかろうか? まさかとは思うけどさ、オナってね? いや、するなとは言わないよ、もちろん。けどさ、何て言えばいいんだろうか。とにもかくにもそりゃねーぞ。オナニーすんなオナニー。俺が帰ってくることくらい予見しろ。こっそりしろ。はてさて、どうしたもんか。俺に気が付いていない様子です。こちらに背を向けてごそごそもぞもぞ。「……あー、えーと……」『オナってんじゃねぇ!』「ちょ!」ウツロくんはビクリと肩を跳ねさせて、ゆっくりとこちらを向いた。相も変わらず胡乱気な瞳で。「……あれ?」オナってなかった。ウツロくんオナってなかった。……デバイス? デバイスじゃん。この子デバイス作ってるよ! おお、何だお前、お前も杖型デバイスに不満を持つ一人か!あれだね、原作だったらスバルとかティアナとかがそうだね。ウツロくんは何も喋る事無く俺から視線をはずして、また背を向けごそごそもぞもぞ。ちくしょう、何かコイツほんとに影薄いな。「あー……、えと、デバイス作ってんの?」ウツロくんはこくりと頷いた。「えーと、えっとね、……そ、そうだ、俺さ、管理局に入ったのは妹のためなんだけど、そっちは?」ウツロくんは相変わらず視線を合わせる事無く「……おなじ」と静かに。同じとな? ウツロくんにも妹がいるのか? そんで妹がなんかの犯罪をやりかましてその保護観察期間やら、あと地球においてきた嫁候補を助けるために無限書庫に行く必要があって、そのために管理局に入ったと申すのか。何だよこいつ、俺に似てるぜ。『バ・カ』なんだよなんだよ。何か食堂でいい噂聞かなかったからどんなヤンキーかと思って接し方を変えようとした俺が馬鹿みたいじゃないか。うん、ウツロくん結構いいやつだよ。うんうん。「どんなデバイス組んでんの? 俺もデバマスの家に住んでたからさ、結構いじるの得意なんだよね」するとウツロくんは手に持ったデバイスを持ち上げた。銃。ライフルスタイルじゃありませんか。いいねいいね。こんなデバイス使うやつはあと十年くらいお目にかかれないだろうと思ってたんだけど(sts的意味で)ウツロくんはこんなデバイスを使うのか。「あんまり無理したら明日の訓練に響くから、まぁ適当に切りが良いトコで寝ろよー」小さく小さく聞こえてきたありがとう。俺はさっさと二段ベッドの上段に潜り込んで目を瞑った。妹のためかー。みんな頑張ってんだなー。俺なんか、まぁ一応妹のためとか はやてのためとか言ってるけど、結局ユーノ任せだからなー。明日はユーノに連絡入れよう。寂しくて連絡寄越すのはアッチだと思ってたんだけど、もう一週間以上たってるのに全然連絡こない。寂しいよ。寂しいよユーノ。お前の顔が見たいよユーノ。フェイトの顔も見たいよユーノ。はやてもアルフもなのはもいろんな人の顔が見たいよユーノ。はぁはぁユーノ。ユーノはぁはぁ。……ぅッ……ふぅ……。……今日はユーノだったか。明日はシステルさんかフェイトかはやてだな。なのは はね、何ていうか、穢れなき存在すぎて俺の妄想力じゃ足りない。どんなにやってもえろいなのはが想像できない。ちくしょう、ちくしょう。何とか頑張ればいける気がしないでもないがそれをやっちまうといろんな意味で終わりのような気がするぜ。俺の最後の超えてはいけないライン的な問題で。あん? ロリコンがどうした? 俺はロリコンじゃねぇよ。女なら、可愛くて、綺麗で、とにかくオッケーな女なら何だっていいだけだよ。言えば俺は誰だっていいんだよ。プレシアだってリンディさんだっていけるんだ。もしかしたら男だって、ユーノくらい可愛かったらいけそうな気がしないでもないんだ。男なんてティンポ勃てばどうにでもなるんだよ。だから言おう。俺はロリコンじゃない。ロリコンだとしてそれがどうした。だいじょぶだいじょぶ。ロリコンでもマザコンでもファザコンでもペドフィリアだってホモだってレズだって心臓が動いてりゃみんな生きていけるんだから。そして。「シェル、何か汁出てんだけど……?」『セーシは・黙って・なさい・セーシは』「いや、俺のじゃなくてさ」『マスターが・あんなに激しく・揺り動かすから・感じちゃい・ました』「嘘付けテメエ! これアレだろ! さっき言ってた汁がどうとかの汁だろ! 汚ねぇ! ホント出た! ぬるぬるする!」『シェルブリット・ローション!』「!?」。。。。。戦場の空気を感じた。ひりひりと肌を焦がすプレッシャーと頬を伝う汗。どうにも相手の中に実力者が居るようで、こちらの存在に感づいているような節がある。まだ確証が持てないのか、その相手は不思議そうに首の後ろを掻いた。その様にシグナムはホッと一息。まだ大丈夫。勝負は一気に決める必要があるのだ。じめじめとした、湿気のやけに多い密林地帯。環境調査のために派遣された管理局員だと思うが、なかなか侮れない。シグナムが行くぞ、と息を吸ったところでいつも一人が振り返り、そのせいで出鼻を挫かれるのだ。二度三度とそれを繰り返し、少しだけの焦りが沸いてくる。このまま簡単に逃げられるのではあまりに馬鹿だ。ぐちゃ、と足元に堆積した葉やら草やらを踏みしめ、シグナムは巨大な樹木に背を預けた。太陽光を通さない密林は薄暗くて、ともすれば相手の姿を見失ってしまいそうになるが、しかしこれには参った。暑い。この惑星は暑いのだ。文化の発展の無い世界。その代わりに自然が豊富で、まさかこんなジャングルに単身飛び込む羽目になるとは思わなかった。(たまらんな……)音を鳴らさないよう騎士甲冑の襟元を緩め、ふぅふぅと胸元に風を送った。汗が滝のように流れてくるのは、気温よりも湿気のせいだろうか。目の前に一匹の蜘蛛が伝い降りてきて、シグナムは表情を緩めながら蜘蛛に吐息を送った。驚いたように糸を這い上がっていく蜘蛛が少しだけ心を軽くしてくれる。そこで感じる、ふとした懐かしさ。いや、懐かしいというよりもデジャヴに似たそれは、何となく引っかかるものがあった。いままでの闇の書の主に、こういうところの出身者は居ただろうかと考えて、そもそも今までのほとんどを覚えていない事を思い出す。思わず笑ってしまいそうになって、気合を入れなおすためにレヴァンティンを強く握りなおした。(昔を想っている暇など無いな。今出来る事を……)ぐちゃ。足を踏み出して、いまだにこちらに気がついていない局員達の背を盗み見た。実力は間違いなくこちらが有利。だが、姿を見られて特徴などを連絡、ないし増援など呼ばれでもしたらたまったものではない。やるべき事は、瞬殺……ではなく、瞬倒。殺しては駄目なのだ。ふ、と軽く息をついた。行く、行け、今、さぁ行くぞ。ぐちゃ、と今までよりも大きな足音がなる。そしてついに、「誰だ!」一人だけ不安そうにきょろきょろと辺りを見回していた男がシグナムに気付いた。関係ない。そう言わんばかりに樹木の陰からシグナムは飛び出す。相手の懐に飛び込んで斬る。シグナムに出来る事は、結局のところこれに尽きる。実力的には恐らくヴォルケンリッターで一番だが、一対多の戦闘はあまり好きじゃない。しかし、好きだの嫌いだの、それこそ言っているほど暇ではないのだ。「───はあッ!」足場の悪い地面を蹴り付け肉薄。ようやくになってデバイスを取り出そうとした男、管理局員四人の中では一番厄介だと思っていた男を袈裟に切り捨てた。ふわりと後からついてくる、高く結んだ髪の毛。それが落ちる前に、返す刀で二人目を撃破。左側から攻撃を仕掛けてくる局員を右の拳でぶん殴り、「紫電ッ、一閃!」炎を纏ったレヴァンティンで最後の一人を打倒した。は、は、と荒く息をつき、「ぐ、ぅう……なに、もの、だ……」シグナムは答えなかった。答えるはずがなかった。ただ静かに、義務のように口にする言葉は次の通り。「死にはしない。殺しもしない。それが私の、最後の良心だろうな」蒐集完了。そして何でもないように玄関の扉を開けた。「帰りました」「おかえり~」リビングにはもちろん、いつもの笑顔があった。これを守るために戦う。実に有意義な剣の使い方である。シグナムは自然な調子でソファに腰を落ち着け、テーブルの上にあった新聞を開いた。特にこういう読み物が好きなわけではないが、何となく自分のポジションはここだろうと思っているのだ。政治家の汚職問題に、最近帰ってきたという人工衛星。話題は盛りだくさんだが、まぁ正直どうでもいい。と、そこでヴィータが非常に表現しがたい表情で近づいてくる。ヴィータは何か言いたそうにもごもごと口の中で呟いて、「どうした?」「……いや、なんて言うか……」「なんだ、らしくないな。言いたい事があるのならはっきり言ったらどうだ?」「う、うん。じゃあ言うけど……」何のことだろうか。シグナムは考え、まさか魔法の事を口に出すはずもないし、はやてのことだろうかと頭を働かせ、まさかまたげぇむせんたー(?)での出来事だろうかと心の準備をし、「くせー」「……は?」「シグナムくせー! 汗! 髪の毛ベトベト!」言われて、さすがにシグナムも女の子なので軽いショックを受け、食卓の下に居るザフィーラに顔を向けたところでひょい、と視線を外されたことで更にそれは大きくなった。臭い。いやそうだろうけど、もうちょっと言い方は無いのかと問いかけたい気分である。こっちもさっきまで必死にやってきたのだ。暑かったのだ。湿気はムンムンだったし、そりゃ汗の一つくらいかいてもいいじゃないか!とは、大人のシグナムにはとても言えない事で、「……すまんな。主、先に風呂をいただいてもよろしいでしょうか?」「あか~ん」「な、なぜですか?」「もったいないお化けが出るで」「はい?」「寝よ。今日は一緒に寝よ」「え、ええ。それはかまいませんので、とにかく風呂に入って……」「あかんあか~ん」「だからなぜですか?」「においが消えてまう。シグナム臭が」「ですからそれを消そうと」シグナムは服の襟元を伸ばして鼻先にくっつけた。くんくんとにおいを嗅いでみれば、まぁ確かにヴィータに言われるだけのことはあるな、とその程度のにおい。正直臭い。汗臭い。でも仕方ない。頑張ってたんだもん。エイトフォーとか持ってないもん。「さぁ寝よ寝よ、ほらいくでー」「風呂に、風呂に入らせてくださいっ」「……ええの?」「何が……でしょうか?」はやてはシグナムの顔を見、次いでシャマルのほうを振り向き、「シャマルー」「はいは~い」「だから待てシャマル! お前は本当に私がどうなってもいいのか!?」「主の命令は絶対ですから~、うふふのふ」にっこり笑顔のシャマルに腹が立つが、その手に持っている眠眠打破EXⅡジェノサイドエディションを見るとそんなことはまったく考えられなくなってしまうわけである。眠眠打破EXⅡジェノサイドエディションを飲んだ はやてと、シグナムは一度だけ一緒に寝た事がある。いや、一緒にベッドに入った事がある。ベッドに入っても寝るどころではなかった。覚えているのはそれだけ。さわさわと背中に鳥肌が立ち、歴戦の勘が逃げろと騒いでいたが、しかしお相手は主様なのだ。「ふふふふ、どないする? どないする?」「……、……わた、私は、風呂に入りたいだけなんです」かちかちかちかち。独特な瓶の開閉音。「わかっ、わかりました寝ましょう! そんなものを飲んでは成長を阻害する恐れもありますし、主くらいの歳の子は、早く寝るのが一番です!」「やったー!」シグナムだいすきー、と腰の辺りに抱きついてくる主は、可愛い。邪険に扱うなど出切る筈も無い。汗臭いまま寝るのはとんでもなく抵抗を感じるのだが、主である はやてがこのままでいいと言っているのだから仕方が無い。とにかく はやてが寝付いてから風呂には行ってしまえばいいし、それには眠眠打破EXⅡジェノサイドエディションを飲ませるわけにはいかないのである。シグナムは表情をあまり変えないまま小さくため息をついた。「では、いきましょうか」「あいあ~い」柔らかく笑う はやては、さて、ベッドの中ではどんな笑顔を見せるのであろうか。「アッ───!!」「……? 何だ今の?」「どこかで犬が遠吠えでもしているのだろう。気にするな」「へー……。ん、ちょっと眠くなってきた。アタシもそろそろ寝よっかな」「ああ、それはちょっと……、もうちょっと待ったほうがいいわね」「なんで?」「……んー何ででしょうね、ザフィーラがよく知ってるわ」「ザフィーラ、なんで?」「む、さて……」「……変なの」