15/フレンズⅡ んあーい。そろそろ退院しようかな。自主退院。オナニーも自由に出来ねぇような、こんな場所とはおさらばですよ。入院なんてするもんじゃねぇな、ホントに。クソ不味いあの病院食が、むしろ楽しみになってくるという罠があるからな。 そう、暇すぎるんだよ。マジヤベーんだよ。集中治療室的なここ、完全に一人部屋。……ありえね。暇。暇すぎる。「てことで退院すっぞ、シェル」『イッエース!』「なにそのテンション」『面白い話の・呪縛から・逃れられると・思うと・こうも・なる・というものです』「ああ、辛かったぜお前の話。くそツマンネんだもん」『!?』 言いながら、身体に取り付けられている器具をぶちぶち取り除く。最近はそこそこに身体も動くようになってきてね、結構快調だよ。そりゃさ全快には程遠いけど。 よっこらしょ、とベッドの脇に立って伸びを。ん~、久しぶり。きもちぃ。最高。やっぱ人間、寝たきりなんて耐えられるもんじゃねえ。 いっちに、さんし。ゆっくり柔軟をしてほっと一息。すると、なにやら枕元にある器具がビコビコ光り始めた。「ん~?」 なんだこれ。なんか光ってんだけど……。 そのあたりで、廊下をパタパタとスリッパが叩く音が聞こえる。 ああ、これアレか。ほら、お医者さんに患者のデータとか送ってるやつ。器具全部引っこ抜いたから、今頃お医者さんの中では俺が死んだことになってんじゃね?「───大丈夫ですか!?」 ほらね。 ぜぇぜぇ言いながら現れたのは、白衣を着た、いかにもなお医者さんだった。「ああすんません。俺、退院するんで」「な、何を馬鹿なことを言っているんです。重傷者は黙って寝てなさい」「ほら、全然動くし」「我慢してるだけでしょう」「ンなことねーよ。じゃあ、ありがとうござ───」「あなたのその状態は、リンカーコアが原因なんです。痛みすぎている。無理をすれば、魔導師としての資格を失いますよ」「大丈夫、心配しすぎ。助けたいやつがいるんだよ。邪魔すんな」「そのリンカーコアの状態じゃ魔法だって使えやしま───」 バキィィインッ!! ベッドが塵へと消える。ソレはそのまま純魔力へと変換。俺の腕の周りをくるくると、周回するように。 軽く拳を握って、壁をノックするように叩いた。ぼんっ。小さな爆発。「……魔法が、なんだって?」 煙を立てる壁を呆然と見つめるお医者さんの隣を通り廊下へ。よく場所が分からん。まぁとりあえず一階に降りとけば間違いはないだろう。 ぽちりとエレベータの↓を押して。 チンっ。 その扉が開くと、「ありゃ?」「ああ、いま迎えに行こうとしてたとこ。ちょうど良かったね」 ユーノだった。 俺の着替えやら何やらを両手に抱えて、はい、と手渡してくる。 エレベータの中で着替えを済ませ、チンっ。 その扉が開くと、「ありゃ?」「なんだ、退院はまだ先のはずだろう?」 クロノだった。◇◆◇ クロノ・ハラオウン。 彼はここ数日の自分の様子に、それこそ自分で驚いていた。もう駄目だ、無理だと思っているのに、手足はしっかりと仕事をこなしているのだ。僕は機械か何かか、と思わず呟いてしまった。 フェイトを嘱託魔導師にし、命令は艦長から聞くようにと指示。ここ最近大人しいヴォルケンリッターの動向を調査し、『地球』も調べてはいるのだが、なかなか尻尾をつかませてくれない。 クロノは一度大きなため息をついて、椅子の背もたれにだらしなく寄りかかった。天井のライトがやけに眩しく感じる。(逃げてばかりじゃ、いられないんだよ) クロノにだって分かっている。やるべきことが。やらなければいけないことが。それは目の前にぶらぶらとぶら下がっていて、手を伸ばせば、行動を起こせばすぐに済むような問題なのだ。 しかし、この身体の重さはなんだろう。この心の重さはなんだろう。これにだってすぐに気がつく。結局、グレアムを最後まで信じていたいだけ。グレアムがこんなことをしているなんて、信じたくないだけ。 グレアムはどこまでも正しい人間だと、そう思っていた。これはクロノが勝手にそう思っていただけで、裏切られたとかそういう感情はない。ただ、信じたくないだけ。「……子供のころから、よく面倒を見てくれたな」 時間にしてしまえば、本当の親子とは程遠いだろう。だけれど、グレアムはクロノに色んなことを教えてくれた。魔法にしてもそう。格闘にしてもそう。ロッテとアリアは手加減知らずだったけれど、好きだった。「初めて魔法が成功したときは、嬉しかった」 まるで自分のことのように喜んでくれるグレアムの表情が焼きついている。よくやった、とその大きな手のひらで撫でられた事も、昨日のことのように覚えている。 幼いころ、クロノはグレアムのことを正義の味方だと思っていた。いや、事実そうなのだろう。いま、この瞬間でも。英雄はどこまでも英雄。力のない人たちの味方。「……」 目を瞑り、「いく、か……」 開いた。 未だに迷いのある瞳だが、確かにクロノは歩み始めた。 部屋の扉を二度ノックする。奥のほうから入れ、と耳に馴染んだ声が響いた。 失礼します。一度だけ頭を下げて。「……お久しぶりです、提督」「ああ、久しぶりだな」 相変わらず、にこやかな笑みだった。 座れと勧めてくる彼にもう一度頭を落として、クロノはソファに腰を下ろした。 さて、どう切り出したものだろう。闇の書だろうか。ヴォルケンリッターだろうか。それとも、ディフェクトだろうか。話したいことは山ほどある。山ほどあるのに、お口にチャックをされたように、なかなか開いてはくれなかった。 重い沈黙が圧し掛かる。ごくりと生唾を飲み込む。やけに粘々していてなかなか喉を通っていかない。 僕はどうする。事実を知って、今の今まで考えているのだが、結論はでないまま。迷いを振り切るためにここに出向いたのに、影のようについてくる。とたんに泣き出したいような衝動に駆られて、クロノは一度だけ鼻を啜った。「提督、僕は……」 さえぎるようにグレアムが右手で制した。 彼は相変わらずの笑みで、クロノが知っている笑顔のままで言う。「なんだろうな、この感覚は。よくたどり着いたと、褒めるべきか?」「……隊員たちのログを洗って、事件現場の記録を漁って、最後は……勘です」「勘か。いい兆候だ。お前は冴えているのに現実ばかり見ようとするからな。どうだ、意外と当たるものだろう?」「当たってなんか、ほしくなかった……!」 呪詛を吐くように。クロノは拳を握った。「なんで、こんなっ」 その答えはもう自分の中に用意されている。 人の為に。ただ人の為に。そういう人なのだ、グレアムは。殺してでも大勢を救うようにと、ただそれだけを考えているはずなのだ。 しかし、「……勘違いをするな。私はいい人間などではない」 衝撃が走った。「人の為など、偽者だ。人は英雄になどなれん。分かるんだよクロノ、私など小さな老人に過ぎんと、それを分かるんだ」「そんなことはない! あなたは確かに英雄だ! 英断を下した! クライド・ハラオウンを、殺したじゃないか!」「そう、殺したからだ! 殺したからこんな立場に祭り上げられッ! 闇の書への憎悪を育て! そして私は、また人を殺す!」「それも英断でしょう!」 クロノは叫ぶんで、そこであ、と思った。そう感じてしまった。 ゆっくりと首を振るグレアムの姿が、私は……と覇気を感じられないその声が、先ほど彼が言ったように、小さな老人のものに見えたのだ。嫌だ。こんな提督の姿は見たくない。 両者ともに、首を振る。グレアムは心底疲れたように。クロノはそれを信じたくなくて。「……私はもう、疲れたんだよ」「そんなのって、ない」「お前の顔を見るたびに、クライドに責められている気がする。お前がクライドを嫌っているその事実が、私の心臓を締め上げる」 誰にも言ったことのないそれを、クロノがクライドを憎悪している事実を、グレアムは気づいていた。 まるで丸裸にされた気分だった。だって、だって、グレアムは───。「私は、お前のことが苦手だった。十一年間、好きになるように努力はした。だがなクロノ、お前はクライドに、どこまでも似ているんだ」「提督まで、そういうんですか……?」「お前が髪を掻き揚げるしぐさ。報告書を持ってくるときのペンの持ち方。フォークの握り方に、グラスを掴むときの指の配置まで」「……」「魔法の才も、格闘のセンスも」「……僕の努力を、才能で片付けないでください」「そうやって、クライドもよく噛み付いていたよ」 がつんと。現実という鈍器に殴られた。 ああ、自分がなくなりそうだ。視界が狭くなって、気を失ってしまいそう。どこまでも付いてくるクライド・ハラオウンが、たまらなく憎い。 だったら、何のために。どうして。なぜ、会うたびに悩まされる自分なんかと懇意にした。会いたくないといってくれれば、それでよかった。悲しくなったかもしれないけれど、今よりよほどましだった。 それは叫びたくなるような、そんな衝動だった。心の奥底で、いや、表面かもしれない。とにかく父を感じていた相手に、英雄だと信じていた相手に、まさか顔も見たくはなかったと言われるとは、さすがに予想がついていなかった。 疑問は尽きない。尽きないけれど、しかしクロノは頭が良かった。勘に頼らず、現実を見据え、その答えはそこに。「僕も……、僕も、計画の歯車なんですね……」「歯車? 馬鹿を言うな、クロノ」「……」「お前は計画の、切り札だ」 どこまでも非情で冷たいリアル。 グレアムが懐から取り出したカード型のそれ。中央にあるコアを見て、それがデバイスであると気がついた。「十一年間、いつか来るだろうと今日この日を待ちわびた。だからお前を育てた。魔法を、魔力を。癖を観察し、タイミングを見て、フィットするようにと願って。クライドに怯えながら、老いに怯えながら、しかしお前を見続けた」 差し出される、カードは。「デバイス・デュランダル。本来なら、最後の最後で渡すつもりだったのだが、よく……。いや、お前の成長を見誤った私に、それを喜ぶような資格はないのだろうな。受け取れクロノ。私達がお前の為だけに作り出した、最後の贈り物だ」 震える手でデュランダルを受け取り、クロノは静かに涙を流した。 グレアムは私は老いた、とデュランダルを扱いきれないことを指し、クロノが好きな、いつもの笑顔を作る。「今度はお前が英雄になる番だ、息子よ」 その言葉にどんな思いが込められているのか。そんなもの、クロノには分からなかった。自分と同じように苦しめといっているのかもしれないし、自分とは違う、本物の英雄になれと言っているのかもしれない。 感情はすでに停止寸前。あまりにショッキングなことが起こりすぎている。 ただ。 ただ、クロノは部屋から出て行くとき、デュランダルをしっかりと握り締めていた。 ───そして、二日がたち。「なんだ、退院はまだ先のはずだろう?」◇◆◇ どしたんだろ、クロノ。なんかやけに怖いっつーか、ピリピリっつーか……うん、正直気分悪いんだが。 俺さっさと地球いって色々と解決してエース終了したいんだけど。なんなの? 話があるとかそういうことなの? 妹をくださいとかいったらはっ倒すよ? ユーノなんて先に行っているとか何とか言って消えやがったからな。あいつ後で尻触る。すげぇ触る。揉むわけじゃない。ふわっと触る。 俺について来い状態のクロノの後をテクテク歩き、行き着く先はなーんにもない原っぱだった。 ……決闘? これ決闘とかあっても不思議じゃない原っぱじゃないか。忍者と侍が戦ってても何の違和感もないじゃないか。え? ちょ、クロノくん、え?「なにしてるんだ。こっちに来い」「ヤ、ヤダ。痛いことするの?」 冗談にもまったくノって来ない。鼻で笑うくらいあってもいいと思ったが、それすらない。 それで、とクロノは冷たい声色で言い放つ。「それで、君は闇の書をどうするつもりなんだ?」「いやはや何の事だかさっぱり過ぎてへそで茶を沸かします」「……」 なんで知ってんだよクロノ。クロノなんで知ってんだよ。 あれぇ? 俺なんかしたっけ? いやいや、そもそもクロノに会うのとか久しぶりだし、俺がなんかしようとしてるとか、知ってるはずないんだけどなぁ。 うむむ、と腕を組み考え込む。 ……あれか、ユーノか? ユーノ言っちゃったのか? いやしかしユーノだしな。あのユーノがこんな、俺が不利になるようなこと言うとは思えないんだけど……。もしそうだったらやっぱり揉む。尻を揉む。ぐわしと揉む。 「あー……、ほら、そういうの分からないっていうか何ていうか」「誤魔化さなくていい」「……なんで知ってんだ、お前」「さあな」「んで、何かあんの? 俺が全部解決してやっから、別に何にもしなくていいよ」「成功するんなら、それでいい。喜んで君に託すよ」 なんか物分りが良すぎる。このクロノおかしいクロノだ。ここのクロノなんかおかしいよ。 クロノは懐をごそごそと弄り、取り出したるは一枚のカード。……カード? なんだっけあれ。ほら、えと、で、でぃ、でゅ、……そうだ、デュランダルだ。んー。……ん~? もうそんな時期? あん? なんか違くね? いや、時期とかそんなこと考え始めたら、それこそエースの開始時点でがっつりずれてんだけど。だってほら、デュランダルってグレアムが持ってたじゃん。そんで はやてごと永久封印かますとかなんとか……。「なんでお前がそれ持ってんだよ」 ディフェクトはつい言ってしまったんだ☆「っは、なんだ君、これのことも知ってるのか。いったいどこまで分かってる?」「ンなことどうでもいいから、託すって何?」「ああいや、さすがにコレはやれない。というか、僕以外には使えない。たった二日なのに馴染みすぎてね、こいつがいなくなると寂しいよ、さすがに」 きらりとデュランダルのデバイス・コアが輝いた。 俺が知ってるのはこんな正直者じゃないよ。寂しいとか絶対言わない奴だよ。クロちゃん絶対変なスイッチ入ってるよこれ。「……何パーセントだ」「あん?」「君の、君が起こす行動で、皆が救われる確率は何パーセントなんだ」「ひゃくパー」「真面目な話をしている」「……わからん」 皆って、アレでしょ? リィンフォースまで入れてって事でしょ? そうなったらどうなるかなんてわからねぇよ。一応ユーノと俺で考えて、恐らく実現は可能、くらいの点数。やばかったらすぐ逃げるんだよってユーノが言ってたから、そこそこ危ないのかもしれない。「僕のほうは、九割がた成功させる自信がある」「『自信』っつー話なら、こっちには絶対成功させる根性がある」「言い方が悪かった。成功率で考えるのなら、僕のミス以外を考えて、失敗の要素はない」「……そんで、闇の書の主ごと封印しようってか?」「そうだ」「なぁんでそんな考えに至るかね、お前は」 原作崩壊。俺がレイプするまもなく崩壊。「君は言ったろ、『一人を殺せば百人助かるとして』。なかなか考えさせられる言葉だった。以前の答えどおり、僕は一人を殺して百人を救う。英雄になるのも悪くないって、そう思えた。僕がそう、考えたんだ」 本当にクソッタレな奴だなコイツ。 英雄とかなんとか、そんな話Fateの中だけにしとけよ。お前が私のマスターか畜生が。 そもそも英雄になりたいとか、そんな馬鹿みてぇな事考える奴はね、みんな頭のネジが二、三本外れてるかぶっ飛んでるかしてる奴だけなんだよ。そんな奴ってのはね、自分のやることに疑問を持ったりなんかしない。だから絶対にそんな目は───。「……泣くなよ」「泣いてなんかいないさ」「……大丈夫。お前は英雄なんかにゃなりゃしねぇよ」「どうだろうな」「そうなんだよ」 つまりはそういうこと。クロノはどこまでもまっすぐに、俺にぶつかってきたわけだ。「俺がお前を、英雄なんかにならせはしねぇ!」 バキィィインッ! 砕け散るようなその音と同時に、地面が陥没。リンカーコアを通すことなく、その純魔力をそのままシェルへと。輝く塵は、シェルの根っこに吸収されて、腕を締め付けるような圧迫感へと変わる。 多少構成が甘いところがあるけど、ファーストフォーム、セットアップ。 瞬間、クロノがその場から飛びのき、カードを指先ではじいた。くるりくるりと回転するそれは、一度だけまばゆい光に覆われて魔法杖へと姿を変える。先端を飾る、鳥の顔にも見える部分がぎらりと陽光を反射した。 はいはいんじゃまぁ……、「───っくぞ泣き虫!」 地面をひねり潰す勢いで駆けた。 いやもう何回も言う様だけど、俺は接近第一。距離をとられたら終わり。ンなこと、この右腕に変なもんがついたその日に気がついたっての。 クロノが牽制で出すスフィア、いくら牽制といっても当然当たってくるそれに拳をぶち当てる。弾ける魔力光と爆音。いちいち気をとられていたらそれこそ二秒で墜とされるのがオチ。 一発二発三発と、飛んでくるスフィアを迎撃しながら距離を詰めた。何回も何回も繰り返した行為。すでに俺の始まりの合図にすらなっている気分がする。 ふしっ! 鋭く息を吐きながらの打ち込み。少しずつ、ほんのちょっとずつでも、俺の間合いまで距離を詰めれば、そりゃもう俺の勝ちだ。アクセラレーションの爆発加速。人間の反応速度を凌駕できるまでの距離に近づけば! 構わず足を踏み出し、先へ進み、「ちっ」 クロノから舌打ちが聞こえた。 絶好のタイミング。アクセルフィンを一枚使おうかという、今しかないぞという、このとき。 ぱぁん! と乾いた破裂音がするのと同時に、視界が明後日の方向にずれる。衝撃の発生源は後頭部。正面から攻撃を受けているのに、クロノのスフィアは俺の後頭部を狙い打ちやがった。 いったいどうなってやがる。考える間もなく思わずつんのめって、右手を地面につけ───、 ───雨霰。こんな程度の隙を見せただけで、クロノからスフィアの嵐が降り注いだ。「シェルッ」『──Acceleration──』 散る羽一枚。 逃げる? ありえねぇ。俺の足は先に進むようにしか、出来てねぇ!「ぅおああっ!」 背中から一筋の奔流を残し、前からだけではなく背後からも迫ってくるスフィアから逃げながら、そして肉迫。 硬く握り締めた拳を、ボディを目掛けて打ち抜いた。がむしゃらに出したその一手は、しかしクロノの機動力のほうが勝っていたようで、わき腹辺りのバリアジャケットを僅かに引きちぎるだけ。 顔を見れば、相変わらずクロノの表情は消えたまま。虚のような瞳は、俺に背筋をなめ上げられたような不快感を与えた。熱に似た危機感を覚え、そのときクロノが右手に持っているデバイスは、こちらの腹を狙っているじゃありませんか。「凍れ」 ひんやりとした冷気を感じ、あ、やべぇこれ、やべぇ。「んぎッ、ファーストブリットォ!」 伸ばしきった拳をそのままに爆発させた。 クロノの体を少しだけ飛ばす程度しか効果のなかったソレは、確かに俺を救った。 先ほど狙いをつけていたところ。たった今まで俺の腹があった部分にその冷気は凝縮。空気すら凍りつかせたそれは、馬鹿でかい氷の塊となって地面に落ちた。 ずいぶん本気じゃないの。カチンコチンの氷像ディフェクトが完成するとこだっての。 ころりと地面を一回転し立ち上がったクロノを睨み付け、「殺す気かテメェ!」 クロノは澄ました様子でデバイスを一回転させると一度だけ息をついた。周囲から空気がクロノのほうに集まっていくような、不思議な感じ。 来る。さぁなにが来る。俺ぁそのデバイスのことなんて、エターナルコフィンしか知らねぇぞ。なんも分からねぇ相手と戦うの怖いんだよね、マジで。 警戒心マックスで一歩下がり、右手を腰溜めに構える。何にでも反応できるようにややつま先のほうに重心を置いた。「固まれ」 クロノのその一声で───、ギシリ! 歪むような音と共に現れたのは、八本のそれ。空気は凍りつき、先端をコレでもかと尖らせた氷塊の出来上がり。一つ一つに不出来な羽のようなものがついていて、そいつらはまるで意思を持っているかのような動きでっ! ちくしょうアレだ、なんか見たことある感じ、アレに似てる! 行けよファングァ! のアレ! まさにそれ! 不規則な動きで、こちらを翻弄するように、氷で出来たファングが飛行してくる。軸移動するたびにキュン、キュン、と風を切り裂く音が聞こえて、余計に恐怖感をあおった。 さぁ来るかい。いつ来るんだい。今か、どうだ、来るのか、来ないのか、来る、来ない、来る……、緊張でおデコから一筋汗が垂れる。 そして、クロノがデバイスを振り下ろした。周囲を楽しげに飛んでいた氷塊が一斉にこちらに先端を向け、囲まれて、睨まれている。ただ単純に、くそ怖ぇ! 「貫け」 死体に群がるカラスよりひどい勢いで氷塊は襲い掛かってきた。 順番に飛んでくるような、そんなスマートな奴らではない。マジ勘弁。そんな俺の思いをゲラゲラキャッキャと笑うように、そいつらは自由奔放に風を切る。 キュンッ───。 顔面の真横を通り過ぎる一本目。左右に伸びた羽のような突起で頬を裂かれる。ギリギリ視界に入っている間に捕まえて、握りつぶす。 瞬間、よくも仲間をやってくれたなとでも言うように、右腕にそれは突き刺さった。ぎ、と意識しないところで声が出て、同時、三本目のファングは俺の背中から迫っていた様子。肩甲骨の辺りに衝撃と冷気を感じた。「が、あッ」 悲鳴を上げる暇すらない四本目。正面から飛来してくる凶針。迎撃しようと手を伸ばした瞬間に、そいつは不意に軸移動。またも風を切り裂く音と速度で、俺の太ももに深々と突き立った。 だめだ。ここに居ちゃ駄目だ。刹那の思考。むしろ本能。 五本目の飛来を後方に予想しながらアクセルフィンに点火した。金色の魔力光を吐き出し───、「コキュートス」 突き刺さっている氷塊よりもさらに冷たい声が響いた。 それは地面を凍りつかせ、踏みつける若草を霜降り草へと変えながら、そして俺の足はそこから離れることをしなかった。 二枚目の羽が役目を果たさずに砕けていく。 「ずりぃ!」 五本目は、予想の通り後方から。上腕の辺りにナイフで刺されたような痛みが走った。ナイフで刺されたことないけど、多分刺されたらこんな感じだろちくしょ───、すでに六本目が、シェルに突き立っているその隣、右腕に。七本目が───、八本目が───。 どす。どす。どす。どす。どす。どす。どす。 壊したのはたったの一本だけ。体中が痛みと冷気に包まれて、っは、やべぇ。音が鳴るくらい奥歯をかみ締めるけど、我慢の限界ってぇのが人間にはある。膝がかくりと折れ曲がり、「弾けろ」 そしてこの追撃。 針山状態の俺に刺さった氷塊が、爆発を起こす。 意識を失うほうがまだましだった。身体のあちこちが破裂する現状。目の前が暗くなったかと思うと次の爆発で強制的に意識を呼び寄せられる。右腕なんかひどくって、装甲が弾け飛びきれずに、空中で氷に捕まっていた。クソッタレ。吐き捨てる声さえ出ない。呼気が白くなっていることに気がついて、周囲の温度は氷点下を記録している模様。 そして弾けた氷塊が、氷柱のように下に向かって伸びていく。俺の身体を拘束するように地面と接着。同化。ぴくりとも動かない身体。氷結バインドってか。 「ちく、しょ……」「……終わりだな」 変わらず無表情で、しかし泣きそうな顔を、クロノはしていた。 終わり? ンなことねぇ。終わらせなんかしねぇ。だってユーノに言ったしね。次は勝つ。まさか相手がクロノだとは思わなかったけど、ユーノによると俺は意味のない嘘はつかない人間らしい。だから嘘じゃねぇ。もうちょっと頑張る。頑張れる、俺! 身体強化は、得意だ。現に今強化されていて、通常の人間には出せない筋力、速度、反射を手に入れている。魔導師なんて皆似たり寄ったりだけど、俺のこれは違う。シェルの根が、爪の甘皮から髪の毛の先端、細胞の一片まで通ってる。強化を補助するそいつらは、こんな氷くらいで!「んぐ……ッ!」「無駄だよ」「……だっ、たらぁ!」 リンカーコアを廻して廻して回転させて───、しかし俺のコアはポンコツだった。「出来るわけがない」「そうだと、してもっ!」 バキィィイン! アルターの発動。「それはやらせない」「だけどやるんだよ!」 とは言いますが、状況がやばいのはまったく変わらない。 どんな心境なのか、クロノは二、三度首を振り大きなため息をついた。力を込めるようにデュランダルを両手で握ると、俺の足、コキュートスに捕らえられている氷結範囲が徐々に徐々に上へとあがってくる。さぁ、これはいったいどこまで来たら死んじゃうんだろうか。心臓の付近か? 顔の付近か? 結局なにがどうあろうと、俺にできる抵抗なんて、今はホントに一つだけ。ばっきんばっきん自然を破壊。ただただ魔力を集めて集めて、一発かましてやるくらいしかない。「ぐ、ぅうう……ッ!」 足りない足りない。全然足りない。もっともっと。「んぐ、んんぅっ、ううぅうう~~~!!」 唸るように周囲を破壊。塵来いさっさと魔力になれ。 そんなことしている間にも当然、小枝をへし折るような音と共に俺の身体は凍っていく。手足の感覚なんざとうの昔になくなってらぁ。見る分じゃくっついてんだから何とかなるさ。そう、俺はクロノを信じてるからな。 そもそも考えてもみろ、なんでこんな面倒なことしてんのか。結局馬鹿なんだよ、クロノは。 「んっ、っ、───ぁ、ぁぁああああ! もっと来い!!」 俺が叫ぶと、「───っいい加減に、諦めろ!!」 ついに、今まで表情を消していたクロノもイライラした調子で叫んだ。「嫌だ!」「死ぬぞ!」「断る!」「理想だけで誰が救えるっていうんだ!!」「理想も語らねぇで誰を救うんだよ!!」「僕は百人を救う!」「俺はその一人が大事だ!」「我侭か貴様!」「我侭さ俺は!」「どうして君は───ッ」「なんたって俺は───」 上昇上昇。ばっきんばっきん。身体が凍り付いていく。魔力が溜まっていく。 もうまともに動く部分なんて顔面だけで、ほかの部分は痛くて冷たくて。ただ、右腕だけは熱を持っている。現実の熱じゃなくて、シェルの装甲が剥がれ落ちた素の拳、そこには俺の、お前への気持ちと魔法でいっぱいだぜ、クロノ。「俺は! お前を信じてるからな!」 ぴたりと、氷結上昇が止まった。 瞬間、「───ッカンドブリットォ!!」 凍りついた右腕で爆発を起こす。それは身体に張り付いた氷を吹き飛ばし、バインドのようになっていた氷柱を吹き飛ばし、俺の体ごと吹き飛ばし、そしてクロノも吹き飛ばす。 腕が砕け散ってないかの確認なんて後回し。なかったらそのとき考える。今はとにかく、弾けろ、アクセルフィン!「抹殺のぉ!」『──Acceleration──』 最後の加速ユニットは砕け散り、それは爆発的な推進力を生む。ぐんぐん進む、どんどん進む。 クロノの姿は、目視できない。舞い上がった粉塵と、俺の魔力と、氷の欠片。光を乱反射して、どこまでもきらきらと輝いて、進む先がなかなか見えない。 ただ、俺には妙な確信があった。まっすぐ行けば、そこに居る。拳を伸ばせば、必ず届く。 その思いのままに、加速は止まることなく突き進み───がくんっ。列車が急停止したような感覚。いったいどうしたことだろうか。止まることは無いはずなのに、加速の奔流はまるで煙のように霧散する。 なんで? 考えて、考えて、あまりに眩しい白の世界でクロノの姿を目視したとき、答えに到達。 こっちに向かって全力で走ってくるクロノは、先ほどとは打って変わって凶暴に、しかしどこまでも楽しそうに笑うクロノは、デバイスを輝かせていた。 なるほどそう来たかと、クソッタレな納得。 それはAAAランクのフィールド系防御魔法。AMF、アンチ・マギリンク・フィールドだった。今度はなんで、なんて疑問は出い。だってそれ、俺のせいだもん。 瞬き一回分にも満たないその思考。 加速は消えたって、初速は消えてない。そして俺には、足がある。「ぉぉおおおおおおおおお!!!」 走った。とにかく全力で。 クロノだって走ってる。もちろん全力で。 互いに魔法は使えない。いや、クロノほどの魔導師なら使えないことも無いのだろうが、ゆるい魔力を固めるには、当たり前に時間がかかる。だから、地を駆ける。 クロノがデバイスを振りかぶった。当然殴るために使うのだろうと、簡単に予測できた。寂しいの何だのといってたくせに、結局はそんな扱いかよ。こっちまで笑っちまう。 なんだか長い時間のように感じて、だけど訪れる交錯の時、真横に振られるデュランダルを、限界まで身を低くし避けて、 ―――首筋に熱が走る。予感よりも、それよりももう一段先にある何かが、危機を伝える。「ははッ!」 クロノの笑声と共に跳ね上がるのは、膝。 俺の顎をピンポイントで狙う攻撃。それは必殺のタイミングだった。瞬殺の速度だった。どこまでも現実的な攻撃で、どこまでも魔法を使えないクロノ的な攻撃だった。 しかし、ああ、運がねぇ。まったく持ってお前には運がねぇ! リーチの違いがあれど、それは何度も食らった衝撃。何度も何度も俺の意識を断ち切った、悪夢のような現実。俺はそれを、たったの一度もかわしきれた事はなかったけど、脳よりも体がそれを覚えている様子。 「───ッ!」 轟ッ! 天を貫くように、しかしそれは空気を穿った。 顔面の横すれすれを通っていった膝は高々と持ち上げられて、頂点にたどり着き、一瞬だけ時が止まったような静止時間。ゆるんだ拳を固めるには十分すぎる時間。 くだらねぇ。はやてを殺すとか、そうゆのホントにとんでもねえ。だから殺す。そういう考えは、俺の、抹殺のぉ!「ラストブリットォォオオおおお───ッだラァ!!」 的確にクロノの顎を捉えた拳。爆発は起きなかったけど、その感触だけで終わったことが分かった。 そして。 ユーノの待つそこで。「わ、ぼろぼろだ」「癒して早く癒して死ぬ死ぬ死んじゃう超痛ぇ」 ユーノきゅんからぽわぽわ治療。ええきもち。「勝った?」「……勝たせてもらった、かな?」 ああいう真面目なやつが考え込んじゃうとろくなことにならないよね。 結局俺のトコに来たのって、止めてほしいとかそういうことなんでしょ? まぁ本人に言っても否定するだろうけど。真面目だから理性が強すぎるんだね。たまには俺みたいに本能で生きるべし。女の裸を見たらちんこが勃つ。そのくらいの本能で生きるべし。 そもそも俺に、なりふり構わず本気で勝とうと思ったら空飛べばいいだけの話だし。俺いまセカンドフォーム作るのですらキツイから、空戦になったら絶対負けてる。そのセカンドフォームだって空を自由に飛べるようなことはないし。そんなこと、アイツが知らないはずないのに。「馬鹿だねぇ」「あは、君に言えたことじゃないよ」「うっせー」「それで、クロノはどうしたの?」「シラネ」「ひどいなぁ、友達だろ?」「と、友達なんかじゃねぇやい!」 ぷんすかぷんと鼻息荒く、それをカモフラージュにして、ユーノの尻にさりげなく手を伸ばしたときだった。ユーノが持っている端末がピコピコ音をたてる。 誰? と視線を送ると、ユーノもさあ、と肩をすくめた。むにむにとボタンを押して回線を開くと、『ああ! やっと繋がった! 大変だよッ!』 エイミィが切羽詰まった様子で画面にアップ。そのままこの世の終わりがやってきたと叫んでもよさそうなくらいだった。 ああ、なんつーかさ……、どこまでも波乱に満ち溢れてんな、俺の人生。◇◆◇ 草原に横たわったまま、顔を腕で覆ったまま、クロノは静かに笑っていた。 すでに立てるほどには回復しているが、もう少しこの気分をこのままで味わっていたい。 ああ、無様だった。どこまで無様だったし、格好悪かった。クロノの戦闘経験の中で、一番出来の悪い評価だ、今日のは。 しかし、あそこでああしておけばよかった、などという後悔は欠片も見つからない。何てことだろうか。一番出来の悪い戦闘に、自分は満足してしまっているのだ。恥ずかしいやつ、とクロノは自重するように呟いた。 こんなに心が晴れやかになったのは、いつ以来だ。もう、すべてがどうでも良くなった。いままで深く考えていたことが急に馬鹿らしくなってしまって、過去の自分を指差して笑ってやりたいくらい。信じてる。たったその一言で、なんだか全部がひっくり返って。(僕は結局、英雄にはなれないんだろうな……) 残念とは欠片も感じない心に満足して、クロノはようやく体を起こした。ダメージなど、拳一発のみだ。何の問題もない。ふん、と鼻で笑いながら、涙のあとをごしごし拭った。 泣くなよ。ディフェクトにはそう言われたが、戦闘中に泣くような馬鹿な真似、さすがにしない。この涙は、別のことが原因なのだ。 強かに顎を打ち抜かれ、脳がシェイク。朦朧としながら後ろに倒れたあと、どのくらいの時間がたっていたのかは分からない。とにかく意識がはっきりしてきた時、ディフェクトはすぐ傍にいた。 じっとこちらを見下ろす視線。なにか言いたげだったが、結局は何も言わずに起きたかとだけ聞いてくる。 そのときの心境はあまりに表現しにくい。どう言ったらいいのかも分からない。ただクロノは一つだけ口にした。 失望、したか? それだけが、不安だった。ユーノにそんなことは無いと言われていたって、それだけは心配だった。 そのとき、ディフェクトにしては珍しく、真面目な表情を見せた。 ん。 そう言って彼は拳を差し出して、なんとなくクロノも寝たままで右手を上げて。 こつん、と互いに打ち合わせ、照れくさそうにあいつは、ディフェクトは、「気にすんな。友達じゃんか」 それだけ残して背中を向けるディフェクトに、クロノは心底助かったと思った。 だって、年下に泣き顔を見られるなんて、恥ずかしいじゃないか。