23/ヒューマニズム・アゲイン 八神家リビング。みんなで一番楽しい時間を過ごすところ。闇の書の中であろうと何であろうと、そこは全員がそろう食卓。 人生で一番楽しい戦いだった。シグナムはとてもいい笑顔でそう言った。 生きているうちで、一番訳の分からない戦いだった。ヴィータは不機嫌そうにそう言った。 生まれてこの方、あんな馬鹿みたいな戦闘は初めてだ。シャマルは困ったように微笑みながらそう言って。 あんなに満足感のある死も、今回で初めてだ。ザフィーラは少しだけ誇らしげにそう言った。 はやてには、皆がなにを言いたいのか、はっきりと分かっている。闇の書の一部として取り込まれ、その記憶や思いを引き継いで、体の構成をいじられて、それでやっと、闇の書がなんなのか分かったのだ。 「人間で居たい、かぁ……」 ヴィータがぽつりとこぼした。「人間で居たい、だもんな。はっ、人間に“なりたい”じゃないんだ。こんなことに気が付かないなんて、馬鹿みてーだ、アタシ」「俺とヴィータにしか分からなかった闇の書の正体も、そういうことなんだろう」「分かるはずのない『闇の書』の正体に惑わされ、随分と嫌な思いをしたものだ。そう言えば、お前は気づかないとプロダクトに言われたな。あいつは分かっていたんだろう。……ここに還ってくると、こんなにも簡単に思い出すというのに……。馬鹿なことをしていたんだろうな、私たちは」「でも、今回の召喚が一番楽しかったわ。そう、一番。生まれてからも、ヴォルケンリッターになってからも全部含めて、一番」 はやてはみんなの顔を見て、とても嬉しくなった。みんな、とても楽しそうに笑っていた。シャマルの言葉に、そうだな、と全員が頷いて、それだけではやての心は満たされる。 一番だと、今回の八神家の召喚が一番だといってくれるのだ。自分は闇の書の主として、まともなことはただの一つもやっていないのに、それでも一番だと。「みんな、私の家族や。自慢の家族や。シグナムとシャマルはお姉ちゃん。ヴィータは妹。ザフィーラはペット」「……それはひどいな」「番犬!」「それも、どうだろうな」「お兄ちゃん!」「その辺りで手を打とう」 五人で顔を見合わせて笑った。全員で、本物の家族になったのだ。本当の意味での家族に。同じく血を分ける家族として。 だれも はやての事を『主』とは呼ばなかった。そう、はやてはもう主ではない。 はやては椅子から“立ち上がり”、行こう、と声をかけた。主としてではなく、家族としてのお願い、甘え。こうしたいよ、とねだった。こうありたいよ、と願った。 しょうがねーな、とヴィータが頭をぼりぼり掻き毟りながらはやての手を取った。シグナムはいつも通りに、静かにはやての後ろに付く。シャマルは微笑みながら右に来て、最後にザフィーラが、またもや鼻ではやてを急かす。「わたしな、こういうの夢みたいで、ほんま嬉しい」 でもな。はやては一粒だけ涙を流した。「でもな……、そのな、あいたい人が居るんよ。おかえり言うて、ご飯も作ってやらなあかん。ドッグフード食べるような、なんとも言えん変人なんやけどな、わたしがおらな、ひもじぃで死んでまう」 なにかに感づいたのか、シグナムがくすりと笑った。 「あいたいなぁ、ディフェっちゃん……」 プログラム・ヴォルケンリッター。その正体とは───、◇◆◇「……人間なんだよ、あいつら。人間だったんだよ、あいつら」 プログラムなんかじゃない。あいつらは本物の、どこにでもは居ないような人間だったんだよ。闇の書に選ばれて、無限転生っていう対象に選ばれて、最後の最後まで取り込まれて、プログラムとして再生されてるんだ。あいつらの言葉を聞くと、その端々に人間だったときのことを伺わせることがあった。 シグナムなんかはどうにも、『闇の書』に違和感を覚えていない様子だったし、それは多分、ていうかもうほとんど確定なんだけどさ、とにかく生前の自分のところに『本』が飛んできたときには、それはすでに『夜天の書』じゃなくて『闇の書』だったから。 ユーノが無限書庫で見つけた情報。『闇の書』『夜天の書』『歴代所有者』。三つだけじゃなくて、他にも色々あるんだけど、とりあえず今はこれでいい。 この中で一番興味深かったのが『歴代所有者』。俺はなんとなくで探してって言ってた物だけど、これがまさしく鍵だった。何百年とか何千年とか、もう古代って言っていいくらい昔からあるデバイスだからさすがに全部は分からなかったけれど、確信はそれで。 ヴィータ・×××××・×××××。 シグナム・×××××。 シャマル・×××××。 しっかりと、全員の名前が刻まれていた。あいつらは夜天の主だったわけ。 そして筋肉。あのマッチョ。漢を魅せたあのザフィーラは、たぶんヴィータの使い魔だったんだろう。追いかけたのか、それとも取り込まれたのか。どちらにせよ、パトラッシュとハチ公とラッシーを超える名犬なのは間違いない。 あいつらの人生がどんな物だったかなんてのは知らない。けど、なんとなく予想は付く。いや、ユーノの予想なんだけどね。 原作よりもヴォルケンの初動が早かったのは、誰かが気づいたからだ。はやてが危ないことに。幼い身体に闇の書は毒。幼い身体ってトコから、恐らくヴィータ。 ヴィータは気が付いちゃったんじゃないかな。なんとなく、はやての症状が生前の自分と似ていることに。記憶はあんまり無いはずなんだけど、それこそ不安とか予感とかそういう形で。 まぁ、それに気づいたからなんだって感じだけどさ、そうすっとね、なんとなく防衛(暴走)プログラムの正体も掴めて来る。そして俺なら何とかできる。ていうか、俺しか何とかできない。 皆を救ってやるとか、そんな正義の味方みたいなことは考えてないよ。ただ俺が嫌なだけ。泣いてるはやては見たくないし、ヴォルケンの皆とも仲良くなりたい。プレシアの時みたいな、子供が泣くような展開はもう嫌だ。絶対助けたと思ったのに、死にやがった。俺が殺した。もう最悪。前科一犯・殺人。なにこれ。ありえねぇ。全然ありえねぇ。「だから なのは、お前は戦わなくていいよ」 いやまぁ超戦力キタコレなんだけどさ、やっぱ俺は子供がこういうことするのは良くないと思う。うん。だから なのはが無理だって言ったとき追わなかったし、正直ほっとした。小学三年生だし。九歳だし。ユーノとかは別だよ? ユーノとか俺の中身的に見ても全然年上みたいだし、正直俺の甘えもあるし、しっかりと自分を持ってる。クロノとかはこれが仕事じゃん。みんなを守る。これが仕事。 うん。やっぱり なのははねーわと考えて、しかし なのはは微笑んだ。「大丈夫だよ」「大丈夫じゃねぇよ」「ううん、大丈夫」「どの辺が大丈夫なんだよ」「決めたの」「なにを?」「守るって」「だれを?」「みんなを」 ほらね。全然分かっちゃいねぇぜ。プレシアぶっ殺してそれに失敗した俺が言うんだから間違いねぇ。「相手はもともと人間でさ、いま、あの闇の書の身体も人間のモンなんだよ」 はやてボディだからね。「それでも大丈夫だよ」「大した自信だな、おい」「うん」「なに? 自分は天才だからミスの一つもしませんってかぁ? ッハ、調子乗んじゃねぇよ、クソガキが」「わたし、そんなこと思ってないよ」「イラつくんだよッ! 一回逃げ出したんならしゃしゃり出てくんじゃねぇ!」 帰れ帰れ! こっちみんな!「俺ァなッ! シェルに頼って、魔法に頼って、ただ殴るしか出来ねぇんだよ! 天才なんかじゃねぇんだよ! 失敗すんだよ!」「じゃあ、私を頼って」「───……ッ、いや、そういうこっちゃなくて!」「私は頼るよ、ディフェクト君のこと。きっとみんなを助けるんだって、そう思ってるよ」「い、や……、だから、そういうのとは、ちょっと違くて……」「だから守るよ。みんなを助ける、ディフェクト君のこと」「……」 変わらず、少しだけ困ったような微笑だった。 ぷ、ぷぷぷすーッ! い、言い負かされる! やばいよ! 九歳児に言い負かされるよ! 考えろ、俺。こういうの教育的にもどうかと思うよ俺は。九歳のときの俺なんか下校時に蛙いじめて楽しんでたくらいしか記憶にないのに、なんなのこの子! おそろしや、現代っ子! 日本おそろしや!「……」 さぁ考えろ。「……」 考えろ。「……」 考えて。「……心強い、お言葉です……」 負けました。◇◆◇ 私はデバイス。願いを叶える魔道書の管制人格。名前はまだない。ただ主の為に。ただ主の為に。 一番初めに私を使ったのは誰だったか。膨大ともいえる容量の片隅にあるかもしれない記憶。思い出そうとは思わなかった。 何年も何年も時が経ち、十年、百年の存在時間が過ぎた。私は様々な人間の手に渡った。このころは、無限に転生するような機能もなかった。ただ純粋に、デバイスだった。 何人目の所有者だったろうか。私は『夜天』と言う名前をもらった。私自身ではなく魔道書の名前だが、誇らしかった。存在意義を見つけた。『幸せ』を学習して、人それぞれの願いを、魔力が溜まった時点で叶えた。喜ぶ人間がいた。泣く人間がいた。なぜなんだろうかと考えた。 いつだったろうか。事故がおきた。転移時の事故だった。その時の私の所有者は、どこかに消えうせた。私だけが、どこかの世界に迷い込んだ。問題はない。私はどこまでもデバイス。夜天の魔道書。私の存在を見つけて、願わない人間などいない。 迷い込んだそこは、魔法の発展した世界だった。私は安堵した。時空管理局などという傲慢なものが無い時代、魔法は戦争に使われていて、ここならば存分に願いを叶える機会がありそうだと思った。 しかし、その小さな安堵は、一人の少女が私を見つけるまでだった。 燃えるよな紅蓮の髪に、どこまでも深い青の瞳。彼女は幼いながらに魔法の才能があったのだろう。一目見るだけで上等と分かるような使い魔を連れていた。「んー、なんだオマエ?」 その時代にはユニゾンの概念が無かったのだろう。私はただの魔力をおびた本。少女は私を面白いものを見つけたように胸に抱いた。 かちり。何かが嵌るような音が聞こえた。 馬鹿な。そう思った。しかしそれは冗談でも何でもなかった。管制プログラムである私の意志を超えて、どこかでこの少女を主人に設定してしまった。 おかしい。考えて、それは事故の後遺症のようなものだと確認した。どこかで小さなバグが発生している。自己修復が完了する前に、この少女に出会ったのが良くなかった。 少女は私を使わなかった。ただ机の上に置いた。たまに話しかけてくるのに対し、私は願いを言えとだけ答えた。少女はくすくすと笑って、いつもそればかりだなと言った。 一年ほどの月日がたった。その家はいつも静かだった。居るのは少女と、守護獣と、私。少女は、いま思えば寂しかったのかもしれない。そのころの私は、そこまで感情プログラムが成長していなかった。願いを叶えれば、きっと『幸せ』になるはずだと考えた。 私は少女に干渉した。魔力をくれ。その分の幸せを与えよう。 なのに少女は倒れた。おかしい。なぜ倒れるのだろうか。少女の足が動かなくなった。おかしい。なぜそうなる。少女の臓器が少しずつ機能を失っていった。ああ、なるほど。それはどこまでも私のせいだった。少女は死ぬ。なるほどそうか。 彼岸と此岸を行き来している少女が、ぽつりと呟いた。「もっと、いっしょに、いたかったな……」 私は願いを受け取った。少女の幸せは、もっと一緒にいること。 その時初めて、人間を飲み込むという荒事を試した。死を塗り替えようとする願いに、当然のようにプログラムが書き換えられて、バグで滅茶苦茶になる。 ただ、私の存在意義である『幸せを叶える』という部分は決して消えなかった。誇らしかった。嬉しかった。 基礎プログラムに追加。守護騎士システム・ヴォルケンリッター。鉄鎚の騎士ヴィータ。守護獣ザフィーラ。入力。 それから何人もの人の手に渡った。たくさんたくさん願いを叶えた。誰も彼もが死んでいった。なぜだろうかと考えた。 転生。主を失うと、自動的にそうなるようになっていた。これはいつからのバグフィックスだろうか。思い出そうとしても、それは遠い過去のように思えた。 私はいつからか、リンカーコアの蒐集をするようになった。これもいつからなのか、覚えていない。膨大な記憶野を探せば見つかるのだろうが、それをしてなにになるのだろうか。存在意義。幸せ。それだけでいい。それだけが、私の意味。名前が『闇の書』に変わっていたところで、それは大した問題ではない。 そして転生した世界は、なんと魔法の発展が無い世界だった。私は人間で言うところの『ため息』を吐きたい気分になった。なぜこのようなところに。なぜ、野蛮に剣を振り回している世界なんかに。 人間たちは馬に乗っていた。剣で斬り、槍で突き、雄叫びを上げて戦争をしていた。転生をしたということは、そこに主人の素質を持つものが居るからだ。私は魔力反応を探した。どんなに小さなものでも逃さぬように。どんなに不細工でも、下手糞でも、そこに幸せに繋がる願いがあるのなら、私はそれで十分だった。 戦争の戦闘の先頭。上質な魔力反応と共に、炎が立ち上った。 そうか。彼女が今回の主か。 目つきが鋭く野性味にあふれた女性だった。やや少女の面影を残すその顔は、泥で汚れ、煤で汚れ、しかし戦場でこそ花開く。雄叫びを上げ、剣を振り回した。その度に炎が溢れる。彼女には先天的な魔力変換資質が備わっていたのだ。 魔女。そう呼ばれていた。だからだろうか、彼女はどこにも属さなかった。だがそれは孤独なわけではなく、ただ彼女は孤高だったのだ。気高く、泥で汚れようと、血で汚れようと、その視線は鋭く前だけを見据えていた。 数年が経ち、私は言った。願いは無いか。その全てを叶えよう。お前を幸せにしよう。鉄鎚を召喚し、邪魔者を全て消してやってもいい。守護獣を召喚すれば、もう誰もお前には届かない。 少女の面影を消した彼女は不機嫌そうに息を吐いた。 「それは私が掴み取る」 それからも彼女はどこにも属さなかった。北で戦争があればそこに走った。南であればそこで剣を振った。東であれば炎で燃やし、西であれば矢で討った。 なんのことは無い。彼女は戦争が好きなのだ。楽しそうに騒ぎ、喘ぎ、嬌声を上げた。 魔道書の私を背負い、彼女はどこまでも戦場を駆けた。どこにも属さないその姿勢は、敵しか作らなかった。彼女はそれでも口角を吊り上げた。 楽しいだろう? そう聞かれた。私は何が楽しいかなど、全然分からなかった。 つまらん奴だな。そう言われた。私にはどういう意味なのかが理解できなかった。 私は幸せだ! 彼女はそういった。そんなはずは無い。こんな幸せがあっていいはずが無いのだ。 幸せとは、幸せのことであり、幸せになるには、剣を振るって人を殺すばかりでは、決してなれないのだ。 彼女はどこまでも暴力を振るった。剣を、炎を。百人に囲まれても、千人に囲まれても、彼女は逃げることは無かった。 だから死ぬ。彼女は足を無残に切断され、時の王様の下へと連れられた。 王様は言った。なぜあのようなことをする。 彼女は言った。戦争ばかりで民を見ないからだと。だったら戦争を燃やし尽くす。それに私はたまらないんだ、戦うのが。 うっとりとした表情だった。足が無くなっている事を忘れているかのようだった。あまりにも理解できない感性。 魔力の収束を感じた。周囲の酸素が一斉に燃え上がった。彼女は自分の身を省みることなく、ただ燃やした。全てを燃やした。「分かるか闇の書! これが私の幸せだ! ああ、ああッ、気持ちいいなぁ! 願いを叶える!? 笑わせるな! これは、私だけの炎なんだ!」 彼女は業火に焼かれながら、ただただ笑った。甘美で、野性的で、艶やかで。嬌声が響き渡る前、彼女はぽつりと零した。「ただ、お前とさよならなのは、少しだけさみしいな」 フラッシュバックのようによみがえった記憶は、もう随分以前のこと。あのときの少女を、プログラム化したこと。 ばらり。頁を開いた。リンカーコア。魔導師の命。その身体ごと。ばくん。 願いを受け取った。さみしいは幸せとは正反対だ。私と居ることでさみしいは無くなる。幸せになる。 プログラムに追加。烈火の将シグナム。 それから何人もの人間の手に渡った。たくさんたくさん願いを叶えた。誰も彼もが幸せになったのに、誰も彼もが死んでいった。それはどこまで考えても、私のせいだった。 もう何人目の主だろう。どうせこれもすぐに死ぬ。ほら死んだ。また次だ。私は幸せを叶えるデバイスなのに、私の願いを叶えるデバイスは無い。 転生。そこは、魔法にたどり着いた世界だった。 人間たちはみんながみんな幸せそうだった。生活に苦労の無い世界。もちろん全てがなくなったとはいかないが、それでも魔法のおかげで随分楽になったのは事実なのだろう。 そんな中での主人は、なぜだか暗い顔をしていた。なぜだろうか。私は考えた。世界を憂いているのだろうか。戦争になるのではないかと。 主人は、二十を少しばかり超えたくらいの女性だった。少しだけ惚けた性格をしていて、良くいえばおっとりとしていた。 そんな彼女は、花を育てた。如雨露で水をやり、季節を喜び、花弁を愛でる。彼女は緑が好きだったのだ。 私は言った。願え。魔力をそこかしこからかき集め、この世全てを緑で満たそう。その幸せは、お前のものだと。 彼女は言った。「人は、それじゃ駄目になっちゃうわ」 彼女は、言ってしまえば遅れた人間だったのだ。その惑星の命題であった『温暖化』も見事に解決してみせた魔法。しかし彼女は緑を求めた。近代化、未来化が進む日常に、真っ向から立ち向かった。 彼女は花を売った。人間一人が暮らしていくには難しくなる値段だった。 ただ、彼女には笑顔があった。彼女は買ってくれた人にとびっきりの笑顔をプレゼントした。 ほんの少しずつだが、売り上げは伸びていった。彼女は飛び跳ねながら喜んだ。 人々は心のそこで求めていたのかもしれない。原初の記憶。私はすでに忘れてしまったが、緑が溢れる生命の源。 彼女は、次はどんな植物を取り寄せようかしら、と楽しげに呟いた。まるで彼女こそが人の願いを叶えるデバイスのようだと思った。 次の日も、その次の日も。彼女は何も願わなかった。素質は十分なのに、それをしなかった。 私は、それもいいのかもしれないと思った。勘違いをしているだけで、私は『幸せ』の何たるかを、実のところ分かっていなかったのかもしれない。 彼女はうってつけの相手だった。まるでデバイスのように人々の心を癒し、緑を植え、育んだ。 私がここに来たころ植えた球根が芽を出し、花を咲かせ、次代を残し、そして枯れた。 そのとき、彼女の腹から、魔力で出来た刃が生えていた。 男だった。魔導師だった。よく分からないが、私を見つけてやったやったと喜んでいた。ああ、また死んだ。それはどこまでも、私のせいだった。 彼女は男のことなど一切見てはいなかった。ぼんやりとした視線は緑に向けられ、 「お花、みず、やらなくちゃ……」 口の端から血を流す彼女は、どこまでも優しさを求めて、癒しを求めていた。 そうだろう。水をやらなくては、緑は死んでしまう。だったら───、プログラムに、追加。 それから何人もの人間の手に渡った。みんな死んだ。願いを叶え続けているのに、幸せになったものなど誰もいない。そんなことに気がついた。 転生。ああ、今回もまた死んでしまう。もうどうにでもなれ。 その少女は、記憶の彼方にある何かを呼び覚ますような子供だった。あれはいったいいつだったろうか。こんな状況を、私は知っているような気がする。 いつからなのかは分からない。私はリンカーコアを集めるようになっていた。それは何のためだろう。人間を知るためだろうか。それとも別の理由があるのだろうか。私の中のバグフィックスは、もう私と言い換えていいほどに成長を遂げていた。それに対してなんら思うところは無い。無限転生。周囲破壊。たったのそれだけ。 少女は、足が動かなくなった。しかし笑顔だった。 少女の下に、魔導師が来た。いつかのように殺されてしまうのだろうか。それもいいだろう。私の侵食を受けてしまうほどに幼い子供。到底私を扱いきれるとは思えない。 数日がたった。魔導師は住み着くだけで、特に何もアクションを起こさなかった。私の存在に気がついているのに、そ知らぬふりをして住み着いた。ただ、少女の笑顔は、もっともっと素敵になった。 見ていたい。そんな衝動に駆られた。ずっと、たくさん。笑顔。幸せのしるし。私の存在意義の証明。 そして、魔導師が姿を消した。唐突だった。またねと残して、それだけだった。 それでも少女は笑顔だった。ほんの少しだけ陰りが見えたけど、それでも少女は笑顔だった。 痛い。そう思った。少女が求めているものは、家族だった。家族。家族。あの魔導師は、それになるはずだったのに、消えた。 少女の誕生日が来る。あの魔導師が何か用意しているのかと、変にやきもきしてしまった。 待った。何も無かった。少女から吸い上げた魔力は、通常の魔導師の数倍を、さらに超える量となっていた。 私は考えた。家族。幸せ。本当の意味。 かちり。少女の枕元においてある時計が、十二時を指した。 私は頁を開いた。闇の書。願いを叶えて、幸せになるデバイス。「はぁ~、ディフェっちゃんが言っとったこと、ほんまやったんやねぇ」 少女は、たくさん笑顔になった。 私はこのとき初めて幸せを理解したのかもしれない。願いと幸せは、違うものなのだ。 私は闇の書管制人格。名前はまだない。私の願いを叶えるデバイスも、私の幸せに応える者も、私には、何も無い。そしてここでも、また転生する。 主を飲み込んだ私はその存在を書き換え、プログラムに───。 何人の人の手を渡り歩いたろうか。百や二百で収まるような数でないことは確かだ。もっともっと。たくさんたくさん。 ただ、そんな中で、この『闇の書』に願いを言わない人間は、たったの四人だけ。 次もまた、転生する。たくさんの人の手に渡って、たくさんの死を振りまいて、どこまでも幸せを求めて。 それなのに、「俺の幸せをお前が決めるんじゃねぇよ、寂しがり屋が」