27/自慢の拳 防衛プログラムの上体がずれた。ずるり、と。 真横に走る一線。それがフェイトの一閃。闇の書の闇は、ちょうど真ん中の辺りから、二つになった。「グロっ」 こんな感想しか出てこない俺を許しておくれ。だってホントにグロいんだもん。 あまりに綺麗な断面は、そのままくっついても何の問題もなく活動できそうなほど。紫色の体液(?)が出ていなかったら、斬れている事すらも気がつかないかもしれない。 徐々に徐々にずれて、もがくたびに、いよいよ持って、真っ二つ。 ずしん! と轟音を立てながら上体のほうが下に落ちてしまった。変わらず動いている触手は、なんとなくバラバラにされても動く昆虫の節を思い出させた。 「……うぅし、キメるぜぇ」 無限に再生する防衛プログラム。この期を逃したら、本当に次はないだろう。主に俺の体力的な意味で。 上を見上げると、ヴィータが呆然とした様子で断面を見つめていた。奇妙に蠢き、再生の予兆がある断面を。「アレって……、なぁおい、これ、どういうことだよ……」 まぁ、焦るのも分かる。焦るっていうか、信じられないのも分かる。 俺はまぁなんとなく気づいてたけど、……いや、たぶんヴィータも分かってる。アレがなんなのかって事くらい。ただそれを信じたくないだけで。 ひぃこらへぇこら闇の書の闇へと足を進めた。クロノに肩を借りながら。 気持ち悪く動く触手達。目標が定まらないのか、それはただ動くだけだった。地面を這い回り、思い出したようにびくりと跳ね上がる。もう、脅威はないように思えた。「なんで……、なんでっ!」 上空から聞こえる声。泣きが入っていた。「なんで、アタシが……、そこに居んだよぉ……っ」 闇の書の闇。防衛プログラム。俺はその正面に立った。 滑らかに奔る断面。どこまでも黒に近い紫で、濁って、近づくのですら戸惑ってしまうようなそれ。 その中心に少女が居た。いや、居たというよりも今発生したって言ったほうが正しいのかもしれない。どろりと濁ったその中に、一センチ先も見通せないほどに紫に濁っているっていうのに、その中に居る『それ』は、認識することが出来た。 ヴィータによく似た女の子。悲しげに眉をゆがめて、血色の涙を流しながらただただ立ち尽くす少女。 これこそが、核。闇の書の闇の、本当の闇。 闇の書が決定的におかしくなった場所はどこだと言われれば、一番最初に『人間』を取り込むという荒業を試した場所。どんなところかは分からないけど、その時傍に居た人間はヴィータだ。夜天の魔道書から、その存在を闇の書に変えたとき、そこに居たのはどこまでもヴィータだ。 管制プログラムと防衛プログラム。その存在が決定的に道を違えたとき、当然ながら防衛プログラムにだって『存在する』という意思が生まれた。 その意思は『暴走』という形でしか発現されない。化け物然とした防衛プログラムのあの泣き声は、きっとこのヴィータのもの。 「……行って来い」「おう」 クロノに背中を押されて化け物の残骸をよじ登った。 ぬるぬるとした紫色の体液(?)のようなものは、触るだけで気分が悪くなるようなものだった。 実際に、マジで気分が悪くなるのである。触れた瞬間に頭を殴られたような衝撃と共に入り込んでくる『願い』。いままでの主たちが願ったそれ。闇の書が叶え続けて、叶え続けて、しかし最後に誰もが願う、『死にたくない』という願いの塊。これこそが『暴走』で、死にたくないという願いは『無限転生』という形に成り代わった。 鳥肌どころじゃない。毛すら逆立ってしまうほどにおぞましい。手を伸ばし、足を進め、その度に触れるそれは、とてもじゃないけど……気持ち悪い。「───っ、うぐ、ぅぇっ!」 内臓が蠕動して、中身を押し出してくる。別に我慢する意味も無かったからそのまんまゲロゲロ。 酸っぱい口の中をつばと一緒に吐き出して、それでも先へ。いちいち入り込んでくる願い。 ……知るかボケが。もう死んでんだよお前ら。素直に死んでろよ。気持ち悪ぃんだよ。こんなアホみたいな精神攻撃仕掛けてきやがって。不幸だった? 幸せになりたかった? 誰かを助けたかった? はいはいはいはい。そういうのマジ要らないから。俺全然関係ないから。それを俺に聞かせてどうしようって?『なんで?』 そんな声、のような、意思、のような、念話、ともいえるような、そんなものが入ってきた。 無視して進む。『どうして?』 無視して進む。 聞く価値のない声だと、そう割り切って。『なぜ私たちは幸せになれなかったの?』 紫色の願い達は、そう問いかけてきた。「……知るかよクソが。ンなもん俺に聞くな」『───』「はっ、怒ったかよ。……言ってやろうか? テメェらな、運がなかったんだよ」 ただそれだけのことだ。その時代に、この俺様が居なかった不幸。それを嘆け。俺は進むね。後ろを気にしながらでも、その先に。 あと少しで、紫に犯されたヴィータへと届く。 そんな時、急速に再生を始めている残骸がぶるぶると震えた。びちゃ、びちゃ、と体液達は暴れまわり、それが俺へと跳ねてくる。 そこに込められている意思は、遺志は、とても明快。ただ単純に、死ね、と。 死ね。死んでしまった私たちが浮かばれない。お前も死ね。なぜお前だけに幸せを獲得する権利がある。死ね。 言ってしまえば、液体が一滴肌に触れているだけ。ただそれだけなのに、いままで食らったどんな攻撃よりも重たかった。水の一滴は、どこまでも死を運んできた。 じわりと目がかすんできて、自分の体が自分のものでないような感覚。左手が勝手に動いて、俺はなぜだか自分の首を絞め始めた。 ぼんやりとした頭の中に入り込んでくる『死ね』。ぎりぎりと力を込める左手。そして、動かしているつもりもないのに、それに対抗するように首から左手を外そうとする右手。「……、……ぁ、あ?」 声が聞こえる。死ねって。 でも、それ以外も、たくさん聞こえる。 ディフェっちゃんって。頑張れって。ディフェクトって。負けるなって。プロダクトって。生きろって。助けてあげてって。救えって。死ぬなって。兄さんって。 どいつもコイツもがすっからかんのずたボロで、しかしどいつもこいつも背中を押してくれる。「───死ぬ、かよぉ……!」 一歩、足を進めた。 防衛プログラムの前まで来ると、ソレは悲しげに首を振るばかりだった。 苦しい。息が詰まる。早くしろよ。さっさと来いよ。原作にはねぇ展開だぜ。誰も彼もがハッピーエンドだぜ。これ以上ないほどの原作レイプだぜ。 しかし紫のヴィータは首を振る。「来い、よッ!」 首を振る。「来いよッ!」 首を振る。「うる、せぇんだよッ! 俺が、珍しく、関係ねぇ奴ッ、助けてやろうとしてん、だぞ!」 無理だと、ソレは言った。初めて聞いた声だった。ヴィータのそれとそっくりというよりも、まったく同じものだった。 ただ、本物と違って乱暴な話し方ではなく、静かに落ち着きがあって、それでいてどこまでも悲しげだった。 たとえ自分以外の全てを消してしまったところで、コアの私が居る限り、この闇は再生する。それは管制プログラムにもいえたことで、私たちを消さねば、この闇は終わらない、とかなんとか。 はあ? 原作見てた俺がその程度の対策も考えずにここまで来てると思ってんのかテメェ。 俺はなぁ、俺のデバイスはなぁ───、「げほッ、ごいつさぁ、シェルブリットって、いうんだけどさぁ……」 ジュエルシードのせいで、「く、はははっ、ブラックボックスに、繋がるシステム、がさぁ……、ユルユルの、ガバガバなんだとよぉ……」 ほら、言ってたじゃん。正確にはnanoAs03-ザ・パーソン・フー・アクセラレイツで言ってたじゃん。全然気持ちよくないって。 ブラックボックスに繋がるシステムっていうと、要するにジュドーが居たあそこである。あそこにはプレシアが何度も何度も何度も何度も『アリシア』を転写しまくって、その人格が大量発生したという実績を持つポイントである。 人格ってのは、それだけでどの程度の容量がある? 正確には測れないけど、それだけで膨大な容量になるのは目に見えている。だから普通のデバイスにある人格は、もちろん一つ。 だけどこの変態デバイスシェルブリット・アリシアといえば、人格変更という謎の機構や、その変更する人格をとどめておくだけの、果てしない容量を持っている。だからこいつと覚えてしりとりをすると絶対負ける。なぜならこいつは忘れない。今まであったこと全てを覚えているから。 そのシェルブリットに、闇の書の半分である防衛プログラム程度が、食えないはずが無い。「お前、ら……たしかに、運が無かったぜ……、なんたって、その時代、には俺が居なかった……」 ただ、今は? 死にたくないって、幸せになりたいって、どこまでも思い続けてきたこいつらの願いは? そこまで考えると、首を絞めていた左手から力が抜けた。右手が左手をめっ! と一発はたき、「全部、食ってやる」 行くぞ、シェル。これで最後だ。「俺とぉ……」『───わ、たし、───の』 堅く拳を固めた。 紫のヴィータは何もアクションをおこさず、ただ涙を流すばかりだった。死ね死ね言ってた願いたちも、いつしかしんと静まって、自分の鼓動ばかりが耳につく。 はっ、と思わず笑いが出てきた。手のひら返したように黙り込んだ願いたちが、あまりに純粋に思えた。 ああ、誰だってそうだ。死にたくなんか無い。実に正しい。幸せになったって、幸せになったからこそ、死にたくなんか、ねぇよな。 だからここで終わらせるんだよ。 俺とシェルの、「自慢のぉ」 そして、「こぶしでえええええええええええええええええ!!!」 全てを取り込んだ。◇◆◇ ああ~、終わった終わった。やっと終わった。マジエース長かった。ほんと何度諦めかけたかわからん。 いつの間にか落ちていた意識。夢見心地でそんなことを考えた。 こんなこと考えられるって事は、俺は死んでいないって事で、要するに、ウルトラハッピーエンド達成ってことではござらんか? ゆっくりと目を開くと、天井は遠かった。「……は?」 きらびやかに輝くそこ。なんかどっかで見たこと───、「あ、起きた?」「お、おお、フェイ、ト……?」 じゃない。俺の妹はこんなに幼くない。そしてこんな邪悪な笑みを浮かべない。 ……ご対面か。まさかのご対面か。始めましてこんにちは。ディフェクト・プロダクトです。混乱です。 えと、え? シェル、だよね? シェルブリットさんですよね?「あれか、ここお前の中か」「うん、そうだよ」「お前の口調に違和感しか感じねぇ」「いいじゃない、せっかくこっちに来たんだから。こんなお姉ちゃん見るの初めてでしょ?」「……おう」「アリシアってよんで」「アリシア」「……えへへ」 そういってアリシアは少しだけ顔を俯け、前髪を気にするように手で撫で付けた。 そうか、こいつがちんぽとかおちんぽとか○○○とか言ってたのか……すげぇ嫌だな。「んで、アイツは?」「居るよ」 アリシアが指差したほうを見ると、防衛プログラムは所在無さ気にもじもじと身をよじっていた。 ヴィータと瓜二つ。違いは毛色が紫なだけ。 ちょいちょいと手招きすると一瞬身を硬くし、諦めたようにゆっくりと歩み寄ってくる。……なんだか今までに無いキャラだな。可愛いじゃないか。 目の前まで来ると、ぺたりと腰を下ろした。視線がうろうろとあっちへ行ったりこっちへ行ったり定まらない。なんかしたか、俺?「よぉ」「よ、よぉ」「俺ディフェクトって言うんだけど、分かる?」「わかります。本の中から見てました」 ああ、その辺はリィンフォースと一緒なのね。「まぁ、ちっとばっかしここで我慢しててくれよ。媒体作って、お前はそっちに移すから」 この辺はユーノとシステルさん頼りだからな。 結局のところ、暴走の原因はあのドロドロした願いの泥で、こいつ自体はヴィータを食ったときに発生したバグだ。こいつを外に出したところで問題は無い。 問題は一緒に取り込んだ願いたち。アレを抱えて生きていくのかと思うと実に憂鬱になるね。ヒィハァー。「か、管制プログラムは大丈夫でしょうか? 私を再生してしまうんじゃ……」「再生? お前はここに居んだろ。すでにあるものをどうやって『再生』すんだよ」「え、と……」 そういうことである。リィンフォースは防衛プログラムが再生してしまうから自ら消えた。 しかし、今回その切り離すべき防衛プログラムはここにあるのだ。 ちょっとした抜け道みたいなもんである。在るはずなのに、無い。無いはずなのに、在る。リィンフォースも今頃混乱して居るだろう。再生するはずなのに、それはすでにそこに在るって事になってるから。 ま、これにて一件落着。「あ、あの……」「ん?」「あの、私……」「んだよ」 紫色のヴィータは、ゆっくりと笑顔を作った。「ありがとう、ございました……。ほんとうに、ほんとうに……」「おう」 べ、別にあんたの為にやったんじゃないんだからねっ! 適当にツンデレてみて、はてさて、俺はいつまでここに居るんだろうか。 さっさと表に出てみんなと喜びを分かち合いたいんだが……ていうか表の俺は誰も入ってないんだろう? 一体全体どんな状況なの? 死んじゃったりとかしないよね?「アリシア、俺の身体は大丈夫なのか?」「白目むいて泡吹いてたよ」「カニか」「本物の肉の塊ね」 アリシアがケケと笑いながらそんなことを言った。相変わらずなにやら邪悪なものを感じさせる笑いだが……まぁ、ここもそんなに悪くないかもしれない。 だって、シェルの笑顔が見れるのなんて、ここだけっしょ。 ゆっくり行こうぜ。ストライカーズまで十年もあんだから。ゆっくりゆっくり。じっくりじっくり。 昼寝したって、先に進むべき足をちょっとくらい止めたって、それでもいい。 だって、これってハッピーエンドだろ?