片舷54門の大砲が一斉に火を噴いた。
轟音、大気を叩く発破が雲の中に隠れる、俺たちが乗る『イーグル号』に振動を伝えた。
「クッ」
苦しそうな呻きをもらしたのはウェールズ、雲の切れ目から見上げるのは巨大なフネ。
『ロイヤル・ソヴリン<王権>』と名が付いていた、この世界屈指の巨大戦艦。
今では反乱軍の手に落ち、反乱軍が始めて勝利した戦地から取って『レキシントン』と改名されている。
高い攻撃力、竜騎兵の搭載機能など、屈指と言えるだけの性能を持ち合わせていた。
そのレキシントン号の舷側から現れ出たのは砲門、片方54門の発射口が一斉に火を噴いていた。
狙いはアルビオン王家の最後の砦、ニューカッスルの城だった。
「ああやって、時折城へ向けて砲撃してくる。 叛徒どもは我々の精神を削り甚振っているのさ」
文字通り、苦虫を噛み潰したような表情のウェールズ。
相当悔しいのだろう、良いようにされっ放しなどと。
「あんな物、まともに相手は出来ないでしょうね……」
高機動戦艦なら或いは、といった感じもしなくは無い。
といってもそんな概念は無いに等しいこの世界、大型小型で巡航速度の違いは有るものの、大体は近い速度しか出ない。
風石は浮かぶ事しか出来ず、推力を生み出しはしない。
ほぼ全てのフネの推力は、マストに張った帆、そこで受けた風によって進む。
プロペラで推力を得たり、ジェットエンジンで加速したりなんてしない。
プロペラ使って推進力得たのはコルベールが作ったフネが世界初じゃなかったっけ。
「ああ、あのような化け物を相手に出来るフネはほとんど無いだろう。 勿論我々のフネもその例外に無い、だから身を潜めて我々しか知らない秘密の港へ行くのさ」
自嘲した笑みでウェールズが呟いた。
タイトル「フネは空、船は海、この微妙なニュアンスはめんどい」
視界ゼロといって良い雲中を進む。
見えはしないが、上にはアルビオン大陸があるだろう。
そのでっかい大陸の下を通れば、当然日なんて届かない。
慣れない船員なら簡単に上にある大地にぶつかり、座礁してしまうが
王立空軍航空士は何ら問題なく、的確に自身が居る場所を割り出して進んでいく。
湿った雲、水分を多量に含んだ霧に近い雲がひんやりと冷え、甲板に居る全員の頬を撫でる。
進む、杖先から灯される光で周囲を確認、さらに進む。
それを何度も繰り返していれば、雲が薄くなった空域に出る。
見れば真上、縦に並べたイーグル号が三艘入りそうなほど大きな穴が開いていた。
レキシントン号でも十分に入れるだろう、それほどまでの大穴。
「この大穴はニューカッスル城の秘密港に続いている」
明かりを灯したまま、大穴に入り込むイーグル号。
その後に続くのは、ラ・ロシェールでルイズ達が乗り込んだ『マリー・ガラント』号。
操舵するのはイーグル号に乗っていた船員だった。
湿った、鍾乳洞内。
進むにつれ、光が増していく。
見れば岩壁に生え覆う、白い光を放つコケが見える。
数がそろえば、日中のような明るさで鍾乳洞内を照らしていた。
「着岸! 船降ろし準備!」
「アイサー!」
フネが流れぬよう幾つもの紐で固定され、それを確認してから手押しでタラップを取り付ける。
「それでは行こうか、大使殿」
「はい」
ウェールズとルイズ、その後に続く才人とワルド。
タラップに足をかけて、港へ降りた。
そこを待っていたのは、年老いたメイジ。
「おお、パリー! 今日は途轍もなく良い戦果だったぞ!」
「ほお、殿下がそこまで言うほどの物ですかな?」
「ああ、硫黄だ、硫黄! それも大量にだ!」
両腕を広げ、大声で最高だと言ってのけるウェールズの声に、この港を警備している兵士達が声を上げる。
「硫黄だって?」
「本当か! これなら……」
「殿下が持ち帰った戦果、火の秘薬とは!」
次々に上がる声、それは波となってすぐさま大きな歓声になった。
「うおぉぉー! これで叛徒どもに一矢報えるぞ!」
と、奮い立たせるような歓声だった。
それを聞いたウェールズは頷き、パリーと呼ばれた老メイジは涙を零す。
「殿下、わたくしは今日ほど嬉しい日は……、いえ、先の陛下に御仕えした時、殿下がお生まれになった日を除けば一番ですぞ!」
「ああ、これで王家の名誉と誇りを、栄光ある敗北を見せ付ける事が出来る」
「そうでありましょう、明日にも名誉と誇りを見せ付ける事が出来ましょう」
「……ほう、明日か」
「はい、明日の正午に攻城を開始すると、忌々しい叛徒どもが旨を伝えてきおりました」
「そうか、間に合ってよかった」
「はい、戦に間に合わぬなどと恥以上でありましょうぞ!」
談笑、その内容は明日にでも自分達が死ぬだろうと言う話。
死を受け入れ恐怖する、その中で笑みを零すとは如何程の精神か……。
「して、そちらの方々は何方で?」
「ああ、トリステインからの大使殿だ。 重要な用件で王国に参られたのだ、丁重に持て成してくれ」
ほんの一瞬、パリーの顔が怪訝な表情となり、すぐ笑みに変化した。
「これはこれは大使殿、わたくしめは殿下の侍従を仰せつかっております、パリーと申します」
仰々しくも優雅に、頭を下げた。
それに返し、同じように頭を下げる。
「遠路遥々ようこそお出で下さいました。 大した持て成しは出来ませぬが、今宵は祝宴が催されますのでぜひともご出席くださいませ」
ルイズたちはウェールズに付いて歩き、天守閣の一部屋に入る。
部屋の中は質素の一言、木製のベットに机と椅子の一セット、壁には戦いの模様を記したタペストリーが貼られている。
一国の皇太子がこのような部屋で就寝しているとは思えない部屋だった。
その部屋においてある机に歩み寄るウェールズ、引き出しを開けて取り出したのは宝石箱。
首にかけていたネックレスをはずし、その先端に付いていた鍵を宝石箱の鍵穴に差し込む。
カチリと、鍵を開けて蓋を開ければ目に入るのはアンリエッタの肖像画。
蓋の裏に愛する人が描かれた宝石箱の中に、愛する人が書いた手紙。
「それは……」
「……大切な宝箱でね」
宝石箱を見つめて嬉しそうに呟くウェールズ、その中から手紙を取り出した。
見れば擦れて、端々が切れ切れになっていた。
愛し惜しい様に口付け、手紙を開いて心に刻み付けるように読み直す。
「……これが件の手紙だ、確かに返却した」
「はい、確かに」
同じく引き出しから取り出した封筒に手紙を入れ、ルイズに手渡すウェールズ。
「明日の朝にイーグル号が非戦闘員を乗せて出港する、大使殿はそれに乗って帰りなさい」
「……はい」
原作ならここでルイズが問うただろう、何故戦うのか、死ぬと分かって逃げないのかと。
意味の無い問答を、貴族の、王族の誇りを理解しているだろうルイズが問うたのだ。
『死して誉れ』なんて言葉が出るような、ルイズであったはずなのに。
そう考えて、ウェールズを見た。
「……ラ・ヴァリエール嬢、何か用があるのかね?」
「一つだけ、お聞きしたいことがあります」
「何なりと申してみよ」
「……二人とも、皇太子殿下と二人きりにして貰えないかしら」
少し俯き、視線を外す。
二人は見ない、見る意味が無い。
「……何か大事な問いであるようだ、申し訳無いが席を外してくれ」
才人とワルド、互いにルイズとウェールズを見て返事を返す。
「はい」
「分かりました」
頷いて外に出る二人。
それから数秒、保っていた沈黙を破る。
「最後にお会いしたのは3年ほど昔の事でしたでしょうか」
「……申し訳ない、何処で会ったか……」
毎日何百人もの貴族に会ったりするから、全部は覚えきれないだろうな。
ましてや他国の貴族、王族とか主要な人物で無い限り記憶に留めるのは難しい。
「3年前、マリアンヌ皇太后様の御誕生日に祝う席にて」
「……そうか、あの時の日に」
「はい、勿体無くもあの時、アンの影武者を務める事に相成りました」
「桃色がかったブロンド……、まさかとは思ったがアンリエッタが言っていた影武者は、ラ・ヴァリエール嬢だったのか!」
「はい、あの時にアンと皇太子殿下がお会いになっていた事も知っていました」
ラグドリアン湖で水浴びをしていたアンリエッタを見つけたウェールズ。
何を喋っていたのかはもう覚えていないが、何度も逢瀬を重ねたのは知っている。
「アンが、皇太子殿下に水精霊の御許で誓いを交わしたのも」
「それも知っているのかい……?」
「いいえ、推測に御座いました」
「……またしてやられたね」
知っているから、口にした。
推測と言うのは、今のような発言が出たから言っただけ。
「それで、聞きたい事とは?」
「皇太子殿下は姫殿下を、アンを愛していますか?」
「……何を」
「密書の末尾、その言葉の返礼を」
「あの言葉、ラ・ヴァリエール嬢が……?」
「はい、皇太子殿下が決して受け入れぬだろう言葉の代わりに」
「………」
瞼を閉じて、肩が、少しだけ震えていた。
「……ラ・ヴァリエール嬢、私は──」
「私はウェールズに聞いているのです。 アルビオン国皇太子、ウェールズ・テューダーに聞いているのでは有りません」
「……それが、どのような事か分かって言っているのかね?」
「はい、貫く覚悟をお持ちの方にお聞きするのです。 それ相応の罰を受ける覚悟もあります」
この人柄だ、いきなり縛り首などは無いだろうが……聞かなきゃよかったか。
だが、あの一言を書かせたのは俺だ。
だから聞いておく、一人の男、ウェールズが、一人の女、アンリエッタをどう思っているか。
言葉で現したいと、何度も心の中で呟いただろう、呪文を。
「……私は、私は」
「………」
「私は、アンリエッタを『好き』だった」
それを聞いて瞼を閉じる。
……例え二人っきりでも、例えただの男でも、例え明日に死ぬ身であろうと、言えないのか。
「……ありがとう御座います、これでアンも皇太子を……」
諦めきれないだろう、残照のように、心にウェールズを焼き付けて。
ウェールズと近い年頃の男、才人と重ね合わせるだろう。
悲しみで、ウェールズを求める。
「感謝する、ラ・ヴァリエール嬢。 君が大使で良かった、こんなにも心に残せるとは……」
……良かったのか、好きな人と一緒に居れない事が。
恋した事も、愛した事も無い俺が。
つまらない人生だったと言われるような俺でも、好きな人が出来たら一緒に居たいと思ったのに……。
「……さぁ、そろそろパーティーの時間だ。 君達は我等アルビオン王国が迎える最後の来賓だ、是非とも出席して欲しい」
その言葉に、すぐに頷く事は出来なかった。
課せられた責務は個人を縛る。
その位置が高ければ高いほど、締め付ける。
先のウェールズのように、愛している人に愛してると言えないような。
言動を縛る、唯一自由なのは心だけか……。
「ずいぶん豪勢だなぁ、……やけっぱちに見えるぜ」
「強ち間違いじゃないわね」
パーティー会場の端で、開かれる祝宴を見つめる二人。
そこへワルドが相槌を入れる。
「気を付け給え、貴族は誇りと名誉を譲れないのだ。 決して自棄になっている訳ではない」
こいつ、何時仕掛けてくる気だ?
知らぬ間に俺との結婚の神父役をウェールズに頼んでいた訳ではないし。
普通に考えれば、俺とウェールズとワルドの3人きりになった時ぐらいしか……。
先にウェールズでも仕留めてから、俺を狙うか……? 逆もありえる。
考えていれば、会場にウェールズが現れた。
あんな美形が現れれば黄色い声も上がるわな。
アルビオン貴族や貴婦人に挨拶をしながら王座へ向かう。
王座に座るジェームズ一世の耳に口を寄せて、耳打ち。
それを聞いて、ウェールズに支えられながら立ち上がるジェームズ一世。
「皆の者、今までよくこの無能な王に付いて来てくれた。 朕を支え、立たせてくれた忠臣たちよ。 明日の正午、我等王軍に反乱軍、『レコン・キスタ』が総攻撃を仕掛けてくる」
パーティー会場を一望、一人一人に視線を合わせるように見渡す。
「その時には、既に戦争、戦いではなくなるだろう。 攻撃は一方的な虐殺へと変わるだろう。 ……朕は諸君等が魔法で焼かれ、切り裂かれ、貫かれる姿を見とうない。 剣に、槍に、鉄砲に、傷つき倒れる姿を見とうない」
区切ると同時に咳、血を吐きそうな勢いで咽た後、何とか抑えて声を出す。
「故に、朕は諸君等に暇を出す。 明日の正午前にイーグル号がここを離れる、諸君等もこれに乗り、アルビオンから離れるが良い」
王の命、勅命として扱われる言葉に誰も答えない。
「おや、陛下が何かを喋っておらせられる! 大変申し訳ありませぬが、もう一度陛下の御声をお聞かせ願えぬでしょうか!」
「確かに、陛下には大変失礼を! もしかすると『全軍前へ! 叛徒どもを殲滅せよ!』との御言葉かもしれん!」
「おお! さすが陛下で在らせられる! 当にこの身は王へと忠誠を誓っておるのに、益々傾倒してしまうではありませんか!」
誰一人、先の言葉に頷く者は居ない。
答えるのは軽口で、王を称え、進軍の命令を望む声ばかり。
「ばかものどもめが……」
小さく、ウェールズだけに聞こえるように呟くジェームズ一世
「そこまで朕の命を受けたくば聞くが良い! 敵を殲滅せよ! 名誉と誇りを汚す者どもを悉く薙ぎ払うのだ!」
「おおぉぉぉぉ!!」
重なる声、戦意は漲り、今にも出撃しそうなほどの熱気。
「だがしかし! 今宵は祝宴である! よく食べ、よく踊り、よく歌え! 戦うのは明日からで十分じゃ!」
「確かに確かに! さぁ、皆の者! 今宵の馳走は一品であるぞ!」
一気に騒がしさは増す。
こっちに気が付いたアルビオン貴族が次々と酒や料理を進めてくる。
それを失礼にならない程度に受け流す。
彼等が陽気に振舞うのを見ていて辛くなったのだろう、才人が肩を落としていた。
「サイト、嫌なら出ても良いのよ」
「……いや、居るよ」
「そう、無理しちゃ駄目よ」
「……ああ」
次々と来る貴族と歓談、会話に入れなかった才人は壁際に寄って座り込んだ。
「何でだよ……」
呟く、何であんなに楽しそうに出来るのか分からなかった。
もっと泣いて、怖がって、逃げ出しても良いじゃねぇかと、考える。
何で、笑えるんだよと、考え続ける。
そんな考えの才人に気が付いたのはウェールズ。
囲んでいた貴婦人達に断りを入れて、才人に歩み寄った。
「君はラ・ヴァリエール嬢の使い魔君だったね?」
「はい」
立ち上がってウェールズの問いに答える。
「トリステインは人を使い魔にするのか、変わってる国だね」
「トリステインでも珍しいですよ」
なんたって今のところ、3人しか人の使い魔は居ないらしいし。
「……どうしたんだい? 顔色が悪いようだが、気分でも?」
「ちょっと気分悪いです、その、あの人たちを見て」
「何故だい?」
「……無理に明るく振舞ってるようにしか見えなくて、死ぬのが怖くないのかなと」
「心配してくれるのかい? ……君は優しいな」
「んなこと、ないっすよ……」
「ははは、ラ・ヴァリエール嬢のようだ。 二人して私たちを心配してくれている」
ルイズの名を聞いて、顔を上げる。
「死ぬのが怖くない、なんて人間は居ると思うかい?」
「……居ないと思います」
「だろう? 僕だって怖いさ、勿論彼等もね」
「ならなんで!」
「……君ならどうする? 君の大切な者が危なくなって、自分しか立ち向かえなかったら、君はどうする?」
「……そりゃあ戦うと思います」
「そう言う事だよ、僕達は守りたいものがあるから戦う。 決して譲れぬ大切な者の為に戦うんだ」
「それで、死ぬとしてもですか?」
「勿論だとも」
わからなかった、何故ここまで覚悟を決めれるのか。
大切なものを守りたいのは分かる、だけどそれのために残された者はどうなるんだ?
泣いて悲しむだろう、自分のために死んだと聞いて怒る人も居るかもしれない。
あの姫様だって、皇太子の事を愛していて、死んだらあの時以上に泣くかもしれない。
「泣きますよ、お姫様」
「……ああ、泣くかもしれないね」
「絶対に泣くと思いますよ」
「そう、なるだろうね」
「泣かせないようにする事も、出来るんじゃないんすか?」
「……そうすれば、トリステインにとってとても不味い事になるだろう。 私が亡命などすれば、城を落とすより先に、トリステインを攻める事になるだろう」
喉が詰まる、言葉が出ない。
何か言いたいのに、何も言えない。
「……今のはアンリエッタに言わないでくれよ? あの愛らしい花が涙で濡れるなんて嫌だからね」
「もう、泣いてます」
「……そうだったね」
どうしても、お姫様を泣かせなければいけないのか。
これ以上言っても、ウェールズの心を変えられないんじゃないかと、考える。
「……それじゃあ、僕は戻るよ。 これ以上待たせると何か言われるだろうしね」
踵を返して、中心へ戻っていくウェールズ。
ただ見送るだけしか、才人は出来なかった。
翌朝、目が覚めれば来賓室だった。
起き上がってみるが、才人の姿は見えない。
「………」
それだけだ、それだけで嫌な予感が走った。
致命的なミスを犯した気がした、昨日だって今日に備えて殆どワイン飲まなかったのに。
そんな一杯二杯で酔いつぶれるほど酒に弱くはない、なら何故?
立ち上がって、ふら付きながらドアに駆け寄る。
浮かぶ疑問を後回しにして、ノブに手を当てまわす。
開けば。
「やぁ、ルイズ。 やっと起きたかい?」
手に杖を持って、笑顔を浮かべるワルドが立っていた。