『む、書いてないな……』
ノートを捲るが今回のことは書かれていなかった。
才人がシエスタを押し倒す……、やっぱり無い。
その次に来るのは『ゼロ戦回収』、その次が『結婚式で開戦』。
これを書いたときの俺も、細部は覚えていなかった。
『多分どこかへ行く、でもどこに行くか分からない……』
間に入る、言っちゃ悪いがどうでも良い話。
まさに間話、こっからゼロ戦回収の流れに入ると思うんだが……。
何時帰ってくるか……、後でも付けてみるか?
一人……では無理だな、色々な理由で。
『帰ってくるまで待っとくか』
ベッドに寝転がり、ノートのページを捲って次を進展を覚えておく事にした。
タイトル「幸せなんて人それぞれ」
ヴェストリの広場の片隅。
無言で剣を振る人物、才人が居た。
「フッ、フッ、フッ」
一振り毎に強風音、振り上げて下ろす。
振るだけでも筋力トレーニングになると、ルイズの言っていた事をこなしていた。
あんな風に言われて、何も教えてくれないルイズにイラっだってはしても、その言葉が間違いだとは思わなかった才人。
デルフも同意して、今に至る。
正直やる事が無い、本来なら今頃掃除でもしていただろうが……。
「はぁ……」
剣を下ろして、その場に座り込む。
あれは俺のせいじゃねぇよ、と考えつつもシエスタのせいにするわけでもなく。
じゃあ誰のせいだと考えて、やっぱ俺のせいかな……と考える。
でもやっぱり俺のせいじゃねぇよ、と思考のループに陥っていた才人。
一人では抜ける事適わない現状に頭が沸騰、喉が渇いて近くにあった瓶を手に取ってラッパ飲み。
それはワインで数分もすれば酔いが回り始め、木の棒とボロ布を使って作られているテントの中に転がり込んだ。
「おーい、ヴェルダンデ! どこに居るんだい、ヴェルダンデ!」
愛しの使い魔、ヴェルダンデを探しに来て見れば。
「……何だこれは?」
ボロっちい布で作られた三角錐の、テントっぽいものが設置されている。
周りを見れば瓶とか、籠とか、食べかすのようなものが散乱していた。
誰か居るのか? と中から光っているテントの中を覗き込めば。
「モグモグ!」
「ああ! ヴェルダンデ! こんな所──」
這い出て来ようとしたヴェルダンデがすぐさま中に引き込まれた。
「な、なに!?」
すぐに追いかけてテントの中を見れば。
「いいじゃねぇか、俺の酒が飲めおうぅぇぁ!」
「……こんなところで何をしているのだね、サイト」
泥酔した才人が、ヴェルダンデを抱き枕のように掴んでいた。
その手には剣が握られており、如何に人以上の力を持つヴェルダンデでも、強化された才人の膂力から逃れる事は難しかった。
おかしな声を、吐きそうな声を上げる才人を見て呆れるギーシュ。
「おや? 君はキュルケの使い魔じゃないか。 まさか君も引きずり込まれたのかね」
「きゅるきゅる」
見ればキュルケの使い魔、フレイムも居た。
その口には肉が銜えられており、自前の火炎で肉を炙ってすぐにほお張る。
セルフ調理、テントの中にはなんとも美味しそうな、肉の焼ける匂いが漂っていた。
「……そうか、それは大変な目に。 ……サイト、いい加減ヴェルダンデを離したまえ!」
狭いテントの中でヴェルダンデを抱えて転がる才人。
ゆうに100キロを超えるヴェルダンデを平然と転がすのはガンダールヴだから可能であった。
まさにカオス、このテントの中に限ってはいろんな法則が乱れていた。
「ええい! 離した──ゥゴア!」
外にまで転がりだしてきた才人とヴェルダンデに轢かれるギーシュ。
ピクピクと痙攣するギーシュ、それを見ながらワイン瓶を大きく呷った。
そんな惨状を見て、小走りでやってきたのはシエスタ。
「遅くなりました! って、サイトさん!」
「うぇーい」
「もうこんなに飲んで! 一日一本って言ったじゃないですか!」
「う、しゅいません」
ヴェルダンデを離し、すぐさま正座して謝る才人。
「貴方達も! ちゃんと見ててくださいって言ったじゃないですか!」
「す、すまねぇ……」
「きゅるる……」
怒るシエスタに押されて、すぐに謝るデルフとフレイム。
それを聞いて、轢かれえて痙攣しているギーシュを横目に、テントの周りを素早く片付ける。
「サイトさん、これお昼ご飯です。 私の分もありますから一緒に食べましょう」
「ふぁい」
正座していた才人を立たせて、服に付いていた土埃を払い落とす。
そのまま手を取って、テントから少し離れた場所で籠を開き、中から料理を取り出していく。
「はい、あーん」
「あーん」
食べ続ける二人をよそに、ギーシュは今だ倒れ伏していた。
「……別の借りてこようかしら」
自室にて椅子に座り、足を組んで読書に耽る。
手には一冊の本と、テーブルの上に数冊の本。
図書館、それも教師しか閲覧許可を出されていない『フェニアのライブラリー』に置かれている書物だった。
オスマンに虚無を調べる、なんて口実に有益になりそうな本を片っ端から借りてきて読む。
タバサほどの活字中毒ではないが、それに次ぎそうなくらい読んでいると言う自覚は有る。
どっかの誰かさんが『知識は宝だ』とか言ってた気がするし、覚えておいて損は無いだろう。
つか、ルイズの記憶力半端じゃないね。 スポンジが水を吸い込むように覚えていくわ。
「あら、元気そうね」
「……キュルケ、ノックした?」
「したわよ、夢中になって読んでたんでしょう」
「そう言う事にしておくわ、それで何か用?」
本から視線を上げれば、ドア前に立っていたのはキュルケ。
「貴女が三日も休んでいるから、心配してきたんじゃないの」
そういやもう三日も休んでたな、コルベールの授業が無かったから行く気は元より無かったけど。
「そうなの、ありがと」
すぐに本へ視線を落とす、今良い所で考えながら読むには丁度良い箇所。
正直余り邪魔して欲しくは無いが、別の思考も入れながら読むには良いかもしれん。
「ギーシュが言ってたわよ、ルイズが使い魔を追い出したって」
「ええ」
「それで、追い出した理由を聞いても良い?」
「サイトがシエスタと人のベッドでいちゃついてたから、で良いわね」
「……それを見てあなたは追い出した、ってこと?」
「そう言う事にしといて」
いい加減な物言いに眉を潜めるキュルケ。
歩み寄ってもう一脚の椅子に座る。
「ちゃんと答えなさいよ、貴女はどうして追い出したのよ?」
「そう……修練、ね」
「修練?」
「そ、剣士としての修練」
訓練、ねぇ……と訝しげな表情を浮かべたキュルケ。
「……今のままじゃ折れそうだもの」
ページを捲りながら、そう言ったルイズ。
その可愛らしい表情は、少し歪んでいた。
「ねぇキュルケ、サイトをどこかに誘ってくれない?」
「……どこに?」
内心跳ね上がった、どうして才人を誘おうとしているのを知ったのか、と。
「どこでも良いわ、平民では危険だけど、メイジならそうでもない場所、そんな都合の良いところ無いかしら……」
はぁ、とため息を付きつつ、こちらを見るルイズ。
その後、読み終わったのか本を閉じてテーブルの上に置いた。
「そうねぇ……、当てがあるからそこへ連れて行ってあげましょうか?」
「……それは良いわね、お願いして良いかしら?」
「勿論よ、つまらない授業よりよっぽど有意義よ」
笑って返すルイズ。
それに任せなさい、と言って返した。
その日の夜、ボロっちいテントの前に現れたのはキュルケ。
テントの中は明るく照らされているようで、入り口らしき所から光が漏れ出していた。
そのボロ布を捲ると。
「ばきゃよー! なにがひみるら! だへりのいられーってのー!」
「ぼくはねー! うわひなんきゃしてらいってー! ちょぉーっとね、キスしただけじゃらいかー」
グデングデン、もう前後不覚になりそうなほど酔っ払いが二人居た。
「ずいぶんと楽しそうねぇ、私も入れてくれる?」
「キュウケ? いいよいいよー、はいっちゃってー!」
「お邪魔するわね」
「どうぞどうぞ、これでもどぞー!」
強引に酒を進めてくるギーシュに杖を一振り、炎が噴出し一瞬でギーシュに巻きついて燃え上がる。
「目は覚めた? あんな状態でお話なんて出来ないから」
「……はい」
絶妙なコントロールで二人を傷つけずに衣服の一部を燃やし尽くした
勿論周囲も燃やし尽くされており、テントは丸ごと無くなっていた。
「それじゃあ、行きましょう」
「行きましょう、ってどこに?」
「宝探しよ」
放り投げるようにばら撒いたのは地図。
真新しいのやら、擦り切れ茶色く変色した物まで。
それを拾い上げたギーシュが呟いた。
「……キュルケ、これはどう見ても偽者じゃあないのか?」
「かも知れないわね、色んなとこ回ってかき集めたんだから」
「思いっきりまがい物じゃないか、こんな物にお金出して破産した貴族だって何人も知ってるよ」
「そういう人も居るでしょう、でもね、この中に本物の『宝の地図』が無いなんて断言できないでしょう?」
「む」
確かにそうだが……、と考え始めていたギーシュ。
それを無視して才人に寄った。
「ねぇサイト、ルイズの事気に入ってないんでしょう?」
「……そんな事は」
「あら、私にはそう見えないわよ? どうせルイズが何にも聞かないで追い出したりしたんでしょう?」
だめよねぇルイズったら、最初こそは普通に扱っていたようだけど、自分で召喚しておいてちょっと他の女を見ただけで言い訳一つさせないで追い出して、責任取らずに放っておくなんて貴族の片隅にも──。
「うるせぇ!」
キュルケにここまで言われて、ムカ付いた。
あの時のギーシュもそうだ、何も知らないでただ見て、上面だけ見て好き勝手に言いやがる!
本当の自分をさらけ出さないのは、お前ら貴族を信用すらしてないってことだろ!
「何も、何も本当のルイズを知らないで勝手な事言うなよ!」
それを聞いて驚くギーシュとキュルケ。
言ってからしまったと気が付いた。
「……あらあら、ここまでルイズの事信頼してるなんて思わなかったわ」
「いや、まったく。 十分に君は使い魔だね」
「いや、あの、これはですね……」
「サイト、貴方はルイズの前でカッコいい姿を見せれなかったから苛ついてたんじゃない?」
「そんな事は……」
……無いと思う、だってワルドを撃退した時だって……ルイズ見てただろうか。
いやいや、カッコいいところを見せられなくて苛ついてるんじゃない。
何も教えてくれないから苛立ってるわけで、ちゃんとした説明があればこんな事にならなかったわけで。
「そんな貴方にこれよ、これ!」
宝の地図、どうしてこれがそれに繋がるんだろうか。
「多分野生のオーク鬼とかも居るでしょうし、ストレス発散も出来るわよ?」
普通そんな危険がある場所に誘う?
そう思う才人とギーシュだった。
「ギーシュもどう? 宝を見つけてお姫様にプレゼントすれば……」
「よし、行こうか」
「簡単に乗せられてんじゃねーよ」
「サイトはどうするの? これを修練だと思ってやれば良いじゃない、終わって一回り成長したんだって見せ付ければ良いじゃないの」
むぅ……、強くなる → 信頼してもらえる → 色々教えてくれる → 万事解決。
「その話、乗った!」
才人も単純だった。
「駄目ですダメですだめです! そんな危険なところにサイトさんを行かせられません!」
と断固として拒否したのはシエスタ。
どこら辺から話を聞いていたのか気になるが。
「サイトさんはそんな危険な所に行かなくてもいいんです!」
「貴女、サイトが強くなるのを邪魔するの?」
「サイトさんは十分に強いです! 其方の貴族様を倒したじゃありませんか!」
「ギーシュはドットなのよ? 平民でも倒せるくらいに弱いのよ?」
グハッ! と倒れるギーシュ。
才人はその肩を叩いてやる。
「十分です、サイトさんが剣を振るえばどんなメイジ様だって倒して見せます!」
そういって才人の左腕を引っ張るシエスタ。
脱いだらすごい胸の感触が、左腕に伝わっている。
「そんなの分からないわよ! ギーシュより強いメイジなんて幾らでも居るんだから!」
キュルケもそう言って才人の右腕を引っ張る。
はちきれんばかりの胸が強く押し付けられる。
才人は極楽を味わってうっとりしていた。
「サイト!」
「サイトさん!」
「どっちか」
「決めて」
「ください!」
「え?」
「決めて!」
「ください!」
……どうしよう、どっち選んでもあんまりいい感じがしない、と考える才人。
「俺は……、宝探しに行くよ。 強くならないとダメだし」
キュルケは嬉しそうに、シエスタは悲しそうな表情。
「な、なら私も連れてってください!」
「だめよ、平民なんか連れて行っても足手まといになるだけじゃない」
「いいえ! 連れて行ってもらいます! それに私は料理ができますよ? お口の肥えた貴族様方は、簡単な料理に満足できるんですか?」
「……そうね、でも貴女の仕事はどうするの?」
「大丈夫です、お暇はすぐもらえます!」
「そう、本当に良いのね? これから行く場所は本当に危険よ? 魔物がわんさか出て襲ってくるわよ?」
「問題ありません、サイトさんが守ってくれます……よね?」
「え、ああ、もちろん」
「……分かったわ、それじゃあ早速準備していきましょう!」
それを聞いた3人はうなずいた。
そのころ、遠く離れたアルビオン大陸の空軍工廠の街『ロサイス』。
その街にアルビオン皇帝、オリヴァー・クロムウェルがお供を連れて視察に来ていた。
「まさにと言った感じだね、旧名の如き世界を収めれるような力を持つだけの事はある。 そう思わないかね、艤装主任?」
「確かに、これほどの船ならばそう思えても不思議ではありません」
と言ったが、クロムウェルが言っている事などどうでもいいと思っているのは『ヘンリ・ボーウッド』。
先の反乱戦争、レコン・キスタから言わせれば革命戦争だそうだが、その時の戦果を認められてレキシントン号の改装艤装主任を任されていた。
「何度見てもすごいな、あの主砲! 射程は……幾つだったかね?」
「トリステインやゲルマニアの戦列艦が搭載するカノン砲の1.5倍です」
クロムウェルのそばに控えていた女性が答えた。
「おお、そうだったね、ミス・シェフィールド」
全身を黒いコートで隠すような、それでも若い女性だとわかった。
そしてその雰囲気、あたりの温度が一段低いような冷たい印象が見て取れた。
マントをつけていない、おそらくは貴族で無いだろうが、何か然とした感じもする。
そう、よっぽどクロムウェルなどよっぽど上の存在に見えた。
「こんな物を積んだロイヤル・ソヴリン号に勝てるフネなど、世界中どこを探しても居ないでしょうな」
「ミスタ・ボーウッド、ロイヤル・ソヴリンなどもう存在しないのだよ」
「これは失礼を、しかしながら高々結婚式にこんなものを積んでいくとは、下品な行為に見られますぞ」
数日中に行われるトリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式。
それに招かれるクロムウェルが乗るレキシントン号、そこにこの新型カノン砲を乗せていくなど権力政治に他なら無い。
今でさえトリステインとゲルマニアの二国の軍事力を上回るアルビオン共和国が、そんなものを乗せていくなど示威行為にしか見えない。
「おや、ミスタ・ボーウッドには話が行ってないのかね?」
「……何の話でしょうか?」
眉をひそめ、クロムウェルが発した言葉にボーウッドは耳を疑い、顔を青くした。
「馬鹿な! 先日の不可侵条約を締結した意味がありはしませぬか!」
「何を言っているのかね、あれはただの政治的判断に過ぎない。 要は時間稼ぎなのだよ?」
「そのような言い訳が通じるなどと本気で思っておられるのですか! そのような破廉恥な行為、アルビオンの悪名を世界中に広めてしまいますぞ!」
一歩、クロムウェうに詰め寄るボーウッド。
それを制したのはシェフィールドと呼ばれた女性と同じように、そばに控えていたフードをかぶったメイジ。
杖を突き出し、ボーウッドと視線が交差した。
「そのようなこと、かつての上官にも言えるかね?」
「なッ、殿下……!?」
フードの下、それは討ち死にされたと聞いたウェールズ・テューダーその人であった。
反射的に膝を突く、それを見て左手を差し出したウェールズ。
ボーウッドは同じように、反射的にウェールズの手の甲に口づけをした
「っ!?」
口に伝わった感触は、冷え切った肉。
人の温かみではなく、氷のような感触だった。
「行こうか」
クロムウェル一行はボーウッドの隣を通り過ぎる。
呆然として、ウェールズのことを考えていたボーウッド。
あれはウェールズ殿下なのかと、ゴーレムの可能性も考えたが、手の甲に走っていた水の流れが本人だと証明する。
死んでいるのに生きている、ボーウッドは身震いをした。
そして思い出す、クロムウェルが虚無を扱えると言う噂を。
「あの男、いったい何をする気なのだ……」
クロムウェルは帰路に付いて、傍に居た一人の貴族に話しかけた
「子爵、竜騎兵の隊長としてレキシントン号に乗ってくれたまえ」
「あやつの?」
「いいや、君の実力を買って乗ってもらうのだ。 竜には乗ったことはあるかね?」
「いえ、ありませんが、乗れぬ幻獣などこのハルケギニアには存在しないと存じております」
ははは、君になら乗りこなせぬ幻獣は居ないだろうと言って笑うクロムウェル。
だが、その笑いはすぐに消えてワルドと向き合った。
「君はなぜ余に従う?」
「陛下がこれから私たちに見せてくれるだろう、世界を見たいが為です」
「聖地、かね?」
「それもありましょう、ですが一番は閣下の御力、でしょうか」
「ははははは! 言ってくれるな、子爵!」
クロムウェルの笑い声を聞きながら、首に掛けてあったペンダントを弄る。
その先に付いているロケットを開き、その中には美しく微笑む女性の肖像画があった。
「見せてもらいます、閣下の『虚無』を」
もう一方、渦中のトリステインの王宮。
アンリエッタの居室では結婚式で着るためのドレスの仮縫いをしている女官や召使で溢れていた。
「姫様、右腕をお上げくださいませ」
「……ええ」
ゆっくりと、周囲に比例してゆっくりと体を動かすアンリエッタ
それを見て目を細める女性、アンリエッタの母である大后『マリアンヌ』の姿もあった。
「アンリエッタ、元気が無いようね」
「いいえ、そんなことはありませんわ。 こんな目出度い結婚式に元気が無いなどと」
「……望まぬものだとは分かっていますよ、貴女にも愛しい人が……」
「はい、居ま『した』。 ですがそれはもう過去のことです」
「とても残念なことです、貴女にはつらい思いをさせてばかり……」
「母さま、そのようなことはありません。 生きて結婚することが女の幸せ、いつの日かそう申したではありませんか」
「国のため、民のためとは言え……、ですがこれは貴女の為でもあるのよ」
「分かっております、母さまは私の身を案じて居てくれるのは、分かっております」
「……愛しい娘や」
「母さま、私は幸せです。 とても幸せです」
ポロリと、一筋の涙を流したアンリエッタ。
それを見て抱きしめたのはマリアンヌ。
国と民のために、始祖の誓いを破ってしまう事に。
居なくなってしまったウェールズを裏切ってしまう事に、アンリエッタは涙を流していた。