流石風韻竜シルフィード。
先住魔法、と言うか精霊魔法で風の精霊の力を借りているためか、並の風竜より一段と速い。
流石に音速は無理だろうが、それの半分ぐらいは簡単に出しそうだ。
そんな凄まじい速度で飛翔するシルフィードのお陰で、2時間ほどで王宮に着いた。
かなりの速度で着陸、王宮の中庭に風が吹き荒れた。
大慌てだった中庭は更に大慌て、魔法衛士隊が降り立った風竜を一斉に取り囲んだ。
「ッ、またお前達か! 面倒な時に姿を現しおって!」
「隊長、状況の説明を」
「何故貴様らに説明など──」
シルフィードから降り、半ば押し付けるような形で王権行使許可証を手渡す。
マンティコア隊の隊長、ゼッサールはその書面を見て目を見開く。
女王から王権の行使を正式に認められ、行使する許可を書き記された書簡。
『ルイズ・フランソワーズ・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。 右の者にこれを提示された公的機関、および公的機関の者はあらゆる要求に答えるものとする』。
そう書かれていた、つまりこの場に居る誰よりも偉い、命令できる立場にある上官だと言う事であった。
「ハッ、申し訳ありません。 今から二時間ほど前、女王陛下が何者かによってかどわかされました」
急激な姿勢の変化、直立して敬礼、上の者に対しての敬礼であった。
それに驚いたのはキュルケとタバサと周りのマンティコア隊の隊員であった。
「誘拐犯は警護の者を蹴散らし、馬で駆け去りました。 その追跡はヒポグリフ隊が請け負っており、我々マンティコア隊はその者らの証拠が無いか捜索しておりました」
「どっちへ行ったか分かる?」
「ハッ、賊は街道を南下している模様です。 おそらくはラ・ロシェールに向かっていると推測されます」
「……アルビオンの手引き、ね」
「恐らくは、既に近隣の警戒と港に封鎖命令を出しているのですが、間に合うかどうか……」
足の速さはヒポグリフより風竜の方が上、その風竜を扱う竜騎士隊は先の戦いで全滅している。
つまり、馬より足が速いとは言えヒポグリフでも追いつけるかどうか分からないと言う事。
「……隊長、これから貴方達マンティコア隊に、かなりの苦労を背負ってもらう事になるわ」
「……? それはどういう意味でありましょうか?」
「ヒポグリフ隊が全滅するかもしれない、そういう意味よ」
「全滅ですと? そんなまさか……」
踵を返し、シルフィードの背中に乗り込む。
「タバサ、ラ・ロシェールへの進路に飛んで、出来るだけ低空でお願いするわ」
「お待ちください! 我らと同じ精鋭であるヒッポグリフ隊が全滅とは!?」
「貴方達は今の任務を続けなさい、女王陛下は絶対に連れ戻すわ」
シルフィードは飛び上がる、心中に疑問を渦巻かせるゼッサールを置いて。
タイトル「お別れ」
シルフィードは読む、人間とは比べるのもおこがましいほど優れた感覚によって空気の流れを読みきる。
『人』と『竜』、そのスペックは種族としての地力の違い。
身体能力なら恐らく最高級、いかなガンダールヴでも容易く屈服させるだけの力がある。
単純な膂力だけではない、『韻』ともなれば人をはるかに上回る知能を有する。
主従の契約の恩恵を受けなくとも人語を解するほどだ。
「近くに血の匂いがあるかどうか、分かる?」
嗅覚、聴覚、視覚、どれもが人より上の感覚を持ってすれば多少離れ、人では感じられないものを理解できるだろう。
使い魔は有効に使わなければいけない、……他人の使い魔ではあるが。
それを聞いたタバサは杖でシルフィードの頭を撫でた。
「きゅい」
「ある」
都合上喋れないシルフィードの代わりにタバサが答える。
ヒポグリフ隊はもうやられてたか。
ならもうすぐ見つかるはず……。
「ならそちらの方へ飛んでちょうだい」
街道の数メイル上を飛ぶシルフィード。
これ以上低く飛ぶと、街道を進む者に接触しかねない。
「……あった」
シルフィードが速度を緩める、着地して見れば街道に人、馬、ヒポグリフの死体が転がっていた。
風の刃を受けたのだろう、ばらばらになっている者や、焼き焦げた物体、立ったまま貫かれ死んでいった者。
スプラッター、血や内臓が飛び散っている光景。
「……ダメだった様ね」
気分が悪い、既に吐きそうな位気持ちが悪い。
サイトやキュルケも思い切り顔を顰めている、タバサは見慣れているのか全く変わっていない表情。
吐き気を催そうとも、見なければいけない。
避けられたはずの未来、それを意図して起こした現実。
ヒポグリフ隊隊員が死ぬ一因でもある俺は見なくてはいけない。
見る、首が落ちている。 見る、腸が飛び出している。 見る、四肢が無くなっている。 見る、頭に穴が開いている。
「ッ……」
喉に焼ける感覚、胃液がせりあがって来ているのが分かる。
「皆来て! 生きてる人が居たわ!」
そうキュルケが声をあげ、駆けつける。
見れば倒れ伏す男、衣服から見てヒポグリフ隊隊員だろう。
腕には深い、いや、大きな貫通傷。
風の刃でやられたのか、二の腕が大きく縦に切り裂かれ、向こう側が見えていた。
「グッ……、あんたたちは?」
「女王陛下の救援に来た者よ」
「なら……、気を付け……」
「きゅいきゅい!」
「タバサッ!」
男の警告と、シルフィードの鳴き声が聞こえた時。
タバサが杖を掲げてドーム状の渦巻く空気の壁を作り出し、飛んできた魔法を巻き込んで発散させる。
見事、タバサは十を越える攻撃魔法を一発も撃ち抜かせることなく防ぎ切った。
「誘拐犯のお出ましね」
そう言って全員が構える、
ゆらりと、草むらの影から現れたのは複数のメイジ。
左腕が無い者、首が大きく裂けた者、胸に大きな穴を開けた者。
常識で考えれば生きているはずの無い者たちも居た。
「こいつら……、まさか全部……」
「そう、無理やり永遠の眠りから起こされ、操られる哀れなメイジ」
攻撃を仕掛けてこない、タバサの魔法の前にドット程度の魔法では通じないと判断したのか。
この場に居る、恐らくは最後の操られる者が現れた。
見ればサイトの左手にあるルーンが光り、それが少しずつ強くなっている。
死者に鞭打ち、偽りの命を与え、アンアンを攫おうとした策略に怒りを覚えたのだろう。
確かに、戦争に卑怯な手など無いと言えるだろう。 だがそれは、生きている者同士での話だと考える。
剣や槍で攻撃する? 有りだろう。 亜人や獣を戦線に加える? これもありだ。 魔法を使って優位に進める? 常套手段だ。
だが、これだけはいただけない。 死者に働かせるなど、おこがましいにもほどがある。
貴様らは神にでもなったつもりか? 使えるものなら何でも使う、そうは言っても程度ってものがあるだろう?
「お久しゅうございます、ウェールズ皇太子」
内心腸が煮えくり返るのを表に出さず、トリステイン流の挨拶。
俺を除いた一行は、一様に驚きを上げた。
「ああ、ヴァリエール嬢か。 久しぶりだね」
「はい、皇太子の御加減も随分優れているようで」
「そうだね、こんな気分は早々味わえないだろうね」
「……そちらに女王陛下はいらっしゃいますね?」
「ああ、居るよ」
と、聞いて見てみればウェールズの背後に隠れるようにアンアンが居た。
「お話させていただいても?」
「僕達は急いでいるからね、数分で良いなら」
「御配慮、有難うございます」
視線を向ければ、ガウン姿のアンアンが震えていた。
「手短に話すわ、アン。 これは貴女の意思なのね?」
「ル、ルイズ……」
「……その双肩に背負うと決めた国を捨てると、そう決めたのね?」
「ッ……」
アンリエッタが息を呑んだ、その時。
「──イーサ・ウィンデ。 『ウィンディ・アイシクル』」
既に唱え終わっていたタバサの詠唱。
瞬時に周囲の水蒸気を集め、凍らせ作った氷の矢。
杖を振り下ろされたと同時に放たれた。
「……無駄だよ、君達の魔法では僕らを倒せない」
音を立ててウェールズの胸を貫いた氷の矢、その傷は見る間に塞がっていく。
「さぁ、アン。 今決めなさい、私たちと共に戻るか、そいつらに付いてくか」
アンアンの驚きの表情、ウェールズも周りの奴らと同じ状態だと分かってなかったらしい。
更に縮こまり、震えながら頭を振る。
「違うわ……、この人はウェールズさまよ……」
こんな風になっても好きな人は好きな人、か。
「……お願い、私たちを行かせてちょうだい」
搾り出すように言った言葉。
また足りなかったらしい、アンアンは一つの考えしか考えなかったようだ。
「……そう、分かったわ。 有難うございました、ウェールズ皇太子」
「うん、分かってくれたか。 それじゃあアンリエッタ、行こうか」
「……はい」
「お待ちください、ウェールズ皇太子」
アンアンの肩を抱いて、進もうとしたウェールズを引き止める。
「まだ何かあるのかね?」
「はい、皇太子に一つお聞きしたい事が」
「何だね?」
これで決める。
「ウェールズ・テューダーはアンリエッタ・ド・トリステインを愛しておられますか?」
「……ああ、僕はアンリエッタを愛している」
それを聞いて瞼を閉じる。
……やはりこの存在はウェールズではない、例え死のうとも口には出さなかった言葉を、こんな簡単に吐くような人物ではない。
聞けるとするならば、肉体と言うしがらみから解き放たれ、この世ではない場所で再会した時だ。
「サイト、その操り人形を壊すわよ」
「……ああ」
俺とサイトは睨むようにウェールズを見る。
キュルケとタバサも、同じように構えていつでも動けるようにしている。
「ルイズ!?」
「何かしら、アンリエッタ・ド・トリステイン」
「ッ……、命令よ、ルイズ・フランソワーズ。 今すぐ道を開けてちょうだい」
「お断りするわ、女王でもない人物に命令される謂れなんて無いもの」
全てを捨てるというなら、もう女王ではない。
盲目して、その先の未来を見ない。
どんな結末が来るのだろうかという考えが無い。
……余りにも稚拙、頭は良いのに愛が全てを狂わす。
「さぁ、行くわよ。 アンリエッタ・ド・トリステイン、いえ、アンリエッタ。 貴女に行かれたらとても困るから……」
「ぁ……」
「ここで終わってもらうわ」
それが合図、サイトが疾風となってウェールズに切りかかる。
が、それをさえぎる水の壁。
「駄目よ! ウェールズさまには指一本触れさせないわ!」
はは、放心したかと思えば機敏に動くアンリエッタ。
少し羨ましいかな、こんな状況になってまで愛する者のために動くのは。
「下がれ! エクスプロージョン」
アンリエッタと水の壁の間で爆発が起こった。
アンリエッタと水の壁を吹き飛ばし、サイトは一気に飛び下がっていた。
「ファイアボール!」
キュルケが火球を撃ち出し、タバサは飛んでくる魔法を巻き込み撃ち落す。
4対12、3倍の戦力差で圧倒的不利……ではなかった。
ウェールズとアンリエッタを無視して周りのゾンビどもを消していく。
「エクスプロージョン!」
ゾンビの胴が吹き飛ぶ、幾ら腕や足が無くなろうとも動くなら、それを繋ぐ胴を消し飛ばせばいい。
単純な切り突きが効かないと理解したのか、タバサは全体の支援、サイトは抜けてくる攻撃をデルフで吸収する。
ある意味完成された陣形、単体を狙う攻撃では一人たりとも倒せない状態となっていた。
一体、また一体とエクスプロージョンとファイアボールで消していく。
「行けるわね」
「……そうも簡単に行かないようだわ」
ポツリと、世界はこちらの優位を覆されかねない領域へと変化していく。
「……雨」
空は、巨大で分厚い雨雲を従えていた。
「ルイズ! 杖を捨てて! 貴方達を殺したくないわ!」
豪雨、10メイルほどの距離に居る者が見難くなるほどの雨。
その中で、アンリエッタは叫んでいた。
「貴方達の勝利は無くなったわ! 水の領域たるこの場で勝てると思ってるの!?」
「………」
答えない、答える必要が無い。
「皆、敵は恐らく一撃必殺の魔法を撃ってくるわ」
「一撃必殺? まさかあの二人、スクウェアだってんじゃないわよね?」
「……それ以上よ」
「それ以上? スクウェアが最強じゃねーのか?」
「………」
王家に連なるタバサは理解したのか、来る魔法を想像しているのだろう。
「王家のみに許された魔法、『ヘクサゴン・スペル』」
「ヘクサゴン……ですって?」
二つの属性を掛け合わせた、合成魔法。
城さえ撃ち砕くと言われるほどの強力な魔法。
恐らく、虚無のメイジを除いて最高級の威力を誇るだろうそれ。
「ちょっと、そんなのどうすればいいのよ!」
「六芒星の魔法、防ぐ事は叶わないでしょうね」
見れば二つの光り、雨のカーテンに遮られた向こう側に青と緑の光りが揺らめいていた。
「サイト、私たちを守って」
「……任せろ」
出来れば止めさせたい、だがあれを受け止める者が居なければ皆一緒に死ぬ。
恐らくサイトは酷い怪我を負う、だが原作サイトが受けきれて、このサイトが受けきれないなんて道理は無い。
どっちに転んでも、サイトに頼るしかない。
「タバサ、出来るだけ衝撃を散らすために、私たちの周りに空気の壁を作って」
「………」
「キュルケは飛ばされないよう、タバサでも抑えておいて」
「出来る事なさそうだものね」
如何に早く、力を込めた詠唱を終わらせるか。
それが明暗を分けることなど、考えずとも判りきったことだった。
その言葉を聞いたとき、頼られてるのかと考えた。
見れば雨を巻き取りながら、竜巻がうねっていた。
あれを止めるって事で良いのか。
「相棒、見せ場が来たんじゃねーか?」
「何言ってんだ、最初から最後まで見せ場だっての」
3人が固まっている場所から一歩前に出る。
「相棒の仕事は簡単さね、『守る』、これだけさ」
「簡単じゃねーか」
軽口を叩きつつ、両手の剣の柄を強く握る。
左手のルーンが一層光りを増した。
「おめぇさんはガンダールヴ、『神の盾』さ。 あの程度の攻撃から主人を守れないんじゃ、これから先守っていけねーぜ」
「うるせーよ、あの程度受け切ってやるって」
後ろの方では、ルイズが唱え始めたらしい。
それを聞いた時、体に力が漲って来る。
「これが『ガンダールヴ』さね、悪くねーだろ?」
「ああ、文句無し」
ちっとも怖くない、勇気が漲る。
あんなの簡単に受けきってやると、根拠の無い自信で満ち溢れる。
「気持ち、思い、願い、そして信頼。 それが全部一緒になって相棒の力になる、忘れんなよ。 おめぇさんは敵を倒すんじゃねぇ、『主人を守る』存在だってな」
「知ってるよ、そういうものだって教わったんだからな」
「はぁー、娘っ子はどこまで知ってんだかねぇ」
「まぁ、無駄口は終わりだぜ!」
見るも巨大な、アメリカとかで発生しているハリケーン。
あれの水バージョンの竜巻が凄まじい速度で迫ってくる。
明らかに人より速い、あんなものから走って逃げ切れるわけ無い。
「決めたんだからよォ!!」
デルフを前にして剣を重ねる。
剛風、大地を抉り攫う威力の竜巻を真正面から受け止めた。
「ギッ!」
みしり、と体が軋んだ。
指先、爪が剥がれる。
皮膚、数センチもある深い裂傷が幾つも出来た。
瞼、切り裂かれ眼球に痛みが走る。
駄目だ、と考えるその度に轟音で聞こえないはずの声が聞こえる。
そしてまた踏ん張る、大地が窪むほど全力で踏ん張る。
「オオオオォォォォッ!!」
息が出来ない、なのに咆哮を上げる。
竜巻がデルフリンガーに巻きつきながら吸収され続ける。
まだだ、まだだ、まだだ。
まだ、完成していない!
踏ん張り続ける、全身全てに力を込めて。
骨が軋んでいるのが判る、指だって千切れそうだ。
だが、そうならない。
俺に力を与えてくれる、だから耐えられる。
だから、守って居られる。
だから、守り続けると誓った!
「あ、相棒!?」
押し返す。
こんなもんに押し潰されるほど弱くねぇ!
こんなもん!
「ぶっ潰してやらァー!!」
デルフリンガーが竜巻を切り裂くように、一気に吸い込んだ。
見る間、1秒も無いほどの時間で荒れ狂う竜巻は消滅した。
それと同時に、ルイズの呪文が完成したと、背中に感じた。
「……もっと早く出来てれば」
「いや、十分早かったと思うぜ」
かすれた声で、サイトが言った。
『ディスペル・マジック』で竜巻ごと消し去ろうとしたら、サイトが竜巻を押し返して吸収しきった。
それは凄いとしか言いようが無い、デルフに吸収され威力が弱っていたとは言え、受けきるどころか押し返すなんて思いもしなかった。
押し返すって、おかしいだろ。 幾らルーンで身体能力を強化されてるとは言え、人間ごときが何トンもある物体を巻き上げる竜巻を押し返すって……。
たとえファンタジーでも度が過ぎればギャグにしかならないな。
いや、こんな事考えてる場合じゃない。
見れば傷が酷い、ありとあらゆる場所から血が流れ出しているサイト。
今はタバサが応急処置をして、すぐ死ぬような怪我では無くなったが。
それでも長時間放って置けば死に至るだろう。
立ち上がって倒れ伏していたアンアンの元に寄る。
「アン、起きて」
名前を呼びながら揺する。
精神力を使い切って気絶してるだけ、一時すれば目を覚ますだろう。
だが、その一時を待っていられるほど優しくは無い。
「アン、起きなさい」
強く揺する。
まだ起きない。
「起きなさい!」
ついに頬を叩く。
他の皆はその声に驚きを上げる。
「ちょっとルイズ!」
「いいのよ、時間が無いんだから」
さっさと起きてもらわないと。
「……ッ」
小さく声を上げて、アンアンが起きた。
「起きたわね、さぁ立って」
「ルイ……ズ?」
無理やり引っ張り起こす、ふら付いていようが関係ない。
「さぁ、傷ついた者を治して」
「ぇ……あ」
やっと思い出したのか、目を覚ましたように瞼を見開いた。
落ちていた杖を拾い上げ、アンアンに押し付ける。
「今十分な治癒を掛けられるのはアンしか居ないわ」
精神力が無いなら、底を掠ってでも治療してもらう。
サイトを含め、怪我人は複数居る。
アンアンは震えながらも杖を受け取り、次々と治療していった。
一頻りの治療の後、怪我が治った者たちは死体を街道脇の木陰に運ぶ。
アンアンも手伝おうとしたが、それを留める。
「貴女はこんな事してる場合じゃないわ」
手を握り引っ張る、行き先はウェールズの元。
それが判ったのか、アンアンは抵抗し始めた。
「ルイズ! 手を、手を離して!」
「権利が無いなんて思ってるんじゃないでしょうね?」
「……そうよ、私はこの場に居る皆にあわせる顔が無いわ!」
「そんな事関係ないわ、権利では無く義務なのよ」
「……義務?」
何としても顔を会わせなければいけないだろう、もう時間が無い。
「ええ、この人を愛した、最後の義務よ」
そう言って、横になっているウェールズの隣へ無理やり座らせる。
「……判りますか、皇太子」
優しくウェールズの肩に触れ、小さく揺らす。
「ルイズ……、何を──」
完全に死んでいると思ったのだろう。
それを覆すように、ウェールズが声を発した。
「……判るよ」
「ッ!」
「……そこに居るのかい、アンリエッタ」
「ウェールズ……さま」
そう言って手を握らせる。
冷たい、おおよそ人の体温では無い。
死んでいるのに生きているという矛盾を、水の力は実現していた。
「はい……、私です、アンリエッタです……」
涙を零しながら、手を強く握るアンリエッタ。
すぐ立ち上がってその場を離れた。
「タバサ、行きたい所があるからシルフィードを呼んで」
「何処?」
「ラグドリアン湖」
そう言って二人に視線をやる。
タバサもそれを見て頷いた。
口笛を吹けば、安全のため離れていたシルフィードがすぐに飛んできた。
シルフィードを引き連れ、二人の元へ戻る。
「……ルイズは、何処までもお見通しなのね」
「……有難う、ヴァリエール嬢」
「いえ……、皆手伝って」
サイトとキュルケが頷く。
二人でウェールズの体を持ち上げ、シルフィードの背中に乗せる。
アンアンは膝の上にウェールズの頭を乗せ、支える。
6人はシルフィードに乗って、ラグドリアン湖に向かった。
ラグドリアン湖、ハルケギニア一と名高い名勝は、空が白み始める時には更に美しさを増していた。
一番と言う触れ込みも十分に納得できる景色。
だが、ウェールズはそれを確認する事が出来ない。
時間が迫っているのか、既に目は見えなくなっていた。
「懐かしいね……、君と始めて出逢った月夜を思い出すよ」
「……はい」
アンリエッタは肩を貸して、ウェールズを並んで歩く。
その胸は紅く濡れ、ゆっくりとだがその染みが広がっていた。
「あの時の君は……、とても美しかったよ」
「まぁ、ウェールズさまったら……」
一歩ずつ歩く毎に、アンリエッタの肩にはウェールズの重みが掛かる。
既に一人で歩く事は出来ないだろう。
生命が、抜けている。
「いや、間違いだったよ」
「……え?」
「今はもっと綺麗だよ」
瞼を開いてはいるが、焦点はアンリエッタに合っていない。
「そ……んな、ウェールズさまったら。 相変わらずお上手ですね」
視線を向けられたアンリエッタは、涙を流していた。
恐らくウェールズも気が付いてるだろう、アンリエッタが泣いている事に。
「……残念だ、とっても残念だよ」
「何がでしょうか?」
「君と出会えたことだ……。 そう、王族ではなく、一介の貴族として出会えていたら……」
言葉を途切る。
それを待つアンリエッタ。
「君と出逢って、同じように恋に落ちていただろうね」
「……はい」
「そうだね、そうだったなら君の領地か、僕の領地か。 どちらでもいいね、庭付きの家でも建てて一緒に過ごせただろう」
「……はい」
「そして……庭に花でも植えれば……、年中の開花を楽しめたんじゃ、ないかな」
「……はい」
ウェールズの足が止まる。
「……誓ってくれ、アンリエッタ」
文字通り絞り出している声。
ほんの数分と持たないと、ウェールズは理解しているのだろう。
「何を誓えと? おっしゃってくださいな」
「──僕を忘れると、他の男を愛すると」
アンリエッタが息を呑んだ。
「無理、無理よ。 嘘は誓えないわ」
「お願いだ、アンリエッタ。 君が僕を忘れるという誓いを、聞きたいんだ」
「どうして、どうしてそんなに酷い事をおっしゃられるの?」
「……君の、幸せのためだ」
「いいえ、貴方に愛される事が私の幸せなのよ」
「君を、不幸にしたくは、無いんだ」
話は平行線。
もうすぐ終わってしまうウェールズ、それを愛したままならアンリエッタはずっと引き摺ってしまう。
そうなれば、アンリエッタは心に傷を残してしまうかもしれない。
故の、自分を忘れて他の男を愛して欲しい。
そうしたら、いつかこんな男を愛していたと、思い出として語れるようになるだろうと考えた。
もうすぐ命尽きてしまうだろうウェールズ、それを愛したままでもアンリエッタは構わなかった。
ずっと心にウェールズを残せると、永遠に愛した人となるだろう。
他の男なんて必要ない、本当に必要なのはあと数分で居なくなるであろうウェールズだけ。
そうすれば、生涯この男だけを愛していたと、思い出として語れるようになるだろうと考えた。
「君を不幸に、したくは無いんだ」
「馬鹿をおっしゃらないで、貴方があの一言をおっしゃってくれれば、私は永遠に幸せなんです」
そう、人の幸不幸など他人には決められない。
ウェールズが不幸だと思っても、アンリエッタにとっては幸せな事なのだ。
「……どうしても、誓ってくれないんだね?」
「はい、私が誓うのは唯一つ。 ウェールズさまを永遠に愛する事ですわ」
「……本当に……、良いんだね?」
「さっきからそう言ってるじゃありませんか」
涙を零しながら、アンリエッタは微笑んだ。
「……無理強いして、すまない」
「いいえ、私の事を思って言ってくれた事なのでしょう? それならば、謝る必要などありはしませんよ」
「ああ、アンリ、エッタ」
二人は抱き合う、いや、ウェールズがアンリエッタに寄りかかっているだけだろうが。
一言、タバサに小さく声を掛ける。
そして、不意に、二人の周囲は無音となる。
「ああ、何処までも気が、利くようだね……」
「……ええ、わたくしの、最高のお友達ですのよ」
「そうだね、彼女には……助けられてばかりだ」
ほんの数秒言葉が途切れる、そして男は言葉を口にする。
女はそれを聞いて、より一層涙を流した。
ゆっくりとウェールズを、横たわらせるアンリエッタ。
絶対に他人が聞いてはいけない言葉を、ウェールズは口にしたのだろう。
涙を流してはいるが、とても嬉しそうに笑うアンリエッタ。
それを見て思う。
「……変わっちゃったわ」
「……? 何が?」
「……何でもない」
昨日の夜に自分で言った、『修正できない』。
それが今、実感できた。
この場面、涙を流すような感動的な場面のはずだ。
だが、今俺が感じているのは背筋が凍るような恐怖。
『完全に話が変わった』
原作じゃ、他の男を愛すと誓うはずだった。
なのに……、アンリエッタは誓わずに、ウェールズだけを愛すと変わらぬ思いを告げた。
そう、順調に行けば未来で起こる筈だったアンリエッタのサイトに対する恋心イベントが、消えた。
干渉しすぎた、単純な、アンリエッタの事を言えない浅はかな考えで起こした行動。
そのつけが、回り始めた。
これほどまでに後悔した日は無い。
遠き日の自分に言ってやりたい、『お前は何て事をしたんだ』と。
「ッ……」
怖い。
怖い。
こわい。
不明瞭な未来が、怖い。
来る変化した未来に、吐き気を覚える位の恐怖を感じていた。