タバサは思い出す。
キュルケと出会い、友達になった日の事を。
タイトル「君の美貌が悪いのだよ、……フフフ、ハハハハハ!」
夏、四つの季節の中で最も熱を孕む期間。
木造の、機械的空調設備のカケラすらない部屋。
部屋に吹き込んでくる自然の風は皆無に近く、滞留する室内の空気は変わらず熱を持ち続ける。
「あっつぅーい、タバサァもう一度お願い」
そうなれば暑さでだらけ、タバサの部屋で男には見せられない姿のキュルケ。
熱には強いが暑さには弱かったキュルケが、タバサが生み出した小さな氷の粒が混じる冷風を受けて。
「気持ち良いわぁ」
と、そのだらけた姿と同じく、だらけた声を上げる。
そんなキュルケとは対照的に、汗一つ掻かずにベッドの上で本を読むタバサ。
右手には杖を握ってゆっくり揺らし、キュルケに冷風を送っている。
「タバサ、何読んでるの?」
その問いに本を傾け、表紙の題名をキュルケへと見せる。
「愚問だったわね」
タバサが読んでいた書物、それは当たり前に魔法に関する考察が書かれているものだった。
何時もタバサが読んでいる本は、全てが魔法に関する本。
むしろ1年以上友人として付き合ってきて、それ以外の。
例えば小説とか宗教とか、そういった実在する魔法に関係ない本を読んでいる所など見たことが無い。
「……あーもー、何でこんなに暑いのかしら。 火の様な熱さは好きだけど、こうじわじわいたぶるような暑さは好きじゃないのよねぇ」
二人がいるのは学院の寮、キュルケはこの休みにタバサを誘って実家に帰るつもりだった。
つもりだったのだけど、タバサはその誘いに首を縦に振らず、結局は実家に帰らないでタバサと一緒に居る事となった。
別にこの事に関してタバサが頷こうが頷きまいが、タバサに合わせる事を決めていたので文句など無い。
文句が出るとしたらこの部屋、と言うか寮。
まるで蒸し風呂のように暑い、長時間我慢するには高い忍耐力が必要になりそうなほど。
暑い暑い、殆どの教師や生徒は帰郷しているし、こうなれば水浴びでもしようかしらと思った所に。
「いぃやぁーーー!!」
と階下から大きな悲鳴が聞こえてきた。
何事かとキュルケとタバサは顔をあわせ、飛び上がるように立ち上がってタバサの部屋を出る。
「何って作るって、ナニでしょうねぇ」
階下の部屋、モンモランシーの部屋ではギーシュがモンモランシーに殴られていた。
「いい加減にしてよ! 最近ちょっと変わったと思ったら、またこれだもの!」
「やましい事なんて一切無いよ! ちょっとモンモランシーが暑そうだなぁと思っただけだよ!」
「一言目にやましい事が無いって言うのが怪しいのよ! もう! これなら残るんじゃなかったわ!」
「誤解だ! 誤解だよモンモランシー!」
どたばた、若い男女が暑い部屋で何やってるやら。
「いや、まぁいいけどね。 ヤるのは良いけどあんまり大声出さないで欲しいのよ、暑くなるから」
「何もしないわよ! って何勝手に入って来てるのよ!」
モンモランシーが顔を赤くして反論する。
「そう思うなら大きな悲鳴を上げないでくれる? 何事かと思ったじゃないの」
「そ、そんなに大きかったかしら……」
「いぃやぁー! って。 無理やりするのは良くないわよ、ギーシュ」
それを聞いたギーシュが真顔になり。
「いやだなぁ、君達。 何か勘違いをしているようだね、僕達は新しいポーションを開発してただけだよ」
フッ、とバラを手に持ち前髪をかき上げる。
ナニをしようとしていたのかしっかりキュルケは理解しており、ギーシュの言い訳など耳に入ってなかった。
「……寮にいても男女の営みしか無さそうだし、どこか行きましょうか」
「何よ、男女の営みって!」
「ナニよ、直接言って欲しいの?」
「んなわけないでしょ!」
「あー、あっついわねぇ……」
モンモランシーの癇癪を聞かずに胸元のシャツを指先でつまんでパタパタ、あざとくギーシュがそれを視界に納め、それに気が付いたモンモランシーがギーシュを叩くと言う何時も通りの展開となっていた。
そんな代わり映えのしない二人をほったらかし、キュルケとタバサはモンモランシーの部屋から出る。
「タバサァ、さっきの冷風もう一度お願い」
「……無限じゃない」
数回ならば良いが、数十回となると中々の精神力を使う事になる。
今日だけで既に10回近い、最近のも含めると結構な数。
精神力の上限は勿論個人差があり、回復量も個人差がある。
少なくとも一日で全快などまずありえない、……任務もある、精神力の使いすぎはメイジにとって致命的な問題。
「そんなに使わせてたかしら……、暑いけど我慢しましょうか」
キュルケのそんな呟きを聞きながらも、タバサは冷風を送る。
結局は冷風を送ってくれるタバサを見て、キュルケは笑みを浮かべた。
「魔法にばっかり頼るのも問題があるわねぇ、やっぱり出かけて涼みましょうか」
とタバサの答えを聞かず歩き出す。
そんなキュルケに内心にも不快を表さずに付いていくタバサ。
以心伝心に近い、正しく親友といった表現が似合う仲であった。
モンモランシーの部屋を後にし、タバサの部屋に戻ってきた二人。
出かける事が決まった、じゃあどこに行こうという話。
移動手段として馬より断然早いシルフィードが居るから、王都へ行ったとしても日が落ちる前に学院に戻ってこれる。
「んー、行くとしたら……」
答えなど最初から決まっている。
「トリスタニアしかないわよねぇ……」
この国で一番華やかなのは、王都トリスタニアしかない。
退屈を潰せる場所なんて、大きな街くらいしかない。
その大きな街などは、やはりトリスタニアだけしかない。
だから行くのはトリスタニア。
「それじゃあ行きましょうか」
タバサが窓の近くで口笛を吹けば、数秒でタバサの使い魔のシルフィードが飛んでくる。
二人は窓枠から身を乗り出して飛び降り、シルフィードの背に乗って王都トリスタニアへと向かった。
漫才をしているギーシュとモンモランシーは放って置いて、キュルケとタバサはシルフィードに乗って王都トリスタニアまで一直線。
夕暮れ成りかけに街へと入る二人、基本的な目的は冷涼、その次に暇つぶし。
「いい所ないかしらねぇ」
こう色々と楽しめそうな所が、とキュルケは言うが心当たりなど無いタバサ。
キュルケももちろん無いから呟いているんだろう、分からないなら……。
「ねぇちょっと、ここら辺で楽しめそうな飲食店って無いかしら?」
「なんだぁ? 邪魔す……き、貴族!?」
と道すがら知らないかと聞く、言い止められた男は一瞬だけキュルケの美貌にいやらしい表情を浮かべたが、羽織るマントを見てすぐに表情を変えた。
「知ってるの? 知らないの? さっさと答えなさい」
「こ、ここら辺でしたら魅惑の妖精亭が一番かと……」
途端に畏まった男が弱弱しくその店の名を言った。
それを聞いたキュルケはそう、と踵を返して歩き出そうとすれば。
「ああ、忘れてたわ」
とキュルケがまた振り返り、男はビクリと震える。
「大事なことだったわ、魅惑の妖精亭はどっちにあるの?」
「向こうの裏通りに……」
「本当にそこは楽しめるかしら?」
「時折貴族の方々もいらっしゃってるようですから……」
「そう、それなら少しくらいは楽しめそうかしら」
スカートのポケットからある物を取り出して、男へと放る。
キュルケから投げられたそれをあわてて受け取り、自分の手のひらを見ると金貨が一枚。
「そういえばルイズはどこ行ったのかしらね、他のみんなと同じで帰省かしら?」
「分からない」
そう話すキュルケとタバサの後姿を見て、ただ男は呆っと突っ立っていただけだった。
「魅惑の妖精、ねぇ。 名前負けしてなきゃいいんだけど」
貴族も行く位の店だ、それなりには楽しめるであろうと考えるキュルケ。
楽しめなかったらそれはそれで問題がある、もうすぐ日は完全に落ちてしまうから。
夜の帳が下りてからも良い店を探し回るのは面倒臭い、出来れば魅惑の妖精亭が満足行く店であって欲しいと言うのがキュルケの気持ち。
「で、ここどこなの?」
「分からない」
男の言っていた通り、裏通りに入っては見たものの、それっぽい店が見当たらない。
まぁ迷ったのかもしれない、と暢気にも考える。
「表通りに戻って聞きなおしましょうか」
目的地が分からないのに延々と歩き回るのは馬鹿でしかない、再度聞きなおすか誰かに案内させたほうが断然早い。
そうしようと手前にあった十字路から左右を確認すれば。
「……あれかしら」
右見て左、200メイルほど先には居酒屋らしき店。
その店の前できわどい、キュルケからすればそれほどじゃない衣服を身に着けて呼び込みをしている女の子が数人。
振り返ったキュルケはタバサに視線を合わせ。
「あそこで良いかしら?」
と聞けば、タバサはその店を見ずに頷く。
「じゃあ行きま……」
しょう、と言おうとして止まった。
何かを見てキュルケは止まり、その状態から数秒して動き出す。
半ば呆然としていたキュルケは一歩引き、タバサに顔を向けて、曲がり角を指差した。
「……ねぇタバサ、あれって見た事がないかしら?」
「?」
指を指された曲がり角、従って覗いてみれば。
「……ある」
と、タバサは簡潔に答える。
「やっぱりねぇ、何であんな事してるのかしら」
曲がり角、魅惑の妖精亭側からは見えない位置でキュルケは顎に手を掛け首を傾げる。
二人、キュルケとタバサが見たのは魅惑の妖精亭前でお客を呼び込む女の子たち。
その中に、頭一つほど小さいピンクブロンドを見つけたのだ。
『なぜ貴族である彼女が、平民に混じってあのような事をしているのか』
そう考えて思いつくのがアルビオンの事。
あの時は王宮、さらには今の女王陛下との話もあったし。
今回も何かやっているのかしらねぇ、と考える。
『変人』、学院で言えばミスタ・コルベールがその呼び方で挙げられるが、ルイズも負けず劣らず別方向で変人と言われている。
魔法が使えず……、これはこの前分かったから違うけど、貴族でありながら平民に媚びている、とか陰口で言われている。
普通逆でしょう? 平民が貴族の怒りを買わぬよう媚びる。
トリステインだけじゃなくてもガリアやロマリア、ゲルマニア、その他の小国でも変わらない。
その構図が逆になって何になるのか、平民から人気を得られるかもしれないが、それがどう役立つのか分からない。
それこそ他に貴族と親しくして繋がりを持っていたほうが遥かに役立つのに。
「……考えても無駄そうね」
考えを止める、深い事考えても推測だけに終わるだろうし、直接ルイズに会ってからかうの方が有益に感じる。
むしろそうしてどう言った反応を返すか、そっちを考えるほうが遥かに楽しく思えるキュルケだった。
タバサはタバサで、客を呼び込んでいるルイズをじーっと見るだけ。
「行きましょうか」
タバサは頷く。
これは行くしかない、行かねばなるまい。
その時タバサは気づいた、キュルケの笑みに。
30サント近くの身長差がある二人、キュルケを見上げるタバサは満面の笑みを見た。
基本的に冷ややかなキュルケ、怒ったり悲しんだりする表情はまったくと言って良いほど見せないのに。
事ルイズが関われば面白そうな笑みを浮かべるのだ、もちろん怒ったり悲しんだりもする。
キュルケがここまで他人に関心を寄せるのは珍しい、事情を知る前から私にも関心を寄せているのも良く分からないけど。
そんなキュルケと出会ったのはトリステイン魔法学院、フェオの月ヘイムダルの週、ラーグの曜日であった。
その日は入学式、壇上で簡素ながらも立派な言葉で話している学院長。
一応耳に入れながらも私はただ知識を深め、魔法を効率的に運用するために本を読み続けていた。
そんな、いわゆる勉強を邪魔したのが背の高い、燃えるような赤い髪の女性。
「貴女、これがどう言うのか理解してるの?」
そう言いながら赤い髪の女性、キュルケは読んでいた本を奪った。
なら貴女は理解できない本を読むと言うの? 理解しているからこそ読むと言うのに。
そんな事はおくびにも出さず、取られた本へと手を伸ばす。
「無言じゃ分からないじゃないの、その口は何のためにあるの?」
その伸ばした手を、キュルケはさっと避けた。
「……返して」
「この本の中身、理解してるの?」
「……してる」
「じゃあこの『気象中に高速で風を回転させれば何が起こるのか』と言うの分かる?」
「氷ができる」
科学的に言えば凝結と言われる、水蒸気と言う気体から、氷と言う固体に相転移する現象。
科学的に証明されていない事、証明できるほど科学が進んでいないためにタバサも知らない事ではあったが。
ほぼ全ての人間が水を冷やせば氷になる、ハルケギニアではその程度の認識だけで十分だった。
「……じゃあこっ──」
「ほっほっほ、勤勉さは評価に値するがの。 今は式の途中じゃて、もう少し静かにしてくれると助かるのぉ」
上から聞こえてくる声に、キュルケとタバサは同時に視線を上へと向けた。
フライで浮き上がるオスマンが二人を見下ろして、にっこりと笑みを作っていた。
「あら、申し訳ありません。 随分と退屈な話でしたので」
「つまらぬしちと長すぎたかの、今度からはもう少し簡潔にしておこう」
慇懃無礼、敬意を払うべき学院長に平然とそう言って退けたキュルケ。
一方オスマンは大して気にした風ではなく、また笑いながら戻っていく。
この時、タバサはキュルケの事を少しだけ見直した。
トリステイン王国にあるトリステイン魔法学院の学院長を勤めるのは『オールド・オスマン』。
他人の事などどうでも良いタバサでも知る高名なメイジ、普通なら萎縮してもおかしくは無い相手だと言うのにこの物言い。
豪胆なのか、それともただオールド・オスマンの事を知らないだけなのか。
「……ああ、そう言えば貴女の名前は? 私は『キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー』、トリステインの隣国ゲルマニアの出身よ」
「タバサ」
「……タバサ? 随分と可笑しな名前ね! まるで人形の名前じゃない」
そう言われて自然と視線が鋭くなる。
知らぬが故の言葉、だが知らぬからと言って馬鹿にして良いものではない。
ましてはこの名前は楔、外れぬよう食い込むよう忘れぬよう鎖と繋がる大事な名前。
僅かばかりに殺意さえ込められた視線を、キュルケはただ笑い気が付いていなかった。
見直したばかりなのに『どうでも良い相手』へとすぐに落ちる、いい加減無視して本を取り返そうとすれば。
「随分と失礼ね、貴女」
見かねたのか、笑うキュルケを咎める声が一つ、割って入ってきた。
その声の主はタバサより10サントほど背の高い、ピンクブロンドの長い髪を持つ少女だった。
「ああ、色欲に狂ったフォン・ツェルプストーなら仕様が無いのかしら」
「なんですって?」
「あら? 理解できないの? 色好みし過ぎて頭が沸いちゃってるの? なら教えてあげましょうか」
思い切り侮辱されていると理解したキュルケの表情が険しくなった。
そうして見るからに嘲笑を浮かべるピンクブロンドの少女。
気に障ったのだろう、特大の侮辱をたたき付けた。
「フォン・ツェルプストーが馬鹿にした名前が、この子にとって大事な名前だったらどうするの? 譲れないものだったらどうするの? 馬鹿にされた貴女ならどうする?」
……核心を突く、こちらの事情を知っているかのように。
視線を向けて警戒する、想像通りに私の事情を知っていて近づいてきた理由を考える。
「お互い初対面なのでしょう? 年を一緒に過ごした友人なら笑って済ませられる話だけど、初見の相手を馬鹿にするなんて貴族の心構え以前の問題だと思わない?」
視線が鋭くなっているキュルケ、反撃とばかりに口を開いた。
「そう言う貴女はどうなのかしら? 少なくとも私は貴女の事を知らないし、今貴女が言ったように初対面の相手を馬鹿にしてるじゃありませんこと?」
「聞いた事無いかしら? 礼儀を知らぬ者に返す礼儀はないって、ねぇ?」
ピンクブロンドの少女はこちらを見て微笑んだ。
「……それは確かにね。 謝るわ、ごめんなさいタバサ」
「……いい」
ピンクブロンドの少女から顔を逸らし、取られた本を返してもらう。
「ふぅん、そこら辺の貴族のような馬鹿じゃないようね」
「ふん、こちらに非があるなら認めるし謝罪もするわ」
「そこは認められるわね」
不敵に笑うピンクブロンドの少女と、それを見て顔をしかめるキュルケ。
「私の名前は聞いていたわね? 貴女の名前、聞きましょうか」
「『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』ですわ。 よろしくね、お隣さん」
「ラ・ヴァリエール……、道理で気に障ること」
「あら、私は嫌いじゃないのに」
「嫌っているような言い方にしか聞こえなかったわね」
「さっきみたいな礼儀無しは嫌いなのよ」
やはり変わらず、ルイズと名乗った笑う少女に、面白くなさそうに腕を組んだキュルケ。
その間に、どうでもいいと考える私が居た。
この時が初めてだった、私とキュルケと、何れ来る出来事を手中に収めるルイズの3人が並び立ったのは。
入学した一年生、毎年90人前後の貴族の子弟がソーン、イル、シゲルの三つのクラスに振り分けられる。
私とキュルケはソーンのクラスに、ルイズはイルのクラスへと配属される。
尤もそんな事などどうでも良かった、どこに属しても黙々と勉強に励むだけ。
周りが幾ら騒ごうと干渉する意味が無いし、する暇も無い。
だからだろう、クラスの構図がどのように変化していたかなど知る由もなく。
だれか知らぬ、両親と私を馬鹿にした男子生徒へ魔法の教授をしたり、キュルケと決闘する破目になったなったのは。
事の次第はキュルケの性格と美貌から始まる。
本人にその気が無くとも……、今思えばあったのだろうけどキュルケの美貌に引っかかった男子生徒たちと、その男子生徒たちを慕う女子生徒がそれに嫉妬したのが始まり。
初めは新入生歓迎舞踏会、上級生が会場を飾りつけ、主催として立ち振る舞う。
そうして様々な料理が並んでいた。
「………」
パーティなどよりよっぽど興味が持てる料理を見て、すぐにでもタバサはテーブルの前に着き料理を食べ始めた。
スプーンとフォーク、それらを武器として並べられた豪勢な料理に突きつける。
切り分け戦利品として皿の上に置いた料理にフォークで刺し、口の中へと入れて止めを刺す。
もぐもぐと、周りのざわめきを無視して食べ続け、ダンスなど一度もせずに新入生歓迎舞踏会は終わった。
次の日、教室で本を読んでいれば隣の席にキュルケが座り、読んでいた本を取り上げられた。
またか、などと思いながらも本を取り上げたキュルケを見る。
「昨日のあれ、貴女の仕業?」
昨日のあれ、とは何の事か。
昨日あった出来事と言えば新入生歓迎舞踏会くらい、その時に何かあったのだろうか。
とりあえず首を横に振っておく、周囲を無視して料理を食べ続けていただけなのに、昨日のあれなどと言われても訳が分からない。
それを見たキュルケはポケットから一枚の布切れをタバサへと放った。
「昨日ね、私のドレスが魔法で切り裂かれたのよ。 しかも会場の真ん中でね」
「知らない」
見た事も聞いた事も無い、どうでも良いことに意識を向ける意味など無い。
御愁傷様としか言えない、大方誰かがキュルケに恥を掛かせ、私に罪を擦り付けようとしたのだろう。
日ごろのキュルケの言動からすれば自業自得としか思えない。
「復讐? この前の謝っただけじゃ足りなかったのね」
そう言いながらこっちを見つめてくる。
「……この落とし前、しっかりつけるから覚えておきなさい」
教室中の生徒に聞こえる声で、キュルケは言い自分の席へと戻っていく。
その意味、それはすぐに分かる事になった。
この日の授業が全て終わり、放課後自室に戻る廊下でふと気が付く。
「………」
扉が開いている、自分の部屋の扉が僅かながら開いている。
ロックを掛け忘れた、でも出る時は確りと閉めたはず。
ドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアノブを引けば。
「………」
まずは嗅覚に干渉してくる、開けるなり臭ってくる何かが燃えたような臭い。
次に視覚に干渉してくる、黒焦げの『本棚』。
位置的に見て間違いない、焼け残った本も床に散乱していた。
ドアを閉めてしゃがみ、それを手に取る。
「………」
僅かながら唇をかむ、焼き焦げた本棚に収めていた書物。
その中にはまだ目を通していないものがいくつもあった、さらには金貨を積まなければ手に入らない貴重な書物もあった。
「………」
これは言う通りに付けなければならない、落とし前を。
室内を灯すカンテラの光、ベッドの上に置かれた赤い髪の毛を風で窓の外へと運んだ。
夕食も終わり、腹もこなれてきた時間。
日はとうに落ちて、双月が天高く上りその存在を主張していた。
時間的には十二分におあつらえ向き、『落とし前』をつけるには教師たちが寝静まっている今が良い。
そうして父の形見である大きな杖を持って部屋を出る、目的地は隣の部屋。
「こんな夜更けに誰よ」
「落とし前」
ドアをノックすればキュルケの声、一言掛ける声の意味をすぐ理解したのだろう。
少しだけ軋む音を出したドアが開かれた。
ドアの向こうから現れたのは、笑みを浮かべたキュルケ。
「それじゃあ行きましょうか」
たわわな胸の谷間から杖を取り出し、タバサに先んじて歩き出した。
場所も時間も聞くことは無い、『今』が落とし前をつける時。
だから先立って歩くキュルケの後を付いて行く。
そうして着いたのはヴェストリの広場、昼間でも人気がない場所に、夜中にある筈も無くキュルケとタバサの二つの存在しか居なかった。
「落とし前をつけるにはもってこいの時間に場所ね、ここなら多少騒いでも誰も来ないわ」
「………」
「それじゃあ、始めましょうか」
皮切り、言い終えると同時に二人は杖を振るう。
しかし同時でありながらキュルケの魔法が早かった。
キュルケの家系は軍人家系、何代も続く家系のほぼ全てのメイジが軍人としての教育を受けている。
キュルケも例に漏れず、丁寧かつ素早い詠唱を叩き込まれており、ほぼ独学で魔法を鍛え上げてきたタバサと差を付けていた。
「……へぇ、やるじゃない」
キュルケの杖先から放たれたのは巨大な火球、2メイルを超える火球が、当たれば火傷で済まない威力でタバサへと邁進。
タバサは先に撃たれると判断し、飛び退きながら素早く魔法を切り替えて詠唱、大気の水蒸気を集め凍らせ、分厚い氷の壁を作り出す。
炎と氷のぶつかり合い、ジュッと氷が一気に蒸発する音と共に火球と氷壁が弾け消え去る。
次はこちらの番と言わんばかりにタバサが杖を振り、瞬時にキュルケの周囲を囲む氷の矢。
装填完了、囲む氷の矢先に向けて一斉に放たれた。
「………」
全方位を囲まれても飄々と、問題ないと言わんばかりにキュルケは杖を振る。
それは炎の羽衣とでも言えばいいのか、キュルケの体に巻きつくかのように炎が舞い踊る。
殺到する氷の矢を炎の衣が撫で、悉く溶かし尽くした。
どちらも見事、瞬時に作り出し前後左右上と悉く退路を防ぐ配置の氷の矢、衣服を僅かにも燃やさずに全身を覆う意のままに動く炎。
メイジとして高いと言わざるを得ない技術を、二人は容赦なく振るった。
「……うーん、自信有ったのだけど」
「……同じく」
どちらもだ、怠惰に耽るそこ等の貴族より別格だと言う自信はあった。
現に二人とも高い技術を持ち合わせ、一瞬の判断、最善を下せる思考もある。
だから二人ともこうなるとは思っていなかった、一撃で決着がつくと思っていた。
ある意味間違っては居ない、間違いなく一撃で決着がついたのだから。
「ごめんなさいね、頭でっかちな子供だと思ってたわ」
「こっちも、頭の悪い好色家だと」
お互いどっちもどっちな感想、言動を見ていたらそう取られてもおかしくは無かった。
「それで、そっちは何されたの?」
「本が焼かれた、貴重な物もあった」
「あらま、結構値が張ったりする?」
「する」
「それじゃあ『落とし前』をつけさせなくちゃね」
キュルケの杖先から光、『ライト』を唱え、いくつかの明るい光が空へとあがる。
太陽の光ほどではない、半分ぐらいの明るさになっただろう、その光に照らされ影が伸びた者がいくつも。
その中で、キュルケは一人見初めてその下へ歩く。
「ごきげんよう、ミスタ・ヴィリエ。 この様な夜更けに、この様な場所で何を?」
「い、いや、散歩をだね!」
「まぁ、月夜に散歩なんてなかなか高尚なご趣味ですこと」
明らかに自分たちを超えた力量を見せられ、悲鳴を上げながら、蜘蛛の子が散ったように逃げ出すがタバサが杖を振る。
瞬間、風がうねりロープとなって逃げ出したものたちの足に絡みついた。
バタバタと倒れ、匍匐全身で逃げようとする輩も居たが、もれなく全身を縛って動けなくする。
「ミスタ・ヴィリエ、話したい事があるから少しよろしくて?」
「も、もう寝る時間だから寝ないと!」
「そんなにお時間は取らせませんわ」
ヴィリエとキュルケが呼んだ男子生徒が「ヒィ!?」とキュルケの顔を見て悲鳴を上げた。
「貴方達でしょう? 私のドレスを切り裂いたり、タバサの本棚を焼いたのは」
そう切り出す前から笑顔など消え失せていた。
「な、何を証拠に!?」
「知らないのかしら、私たちのレベルになると魔法のオーラって言うのかしら、そう言うのが分かるのよ」
「そ、それは君たちにしか分からないものなんじゃないのかな!?」
「そんなわけ無いでしょう、ここの教師の誰もに聞いたって分かるって答えるわよ」
「そんな……、僕じゃない!」
「言葉より行動で証明してもらおうかしら、そうねぇ……。 とりあえず『つむじ風』でも起こしてもらいましょうか」
「う……」
「タバサ」
タバサが頷いてヴィリエの拘束を解く。
「さぁ、違うと言うなら貴方のつむじ風を見せて御覧なさい」
キュルケが杖先をヴィリエに向ける、向けられてヴィリエはくぐもった声を漏らした。
「どうしたの? 貴方じゃないんでしょう? なら見せられるわよね」
「い、いやぁ……、杖は部屋に置いてきてね……」
「なら取りに行きましょうか、部屋に杖を取りに戻ってつむじ風を見せる、これで晴れて無罪の証明なんだから簡単よね」
「うぐぐ……」
「どうしたの? その足に絡んでいた風のロープはもう外れているわよ?」
さっさと立て、立って杖を取って来いとキュルケは言っている。
「ほら、早くお立ちなさい。 それとも……」
キュルケの杖先から炎があふれ出て、ヴィリエの周囲を焦がした。
「無理やり立たせて欲しいのかしら?」
「ヒィ! ヒィィィ!!」
立ち上がり逃げ出したヴィリエに火の玉を打ち出す。
絶妙なコントロールであぶり、周囲で慄いていた生徒にも炎をお見舞いしていた。
「まったく、立ち向かう根性すらないんだったら大人しくしてればいいのに」
この広場でキュルケとタバサの決闘を覗き見していた者たち全員縛り上げ、火の塔の出っ張りに引っ掛けて逆さまにぶら下げた。
杖無しの状態で、20メイルはある高さから逆さにぶら下げられる。
泣け叫ぶ者が居れば、あまりの高さに気絶している者も居た。
キュルケからすればそれ位後悔してもらわないと溜飲が下がらなかったりする。
笑みを作りぶら下がった者たちを見ていれば、タバサが杖を向けてきた。
「演技」
「フフ、そうよ、あぶりだす為の演技」
誰が犯人かなど最初の方で気が付いていた、正確に言えば気が付かされた。
ヴィリエが杖を振る怪しい影を見たと言ってキュルケとデートの約束を取り付けた後、間髪入れずルイズがやってきたのだった。
『風邪引くわよ』
そう笑いながらだ。
カチンと頭に来たが、すぐに頭を冷やして答える。
『こんな季節に風邪なんて引かないわ、ただ涼しくなった位よ』
『暑がりそうだものね、キュルケは』
さらに笑みを深めて言うルイズ。
『で、貴女も笑いに来たの?』
『もう笑ってるわよ』
声を漏らしながら隣のソファに座るルイズ。
『うるさいわね、それじゃあもう用は済んだでしょ』
『本命は別にあるわよ』
『……何よ』
『キュルケのドレスを切り裂いた犯人を知りたくないかしらって、思ってね』
『予想は付いてるわよ』
『あらそう? まさか杖を持っていない人を犯人だ、なんて言わないわよねぇ』
『何よそれ』
フフフと笑いながらもルイズは立ち上がる。
『よーく見ておきなさいよ』
それだけ言って立ち去った。
それが第一因、キュルケの視線に僅かながらタバサの姿を捉えていた。
黙々とテーブルに向かって料理を食べている姿が見えた。
他の事などどうでも良いと言わんばかりに、誰かに声を掛けられようと無視して。
ひたすら何かに取り付かれたかのように料理を食べていたのが見えてしまった。
『なるほど……』
魔法を行使するには杖が必要だ、ヴィリエが言う犯人は『青髪の小さな女の子』。
該当するタバサは見た所杖は持っていないし、食事に集中している様子。
この時点では容疑者の一人でしかなかった、だけどタバサと会う毎に犯人である可能性が薄れていく。
タバサが使う杖は『2メイルを超える大きな杖』、舞踏会には杖を持って来ていなかったし。
決闘が始まって魔法の打ち合いを始めれば、完全に犯人ではないと分かった。
「恨み辛みなんて馬鹿みたいに買ってるわ、だからこそ分かるものもあるのよ」
決闘は最終的な確認、タバサが犯人ではないと確かめる物でしかなかったけど。
「さっさと吐かせておけばよかったわね」
そうしておけば貴女の本が燃えずに済んだのに、とキュルケが呟く。
「でもまあ、本ばかりじゃ分からない事も沢山在るわよ」
「……例えば」
「あるじゃないの」
そう言ってキュルケは私の胸を指した。
「喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。 恋だって愛しさだって、知識を欲しがる好奇心だって『心』から出るものじゃなくて?」
「………」
「本だけで全部理解できるなら、多分色んなものがつまらなくなるわよ」
だから友達になってあげるわ、そうすればもっと広がると思うけどね。
そう言われて、暖かい何かがタバサの『心』に吹き込まれた。
タバサに成ってから、そう言われたのは初めてだった、それ以前と言えば一度だけ。
でも誰に言われたのか覚えていない、顔も声も名前さえも覚えては居ない。
だけど覚えている、『友達になりましょう』と言われたのを。
あれは、誰だったか、あの湖で、手を握って……。
「……タバサ?」
不思議そうな顔で、キュルケが覗き込んでくる。
「……友達」
覚えていないのは、覚えている必要が無いからだろう。
思い出すのをやめて、キュルケに返した。
「それじゃあ一杯やらない? 少し位は飲めるでしょう?」
頷いて歩き出す、ぶら下げた者たちを置き去りにして。