タイトル「ろくぶて」
「ああ、次は毛布だ……」
屋根裏部屋の小さな窓、才人が通れるかどうかと言う小さい窓からベッドの毛布を引っ張り出す。
なだらかな屋根の上、部屋の椅子を屋根の上に並べて、その上に毛布を乗せる。
「こういうのは叩いちゃいけないのよ、叩いて出るのは埃じゃなくて解れた繊維なんだから」
そう言いながらも毛布を箒で掃く。
これの為だけに買ってきた新品の箒が威力を発揮する。
「近所のおばちゃんがすごい勢いで叩いてたけど」
「それは毛布や布団の寿命を縮めてるだけよ、肌触りとか長く使いたいなら優しく扱わないと」
衝撃で繊維が解れ、まるで埃のように出るから勘違いしてより叩く。
それが繊維が解れてふんわり感などを失わせる原因、叩きすぎた毛布などは柔軟剤使ってももう柔らかくはならないだろう。
「なんでこんなどうでも良い事は覚えてるんでしょうね」
ささっと毛布を掃きながら、埃などを落とす。
「よし」
一通り掃き終わり、あとは日干しで寝具を殺菌だ。
ダニとかしっかり殺しておかなきゃな。
干し終えて軽く衣服を叩いて埃を落とす。
「さて、だらだらしましょうか」
魅惑の妖精亭の開店時間は日暮れから、閉店時間は夜明け位。
基本的に12時間位は働く、勿論休憩や交代もあるので単純に見た時間ほどは疲れない。
が、才人はそうでもなかった。
アルバイトをした事が有るらしい才人、何の仕事か知らないが高校生だろうしそれほど長時間働く類のものではなかっただろう。
ここ数日呆っとしている時が結構有る、基本ポジティブな才人でも精神的な疲れは溜まるらしい。
「だらだらって、毛布は干してるのに何すんの?」
寝る事もできないじゃん、と尤もな才人。
休日を寝て過ごすと言う人は結構居るだろうな、才人はそうでも無さそうだが。
とりあえずストレス発散でここはパァーっと散財するのも……、するもん無さそうだよなぁ。
ゲームセンターなどあるわけが無く、現代地球の日本で出来た暇潰しなんて買い物くらいしかない。
「そうねぇ、食べ歩きでもする? 大通りなら屋台も有るでしょうし、食べられないようなゲテモノは出してないだろうし」
金はある、諜報活動資金として貰った手形を換金したのと、ここで働いて得た金が有る。
一家族が一年を余裕で過ごせる金額を所持している、明らかに大金で日本円で表したら一千万位余裕で有りそうだ。
その上これから使う予定は無かったはず、だったらまぁ少しくらい使っても問題ないだろう。
そういえば活動資金は後で返さなきゃいけないんだろうか。
「食べ歩きかぁ」
うーん、と腕組みをして唸る才人。
多分金欠気味だっただろうし、食べ歩きなんて金が掛かるようなことはしたことが無いだろうな。
「なら行くしかないでしょう」
「え?」
「多少食のバランスを崩しても問題ないでしょ、寧ろサイトは食べるべきね」
「美味しいもんを食いたいと思うけど……、と言うかルイズが食いたいだけじゃ?」
「そうだけど? サイトは美味しいもの食べたくないの?」
美味いものが食える、それが惜しくも無い金額で買えるとなれば誰だって買うんじゃなかろうか。
まぁ買って食べてみなければ分からないが、少なくとも口に合わないもの以外で不味いものは出てこないだろう。
「そりゃあ、食べたいけど」
「渋る理由が無いじゃない、さっさと出かける用意をする」
やる事が分からない、今日と言う日は仕事が休みで、何をすべきか分からない。
部屋に篭ってて良いのか? それとも外へ遊びにでも行くのか?
沿う事を選んでいるために、知らない出来事に対して判断が付かない。
これが『有った』事でももう覚えてはいない、十年間この世界で過ごし、覚えなくてはいけない情報に記憶が圧迫される。
そうすると『古い記憶』が圧縮されて奥底へと仕舞われる、切っ掛けがあれば思い出せると言うがその兆候など皆無。
最近は特に顕著に現れている、覚えていた事を覚えているのに、その内容が分からないと言った感じばかり。
そもそも記憶とは脳が保存しておく事であり、俺と言う意識に実体、俺の記憶を収めているはずの『脳』は存在しない。
だと言うのに『覚えている』のはどういう事なのだろうか、まさか『魂』なんてものが保存していたりするのかもしれない。
難しい哲学的な話、どうしてこうなのかを探求しようとは思わないからどうでもいいが。
つまりは思い出そうとしても思い出せない位にまで落ち込んでいる、本当の意味で大筋しか覚えていない。
もしかしたらここがターニングポイントなのかもしれない、記憶に頼らず俺が動くべき方向を決める分岐点。
「……だったら今思う最善よね」
「なんか言った?」
振り返って聞いてくる才人に笑みを向ける。
最適最善を選ぶ、それはとても難しいことだ。
それが出来る者が居たらまさしく勝者であろう、未来予測所か観測の域に達した神智。
流石にそこまではないが、人生の勝者とも言われる者たちは自身にとって最も良い選択を選んだと言う事。
俺もその者たちに加わると言うなら、全身全霊を賭けて最善を選び望む未来への道先を整えなければならない。
「お腹すいたなって」
「寝る前に食べてたじゃん」
ごそごそと荷物を漁る才人は振り向かず言った。
確かに日が昇らぬうちに夕食を食べ寝たのだから、7時間位ほどしか経っていない。
それだけしか時間が経っていないのにお腹が空いたなどと、恐ろしく消化速度になってしまう。
まるで胃袋の中はマグマで煮えくり返っている、そこに落ち込むものは見る間に溶けてマグマの一部に……、なワケがない。
ただ小腹が空いたとかその程度だっての。
「大食漢じゃあるまいし、そんなに早くお腹が軽くなるわけないでしょ」
「ルイズはそんなに食べないしな」
わかってるなら言うなよ、そういう事言ってると他の女の子にぶっ飛ばされるぞ。
「用意は?」
「出来た」
財布は持った、服は庶民的なものにした、杖も潜ませて、才人も剣を担ぐ。
準備は万端だ、これでどこへ行こうとも……。
「いやいや、持って行きたい気持ちはわかるけど」
「……なんかあったらどうすんだよ」
「そこはさっさと逃げるに決まってるでしょ、それとも目立たない武器でも買っておく? ナイフとかさ」
「そりゃああった方が良いな」
ごく簡単に食べ歩きから武器屋へと変更。
いやまぁ、買った後は食べ歩きになるんだろうけど。
「デルフでも買った武器屋にでも行きましょうか、そんなに遠くないし」
「おいおい、オレも置いてくのかよ!」
「……持って行っても良さそうね」
基本武器の類は持ち歩いて良い、抜いて振り回したりしたらアウトだけど布でも巻いときゃ問題ないはず。
普通に剣を腰に据えた傭兵とか歩き回ってるしな、大通りでそんな奴がうろついてたら職質受けちゃうこと請け合いだが。
今回は裏路地をうろつくからそういう事も無いだろう、有ったら有ったでどうすっかなーとも考えるが。
「……やっぱりさっさと逃げましょ」
「適当だねぇ」
一応これでも気を張ってたんだけど。
全部忘れて休日を楽しむ、と言う事は出来ないからなぁ。
そんな気楽に考える、ポジティブな思考が欲しい。
「……ああ」
行く前に才人には話しておかなければならない。
これから知らないことばかり起きるかも知れないから、注意をしておこうって。
約束したのにこれじゃあだめだな……、心配を掛けるし結局は才人を危険な場所へと追い込んでしまうかもしれない。
これを話た時の才人はどんな顔をするだろうか、帰れないかも知れないって言ったら何なことを思うのだろうか。
約束をしといて駄目になったなんて、どれほど失望されるだろうか。
軽蔑されるかも知れない、嫌われるだけなんて随分と優しい事だ。
憎まれるかも知れない、殺意を持たれたりするかも知れない。
それでも、背に腹は代えられない命。
それだけで済むなら僥倖、例えそうなったとしても全身全霊を持って約束を守らなければならない。
「……サイト、すこし話したい事が有るんだけど」
前もってきちんと知って置いて貰った方が良い、そう考えて才人を見て口を開いた。
そうして真っ直ぐ見つめられる才人は、打って変わって真剣な表情のルイズを見つめ返す。
「話?」
表情が薄いルイズの顔を見て、可愛いなぁと言う感想が浮かんでくる。
……いかんいかん、真剣な話っぽそうだしそんな事を考えてちゃ駄目だ。
そう考えながら長い睫毛が綺麗に並び、深い鳶色の瞳が揺らめくのを見ていた。
腰くらいまで伸びる桃色掛かった艶のあるブロンドが、窓から入ってくる風でたなびき。
透き通るような白い肌が、太陽の光でより美しさを際立たせる。
「………」
真剣に聞こうとしても、気が付けばルイズの可愛さを考えていた。
髪はさらさらだし、肌も柔らかいし。
うーむ、何と言うか可愛いって罪だよな。
とかいつの間にか腕組みして才人は頷いていた。
「……ん?」
自分が頷いていたことに気が付き、腕組みを解いてルイズを見るも先程と変わらない状態でそこに居た。
「……あれ、もう話しちゃった? ごめん、考え事してて聞いてなかった……」
「何言ってんだ相棒、娘っ子はまだ何も言ってねぇぜ?」
「そうなの? そりゃよかった」
話しを聞けと怒られるかと思ったが、まだ話してないんなら怒られないなとほっと一安心。
「それで、話ってなんだ?」
「───」
「なに?」
「─────」
「……ルイズ? どうしたんだ?」
パクパクと口を開くだけで、音らしき音が出ていない。
まるで酸欠に陥った金魚のように、声を出さずにただ口を開くだけ。
「どうしたんだよ、大丈夫か!?」
「おいおいおい、どうしたってんだ!?」
様子がおかしい、ルイズの綺麗な顔が歪みまるで苦しそうな表情。
果ては両手で喉を押さえ、辛そうな表情を浮かべていた。
「ルイズ!?」
すぐに駆け寄って肩を掴む。
ルイズは俯き、苦しそうに肩を揺らして息をする。
「医者、医者!?」
「落ち着け相棒!」
わたわた、どうしたらいいか分からないでただ来るはずも無い医者を呼ぶ。
「誰でも良いから呼んでくるんだよ!」
「ああ!」
そうデルフから言われ、振り返って床に有るドアを開けようとしたが腕を掴まれ止められる。
振り返れば俯いたままのルイズ、喉を抑えていた手は降ろして俺の腕を掴んでいた。
ルイズの腕の力じゃ全然痛くないけど強く握っている。
「ルイズ?」
やっぱ様子のおかしいルイズに声を掛ければ、ゆっくりと顔を上げて行く。
角度的には上目遣い、打って変わって才人を見るルイズの顔には一切の苦しみは見えず、僅かばかりの笑みを浮かべていた。
タイトル「そうだなぁ、好み的には大きいほ(この先は赤い染みで読み取れない)」
同時刻、トリステイン王宮の通路の一つを歩く影が一つ。
前髪を額で切り揃え肩にも届かない金髪を僅かに揺らし、鋭い視線、淀みない蒼い瞳をまっすぐ正面へと向けたまま歩く。
明らかに戦いを意識される鎖帷子を着込み、その上からサーコートを羽織る女性騎士。
場所は王宮であるからに、すれ違う者皆貴族。
腰に下げられているのは杖ではなく剣、それを見て彼女の背後で囁かれる見下した誹謗中傷、しかしながらそれの何一つ内に入れることなどしない。
この女性騎士は叩き上げられた剣、アンリエッタが翳して振り下ろす武器。
なればつまらぬ汚れを付け、切れ味を鈍らせるなどやってはいけない事。
それを胸に、誰も彼も一遍もせずに目的の場所まで歩き続ける。
長い通路を歩き続け、廊下の突き当りにあるアンリエッタの執務室前。
その王家の紋章が描かれたドアの隣に控える、護衛の魔法衛士隊隊員に取次を願う。
「陛下は只今会談中である、時を置いて参られよ」
だが魔法衛士隊隊員は嫌そうな顔を隠そうともせず、『アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン』に言い放つ。
だがアニエスは引き下がる事はなく、アンリエッタから何時如何なる時でも機嫌を伺える許可を貰っていると言い返す。
これまた嫌そうな表情を浮かべ、アニエスに待つように言ってドアを開けて執務室へ入っていく。
それから一分も掛からず魔法衛士隊隊員が戻ってきて、入室の許可を与えた。
そうしてドアを潜り、アンリエッタの執務室へ入ると二つの人影がアニエスの視界に捉えた。
「……なるほど、確かに不可能ではないかと思われますが」
「やらなければならないのです、こういった輩が跋扈していればこの国はすぐにでも滅びるでしょう」
「……分かりました、計算した後すぐにでも仔細をお持ちします」
「頼みましたよ」
「お任せください」
そう言って頭を下げ踵を返して、アニエスにも僅かに頭を下げ退出して行くデムリ財務卿。
デムリ卿の姿が完全に見えなくなってから、アニエスはアンリエッタの御前へと進んで膝を着く。
「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参上つかまつりました」
頭を垂れ、アニエスはアンリエッタの言葉を待つ。
それを椅子に座りながら見て、アンリエッタは命じた件の成否を問う。
「……調査の方はどうでしたか?」
「は、仔細をこちらに」
頭を上げ、懐から書簡を取り出してアンリエッタに捧げる。
受け取った書簡をアンリエッタは丁寧に開き、中に書かれている事に目に通す。
「……やはり、と言うことですね」
「はい、間違いなく手引きした者が居ます」
その内容は、死して操られるウェールズがアンリエッタを拐かし、簡単に連れ出せた理由が書かれている。
王宮に出入りするための門、夜が更けて閉めるはずの門がとある人物の一言によって一時的に開放されたままになっていた。
無論警備の者が居たが、簡単に打ちのめされて侵入を許している。
偶然、その可能性も確かに存在するが。
「このお金、非常に大きな金額ですこと」
記されている五桁の数字は最近ばら蒔かれた裏金の金額、裏金を渡した人物が領地持ちで、領地運営資金などであればさして問題も無かった。
領地運営資金であってもアンリエッタは問題にしているが、お金をばらまいた男はこの様な大金を掴む事はかなり難しい。
領地を下賜されておらず、年金だけで貯めて行くにしても軽く数十年は掛かる。
今の地位に着いてから貯め始めたにしても、ばらまかれた金額の半分も行かないだろう。
つまりは何らかの方法でこの男は大金を手に入れ、お金をばらまいて自分に従うよう働きかけたのだ。
「あの男の屋敷にも、最近アルビオン訛りが酷い者が度々訪れているそうです」
それはとても素晴らしいタイミング、最近の怪しい動きに多額の金銭の入手。
疑うなと言う方が難しい、策を弄して動きを隠していたこの貴族。
ここに来て大きな動きを見せたのが運の尽き、逃す手など無く喉を掴んで首をへし折る。
愛を貫く約束を胸に秘め、アンリエッタは愛しき人に卑劣な行いをさせた者を憎悪する。
「その者は」
「姿が見えなくなっております、恐らくは消されたのでしょう」
「この情報、間違いは?」
「何度も確かめました故、有ったとしても大きく食い違うほどではないかと」
アニエスの顔から書簡へと再度視線を落とすアンリエッタ。
「お金だけを愛する売国奴、金銭と引き替えにこの国の機密を明かしたのでしょう」
「あの男の裁き、如何なされましょうか」
「もう一歩踏み込む必要が有ります、今のままでは証拠が足りません」
「ではこのまま泳がせるので?」
「ええ、貴女はこのままあの男の行動を追い続けていればよいのです。 そうすれば明日にも──」
アンリエッタの言い続けようとした言葉を遮ったのは、ドアのノック音。
アンリエッタにとってかなり大事な話を中断させられた事に、僅かばかりに苛立ちを含んだ声で問う。
「……何用です」
「陛下、高等法院のリッシュモン法院長がお見えになられております」
「……アニエス、リッシュモンとの話が終わるまでここに控えているように」
「は」
アンリエッタの言葉に頷くアニエス、机の前から身を引いて部屋の壁際に寄って佇む。
「許可します、入るよう伝えてください」
「はっ」
ドアの向こう側から命を受け取って答える魔法衛士隊隊員。
それから十秒も経たずドアが開き、高等法院の長が姿を見せた。
「失礼しますぞ、陛下」
「これはリッシュモン殿」
贅を凝らした豪華な衣服を身に纏った貴族、トリステインの司法権を担うリッシュモンに向けてアンリエッタは微笑む。
リッシュモンは同じように笑みを返す、部屋の端に居るアニエスなどまるで目に入っていないかのように振舞う。
「急な来訪、何か急ぎの用でもお有りに?」
「枢機卿から聞きましたぞ、なんでも遠征軍を編成すると言うでは有りませんか!」
「ええ」
仰々しく両腕を広げるリッシュモンを見て、アンリエッタは簡潔に頷く。
「戦列艦の建造に諸侯軍に配る武器、傭兵を数万に軍を維持させる為の食料。 国庫が空になるレベルの物、それを実行する為の資金はどこから調達するのですか?」
少しだけ上ずった声でアンリエッタに問うリッシュモン。
続けて指を居り数えながらも声を上げる。
「兵站を機能させ続けるのもかなりの金が必要となります。 国庫にはそれを成し遂げるだけの金は入っておりません、そのような事をやれば戦わずにしてこの国は崩れてしまいますぞ」
「リッシュモン殿、資金を賄うための手段もとうに打っておりますし、枢機卿とも話はついております。 国民には窮乏を強いることにはなりますが税率を上げることも決まっております」
「そのような事をすれば平民から怨嗟の声が上がりましょう、下手を打てば平民共が暴れかねませんぞ!」
「無論その対策を打っております、考え浮かび上がる問題点についても対処済みですので」
「しかしですな……」
「リッシュモン殿、財務卿からも可能だと言う答えを既に得ています。 早急にアルビオン打倒を成し遂げなければならない現状、遠征軍の編成に賛成できかねると言う者たちは先が見えていないだけです。 恐らくは贅沢を出来なくなるからそう言うのでしょうね……、それに──」
言い続けようとしたアンリエッタは口をつぐみ、視線が何度か動いてリッシュモンの無駄に目をやった。
数百エキューは軽く掛かるであろう衣装や、杖に施された豪華な装飾など、アンリエッタと比べると無駄が散りばめられた物。
一方アンリエッタの装飾品は被る王冠や、貴族の証であるマントの留め金にしているアクセサリー位しかない。
最低限、女王に見えるだけの物しか付けていないと言うのに、目の前のリッシュモンは高価な指輪やネックレスなど金に糸目を付けていない物ばかりを身に付けている。
「率先すべきわたくしはこう言った最低限の物しか身に付けていませんよ、それに王族を守る近衛の騎士たちには無駄な装飾を控えるよう申し付けております。 見栄を張るのも貴族ならば必要でしょう、ですが彼らは職務を遂行させる事に見栄は必要有りませんもの」
上に立つ者が模範を示さねばならぬ時、負けてしまえば贅沢など罷り間違っても口には出来なくなりますよ。
と強めてリッシュモンへと言う。
「……これは参りましたな、陛下が返答に窮したならばもっと強く反発出来たでしょうに」
「法院の参事官たちの意見を流すようで申し訳ないのですが、この国は迷いを持ち悩む時間など有りはしないのです」
無理をしてでも押し潰される前に押し潰す、得て居る情報から既に大きな戦力差が出来上がっている。
もしアルビオンからトリステイン国内に揚陸でもされれば一巻の終わり、多勢に無勢の力押しにて首都トリスタニアまで駆け上がってくる。
戦力差から防衛など出来ず、出来たとしても長期間それを維持出来るほどトリステインは力が無い。
既に背水の陣で不退転を決め込まなければいけない状態になっていると、ルイズの手紙に書かれていた。
国の諜報からも悪い情報ばかりであったし、ルイズの言葉は間違いであって欲しいレベルの事であったが……悪い事に事実であると言う話ばかりであった。
「おわかりになられますか、リッシュモン殿。 誰であろうと関係なく力を合わせねばならない時なのです」
「……陛下、予想以上に王として成長しておりますな」
「何時まで経っても子供のままで居られませんもの」
「……陛下のお考えは分かりました、しかしながら法院の参事官たちは皆難色を示していることをご了承いただきたい」
「それは分かります、傍から見れば間違いなく難事でしょうし」
「いやはや、本当に陛下は成長なされた。 女王陛下がこのまま成長なされ、あの偉大なるフィリップさまの様になられる事を願っておりますぞ」
「お祖父様のように、偉大なる王となれるよう努力は惜しまぬつもりです。 リッシュモン殿には我等祖国のため、非才な我が身にご鞭撻のほどよろしくお願いします」
リッシュモンは頷き、退室の意向を告げてアンリエッタの執務室から出て行った。
その際、壁際によっていたアニエスの事など、まるで居ないかの様に一顧だにせず退室した。
「……これが年の功と言うものでしょうか、随分と厚い面の皮ですこと」
リッシュモンが退室すると同時に、アンリエッタは浮かべていた笑みを消す。
「あのようにへつらい上の者に取り入り、下の者には金をばらまいて自分に付いてくる様しているのでしょう」
「でしょうね、やっている事は汚らしいですが、上手く渡りを付ける様だけは見習うべきかも知れません」
「そのような! ……陛下はあのような汚らしい男から、物事を学ぶ事などありはしません」
「いずれはあのようなやりとりも覚えなければなりませんから」
そうアンリエッタが言えばアニエスが眉を顰め、悔しそうな顔をした。
王となるには子供で居られない、純真で居られるのは子供のときだけ。
汚れを身に含んで、汚れを操り切らなければならない。
しかしながらあの男のようにお金の為に王を売り、国まで売りつけるような汚れなど纏いたくはない。
そうしてアンリエッタは考える。
「……纏っているのかしら」
「……は?」
私の大切な親友は、大人の世の中を知っているのだろうか。
いえ、知っているでしょうね。
こういう世界であることを、ルイズは小さい時から知っていた。
だからあんなことを、幼少の頃から言えたのでしょう。
「彼女の方が向いてそうね」
フフ、と笑みを零し、ルイズが王冠を被り王として振舞う姿を想像する。
手際よく喋り、堂々と振舞い、数多の宮廷貴族にかしずかれて王座に座っている。
先見の明にて問題を見抜き、最善を選んで手を打つ。
「……陛下?」
「ごめんなさい、すこしね……」
そうやって真っ直ぐ立つルイズが見えてしまう。
私よりルイズの方が王に相応しいんじゃないかと思える。
「気にしないでちょうだい、それよりも貴女が知っておいた方が良い事があります」
「……どういった物でしょうか」
「他の裏切り者ですよ」
「陛下が御察しの通りで御座いましたか」
「あの男のように似た者も居るでしょう、そうでなく仕様が無かったと言った者もいるでしょうね」
「御命令を、直ちにその者らを調べ上げ……」
「それには及びません、すでに幾人かの裏切りを証明する証拠を抑えているようです」
それを聞いてアニエスが片眉を僅かに上げた。
「残念ながらあの男の証拠は無かったようですが、元よりあの地位まで上り詰めたのだから慎重であっても可笑しくはないでしょう」
「随分と優秀な者なのですね」
「ええ、彼女にも頼んで正解でした」
アンリエッタが微笑みつつも、机の引き出しから手紙を取り出す。
「……彼女、とは?」
そのような笑みを殆ど漏らさない、そもそもアニエスに見せたことの無い本当の笑みに気が付きアンリエッタが言う存在を問いかけた。
「私が最も信頼する者です。 計画していた事を起こすに当たって、非常に有効な手札を私の懐へ収めてくれましたから」
「非常に喜ばしいことです」
「彼女が居なければ、今頃私はこの場に居なかったでしょう。 彼女はいつも私の期待に応えてくれる、ですから私は私で居られますのよ」
「………」
膝を着き、頭を垂れ俯いたままのアニエスの前へと進む。
「彼女との出会いは喜ばしいこと、勿論アニエスとの出会いもとっても喜ばしいことよ。 貴女が居なければあの男の尻尾を見逃していたでしょう」
「……その方と比べられるほど、私は役立ってはおりません」
「何をおっしゃるの? 貴女はタルブでの戦いで貴族に勝る戦果を上げました、シュヴァリエの称号を与えたのも戦果に見合う物だと判断したまでです。 そして今も、貴女は十分に私の期待に応えてくれています」
「私のような者に、もったいない──」
アニエスの言葉を遮って、肩に手を置く。
「そんな事を言っては駄目よ、貴女は貴女で有り、その魂の高潔さは生まれとは何ら関係ないのです。 もし彼女が今の貴女の言葉を聞けば、強く叱っていたでしょうね」
「その方は……、貴族なのですか?」
「ええ、母を除いて唯一信頼できる貴族です」
「……大変な失礼に当たりますが、随分と変わった方のようで」
「でしょう? 彼女にはいつも驚かされてばかり」
自然と笑みが零れてくる、やっぱりアニエスもルイズの事を変わった者だと思ったようだわ。
「いずれ顔を合わせる時もあるでしょう、彼女のことはその時にでも」
「は」
「貴女は事前の計画通りあの男の影を追ってください、上手くゆけば必ず追い詰め捕らえることが出来ましょう」
「は、お任せください」
アンリエッタはアニエスを真っ直ぐ見据え、命を下す。
「……アニエス、貴女がもし捕えられないと判断したならば……わかりますね?」
「必ずや」
もう一度アニエスは頷き頭を垂れる、膝を付いたアニエスの肩に一度水晶の杖を触れさせる。
「貴女の本懐、必ず成し遂げなさい」
そうしてアニエスは退室して行く。
アンリエッタはその後ろ姿を眺め、アニエスが執務室から退室してから窓際に寄る。
「……ええ、許しませんとも。 ウェールズさまを殺した者も、命じた者も、謀略した者も、誰一人許しませんとも」
外の景色を眺めながら暗い笑み、僅かに口端を上げてアンリエッタは笑う。
「頼みますよ、アニエス」
見せしめはきちんとしておかなければ、今後も裏切り者が出てしまいますからね。
そうやって声を出さずに、アンリエッタは一人嗤った。
もっと考えなくては、炙り出しも必要でしょう。
あの夜の事と関係無い者は赦しを与え、絶対遵守を約束させれば良い。
逃げる者は相応のものを与えましょう、そうすれば皆喜んで跪くでしょうね。
ああ、本当にルイズは凄いわ。
私が思うことを見抜いて、私が動きやすいよう整えてくれる。
「敬愛すべき始祖ブリミルよ、貴方が私へと運命を示された事に憎悪の念を抱かずには居られません」
アンリエッタは幸せだ、楽しい事だけの花畑は壊れてしまったが。
大事な親しい友を得て、愛して止まない人との出会い、平民とは言え信頼できる忠臣と迎えられたことを。
アンリエッタの幸せはある意味それで完成されていた、親しい友との和が広がり、愛する人との子を儲け、信用と信頼を置ける臣下と国を治めていけた。
そんな未来を迎えていたはずだ、そんな未来の中を過ごして行くはずだった。
だからこそ許せない、ウェールズさまを殺し、トリステインまでも殺そうとするなど絶対に許せはしない。
故にもっと考えなければいけない、国を正し、仇を滅ぼす為に。
物思いに耽け、こなすべき執務が止まっていた所へドアの向こう側から声が掛かる。
「陛下、マザリーニ枢機卿がお見えになられております」
「通すように」
「は」
……遅いじゃないの。
執務室に来るよう呼びつけたマザリーニが、予想外の来訪とは言えリッシュモンより遅く来た事に腹を立てる。
そんな思いを飲み込みながら、ドアを開けて姿を見せた、灰色のローブを着た少々痩せこけた男。
「遅いですよ、要らぬ演技をせねばならなくなったでは有りませんか」
開口一番の言葉がマザリーニに放たれるが、向けられた本人はどうともせず畏まって頭を下げる。
「申し訳ありません陛下、成すべき事が山ほど有りまして」
「それを押してでも来て欲しいと言うのはわがままでしたか?」
「すぐにも向かいたいところでしたが、思いを折半せねばならない事を耳にしまして」
「呼んだ理由は枢機卿が思う事でしょう、その為にも早く来て欲しかったのですが」
「では、増税や遠征についてお聞かせ願いたい」
「こちらへ」
アンリエッタが呼びつけ、マザリーニが机へと近寄る。
「税率を上げることに付いては遠征軍編成を賄うために行います、足りぬ分には他国への借金を申し出ております」
「……陛下、そのような大事、なぜ相談いただけなかったのです」
「最初から決まっていたことです、不要な会談など時間の無駄でしょう」
「確かに陛下はこの国の施策を決定付ける立場におられますが、一存でお決めになられるのは我等が不要と仰られているものと取られかねませんぞ」
「では、何故相談しなかったのか、お分かりになるかしら?」
「………」
真っ直ぐ見つめるアンリエッタに、マザリーニは沈黙する。
「枢機卿、何も貴方が信頼出来ないと言うわけでは有りません。 今は少しでも早く動かねばならないのです」
「我等がトリステインの現状は芳しくないとは十分に理解しておりますが、そこまで性急に動くと足元が覚束ずに、誰も付いて来れなくなりますぞ」
「足元を固めつつ、軍備の再編を急がねばなりません。 此方と向こうの時間は等しいのです、時間を掛ければその分向こうも再編を済ますでしょう」
「アルビオンが艦隊を編成しきる前に、討つと?」
「でなければ此方が滅びます」
「ふむ、その理由は?」
「得て居る情報によれば敵の数は約七万、これに空軍が加われば間違いなく押し負けます。 以前の侵攻軍のように奇跡を待つ事など出来ません」
「……それについては納得出来ましょう」
「税率を上げる決断をしたのは、これを見て貰った方が早いでしょう」
机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出す。
それを受け取り羊皮紙に書かれた文字を見て、マザリーニは驚きの声を上げる。
「……なんと」
「良い話では有りません、このようなことが普遍に行われているなど放ってはおけませんから」
書かれているものは過剰の徴税についてだった。
ルイズが見つけ正した徴税官など、国が定めた税率以上に税をむしり取り、懐に収めていた者たちの一覧表。
例えば国が定めた税率を100とすれば、徴税官がむしり取っていた税は普通に120や130を超えている。
中には二倍三倍と、どう考えても平民が生活していけない金を徴税していた者すら居た。
ルイズが罷免したチュレンヌはその二倍三倍の中の一人であり、調べた結果同様の徴税官も何人か見つかっている。
「財務卿には名誉挽回の機会を与えました、本来管理し看破すべき事を見過ごしていたのですから」
「これは……、私の責でもありますな」
「ご尤も、これは断固として見過ごせぬことでしょう?」
マザリーニ枢機卿、そう呼ばれて居るが実際の役職はトリステインの『宰相』。
王の下の位置し、国政を補佐する役割、つまりは数多の行政を纏め上げて王へと案を差し出す者。
纏め上げる役職である故、国一番の忙しさを持つ、それを現実の物として苦労に塗れ痩せているマザリーニの姿が物語っている。
しかし、このような国の腐敗を齎す出来事を見過ごすなど許してはいけない立場。
「私の拙い執務で枢機卿には苦労を掛けています、それでも──」
「いえ、これでも仕事は減ったのですから、陛下が謝ることではありません」
遮って言うマザリーニ。
アンリエッタが女王に即位する前までは、アンリエッタがやっている仕事丸ごとマザリーニがこなしていたから。
最近は短いながらも休憩時間を取れる位にはなっていた。
「……枢機卿には苦労を掛けますが、私はどうにかしてトリステインを存続させたいのです。 その為の一手が今回の増税と徴税官の摘発なのです」
「過剰な徴税を止めさせて、その分増税を課すのですか。 この件では正しい税率を課している領主たちが文句を発せかねませんので、各個に分別して税率を考えねばなりませんな」
「ええ、贅を尽くすために増税を課している貴族には領地没収を──」
そう言ったアンリエッタにマザリーニは驚き、待ったを掛ける。
「それはお待ちください! 幾ら何でもそれは行き過ぎではありませんか」
「何をおっしゃるのです、自身の為だけに他者へ負担を強いるのは国の内憂に違いありません。 いえ、その者はトリステインを衰退させようとしている国賊と変わりありませんよ」
事実、重い税を掛けている領主は少なからず居る。
重い税に喘ぎ、働けど働けど暮らしは豊かにならない、それどころかまともに生活出来なくなる平民だって居る。
そうして税を払えなくなった者はどうするか、その領地から逃げ出すのだ。
逃げ出す前に食事の回数を減らしたり、必要な物以外には金を使わず税へと回すのが一般化しており、それが限界を迎えた者たちが逃げ出すのだ
逃げ出して、国内の他の領地へ行くならばまだ良い、結局はそこでトリステインへと税を収めるのだから。
問題は国外へと逃げることだ、外へと逃げるとその国へ税を納めなくなる。
そうして逃げた分だけ他の者へと説がのし掛かり、払えなくなってまた逃げ出す。
負のスパイラルに陥って、領地から次々と平民が逃げ出して、残っている者に増々税が負担されて無理となる。
限界を見極められず逃げ出せなかったものは、色んなものを手放して最後には死んでしまう。
それを理解していない領主は間違いなく国を衰退させる原因の一つ、それならば領地を没収してもっと賢い貴族に管理させた方がましに違いない。
「枢機卿ならばお分かりになられるでしょう?」
「ええ、理解し納得出来ましょう。 それでも領地没収は確実に怒りを買いかねません、せめて重税を窘め警告を与えるほどにしておかねば」
「なるほど、では内密に調査官を送り、以後も続けるようであれば領地没収に」
「……それがましでしょうな、しかしながらいきなり重い罰を与えるのは感心しかねますな」
中々に国を考え行動しているアンリエッタを嬉しく思うマザリーニではあったが、いきなり領地没収を提案する辺り執政者として未熟者。
だがこれであれば将来も期待出来るのではないか? と内心考える。
「では枢機卿、それの調整はお任せしても?」
「お任せください」
「頼みましたよ、それと遠征軍の編成に関しての資金なのですが」
「それが一番の問題です、税で賄うにしても到底足りませぬが」
「借金を申し出ました」
「……申し出ました? もしや、もう既に……」
「ええ、打診済みです」
アンリエッタの言葉を聞いて、マザリーニは頭を抱えたくなった。
「……どこへ打診されたのです」
「クンデンホルフへと」
「……ふむ」
クンデンホルフ大公国、近年新興した国。
先々代のトリステイン国王、フィリップ三世によって領地を賜り独立した国。
非常に豊かな財力を持ち、トリステイン国内の多くの貴族に金を貸している。
トリステインと隣接するも、軍事力など他国からの侵攻に対して退ける力のない国。
貿易などもやはりトリステイン絡みで依存している、その分財力があるのでうってつけだろう。
「クンデンホルフとならば悪くはないでしょう、向こうもこちらに恩を売っておきたいでしょうから」
「トリステインが落ちれば、クンデンホルフに目が向くなど分かりきったことですしね。 それを含めて打診しております」
「ならば十中八九、資金の提供を受けてくれるでしょう」
「そうでないと困りますわ」
マザリーニの予想では、ガリアやゲルマニア辺りに申し出たかと思ったのだが。
無論クンデンホルフも予想に入ってはいたが、いざ聞くとなると中々悪くない国。
大国と言われるそちらに目をやらず、隣接しつつ持ちつ持たれつつの関係を発展させる事が出来るクンデンホルフ。
未熟者ゆえの視点なのかも知れない、とマザリーニは考える。
「クンデンホルフの他に、申し出はされておられるのですか?」
「ガリアとロマリアもあったのですが、あまり良い噂は聞かぬものですから」
「ゲルマニアには?」
「しておりません、今のところクンデンホルフのみに」
「どれだけ引き出せるかが問題ですな」
「ええ」
アンリエッタは強く頷く、場合によっては自ら交渉の席に立つ事も吝かではない。
それを言えばマザリーニは反対する、遠征軍編成の資金に喘いでいるとは言え、女王自ら進み出るのは舐められると。
自分や財務卿にでも命じてくれれば喜んでやると、そんな今後の政治にアンリエッタとマザリーニは話しあうのだった。
「ほら、さっさと行くわよ」
「ちょっと待ってくれって! 本当に大丈夫なのかよ!」
「大丈夫よ、ちょっと喉が詰まっただけ。 まぁなにかあっても魔法で簡単に治せるから、気にしなくて良いわよ」
魅惑の妖精亭を出て、二人は路地裏を歩き大通りを目指す。
さっさと歩いていくルイズに、それを追いかける才人。
あのおかしな様子から一転して、何事も無かったかのようにルイズは武器屋へさっさと行こうと歩き続ける。
「いや、だって……。 どう見たっておかしかったし、デルフもそう思うだろ?」
「オレもそう思うがよ、もう何ともないんだしダイジョウブなんじゃねぇか?」
「もう何ともないったら、それともなに? どこかおかしなところでもあるの?」
そう言って立ち止まり振り返るルイズは、腰を手に当て胸を張る。
自信満々に胸を反らし、僅かに膨らんでいる胸を視界に収め居た堪れなくなった才人は顔を逸らした。
大平原の小さな丘、咄嗟に才人の頭の中にはその言葉が浮かんできた。
「……ねぇ、今失礼なこと考えたでしょ?」
無論そんな才人の表情を見過ごすわけがないルイズ。
「し、しつれいってなんだよ! こっちはるいずをしんぱいしてるってのに!」
「考えてたわけね、この私の胸を見て。 例えばナイムネとか、考えてたんじゃないの?」
ねぇ、どうなのよ。
そう言って才人の顔をしたから覗き込むように、ルイズは顔を突き出してくる。
「ば、馬鹿言うなよ! オレはネ、ルイズがとっても苦しそうだったから、またそうならないかって心配してるってのに!」
「……ふぅ~ん」
如何にも意味ありげな、ルイズは疑いの目を向ける。
そうして更に一歩、距離を詰めた。
「……心配してくれてありがと、もうあんな風にはならないから安心して」
「………」
数秒見つめ合い、ルイズは一歩後ろに下がって離れる。
「いいこと? 私の心配をしてくれるのは嬉しいわ。 でもね、一番心配しなくちゃいけないことは……」
人差し指だけを立てた右手を伸ばし、俺の胸に指し当てる。
「貴方なの、一番はサイトの無事、二番目は帰り道かしらね。 私のことなんてどうでもいいの、三番目以降にでも考えててちょうだい」
「んだよそれ、どうでもいいなんて言っちゃだめだろ」
「まぁそれもそうね、でも私の一番はサイトなの。 約束もしたし、それが責任ってやつでしょ?」
「……じゃあいいよ、俺は帰らなくていいよ。 自分を大事にしない奴に約束とか言われたくないし」
言ってそっぽを向いて、チラリと横目でルイズの顔を見た。
どう言う顔をするんだろうか、そんな悪戯心もあった。
そうしてしまったと、一瞬の内に後悔してしまった。
横目で見たルイズの顔はゆがんでいた、とても悲しそうな顔をして俺を見ていた。
今にも泣き出しそうで、すぐに顔を伏せて──。
「いっ!?」
張り手が飛んできた。
パンッ、と小気味良い音が鳴って、頬を叩かれた。
「……次はないわ、今度同じような事を言ったらただじゃおかないから」
「………」
ヒリヒリと痛む頬。
その頬に手を当て、呆然とルイズを見る。
「……返事ッ!」
「は、ハイ!」
反射的に、大声で声を上げる。
「よろしい、それじゃあ行くわよ」
踵を返してルイズが歩いていく。
「……相棒、今のはねぇよ」
「……ごめん」
「オレじゃねぇだろ」
「……ああ」
とりあえず追いかける、なんて謝ればいいんだろ。
謝罪の言葉を考えながら、才人はルイズを追いかけて行った。