アンリエッタ・ド・トリステインにとって幼馴染みはどう言う存在か、と聞かれたらこう答える。
「とても大切な人よ」
生涯を通して最も高い位置に上げられる親友、彼女無くして自分はあり得ないと言い切るほど。
初めて出会ったのは、新たな遊び相手として充てがれた時だった。
トリステインの大貴族、ラ・ヴァリエール公爵家の三女、一つ年下の女の子と聞かされた。
歳が近いし、身長も差ほど違わないとも聞き、気に入るだろうお父様が言っておられたのを覚えている。
「お初にお目にかかります、アンリエッタ姫殿下。 私はラ・ヴァリエール公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。 本日は殿下のお遊び相手としてお伺いさせて頂きました」
私の部屋で仰々しく頭を下げ、名乗ったのは私より小さな子。
私より小さく子供と思う女の子は、トリステインの礼式に則った最上の儀礼にて会釈する。
それが終わり、ゆっくりと頭を上げる少女はお人形のような子だった。
太陽の光を浴びて色合いを変える子の髪に目を惹かれ、気が付いたら口走っていた。
「髪、さわってもいい?」
それを聞いて何度かまばたきした子、ルイズ・フランソワーズが頷いた。
礼を返さなければいけない私に何も言わず、膝を付いて頭を垂れた。
「こっち、こっちでみたほうがきれいだわ」
膝を着いたルイズ・フランソワーズの手を取って、窓の近くに引っ張る。
太陽の光が入り込む窓際で、もう一度ルイズ・フランソワーズは膝を付く。
「きれいね!」
腰に届かないぐらいのきらきらと光を浴びて色めく髪、少し頭を傾ければ違う色に見える。
見た事が無い輝きだった、私はふらふらと頭を揺らしながら金色と淡紅色にころころ変わる髪色を喜びながら見ていた。
「お父様とお母様から頂いた宝物でございます」
ルイズ・フランソワーズは頭を垂れたまま言った。
今思えば本当に子供だった、ただ見たこと無い物に興味を抱いて見入るだけ。
どう言うものか気にせず、表面だけを見て判断していた。
「宝物、いいなぁ」
ルイズ・フランソワーズの髪を触りながら、私は呟いた。
指先に絡ませ、くるくると遊ばせてみる。
「姫殿下の髪もお美しいと存じ上げますが」
顔を伏せたままのルイズ・フランソワーズに言われて、ルイズ・フランソワーズの髪から自分の髪へと変える。
「こんなくらい色はいやよ、あなたみたいな色がよかったわ」
「姫、今のお言葉の訂正なさってください。 陛下や大后様がお聞きになられたらお嘆きになります」
「ほんとうのことだもの、うそはだめだとお父様とお母様がいってたわ」
「……私はその色、嫌いではないのですが残念です」
鳶色の目が私を見て、残念そうに揺れた。
「どうして? あなたみたいにきらきらした髪のほうがきれいじゃない」
「そうですね、好みの問題と言うことでしょう。 淑やかで深く見えるその髪色、是非この手で触らさせていただきたいものです」
それを聞いて、私はスカートの裾を持ち上げて座る。
「わかったわ、どうぞさわってちょうだいな」
そう言ってルイズ・フランソワーズを見る。
「……それでは失礼を」
顔を上げたルイズ・フランソワーズはその両手を伸ばし、私の頬から髪を掻きあげる様に髪に触れる。
髪がもつれて指に引っ掛からないように、ゆっくりと手を動かしていく。
「殿下、こんなにも美しいでは有りませんか。 このような髪を要らないなどと、とても残念でなりません」
優しく触れられる、それが少し気持ちが良くて、お母様に髪を梳かれているような。
「……わからないわ」
座り込んだまま、ルイズ・フランソワーズの手に身を任せて瞼を閉じる。
「そうですか、いずれ分かるようになる時が来るでしょう」
タイトル「勝手知らずななんとやら」
ゆっくりと瞼を開き、横になって今だ目を覚ましていないルイズを見た。
その横顔は就寝する前に見た時と変わらない、ただゆっくりと呼吸して眠っている姿。
夢、幼き頃に出会った時の夢。
「……貴女の言う通りだったわ」
ルイズの左側から、左手を伸ばして右頬に触れる。
ルイズが言っていた事、あの人も綺麗だと言ってくれた髪。
何時も手入れを欠かさぬよう、注意を払ってきた。
その注意を払うようになった、美しいと言ってくれたあの人は亡くなってしまった。
だから、もう半分の意味、それに縋り付くしかないのでしょう。
もう一度ルイズの頬を撫で、次に髪に触れる。
昔に見たあの美しい色合いが弱くなっている気がした。
倒れるほど疲れているのでしょう、それが髪にも現れていると。
何度かルイズの髪を梳き、起き上がる。
「………」
ベッドから降り立ち上がり、床に寝ているルイズの使い魔さんを見る。
「使い魔さん、起きて下さいまし」
「……あと、ごふん……」
むにゃむにゃと、起きる様子の無い。
視線をずらし窓の外を見れば、夜に降り始めた雨はすっかりと上がっていた。
「……まだ時間はあるわね」
窓の外の日、上がってからまだ一時間と言った所でまばゆい光が世界を照らしている。
「起きて下さいまし」
視線を戻して、今度はしゃがんで肩に触れて揺らす。
「……もうちょっとぉ……」
「……起きて下さいまし、これではルイズの体を拭けないではありませんか」
「……むにゃ」
そう言えば使い魔さんの体が少し揺れた、それを見て一つ思う。
「……まさかとは思いますが、寝た振りなどをしてはいないでしょうね。 そうやって不埒な考えを持っているなどと考えたくは有りませんが……」
己の杖としているいつもの水晶の杖ではなく、予備の小さな杖を取り出す。
「もしもと言う事が有りますからね、『イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ』」
少々抑えたスリープ・クラウド、青白い雲が使い魔さんの顔に纏わりついて、寝ているならより深い眠りへと落とす。
「ふが……」
「………」
コテンと頭が落ちる、それを見て才人への評価が一つ下がったアンリエッタだった。
そうしてアンリエッタはルイズの体を拭くための布や水桶を貰いに行くため、屋根裏部屋から降りる。
魅惑の妖精亭、二階の客室が並ぶ廊下を歩き、一階への階段へと降りる。
その途中、すれ違う宿泊客、それは男性客で小さめの服を着るアンリエッタへといやらしい目付きを向ける。
それに気が付かないほど鈍感ではないアンリエッタは、すまし顔で流しながらも内心で後悔していた。
裏口から入った時に見たこの店の衣装、随分と卑猥な物。
下着が見えそうなほどの短いスカートに、体のラインが浮かび上がるようなかなり生地の薄いコルセット。
背中は大きく開いて、体を隠している生地の面積が信じられないほど少なかった。
あれがこの店の仕事着ならば、ルイズも同じような衣服に身を包んで仕事をしていたのだろう。
高貴な貴族、由緒正しき公爵家の三女であるルイズに、任務とは言えあのような格好をさせたのは自分であると言う事。
それがどうしても辛かった、手紙を送る前に戻れるなら戻って手紙を破り捨てているだろう。
あのような者に夜な夜な相手をして、情報を集めていてくれたのだろうルイズ。
大切な者であるのに、どういう風に情報を集めているのか知らなかったとは言え、あんな事をやらせたのは自分であると。
平民の市井を知らなかった、どう言う方法で集めるのかと理解して居なかった。
それが免罪符になる事は無い、そうさせるに至る命であったのは間違いなかった。
ルイズが倒れた一端を担うのは自分でもあるのが、許せない事でもあった。
「すみません、体を拭く布とぬるま湯を頂けませんか?」
一番人が居るだろう厨房を覗いて、通り掛かった人に声を掛ける。
ルイズの体を拭くために必要だと言えば、快諾して持ってきてくれるようにしてくれた。
笑顔を向けて頷いてくれる、それがルイズの為であると一目で分かった。
予想以上にルイズは馴染んでいたのだと、少なくとも反感など持たれておらずにやっていたのが分かった。
もしかしたら虐げられているかもしれない、そんな思いも簡単に吹き飛んだ。
「ねぇ、ルイズが目を覚ましたの?」
と、誰かが後ろから肩を叩き声を掛けてきた。
それは昨日裏口のドアを開けてくれた女性だった。
「いえ、まだ……」
「そう、早く目を覚ますといいわね」
「はい」
「ところでどうしたの? 何か用?」
「はい、ルイズの体を拭こうと思いましてお願い致しました」
「そうなの? すぐ持ってくるわ」
そうして彼女が厨房へと入ろうとすれば、先ほど頼んだ方が布とぬるま湯が入った桶を手に持って現れた。
「手伝おうか?」
「お願いします」
女手一つでは、いくらルイズが軽いとは言え少々厳しい。
ルイズの体を支える役、ルイズの体を拭く役と分けた方が時間が掛からないだろう。
そう考え至ってアンリエッタは頷く。
「ありがとうございます」
礼を言って受け取り、足を階段へと向けると。
「私が持ってきたのに」
「やること終わってるなら譲るけど?」
「うっ……」
「サボる口実に使うんじゃないの」
「純粋に思っただけよ!」
「だったらテキパキとやる、それが一番でしょ?」
倒れたルイズの面倒を見る、それについて後ろで揉めていた。
昼前、サン・レミの聖堂が昼前を知らせる鐘を鳴らす頃にはここを出て行かねばならない。
とても大事な用、直接出向き太り肥えたネズミを叩き潰さねばならない。
そうしなければいけないのだが、そうすると眠るルイズを一人置いていかなければいけなくなる。
置いていきたくは無い、しかし出向いて……。
「……アン、どうしたの?」
「いえ……」
迷いが出た、この人たちにルイズの面倒を見てくれと言ったら引き受けてくれるでしょう。
でもルイズの使い魔さんを勝手に借りていいのか、目が覚めた時に居なかったら心配するのでは?
もしルイズが倒れていなければ、予定通りに助力を請いていたはず。
「……あ」
そうして気が付く、結局はルイズに寄り掛かっていることに。
使い魔さんを借りる、それはルイズの力を借りている事に違いない。
ルイズが召喚して、契約した使い魔さん。
つまりルイズの力の一つであり、使い魔さんを借りる事はルイズの力を借りている事。
なぜ昨日気が付かなかったのか、また寄り掛かっているのではないですか。
唇を噛む、自分の都合の良い事ばかりを考えていた。
ルイズなら助けてくれる、手を貸してくれる。
そうしてもらった時の疲れを、ルイズの疲労を全く考えていなかった。
「そうでした……、私は……。 私のためだけではなくて……」
あの子に何かをしてあげられた?
私はあの子に……、一番欲しかったものを、ウェールズさまから永遠の愛を頂く事ができたと言うのに……。
それに見合うことを、何かしてあげられた?
「……アン?」
「……何でも有りません、行きましょう」
掛けられた声に返し、階段に向かって歩き出す。
床と同じく僅かに軋む階段を上り、無言でアンリエッタの後ろに付いて来るジェシカ。
何かある、妙に鋭い勘がアンリエッタの素性を嗅ぎ付ける。
気になる、気になるけど問いただす様な真似はしない。
ジェシカからすれば、アンは恩のあるルイズの友達で、貴族であるルイズの友達なら、またアンも貴族でしょうと考えていた。
「……なるほど」
二階の廊下の奥、ルイズと才人が寝床としている屋根裏へと上る梯子。
桶をジェシカへと預けて梯子を上るアンリエッタを下から眺めるジェシカ。
ばっちりと短めのスカートから覗く足とお尻、見えた白い下着を目に入れて、ジェシカは浮かべた想像が当たっているだろうと確信を深めていた。
「まだ寝てる、ほら、サイト!」
屋根裏部屋に入るなり、床に寝転がっていびきを掻いていた才人が見えたジェシカ。
「疲れているようですから、もう少し寝かせておいて貰えませんか?」
ジェシカはたたき起こそうとして、アンリエッタに止められた。
「……そうね、ルイズの世話があるから今日も休みにした方が良さそうね」
ルイズが倒れているのに仕事に出ろ、なんて言えるほどジェシカやスカロンは厳しくはない。
もしそんな性格なら魅惑の妖精亭はここまで流行っていなかっただろう。
「……まぁ、いつ起きるか分からないし」
ジェシカは寝転がっている才人を両手で押して、ルイズが寝ているベッドとは逆へと体の向きを変える。
アンリエッタはテーブルの上に桶を置き、ベッドに近寄り腰掛ける。
「脱がすので支えてもらっても良いでしょうか」
「途中で起きたらまずいんじゃない?」
「いえ、ぐっすりと眠っていますので大丈夫です」
何度も起こそうと体を揺すりましたが、起きる気配は微塵も。
そう言われてジェシカはそれなら大丈夫かな、そう思って頷いた。
「こっちからでいい?」
「はい」
ジェシカがルイズの頭側に移動してベッドの上に乗り、腕を使ってルイズの上半身を起こす。
アンリエッタはルイズが着ている黒のワンピース、それに手を掛け引き上げていく。
腕を通してワンピースを脱がした下には白のスリップ、それも同じ様に脱がしていく。
見る間にワンピースとスリップの下に隠されていたルイズの肌が露になる、今のルイズが身に着けているのは下着だけ。
上半身裸で下着だけ身に付けた美少女がベッドの上で眠っている、もし才人がそれを見ていたら飛びついていた可能性が極めて大きかったのは言うまでもない。
「上から拭いていきましょう」
顔から拭き始めてぬるま湯で濡らした布と乾いた布、出来るだけ丹念に、汚れや水滴を残さないようアンリエッタが拭いていく。
首、肩、腕、胸、そうして拭いていき。
「………」
「アン?」
布を手放して、アンリエッタは右手をルイズの体に這わせる。
その手は胸の下、浮き上がっている肋骨へと触れられている。
「……こんなに」
小柄なルイズ、それほど肉や脂肪が付いてないとは言え、一目で分かるほど大きく浮き上がっている肋骨。
横になっているから、それだけだとは思えなかったアンリエッタ。
痩せ細っていると言って良い状態。
「……ルイズは、食事をしっかりと取っていますか?」
「ええ、しっかりと食べていたようだけど。 太りにくいだけかもしれないわよ?」
そこは羨ましいわねぇ、とジェシカは言う。
「……それだけならいいのですが」
「食べてなかったりしたら、サイトが何か言うでしょ? 黙ってて、なんて言われても文句言いそうだし」
床に転がって眠る才人を二人は見る。
「……そうですね」
アンリエッタは才人に頼んだ、ルイズを守って欲しいと。
それに才人はしっかりと頷いた、だったら食事を減らして弱るような真似をさせる事はないでしょうと考える。
「傍に居られないのですから、彼に任せるしか有りませんね……」
本当なら傍に居たい、居て欲しい、だがそんな願いは己の責務によって露と消えている。
現状、アンリエッタは我慢するしかない、対応しなくてはいけない問題が多く、大きい。
やるべき事が終わったら、そう考えて女王としての役目を務めようと努力していた。
「まぁ、サイトはルイズにぞっこんのようだしね」
ニヤニヤとジェシカは笑いつつ、拭きやすいようルイズの体を動かす。
「でなければ困ります。 ルイズのために動かないと言うのであれば、不要でしょうから」
それを聞いたジェシカは驚いた、言った時のアンリエッタの表情は非常に冷めており、声も心なしか低くなったような気がしたからだ。
……大事にされてるねぇ、ルイズは。
そう思いながらアンリエッタが拭き易いよう、ルイズを動かすジェシカ。
ルイズの脇やお腹を拭いてから、二人の動きが止まる。
「……下も?」
「下は……」
どうしよう、アンリエッタはそう少しだけ迷った後に。
「最後に」
結局は二人に着ていた物全てを剥がれ、全身くまなく拭かれて着替えさせられたルイズだった。
少々時間を掛けてそれが終わった後、布を桶の中に入れてアンリエッタはジェシカへと向き直る。
「……申し訳有りません、御願いが有るのですが」
「ん、なに?」
「お昼前に大事な用がありまして、その為にここを出なくてはなりません」
「いいよ、ルイズの面倒はしっかり見とくから」
アンリエッタの言いたい事を察したジェシカは頷き、ルイズへとブランケットを掛けていた。
「ありがとうございます、それと彼が起きたら伝えて欲しい事が一つ」
「伝えて欲しい事?」
「はい、『昨日のお話は無かった事に、ルイズの事を御願いします』と」
「……わかった、伝えておくわ」
「ありがとうございます」
ジェシカは頷き、アンリエッタは礼を述べる。
「まだ時間あるわね、昼食は食べていく?」
「いえ、またルイズの所に戻ってきますのでその時にでも」
「そう、わかったわ」
ジェシカは桶を手に取り、片付けてくると屋根裏部屋を後にした。
タニアリージュ・ロワイヤル座、劇場としてはそれなりの大きさの建物。
そこに馬車が一台、入り口の前に止まる。
かなり豪華な馬車、その中から豪華な衣服を纏った男が降りてくる。
それと同時に寄ってくる御者の小姓は鞄を受け取ろうとするが。
「必要ない、馬車で待っておれ」
そう言って劇場の入り口へと入っていく。
それを離れた裏路地の入り口から見ていたのは複数の女性。
「馬車の確保、御者もしっかりと押さえておきなさい」
「はっ」
一人は全ての命令を出す女王、フードを被ったアンリエッタ。
そのアンリエッタを囲むように佇むのは直属の銃士隊、命令されると同時に弾けた様に動き出す。
「それでは参ります」
「お気を付けて」
アンリエッタは頷き、差し出されたいつもの水晶の杖を受け取る。
本来で有らば前後左右にアンリエッタの周りを固めるのが基本であったが、銃士隊全てを所定の位置に配置している上、怪しまれず行くには一人で行動した方が良かった。
故にフードを目深く被り、路地裏から出て劇場へとアンリエッタは歩き出す。
人の流れを分けて進む、通りを横断して後数歩で劇場の前だというのに、それを遮った存在。
「そこのフードを被った者」
獅子の頭を持ち蛇の尾を持つ、馬より速く地を駆ける幻獣。
幻獣らしく、その存在感は人と比べ物にならない。
「フードを脱げ」
アンリエッタの歩みを遮ったその幻獣、マンティコアに跨るのは魔法衛士マンティコア隊の隊長、ド・ゼッサールだった。
アンリエッタが失踪したと聞き、全隊を持って捜索に当たっていた。
一晩中探していたためか、顔に疲労が表れていた。
それを僅かに見てアンリエッタはマンティコアに近付く。
「ぬ、止まれ!」
ゼッサールはフードを被った人物に制止を掛け、腰の杖を引き抜こうとした所にマンティコアが命令もしていないのに膝を着いて座り込んだ。
ゼッサールが駆るマンティコアは、フードを被っている人物が誰か理解して座り込んだのだ。
それを知らぬゼッサールはいきなりマンティコアが座った事に慌てるが、フードの人物が顔を上げた事により目を丸くして驚く。
アンリエッタはマンティコアの頭を撫でながら、人差し指を唇の前に持ってきてゼッサールに静かにとジェスチャー。
すぐさまマンティコアから降りて、アンリエッタの元によるゼッサールは声を抑えてアンリエッタに問い掛けた。
「……陛下、一体どこへ行かれていたのですか。 陛下が居なくなったと知らせを受け、我々は一晩中探していたのですぞ」
「苦労を掛けます、隊長。 疲れている所に申し訳ないのですが、貴下の隊でこのタニアリージュ・ロワイヤル座を包囲してください」
一瞬怪訝な顔をしたゼッサールだったが、アンリエッタの真剣な表情を見て疑問を掻き消し頭を下げる。
「……はっ」
「決して、誰であろうとこの劇場から出してはなりません。 無理やりに出ようとする者は必ず拘束する事、これは勅命です」
「陛下の随意に」
素早くマンティコアに跨り、立ち上がらせて走り出す。
近くに居た他のマンティコア隊員に命令を告げ、隊を挙げて任務に着く。
それを確認してからアンリエッタは劇場に足を向けた、薄汚い売国奴を捕らえるために。
本来なら切符を買わずに押し入る事も出来るのだが、そうしたことによる混乱などで逃げられる可能性もあったために、普通の町娘のように切符を購入して劇場の中に入る。
フードの内から視線を走らせるアンリエッタ、目的の人物を見つけてその席へと目指し歩き出す。
劇場ホールの中の席は半分ほど埋まっている、その内の殆どが女性。
席から舞台の上に視線を移せば、見目麗しい役者たちが役を演じていた。
役者たちの一挙一動に、客の大半が女性で黄色い歓声が上がる。
無論、見目麗しい役者にアンリエッタが惹かれるわけがない。
永遠に愛す事を誓った人が居るアンリエッタに、いくら姿が美しい者が求愛しても僅かにも靡く訳が無い。
役を演じる役者など無視して段差を降り続けて、目的の席にへと向かう。
他の席に座る客に頭を下げつつ、目指した座席にへと座るアンリエッタ。
その隣の席に座る人物は、チラリと視線をアンリエッタも向けた後。
「失礼、その席に連れが──」
「参りませんわ」
フードから覗く顔と声を聞き、アンリエッタの隣に座っている人物、リッシュモンが驚き目を剥いていた。
すぐにリッシュモンは調子を整え、隣に座ったアンリエッタに声を掛けた。
「……陛下がお隠れになられたと聞いて心配しておりましたぞ、いつぞやの誘拐のような事がまた起こったとも……」
「ええ、あの時は本当に大変な事になりましたわ。 ですが今回のはアルビオンに国を売ろうとしている人物を捕らえるため、態々人目を忍び姿を隠させていただきました」
「………」
フードを脱がず、アンリエッタは真っ直ぐと舞台を見たままリッシュモンへと話し続ける。
「私が連れ出された時にアルビオンの者を手引きした罪、この国の重要機密を金で売っていた罪。 その他もろもろ、数えれば切りが有りませんわね」
「……それで、陛下が言う者は一体どのような人物でしょうか?」
「金に魂まで売った男ですわね、お金をかき集めてばら撒き、自分に従わせるよう工作し、従わねば罪をでっち上げ謀殺するような、とても卑劣な高等法院長」
その人物は一人しか居ない、名は言わないが誰であるか示している。
「逃げる算段はつきましたか? 例えばあの舞台の上にある抜け穴から逃げようと? それとも私を振り切って出入り口からでも?」
それを聞いたリッシュモンは表情を歪めた、自分の行いが全てばれている、その上逃走経路も把握されていると。
「どうぞお好きな逃走経路をお選びになってくださいまし、勿論どう足掻いても逃げられませんが」
宣告する、ここでお前は終わりだとアンリエッタが言う。
だが、その程度で諦めるリッシュモンではない。
「なるほど、全ては陛下の手の内でしたか。 まんまとしてやられましたな!」
リッシュモンは声を上げて笑いながら、両手を打って音を鳴らした。
それと同時に舞台の上で演じていた役者が演技を止め、隠し持っていた杖を引き抜いてアンリエッタへと向ける。
これも演技なのかと観客が声を上げるが、杖を突き出したままの状態で止まる役者たちに疑問の声を上げ始めた。
「煩いッ! 芝居は黙ってみろッ! これから声を発した者は殺す、冗談ではないぞ!」
煩わしいと思ったのか、リッシュモンは声を荒げて他の観客を脅して黙らせる。
静かになった劇場内に満足したリッシュモンは立ち上がって、アンリエッタへと向き直る。
「抜け穴が使えない、当然劇場周囲も取り囲んでいるのでしょう? でしたらあなたを人質にとってアルビオンへと渡る事にしましょう」
アンリエッタの手を取ろうとして。
「まさか、役者がアルビオンのメイジだと気が付いていないとお思いで?」
アンリエッタは視線を真っ直ぐ舞台に向けたまま。
「排除」
一言呟くと同時に、怯えていた観客の女性たちが素早く動き出した。
耳を両手で押さえたくなるほど、劈く轟音を響かせて煙が上がる。
その瞬間には、杖を構えていた役者たちが崩れ落ち、体中から血を流して息絶えていた。
耳を劈く轟音を鳴らしたのは銃、それも数十丁という数。
劇を観賞していた女性客の殆どがいきなり銃を取り出した事に、アンリエッタに杖を向けていたメイジたちは驚いた為に対応が遅れ撃ち殺された。
リッシュモンや撃ち殺されたメイジたちが気付けないのは無理がない、何せ銃を撃ち放った全員が平民なのだから。
「……さて」
アンリエッタはおもむろに立ち上がり、フードを脱ぐ。
僅かにリッシュモンへと顔を向けて、呆然としたリッシュモンの顔に視線を向けた。
「お次は?」
その声を引き金に次々と観客の女性たちが懐から短剣や、隠して持ち込んだのだろう剣を引き抜いて二人を囲んでいた。
「……無いのでしたら終わりですわ」
アンリエッタは周りの銃士隊員を見回した後、アンリエッタはリッシュモンから離れ歩き出してまた一言。
「捕らえなさい」
その命に従い、銃士隊が包囲を狭めてリッシュモンに迫る。
だが捕まる気など無かったリッシュモンは懐から杖を引き抜き、呪文を唱える。
銃士隊の数が多く、一人魔法で殺したとしても、その間に他の奴らが群がってくる。
忌々しい羽虫どもめ! 迫ってくる銃士隊に悪態を吐き、リッシュモンはフライで飛び上がって、なんとしても逃げ果せようとして失態を犯した。
「聞こえなかったのですか?」
劇場の天井スレスレで飛ぼうとしたリッシュモンの足に絡みつくもの。
アンリエッタに襲い掛かって人質にしようとした方がまだ勝算はあったかも知れない。
だがリッシュモンが選んだのは一刻も早いこの場からの逃走、それが明暗を分けたかもしれない。
「言ったでは有りませんか、もう逃げられないと」
それはアンリエッタが魔法で作り上げたウォーター・ウィップ、大気中の水分を集めて作り上げた、透き通る水の鞭は容易くリッシュモンの足を捕らえた。
フライで浮き上がろうとするリッシュモンと、絡ませたウォーター・ウィップで引き摺り下ろそうとするアンリエッタ。
魔法の技量だけで見れば、拮抗してどっちつかずになっていた、かもしれなかった。
「ぬぐっ!?」
何人もの男が引っ張っているかのように、見る間にリッシュモンの浮かぶ高さが下がっていく。
勿論、アンリエッタが腕力で引き摺り下ろしているわけではない。
単純な魔法の効果、リッシュモンのフライによる浮力より、アンリエッタのウォーター・ウィップの引っ張る力の方が強かった。
そもそも、アンリエッタが使う杖は代々王家に伝わるマジックアイテム、その効果はメイジが使う魔法の効果を強化するもの。
特に水系統は強化具合が大きく、ヒーリングともなれば秘薬を用いたと勘違いするほどの治癒力を発揮する。
つまり、水系統のウォーター・ウィップはマジックアイテムの杖の恩恵を強く受けて、通常よりも強力になっていた。
その強化された水魔法による結末、引き摺り下ろされると言うリッシュモンにとって認めたくない現実。
3メイル、2メイル、1メイル、そうして命運は決まった。
「ぐあっ!?」
座席を足場にして飛び上がる影、鈍色に光を反射する剣の切っ先が弧を描いてリッシュモンの右手首を大きく切り裂いた。
影は軽やかに着地し、リッシュモンは右手首を切られた事により杖を取り落として落下する。
カランカランと落ちた杖が音を立て、杖を失ったリッシュモンは座席の上に落ちて呻く。
「チェックメイト、もう逃げ場は無いぞ」
「ぬぐ、……私が声を掛けてやったというのに、誑かされたか!」
「確かに、貴様に誑かされたな」
リッシュモンの右腕を貫いた影、銃士隊副隊長のミシェルが転がる杖を踏み止めて切っ先を向けた。
そんな問答など無視し、アンリエッタはミシェルに命令を下す。
「副長、売国奴をチェルノボーグの最下層まで丁重にお送りなさい」
「はっ」
「寄るな、平民どもめが!」
往生際が悪く、右腕の手首近くから血を流しつつ、リッシュモンは捕らえようと迫る銃士隊に向かって腕を振るい暴れる。
「……陛下、死なない程度によろしいでしょうか」
「喋る事が出来るのなら、ある程度は認めましょう」
ミシェルはアンリエッタが認める言葉を耳にした時、剣を振り上げて、狙い済ました一撃を放つ。
「──ぐああぁぁぁ!」
振り下ろした剣はリッシュモンの右手を完全に切り落としていた。
右腕からの膨れ上がる激痛にリッシュモンは悲鳴を上げ、右腕を押さえて座席から転げ落ちる。
「……ああ、もし魔法を使われて逃げられたりしたら面倒だわ」
リッシュモンの苦しむ姿など見ても意味がないと、アンリエッタは劇場の入り口へと向けていた足を止め。
思い出したように振り返り、痛みの悲鳴を上げていたリッシュモンを見て。
「左手も切り落としなさい」
その命を聞き、即座に動いたのはやはりミシェル。
鞘に収め直していた剣の柄を再度掴み、鞘から擦らせながら引き抜く。
「仰せのままに」
それを聞いたリッシュモンの顔が見る間に青くなっていく。
「待て! 止めろ!」
剣の柄をを握ったままリッシュモンに近寄るミシェル。
「く、来るな!」
這ってでも逃げようとしたリッシュモンを、他の銃士隊員が踏み付けたりして動きを抑える。
そんなリッシュモンにゆっくりと歩み寄り、ミシェルは剣を回転させ逆手に持ち、狙いを定めて。
「ぁっぎぃああぁぁぁぁ!」
剣の切っ先をリッシュモンの左手首に突き下ろした。
ミシェルは手首を貫通して床に突き刺さっている剣の切っ先を引き抜き、もう一度狙いを定めて突き下ろす。
「ふぅぃぎああがががあっ!」
醜い悲鳴を上げるリッシュモン、ミシュルが突き下ろした剣の刃は狭く、それなりに細いリッシュモンの手首とはいえ一撃で切り落とすのは難しい。
故に二度三度、念入りに突き刺してリッシュモンの左手首を切り落とした。
「……このままそのか細い首に刃を振り落としてやりたいが、それは隊長に譲るとしよう」
切っ先に付いた血を払い、拭き取って鞘に剣を収めたミシェル。
見下す瞳には怒りの炎が浮かんでいる、リッシュモンの策略により邪魔になった父を謀殺され、母もその事に病み亡くなってしまった。
その上、リッシュモンに『それは王族のせいだ』と唆され、恨みを抱き、刃を向けようとした所にアニエスによって阻まれた。
本来ならば縛り首、どう罪を安く見積もったとしても死刑は免れぬ大罪。
アニエスはなぜこのようなことをしたのかミシェルに問い質して話を聞けば、出てきた名はリッシュモン。
金に心を囚われたリッシュモンの名を聞き、アニエスは今情報を集めている者が誰であるか話し。
自分の身の上までミシェルに聞かせた、リッシュモンがやっている事、それを聞いて最初は嘘だと信じなかったが。
集めている証拠も見せ、いずれ必ずやリッシュモンを討ち取ると、恨み辛み、ミシェルが浮かべていた感情が可愛く見えるほどの激情を見せた。
その思いが本物だと理解したミシェルは後悔を見せ、アンリエッタに謝罪、どのような罰でも受けると言った所。
アニエスは処罰を下すのは待って欲しいと、せめてリッシュモンを捕らえるまで延ばして欲しいとアンリエッタに嘆願した。
アンリエッタはそれを受け入れ、リッシュモンの事に関しての働き振りに応じて処罰を決めると言った。
さらには今までと同じ様に、銃士隊の副隊長に据えたまま。
心を入れ替えず、また命を狙うかもしれないと言うのに、その判断を下したアンリエッタにミシェルは驚いた。
馬鹿げた判断だ、そう思ったミシェルにアンリエッタは言った。
『期待は裏切るものではない事を、覚えていてもらいたいわ』
普通であれば考えられないような判断をしたアンリエッタに、ミシェルは感服。
誰が父を謀殺したのか、真の犯人を調べ上げた結果を見て燃え上がる様な怒りを感じた。
さらには銃士隊隊長であるアニエスの身の上に同情した事、アンリエッタによってその復讐の機会を与えられた事など。
ミシェルはより深く考えを改め直し、アニエスと同様に、アンリエッタに心からの忠誠を誓った。
故に向けるのは怒りの双眼、床で蠢く金に魅入られた屑を見る。
「……平民、如きがぁ!」
「その平民如きにやられているメイジが居る様だが?」
痛みに苦しみ、睨むようにミシェルを見るが。
その視線にミシェルが返したのは顔面への蹴り、歯を圧し折るほどの力を篭った蹴りだった。
「ぐがあぁ、うごごお!」
いい加減煩くなったのか、銃士隊員がリッシュモンに猿轡を掛け、まともに喋れなくしている。
そんなリッシュモンを見て、アンリエッタは水晶の杖を向けて近付いた。
「そうでしたわ、途中で死なれたら困りますから」
リッシュモンへと水晶の杖を向けて、ヒーリングを使ってリッシュモンの傷を癒す。
「あが、ああああぁぁ!」
切り落とされた腕の傷、血が流れ出す側面が塞がれ血が止まる。
アンリエッタが行ったのは傷口を塞ぎ、出血を防ぐだけの簡単なヒーリング。
水のスクウェアメイジが高級な秘薬を使ったヒーリングを施せば切り落とされた腕の接合も可能であるが、この場でそれを行ってやる者は居ない。
つまり腕の傷口が塞がった今、リッシュモンの手は二度と接合する事は無い、これから一生両手を使う事無く生きていくしかなかった。
だが、その心配は長く続かない事をアンリエッタはしっかりと理解している。
「出来るだけ早く、アニエスを私の下へ」
「ただちに」
そもそも、アンリエッタはリッシュモンの事などもうどうでもよくなっていた。
走っていくミシェルを見つつ、考えるのはルイズのことだった。
待つ事数分、ミシェルが呼びに行ったアニエスをアンリエッタは劇場内部の入り口で待っていた。
傍には銃士隊員が控え、もしもの時に備えている。
「………」
ただ水晶の杖を持ち、椅子を勧められても必要ないと断り、もうすぐ来るだろう者を入り口で待っていた。
そうして外から金属が擦れる音と足音を聞いて入り口に視線を向ける。
「遅れて申し訳有りません、陛下」
急ぎ現れたのは、劇場の抜け穴の先で待機していたアニエスと、呼びに行ったミシェルの二人だった。
「そんな事はどうでも良いわ。 アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランに命じます、銃士隊副隊長を補佐とし、リッシュモンから有益な情報を引き出しなさい。
またその情報を引き出す過程に置いて、ありとあらゆる行為をトリステイン王国国王、アンリエッタ・ド・トリステインの名において認めます」
「は! その任、謹んでお受け致します」
アンリエッタの足元にアニエスとミシェルが膝を着き、頭を垂れて頷く。
宣言した内容は、情報を引き出せるなら拷問も許可すると言う物。
「それと、情報を引き出した後の処分は貴女方に全て任せます」
それを最後に、アンリエッタはアニエスとミシェル、その二人の間を通り抜けて劇場の外に出た。
「……感謝いたします、陛下」
アニエスとミシェルは心の底から、アンリエッタに対して感謝の念を持ち、より一層忠誠を誓った。
タニアリージュ・ロワイヤル座で起こり、終わった捕り物劇。
ほんの一部の者には死ぬほど大不評な筋書きだったが、それ以外には好評で幕を閉じた劇場と関係無い、魅惑の妖精亭の屋根裏部屋で目を覚ますのが一人。
「あが……」
「やっと起きた? サイト」
妙に重たい瞼を開き、目を覚ましたのは才人。
ゆっくりと体を起こして、声がした方向を見る。
才人の視線の先には椅子に腰掛けるジェシカと、寝る前と変わらずベッドに横たわるルイズの姿。
「慣れない仕事で疲れてた訳? ずいぶんとぐっすりと寝てたようだけど」
あー、そう呟きながら才人は頭を掻いた。
「……わかんね」
一回目が覚めたような気がするが、多分二度寝したんだろうと考えた。
現に起きた時の事を覚えてなかった才人だった。
「もうすぐお昼よ、昼食用意してるけど食べる?」
「……うん、食べる」
ぐぅ、とお腹が鳴り、腹が減っている事がわかる。
「それじゃあ持ってくるわね、あと今日も休みでいいわ。 ルイズを放っておけないでしょ?」
「……おけねー」
顔を叩きながらの才人、それを聞いてジェシカは笑って立ち上がる。
「それと、アンが『昨日のお話は無かった事に、ルイズの事を御願いします』って言ってたわよ」
「……昨日の?」
覚醒した意識で部屋を見渡せど、アンリエッタの姿が見えない事に才人は気が付いた。
「じょ……、アンはどこいった?」
「もう出て行ったわよ、大事な用があるからって」
昨日の話って、裏切り者を捕まえる話だったよな。
それを無かった事にするってのは、別に俺は要らないって事か?
「……アンとどっか行く約束でもしてたの?」
「そうだけど、行く必要無くなったらしい」
「……ルイズを置いて?」
「ルイズが起きてたら多分行ってたんじゃないかな、危ないらしいし代わりに俺が行こうかなーと」
「……なるほど、それは男の仕事ね」
どこに行くのか、それを聞いてない才人は追いかける事は出来ない。
その上アンリエッタからルイズを頼むと言われたら、余計に追いかける事は出来ない。
追いかけていったとしても、怒られそうだと思う始末だった。
「とりあえず昼食持って来るわ」
「ああ、頼むよ」
才人は立ち上がって背伸びをし、ジェシカは床の扉から部屋を出て行った。
「………」
その様子を見て、扉が閉まった後。
ベッドに寝ているルイズを見た。
「………」
あれ? なんか忘れているような……。
寝ているルイズを見て、なぜか脳裏にアンリエッタの声が響いた。
『……起きて下さいまし』
ハッとして才人の顔色が急速に青くなっていく。
恐る恐るベッドに近付き、ルイズに掛けられているブランケットの端を掴んで少しだけめくって見る。
「……や、やべぇ」
才人は寝る前に見たルイズの服と、今来ている服が違う物だと気がついた。
次々に思い出していく、アンリエッタがルイズの体を拭こうとして才人を起こそうとした事。
それに寝たふりをしてその光景を覗き見ようとした事、それを見抜かれ魔法を掛けられた事。
「あわ、あわわ……」
才人は恐ろしくなった、下心を出したばかりにアンリエッタの怒りに触れたんじゃないかと。
いやまて、本当に怒っているなら御願いしますなんて言わないはずだ! なんとか希望を見出そうとして考えながら部屋をうろうろする。
どうしよう、どうしよう、考えても言い案が浮かばない。
この際やっぱり寝ていましたで通すしかないのか、そうしてがくぶるしていた才人はいきなり鳴った物音に飛び上がった。
「サイトー、持ってきたから受け取ってくれない?」
床の扉から顔を出したジェシカ、才人は溜息を吐いて浮かんでもいない額の汗を拭うように腕を動かす。
「なにしてんのよ」
「い、いや、なんでもない」
才人は扉に寄って、下から差し出される昼食を受け取って、テーブルの上に置く。
……飯食ってから考えよう、才人は現実逃避に入った。
「ねぇサイト」
「なに?」
「あのアンって子も貴族でしょ?」
昼食をテーブルの上に並べ、スプーンを動かしていた才人の動きが止まった。
正解である、貴族も貴族、なんたってこの国の王様。
ジェシカは些細な動揺であっても見逃さなかったが、それ以前に才人はあからさま過ぎた。
「いいわよ、何も言わなくても。 当たってても外れててもどっちでも良いから、第一独り言だしー」
そんな才人を見てジェシカは笑みを作り、話を続けた。
「ルイズにも言える事なんだけど、動き方があれなのよね」
「……あれ?」
「そ、『あれ』」
あれと言われても才人はピンとこない、なにがあれなのか全く持って分からない。
その疑問に答えるのもジェシカ、才人は黙ってジェシカの話を聞く。
「真っ直ぐなのよね、背筋が。 こうやって、ピンっとね」
才人がジェシカを見れば、口で言ったように背筋を真っ直ぐにしていた。
「歩く時だって真っ直ぐだし、座ってる時も真っ直ぐ。 なんて言うか、いっつも人の目を気にしてるような感じなのよ」
すげぇ、本当にすげぇ。
才人はただ感心した、自分が全然気にしてなかった事に当たり前のようにジェシカは気が付いた。
そこでどうやって貴族って事になるのかよく分からなかったが、とりあえずすげぇと思ってしまった。
「ま、それはただの推測の一つだけだったけどね。 決め手になったのは下着よ」
そう言ったジェシカは、右手の人差し指を立てた。
「下着?」
「サイトも男の子だし、詳しく話すつもりは無いけどね」
ジェシカが言った下着とは、世間一般の平民が穿く女性用下着のドロワーズ。
才人が知っている一般的な女性用下着とはパンティーと呼ばれるあの形状、ドロワーズと違う膨らんでいない肌に密着するタイプ。
ハルケギニアでは基本的にパンティーは高級品、それこそ毎日ドロワーズではなくパンティーを穿けるのは裕福な家か貴族くらいなもの。
先日の徴税官の事で、実はルイズは没落していない現役の貴族でそれなりの偉い立場にある、と言う認識が魅惑の妖精亭内で定着していた。
だったら裕福な平民ではなく、貴族だと判断するに至る当たり前の出来事。
「それにルイズが貴族だとして、その友達が平民な訳ないでしょ? ……いやまぁ、ルイズなら平民の友達も居そうな気はするけど」
現に今の寝ているルイズも、体を拭く時パンティーを着用していた、その上換えも所持していた。
仕事の時に穿くのは当たり前、スカートの丈が短いキャミソールでドロワーズなんて穿けば、全く持って見栄えが悪い。
そうではない時、昨日のルイズの時のように休日に穿くような子は魅惑の妖精亭に居ない。
何枚か店で支給をしているとは言え、休日も穿いていれば、ワインを零したりした時などの換えが足りなくなったりするから。
そう言う点で休日に穿くような子は居ない、居るとすれば自前で所持している者だけだった。
しかしハルケギニアでは一定の品質で大量生産などと言う概念は無く、基本的に手工業、オーダーメイドに近い性質を持つ。
一着一着、手で直接編み上げたりする物である為に、それに見合うだけの値段が掛かる。
その上、ルイズが穿くのは肌触りなどを重視して、絹など高級な生地を使ってある物。
女性用下着の中で間違いなく最高級に位置する、魅惑の妖精亭で支給しているものとは比べ物にならない品質。
ジェシカはルイズの体を拭いた時に、換えの下着を見て触れていたため、とんでもない高級品だと気が付いた。
「考えれば、徹底的に叩き込まれたような整った姿勢に、徴税官をクビに出来る権限を持ってて、平民じゃ全く手が出ないような高級品を身に付けている。 ここまで揃ってて貴族じゃないって言う方が無理なんじゃないかな」
才人は何にも言えない、ばらしちゃ駄目とか言われていないけど、逆にばらしても良いとも言われていない。
できる事は知らない振りだとか、はぐらかす事だけ。
勿論そんなのはジェシカにとってバレバレで、ちょっと話を振れば面白いように才人が反応するために簡単に分かってしまう。
だからといって言い触らすわけでもなく、魅惑の妖精亭でそんなことをする者も居ない。
ジェシカたちからすれば、知らない振りをするならその意を汲み取って、素性を聞かなかったり喋らなかったりする。
ジェシカは好奇心旺盛だからか、よく才人に話を振るが聞いた話はスカロンを含めて誰にも喋らないようにしていた。
「まぁ、ルイズやアンが貴族でもどうでもいいけどねー」
流石に未だにばれていないと思うほど才人は阿呆ではない、ばれてても黙っててくれるなら何か言うわけじゃないし。
そんなところで考えれば感謝した方がいいのかな。
「……それにしても、早く目が覚めると良いわね、ルイズ」
「……ああ」
二人は未だ眠り続けるルイズを見た。
早く目を覚ませば良いのに、そう考えながら。