いつ死んだってかまわないと思っていた。
生きることに絶望していたわけではない。死に希望を見出したわけでもない。
僕という人間はたしかに生に無頓着で、死ねば終わりという言葉に肯定的な意味を見出していた。自殺などについても硫化水素や電車への飛び込みなど他人様へ迷惑をかける方法さえとらなければそれも良いと思う。尊厳死にも大いに賛成。
自身もちょっと辛い期間が続くだけで、空から槍でも降ってきて痛みもなく死ねないかなどと、ろくでもない妄想にふけったりもする。
しかし、このときの僕は、間違いなく輝いていたのだ。大学三年の学年末テストが終わってできばえもまずまず。これまでに落としていた単位もここで挽回ができた。研究室配属もおおむね希望通りの結果が見えて、四年が始まるまでまだ一ヶ月以上もある。
満喫しようじゃないか、ハッピーライフ、ナイスホリデー春休み。テストはない、授業はない、宿題もなく、今はバイトもやっていないし、就職活動も院に進むつもりなのでまだ先だ。ゲゲゲなお化けも驚きの麗しきないないづくし。そこにはひたすら生きる喜びが満ち溢れている。
けれど、それでも、今の僕には死んでもいいかな♪ などと、ほんの微小ではあるが思ってしまっていたことを否定できない。それがこの現状につながっているとも同様に否定することはできなかった。
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アホウ少年 死出から なのは
第0話 みんな文化してる?
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[遺書.exe]なるファイルが存在する。
パソコンとは非常に便利なもので多岐に渡る作業をそれ一つで行える。いまどきの若者がいったいどれだけそれなしに学生生活を営めるものであろうか。レポートの作成にはワープロソフトが必須。得られる情報の信頼性には難があるとはいえインターネットの情報力は紙媒体のそれと比べて比較にならない速さがある。実験データから家計まで、データの編集にいちいち電卓をはじいてなんていられないし。娯楽にも有用だ。オナニーとか、自慰とか、シャドーセックスとか、セルフバーニングとかが代表的なその一部であろう。
それだけにパソコンにはその使用者のありとあらゆる機密とプライバシーが集約され、その有用度に比例した量の火薬を搭載する恐怖のパンドラボックスとなりえるものである。
それが暴かれる恐怖とはまさしく人類の共通無意識的な根源的忌避感であるといえよう。雪山で遭難して今にも危険な眠りにつきそうなときには「ハードディスク」強く叫んで睡魔を払う習慣が広くにわたって存在すること。もしくは、一方が死ねば残った者が遺されたハードディスクを破壊する契約を交わした二者が義兄弟と呼ばれることを知れば、パソコンが覗かれる恐怖を理解できるだろうか。ちなみにこの二例は嘘である。
閑話休題。
とにかくパソコンを他人に見られるのはいやだ。いやなことにはそれ起きないように対策することこそホモ・サピエンスのしかるべきあり方だろう。
そこで僕は日常的に存在するパソコンが暴かれる恐怖を[遺書.exe]を導入することをもって対策とした。[遺書.exe]とは要するにハードディスクの消去プログラムで、これをひとたび起動すれば僕のハードディスクに秘められた情報が復元不可能なレベルで全削除されることになる。[遺書.exe]はパソコンの起動とともに表示されるデスクトップ画面をごみ箱と共に占領し、そのアイコンはメモ帳に偽装し、拡張子は隠してある。
こうしておけば僕のパソコンを僕の不在に覗く輩はまずこれを起動するだろう。パソコンを盗み見られる場合にしろ、僕が何らかの原因で死んで僕のパソコンが遺品となった場合でも、これで僕の守ってきた僕の紳士的な在り方は守られる。
これを設置したのが昨晩。
完璧だね、HAHAHAHAHA。これでいつ死んでもオッケーさぁ↑
などと思ったせいだろうか、ホントに僕は死にかけている。
レンタルしていたDVDを返却しようとしていた。青信号を渡っているさなか右折する大型トラックが僕を大きく弾き飛ばしたのだ。
ガッシと飛んでボカッと着地、というか叩きつけられゴミくずのように地面を転がった。まだ死んでこそいないが、赤く染まった視界がそのような予感をビンビンさせている。激痛と同時に、妙にふわふわとした心地。人の喧騒が遠く、誰かが強く声をかけているようだが他人事のように感じる。口はだらしなく開き、そのくせまぶたはとても重い。晴れの日のはずなのに妙にシットリぬるぬるとしたアスファルトから急速に熱が奪われている気がした。
それが走馬灯というものか、そこで頭に浮かんだのが昨日パソコンに仕掛けた[遺書.exe]のことだったからこれまた救えない。
悔いはなく、それどころかここで絶えるのも良いかもしれないと、仕掛けたイタズラが十全に機能するだろう僕のいない未来を想像して面白みさえ感じてしまっていた。
僕はゆっくりと赤い視界を閉じようとして―――ソコにソレを見た。
死ねない。ぼやけた心の中でそう思った。
さびた機械のような手を必死に伸ばす。腰をやられたか。下半身の感覚がなくなっていることに気づきながら、それでも痛みをこそ生の実感としながら僕は必死に手を伸ばした。
だって無念が過ぎるじゃないか。いままでの人生、物心をついて分別を知って以来、必死に隠してきた僕の性質。自身を偽り、外界に対していつも仮面をつけていた僕の本当をどうしていまさら暴き立てられなければいけないのか。
人は今にしか生きていない。過去も未来もその瞬間ごとの認識に他ならない。故に死後とは想像することによって確かに存在し、その想像が穢れることこそ無念であり未練である。
立て、立つんだ。死んではいけない。いやだ死にたくない。立って、レディと肩をぶつけたときのように微笑んで落としたものを拾ってさわやかに立ち去らなければいけない。あくまでエレガント。僕のその性質に疑惑の余地すらなく連想のきっかけさえなく歩き去らなければいけない。だってそうしないと僕の一生があまりにも無様じゃないか。
必死に手を伸ばし、血を吐きながらその手を伸ばして、血に濡れたアスファルトで指を滑らせた。ぐしゃりと体が血に落ちる。壊れたひしゃくから水が流れていく。濡れた体は真っ赤に染まり日光に浴びてさんさんと崩壊する。もう一度、もう一度と試みを穴の開いた胸をたぎらせて震える指を開いた。イタイイタイ、もはや痛くすらない。思考が機能が人間性が頭の裂け目から流出していく。僕という肉体が死体へと近づいていく。血が流れる。命が流れる。思考に闇が入り込んだ。
そういえば僕は何をしようとしていたのだったっけか?
それでもついにはソレに手をかけて、
僕は死んだ。スイーツ(笑)
彼が最後につかんだモノ。それはこの日、彼が出かけ、事故現場を通ることとなったそもそもの要因であるレンタルDVDの返却袋。
その中身こそ彼が隠れながらも愛したサブカルチャーのその一端。
『魔法少女リリカルなのは』
――――――――――――始まります。