4月のある日、そういえば僕ってばいつのまにか小学3年生になっていることに気がついた。まあ、学年云々は相変わらず学校に行っていない僕にとってはしごくどうでも良いのだけれど、リリカルなのはの原作が始まるのもなのはたちが3年生のときだった気がする。僕とはやてがおなじ学年だから、つまり今年だ。
ただ、詳しい時期は何時だったか。A’sの本筋が終わるのがクリスマスなのは覚えているが、無印は何時ごろだろう。梅雨よりも前だとは思うのだけど。
そもそも本当に無印は始まるのか? あれは事件の発端からして偶然の要素が強かったけれどバタフライ現象の影響は? 僕という異分子が混じった状態で本当に世界はアニメと同じように進行するのだろうか。
逆に、僕という存在も含めてアニメのあのストーリーが成り立っているとも現段階では考えられる。アニメでも望月愛天使というはやての友人が本編に絡んでこないだけで実は存在したのかもしれない。あのアニメのバックグラウンドには現実からやってきて、その先の展開を知っており、それでいて画面に映ることもなく、未来に関わることのできないクソのような存在がいたのかもしれないのだ。
リリカルなのはは基本的にハッピーエンドだ。介入しなくては命が危ないなんてことはなく、どうしても変えなくちゃならない未来があるわけではない。だが、どんなにがんばっても僕に目の前でおこる現実に触れることもできないと考えると怖気が走った。
幸いに、これを確かめるのは簡単だと思われる。僕が本編にストーリー上、無視できないほど絡めばいい。
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アホウ少年 死出から なのは
第3話 こんな日がふつう
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だからというわけでもないが、僕ははやてと友誼を結んで以来、ちょくちょくと顔をあわせるようになっていた。
「よっしゃあ、これでオプション4つ。完璧やあ」
「ちょっ、こらてめ。はやて、今のパワーアップ僕のだろ」
「なにいってるんやアイリ、そんなん早い者勝ちに決まってるやないか」
悲しいけどこれ戦争なんよね~、とはやてはご満悦だ。くそっ、スピードアップしすぎて壁に激突してしまえ。
出会って初めの頃はははやてと会うのは図書館が多く、一緒に本棚で本を物色したり、たがいに好きな本をおすすめしあったたりしていたのだが、だんだん外にも出るようになってきた。とはいえはやては足が悪いから他の同年代のように飛び跳ねて遊ぶようにも行かない。僕が車椅子を押して公園なんかを散歩することが多かった。それではやてを送ったりしているうちに家までお呼ばれしたしだいである。最近では待ち合わせはやめて、最初から僕が八神家にお邪魔するようになっていた。
今日は二人テレビに向かい合ってテレビゲームをやっている。
「よっし、パワーアップ。レーザーゲット」
「ああーっ。それわたしのやん」
「えー」
「だいたいなんや、そのレーザー。なんで輪っこや、攻撃力も弱いし。そもそも何でオプションそろえてからレーザーなんて邪道や」
「ほっとけ。威力より手数で押すほうがすきなんだからいいじゃないか、っとボスかな」
「おお♪ 来た来た。ってあああぁああーっ! なに、なんや今のいきなり後ろから。ずっこ。いまのずっこやあ」
「何という初見殺し。僕も死んだ」
「あかん、残機ない」
無味乾燥に告げられるゲームオーバーの表示のあと、切り替わったタイトルのデモムービーをはやては納得がいかないといった様子で見つめている。
ちょうどいいタイミングかもしれない。
僕はかねてから気になっていたような形を装って切り出した。
「ところで、はやての家って親御さんは?」
「――え」
はやてが表情を失うのを見て僕は言い訳がましく付け加えた。
「いや、こうも毎日のようにお宅に邪魔している身としては、いいかげん挨拶くらいしとかないとだけど……」
ものすごい悪いことをしている気がする。はやての両親はすでに亡くなっているのだ。わざわざ傷口を撫でて遊ぶような行為にいいようのない趣味の悪さを感じた。だが、知るはずのない者としてこれはここらで聞いておかなければおかしいことだ。
それにアニメ由来でしか知らない情報はできるだけ確認しておかないと、いつかアニメとこの世界の差異に足元をすくわれるかもわからない。
ただわざわざ聞いておいてなんだが、この家ははやて以外の人間がいる雰囲気ではない。例えば台所に置かれている食器の枚数や、洗面所の歯ブラシの寂しさからそれが伺えた。
「はやて?」
はやての顔を覗き見る。熱のない、感情をそげ落とした能面のような表情だった。前に足がどの程度悪いのか聞いたときはこんなことはなかった。きっと作った苦笑いではあったが、それでも表面上は笑っていてくれた。それがいまの血の気の失せた白さは死蝋のようにすら見えた。
「死んでもうた、二人とも」
「そっか」
よかった。
いや、ご両親が亡くなっているのもはやてが悲しそうなのも良いことなんてちっともないのだが、ここでわたしのおとんとおかんはいっつも帰りが遅いんや、なんて言われたらいろんな意味でややこしいことこの上なかった。
さて、極悪人になったようで胸が痛むがもう一歩踏み込ませていただくとする。
「じゃあはやてはどういうふうに暮らして? そういえばキッチンなんかいろいろ手を加えてあったけど。まさか、この家で一人で?」
「そやな」
「はあー、そりゃ難儀だ」
呆れとも感嘆ともつかないため息をつく。その行為は演技なんかじゃない。
考えれば考えるほどにはやての環境は無理がある。まず小学3年生の女の子が両親をなくして一人暮らしという時点できっついのに、加えてはやては足が悪い。何年こんな生活を続けているのかは不明だが、いまのはやてが極端に臆病になることも、ひねくれることもないなんて奇跡的とすらいえるだろう。
なんの添え木もなくまっすぐに伸びる若木を思わせる彼女のありようはまるで性悪説に対する反証のようだった。
「まあ、なんだ? 困ったことがあったら僕にいいなよ。可能な限り力になるからさ」
「うん、おおきに」
湿った感じになってしまった。ゲームのデモ画面で機体がやられるのを見届けて僕は新しいゲームを物色し出した。僕はこういう雰囲気が苦手なのだ。こういう白々しい、もとい重々しい空気の中にいるとなにをすればいいのかわからなくなる。
前の人生で、最期になるだろうからと連れられた病床の祖母を前に、なにをしゃべればいいかわからず、ひたすらその濁った瞳を見つめるだけしかできなかったことがあった。今も超魔界村というホラー風で主人公がすぐ白骨死体化するゲームを手に、やっぱ死を連想させるゲームはやめとくかなんて悩んでいるあたり一回死んでも僕は成長していないのかもしれない。
とはいえ僕らは若い。ずっとうじうじなんてできようはずもなく、
「ディア↑」
「ちょおっ、アイリ。やめてぇな。イタっ、痛いって。わたしにもあたっとるわ」
「フゥハァハァハァハァ、世はまさに世紀末、弱肉強食こそ真理なのだよ。っと、ナイフ痛ぇ、よっしガムゲット」
「敵が吐き捨てたガム食べて回復ってどうなん?」
新しいゲームで遊んでいれば勝手に会話の切片は得られるし、そうこうしている内に普通に戻っていた。
いやあ、テレビゲームの黎明期なんかはゲームばかりやって外で遊ばないと、子供たちのコミュニケーション能力がちゃんと発育しないんじゃないかとかいわれてたけどそんなことない。子供にとってテレビゲームはコミュニケーションツールにもなりうる。
ときおりゲームのムチャな展開に突っ込みをいれつつストーリーを進めていく。カチャカチャととコントローラーを鳴らして敵を倒していく。
何度かの全滅/コンティニューをはさみ、ゲームの歌舞伎っぽいラスボスを撃破したときにはだいぶ空は暗くなっていた。
「さって、キリもいいしそろそろおいとまさせてもらうよ」
「え、もうなん? もう少しくらいいいやん」
「といっても良い子はお家に帰る時間だしね」
この地域は夕方遅くになると赤とんぼのBGMとともに、『良い子の皆さん、お家に帰りましょう』な放送が流れる。夏では6時に放送だが、この季節ではまだ5時。現在は5時10分で、さっきまでやっていたゲームのエンディングスタッフロールの最中に聞こえていた。
「良い子はお家に帰ってるで」
はやてはグッと握りこぶしを作って在宅をアピールした。
「いやいやいや、いるから。もう一人いるから。君の目の前の良い子がお家に帰ってないじゃないか」
「なにいってんのや。世間様は学校いかん子を、良い子いわんよ」
「失礼な。これでも僕はかつて近所ではちゃんと挨拶のできる良い子として通っていてだね」
「そうやな、良い子やな、愛の天使さまやもんな」
「やめい」
「あいたっ」
でこぴん。はやては大げさに両手で額を押さえ込んだ。うっすらその瞳が濡れているのは気のせいか。
僕は呆れ顔でソファーにどっかと雪崩れこみ、偉そうに足を組んだ。
「まあ6時くらいまでは大丈夫か」
「うん!」
残り50分弱。これだけの時間でできることは多いようでもあるし、少ないようでもある。
とりあえずはやては大貧民を知らなかったので教え込んでみた。
このゲームはローカルルールが山のようにあって、もはやなにが正しいのかは定かではない。
「ちなみに大富豪でも同じゲームをさすからおぼえとくといい。僕としてはあくまで大貧民って呼び方を推すけど」
「ふーん、アイリはお金持ちと貧乏なら貧乏のほうをみるんやな」
「どちらが近いかといえば明らかに後者なもんでね」
ばさっとカードを4枚出す。コレで上がりだけど、やっぱ2人だけだといまいち盛り上がりにかけるな。以降のカードの強弱を逆転させる『革命』での上がりはまだ戦い続ける人たちが計算を崩されたことで発する怨嗟の声が醍醐味なのに。
始めの何度かは注釈しながらで僕の勝ちが続いていたが、以降は普通に勝ったり負けたりだった。
そして6時になった。
「んじゃ、帰るわ」
「うん」
今度ははやても引き止めることもなく玄関までやってきたのだが、
「ほな、また明日、な?」
ものっそ寂しそうにしていらっしゃるはやて嬢。別れ際に不安をのぞかせる珍しくないが、今日は親のことを話したせいかいつもの比ではない。いや、それとも僕が勝手に意識して深読みしすぎているだけか? わからん。わからんが、ただ、僕の気持ちをひきつけるその強い磁石のような瞳を振り切ることのなんと難しいことか。無理に足を動かして帰ろうにも、ここに心を落としてしまって僕は帰り道にでもノドをかきむしって死んでしまいそうだ。
いや、まじで。そんな枯死寸前のウサギみたいな目で見るのはやめてください。僕だって別にあんな廃墟にどうしても帰る必要なんてないのだから、延々と残っていたくなってしまう。――ん? 帰る必要がないのだから、延々と残ってもいいのではなかろうか。いやいやいやいや、まずいだろ。
僕は苦し紛れのような声を上げた。
「ところではやてって勉強はどうしてるの」
「うん? 一応やっとるよ。通信教育のやつやけど、あと病院でも教えてもらっとる」
「いいことだ。僕も学校にこそ行っていないけど学ぶことまでやめたつもりはないよ。図書館でよく参考書を借りたりしているんだ」
「はあ」
はやてが何を言いたいのかわからないといった感じであいまいにうなづく。
察してくれないかなあ、察してくれるはずがない。今の僕の言いようは婉曲というよりむしろ衛星的だ。本題の周りを、つかず離れずで回っているという意味で。
これではいけない。密かに気合を入れて一気に大気圏に突入した。
「一緒に勉強しないか?」
「はあ?」
いかん、いかん。今度は唐突過ぎた。摩擦で燃え尽きる前にさらに軌道を微修正。
「だから、一緒に勉強しないかって。はやても僕も学校に行っていないぶん、自分で勉強しなくちゃだろう? だから一緒の場所で一緒に勉強をするようにすれば、お互いモチベーションが維持できていいんじゃないかと思うんだよ。それにわからないところがあったら教え合えると思うし」
こちとら仮にも元大学生、小学生の範囲くらい教えられないはずがない。しかしこうなるんだったら家庭教師のバイトでもやっておくんだったなあ。同輩に家庭教師やら塾の講師やらをやっている人はたくさんいたが、僕は一回の勤務が長時間とれるのに惹かれて深夜のコンビニでバイトをやっていたのだ。いまさら仕方がないけど悔やまれる。
と、はやての反応がない。
やっぱり押し付けがましすぎただろうか。無難な断り文句を探しているも、見つかっていないのかもしれない。だとしたらちょっとへこむ。でも、それならここは僕から断る理由を提供すべきだろう。
さも、いま思いつきましたよ、てな感じで言ってみる。
「あ、でもそうなるとはやての家事の邪魔になっちゃうか。ちゃんと勉強するとなると午前中からはやてのトコにお邪魔しなきゃだし。やっぱ……」
「――――! 乗った!」
「うおうっ?」
はやてが車椅子の上で手を打った。
「遊ぶ時間に勉強しようゆうやないんやな? ただ、アイリがこれまでよりも早くうちに来て、んでいっしょに勉強して、そのあといっしょに遊ぶ。そやな?」
「うん。そのつもりの提案だけど」
こう言うと望月愛天使とやらはどんだけ偉いんだよという感じだが、ぶっちゃけた話がはやての人恋しさを慰めてあげようとしての提案だ。僕がはやてといる時間を増やすのが前提になる。
「でももちろんはやてが時間的に不都合で、午後しか空いてないならその時間に勉強でもかまわないけど」
「ちょい待ちいや。あかん、それはあかんで」
ぷるぷるとはやてが首を振る。そのたびに癖のない髪が揺れて、顔に引っかかった髪が面白いことになっている。こほんと一息。はやては髪を軽く整えてから言った。
「とにかく午後からとかそれは悪魔の提案や。アイリが来るのは午前中から。でなきゃ勉強なんてせえへんで」
「あ、ああ。わかった」
「ん。じゃあ指切りや」
差し出された小指に、僕も小指で応える。
はやては絡ませた小指と陽気な歌に乗せて指詰め、ゲンコツ万回、針千本飲ましを契約破棄におけるペナルティとして迫ってきた。冗談だ。
はやてはつながった小指ごしに僕の右手を振り回しながら陽気に明日からの約束を歌い上げた。こりゃ、破るわけにはいかんな、僕はうれしそうなはやてを見ながら思った。
あたたかな指と指。歌いきりと同時に離されるが約束の糸は二人の小指を繋いでいる。
『ゆーび、きった』