「あれからしばらく経つ、そろそろ俺たちの仕事の再開といくか」
西洋のシーツお化け、あるいは、東洋の獅子舞と見える異形が、語りだす。
「俺たちのモットーは!?」
「安全運転、安全運行!」
制帽制服、ゴーグルとスカーフで顔を覆った運転手が応え、
「危機に対さば、即退散」
ざんばら髪を雑に束ねた着流しの和装、目に隈の化粧を施した二十代半ばの女が締める。
「‥‥‥‥‥‥‥」
それは、その英語教師にとってそこそこは慣れたプレッシャー。
しかし、かつて感じたような視線ではない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
教室のど真ん中の席で腕を組み、まるで見下すような、教師に対する敬意をまるで含まない視線を飛ばしてくる黒髪のロングヘアーの小柄な転校生、シャナ・サントメール。
(ダメだ)
反応してはいけない。
近衛史菜の時よりも何かトゲのようなものを感じる。
あの少女は単に教師願望のようなものがあるだけで自分に悪意は向けなかったが、この転校生は違う。
確実にきついカウンターを食らうに違いない。
近衛史菜のブレーキ役たる坂井悠二の知り合いでもあるらしい(またか、と思う)が、この転校生のブレーキになるとも限らないし、そもそも席が離れている。
ダメだ、自分から地雷を踏む事はない。
しかし、教師の自尊心は口を開かせる。
「こっ、こらサントメール!、教科書を開かんか!、不真面目だぞ!」
そして、
「"お前"‥‥‥‥」
彼を突き動かした自尊心は砕かれる。
「‥‥‥随分、こざっぱりしたな」
「静かで良いです」
「皆、耐性無いなー」
昼休み、教師をその頭脳と不遜な態度で次々と撃沈したシャナ・サントメールにより、教室は静かなものだ。
悠二達のグループ以外、皆、避難している。
「まあ、ヘカテーにしたら良かったんじゃない?
午前中、全部先生やれたんだし」
以前のプール以降、仲良くなり、『ヘカテー』と呼ぶようになった緒方がそう言う。
「はい」
迷わずそう応えるヘカテー。満足そうである。
「坂井君、おべ‥‥‥」
吉田一美が坂井悠二に弁当を渡そうとして、中身を見て固まる。
それを横目で見て、得意そうにしているヘカテー。
「てめぇ!、またやりやがったな!?」
「小腹が空いたので」
「嘘つけ、この小動物が!、苦しそうにしやがって!」
そう、吉田が度々、悠二に弁当を持ってくる。という、ヘカテーにとって面白くない事態を阻止するため、ヘカテーは午前のうちに吉田の弁当を自分が食す、あるいは弁当を渡す際に物理的に妨害するという、激しく短絡的な手段を用いていた。
元々、食欲旺盛だが、言うほど大食いではないというヘカテーである。四時間目の前に食べた吉田弁当のせいで今、弁当を食べるのが少し苦しそうだ。
もちろん、吉田もやられっぱなしではない。
ヘカテーの盗み食いを予期し、弁当にタバスコなどを仕込んでヘカテーを苦しめた事も多々ある。
二人がそんないつもの争いをする中、
「シャナちゃん、こっちおいで!」
平井が、少し離れた席でお菓子の山を貪っていたシャナを机ごと引き寄せる。
「え?、私は‥‥」
「いいからいいから♪」
それを横目で見る悠二。
フレイムヘイズ相手でも相変わらず自分のペースに持ち込んでいく平井に少し感心する。
「‥‥‥なあ、佐藤、あの子もフレイムヘイズなんだよな?」
「らしい」
『この世の本当の事』を知る面子の中で、一人、情報が遅れている田中が小声で佐藤に訊き、佐藤も小声で返す。
一方、シャナ。
「‥‥‥まあ、いいけど」
あまり人が多いのを好まない彼女だが、この平井ゆかりの人柄は気に入っていたし、無為に断るのも憚られたので妥協する。
横はまだうるさい。
「こうなりゃ私の分の弁当渡してやる!」
「させない、阻止します」
「あ、蝶々!」
「え?」
「隙あり!」
「あ、卑怯です!」
うるさい。
また"坂井悠二"関係の騒ぎらしい。
一応、人格くらいは認めてやってもいい気にはなったが(というか、ヴィルヘルミナ達が認めているのに否とも言えない)、何となく気に入らない事に変わりはない。
騒ぎは無視して手にしたメロンパンをかじる。
そのカリカリとした表層の生地をかじり、食感を味わい、次にもふもふとした中のパンをかじる。
これを交互にやる事でメロンパンというものの持つ二つの魅力を最大限に引き出す事が出来るのだ。
これをわかっていないやつが多くて困る。
まあ、自分もヴィルヘルミナに教わったのだが。
至福の時を味わっていると‥‥
「?」
周りの面々が自分に注目している。
何故だかわからないが、少々居心地が悪い。
「‥‥‥‥何?」
そう訊く自分に、周囲の面々が応える。
「いや、何ていうか‥‥」
「ねえ?」
「無茶苦茶うまそうに食べるな〜と」
「シャナちゃん、かわいい!」
「‥‥‥坂井君って、小さい子が好きなんですか?」
「‥‥‥吉田さん。勘弁してよ」
「‥‥‥‥‥‥‥」
二人ほど妙な、というかよくわからない視線を向けてくるが、大体皆、好意的な視線を向けてくる。
『メロンパンを食べる時には笑顔でいていい』
『天道宮』を旅立つ時、ヴィルヘルミナが渡してくれたもの、あの暖かい日々で、ご褒美としてよくもらったもの。
そのメロンパンを食べる時は、『完全なフレイムヘイズ』である自分も笑顔でいていいという不文律を、いつの間にか作っていた。
そして、今、その笑顔に、自分に向けて、好意的な視線を受けている。
(今の、私)
シロがいる。
ヴィルヘルミナがいる。
自分はフレイムヘイズ。
『天道宮』にいた頃に望んでいたものは、すでに全て手にした。
そして今、『自分』に向けられる新たな関わり。
(今の、私)
もう一口、メロンパンをかじる。
そして、メロンパンのせいにしてニッコリと笑う。
また何故か騒ぎだす周囲。
『流離いの果てで、いつか、"そのままのお前"に接してくれる者も、現れよう』
かつて、アラストールにそう言われた時、「接して"くれる"」という言い回しに疑問さえ持ったものだが、今ならわかる。
そして、アラストールは『これ』を知っていたんだろう。
また、メロンパンをかじって笑顔になる。
許されたから作る笑顔でも、『天道宮』を懐旧する笑顔でもない。
ここにある『今』に、微笑む。
「それでね、その時、貫太郎さんったら‥‥‥」
夜、今日はヘカテーの所望により、悠二が晩御飯の炒飯を作っている。
その間、母・千草が居候の少女に単身赴任で今はいない夫・貫太郎の惚気話をしている。
悠二は「またか」と呆れていたし、ヘカテーも以前は、話を聞きながらも、直接面識の無い相手にさほどの興味は抱かなかったのだが、今は違う。
この坂井千草の姿は、自分やヴィルヘルミナ・カルメルと同じ、それも自分たちと違って、『それ』を成し遂げた先にある姿なのだ。
「結婚した時のきっかけはそんなにロマンチックじゃなかったんだけどね。
結婚した後のあの人、本当にかわいかったのよ?」
「‥‥ケッコン?」
「生涯を共にします、って誓う儀式の事、かな?
『永遠の愛を誓います』って」
千草は、ヘカテーの無知を笑わない。
ただ、この世慣れない少女に微笑んで、大切な事を教えていく。
ただ、結婚の話題だから仕方ないとはいえ、恥ずかしいセリフをさらっと言う。
これがあるから悠二は母の惚気を聞く時、全身がかゆくてしょうがないのだ。
まあ、両親の仲の良さを示されるのは息子として悠二は悪い気はしていないのだが。
話が炒飯男に逸れた。
今、千草の惚気を聞いているのはヘカテーである。
そのヘカテー。
(生涯を‥‥共に?)
それを自分に当てはめる。思い浮かべるまでもなく、眼前の女性の息子が当てはまる。
(永遠の‥‥愛を、誓う?)
『愛』
そう、かつて戦った"愛染他"ティリエルが、彼女の兄に使った言葉。
自分が悠二に抱く、『好き』、その、もっとはっきりした形。
千草の言葉を、ゆっくり飲み込んでゆく。
(永遠の愛)
今の自分の抱く、この熱くて、痛くて、どうしようもない気持ちが、確たるものになる。
(生涯を共に)
こちらはもっとわかりやすい。
『悠二とずっと一緒にいたい』、それは、自分の気持ちが恋心だと気付く前からあった、自分の願い。
心からの願い。
理解する。
『結婚』、それは自分が悠二に求める全てを含み、おそらく、自分がまだ知らない、何か素晴らしいものを秘めた儀式。
それを、その坂井貫太郎とやらと共に体現した坂井千草を、眩しいものでも見るようにヘカテーは見る。
そんな少女の心のうちを知ってか知らずか、千草は続ける。
「それで貫太郎さんと結婚して、私は主婦をしてるの、貫太郎さんの妻を」
「妻?」
「ヘカテーちゃんに近い言い方だとお嫁さんかしら」
どこまでも惚気ながら、少女に知恵を吹き込んでいく。
(‥‥お嫁さん?)
それが、この坂井千草。
想い人との永遠を誓った姿。
今の自分にとっての、憧れの姿。
(お嫁さん)
望む。
(悠二の、お嫁さんになる)
目指す。
それを成し遂げた眩しい女性に、恥ずかしさに耐えながら告げる。
この女性、悠二をよく知り、自分の恋を成就させた女性の助けが欲しかった。
「‥‥私は、悠二が‥‥‥‥‥好き‥‥です」
消え入りそうなか細い声で紡ぐ。
聞こえるかどうかすらわからないほどの小さな声で、協力要請の形にすらなっていない意思表明。
そんな少女の振り絞った、ギリギリの勇気に、
ぽん
千草は、少女の頭に手を乗せ、なで、
「頑張りましょう、ね?」
優しい微笑みを返した。
その日は七夕。
夜、星を見ながら皆で短冊に願いを書いて吊す約束だ。
悠二の作った炒飯を食べたら出かけよう。
少し早いけど、彼と少し歩きたい。
(あとがき)
感想数に狂喜し、また踊る自分。鏡で見たくない光景です。
シャナは最終的な形は決めてるけど、過程が手探りですね。扱いにくいキャラだ。