『"この世の歩いていけない隣"、紅世から渡り来る異界の来訪者、人を喰らい、この世に在る"紅世の徒"』
前にも‥‥これと同じものを見た。
「知ってるよ」
何も無い世界。語り掛けてくる"黒い自分"。
『徒が人を喰らい、それによって生まれた歪みが、いつか紅世とこの世、双方に大きな災いをもたらす"大災厄"を招くと危惧した王達は、人の身のうちに体を宿し、同胞を狩る決意をした』
随分と、今さらな説明だ。
『そうして生まれた討滅の道具。
契約の際に、人間が幻視する境界の光景から名付けられた彼らの総称。
それが"炎の揺らぎ(フレイムヘイズ)"』
これは初耳だった。
おかしいとは思っていたのだ。
炎使いは少ないくらいなのにフレイムなんて名前なのが。
『徒に喰われた人間は、歪みを抑え、討滅の道具を引き付けないために、その残りかすによる緩衝材・代替物を残す。それがトーチ』
「知ってるよ」
変なやつだ。いや、黒い自分という時点で変なのだが。
『そう、お前は知っている』
そこで、黒い自分は一呼吸あける。
『それで、どうする?、この世の真実を知り、この世の在り方を知り、そうして全部知ったお前は‥‥何を望む?』
予想だにしない時に、予想だにしない問いかけを掛けられ、答えに窮する。
「‥‥‥僕は」
『良い』
何を言えばいいかもわからず開こうとした口を、黒い自分が制する。
『確たる決意を持った時、先の問いかけに応えよ。坂井悠二』
「あっ、あんたは‥‥一体‥‥」
『今しばらく、お前の行く末を見守ろう』
何なんだ、こいつは。
妙に掴みづらい存在感。
その言葉に混じる諧謔の風韻。
今まで出会ってきた、どんな相手とも違う。
目の前にいるのが『黒い自分』という事も忘れ、そう思う。
『選ぶがいい』
そこで、目が覚めた。
夢‥‥前にも同じ夢を見た。
そして、前の夢も、この夢も、異様に鮮明に覚えている。
未だ、自分の行く末さえわからない自分への自問自答。
それが夢として現れた。
この時、悠二はそう思った。
中国は上海市。
その街の一画にある喫茶店に、一人の女性と一人の少女。
「‥‥‥私が呼んだのは『万条の仕手』のはずだ。
何故、随伴の構成員、しかも子供一人しかこの場に姿を見せない?」
力感に溢れた細い体にピッタリあったスーツを着込んだ、異様な貫禄を纏う女性。傍らに紅梅色の刀袋を置いている‥‥‥‥が、目の前の少女に、非難の色を隠す気もなく言う。
そんな女性の威圧感にも動じる事なく、平気な顔で少女、平井ゆかりは答える。
「ここで『万条の仕手』と『剣花の薙ぎ手』が接触、なんて事を嗅ぎつけられたら元も子もありませんから。私で我慢して下さい、『剣花の薙ぎ手』虞軒さん。“奉の錦旆(ほうのきんぱい)”帝鴻(ていこう)さん」
知った風な口をきく日本の外界宿(アウトロー)の末端構成員の小娘の言葉に、虞軒は気を悪くする。
「私と『万条の仕手』が会った程度でそれがすぐ『百鬼夜行』に伝わるものか。
平井ゆかりだと?、そんな名前聞いた事もない。新参が独断で勝手な真似をするな」
そして遠慮なく弾劾する。これでとびあがって『万条の仕手』を呼びに行ってくれれば良し。
でなくば‥‥‥
「伝わりますよ?、そのためにわざわざ"目立つように"騒いで上海まで来たんですから」
しかし、虞軒の思惑をあっさり無視して平井ゆかりは言う。
しかし、その反応より、今言った言葉の内容の方が問題である。
"わざわざ目立つように"?
「‥‥どういう事だ?」
言われ、平井は荷物を入れた大きなカバンから大量の書類を取り出す。
「これが、『傀輪会』から送られてきた資料。
弱小の徒の急な消失。厄介な王の突然の出現。確かにそれらしい出来事が起こっているけど、これだけの情報で即座に運び屋『百鬼夜行』に結び付けて、しっかり裏付けも出来てる。
すごいです。」
「それをやったのは項辛だ。私ではない」
自分じゃない。しかし、あの男を褒められるのは悪い気分はしない。
虞軒の機嫌が、少しばかり良くなる。
平井は今度は分けていた別の資料。先ほどの『傀輪会』のそれより膨大な量の資料を虞軒の前に押し出す。
「そして、これが私が日本で集めた『百鬼夜行』の資料。その中でも、襲撃から逃走までの細かい経緯が記されているものだけを集めたものです」
言われ、目の前の資料に目を通す。
なるほど。自分が知っているような情報も多分にあるが、『対策を立てる』上で役に立つもののみを厳選してある。わかりやすい。
「その経緯を見る限り。『百鬼夜行』の三人は隠蔽や遁走に長けていても、感知や探査の能力は持ち合わせていないと思います。
しかし、それでもフレイムヘイズの襲撃に対して、周到に、あらかじめ知っていた風に対処している節が見られる。
乗客の徒から情報を集めたにしても、不自然な例が数多くあります」
言いながら、平井は虞軒にその不自然な例を記した資料を渡してくる。
目を通し、言われた事を意識して見れば、確かにおかしい。
しかし、こんな些細な事、普通は見落とすか、他愛無い情報として判断してしまいそうなものだが‥‥‥。
(‥‥この少女はそれにきづいた?)
「この事の結論として私が出した答えは、『百鬼夜行』は"人間の扱いに長ける"。多分、外界宿の人間やフレイムヘイズよりも」
「‥‥‥‥‥は?」
目の前でたった今、その有能さを示した少女のあまりにも突飛な言葉に、虞軒が似合わない間抜けな声をあげる。
「近年‥‥って言ってもここ百数十年くらいの事ですけど、外界宿が近代的な組織に変容してから、古い徒の組織の多くが瓦解した。
それは人間社会における徒側の情報網発見と孅滅が重点化されたからです。
『百鬼夜行』のフレイムヘイズの出し抜き方が、この情報網の探り合いで勝っていると仮定すれば、納得がいくんです」
信じがたい。
徒は通常、人間を軽視する。そうでない徒でも、人間と交えるのは『個人的な関わり』である。
そんな徒が、『社会的な生き物』としての人間を、人間以上に理解している。
この少女はそう言っているのだ。
今までのフレイムヘイズや外界宿の人間の認識を覆す発想。
やはり信じがたい。
だが‥‥
「面白い。それで、お前はどうしたい?」
虞軒がこちらのやり方に合わせてくれるらしい事を察した平井は、堅苦しい表情を消し、いつもの楽しそうな表情で言う。
「"釣り"なんてどうですか?♪」
(‥‥‥‥疲れる)
平井が外界宿の人(詳しく聞いてない)に会いに行って、悠二は上海の街を観光していた。
もちろん。ヘカテー、シャナ、ヴィルヘルミナも一緒だ。
自分も海外は初めてだというのに、世間知らず二人(+ズレてるメイド)の世話をするのは予想以上に疲れる。
しかも厄介な事に、悠二はまだ翻訳の自在法・『達意の言』を使えない(習ってない)。
「‥‥‥カルメルさん。よかったんですか?、平井さん一人に行かせて」
「彼女がああいった行動を取る以上、何か考えあっての事でありましょう。
それに‥‥‥」
そこで言葉を区切ったヴィルヘルミナの視線の先を見る。
意外と楽しそうなシャナと、予想通り楽しそうなヘカテー。
それ以上、無粋な追及はせず、ヘカテー達を見る悠二。
考えるのは、昨日からの平井の不自然な挙動。
(確か‥‥『百鬼夜行』だったっけ)
中国に渡る船で平井に聞いた今回の依頼の標的である徒の事を思い出す。
隠蔽と遁走に長けた『運び屋』。
自分に気配を抑え、弱そうにしていろと言ったあの言葉。
そして平井の性格。
(‥‥‥‥なるほどね)
悠二は、平井が推測した『百鬼夜行』の細かい特性などは聞いていない。
だが、同時に通常の徒が持つ情報網の『常識』も知らない。
だからこそ、短絡的に、あるいは余計な先入観無しに平井の考えを見抜けた。
(‥‥‥囮か)
察しはついても、今は余計な事をせず、平井の考えに合わせておいた方がいいだろう。
要するに、『フレイムヘイズの庇護下にある非力なミステス』になりきる事である。
「でも、シャナやヘカテーはともかくカルメルさんまで変な行動しないで下さいよ。面倒みきれなぶっ!!」
馬鹿にしたような語調で諭す悠二を、当然の事として裏拳で殴り飛ばすヴィルヘルミナ。
(‥‥?)
違和感を覚える。
今の一撃。
今の坂井悠二ならあんな風に吹っ飛ぶような威力は込めていないし、避けられたとしても驚かない。
だが、現に坂井悠二は見事に吹っ飛び、道の真ん中に大の字だ。
こんなつもりではなかったのだが?
「いてて」とか言いながら起き上がっている。
"頂の座"が見ていなかったのが救いか。
その"頂の座"、悠二が立ち上がり、歩き始めた頃にこちらに近寄ってくる。
「ヴィルヘルミナ・カルメル。あれは?」
指し示すのは同じ服を着ているカップル。平井ゆかりがいないから自分に訊こうというのか。
まあ、坂井悠二に訊く事じゃない事は察しているらしい。
仕方ない。
(何だあれ?)
いきなり、ヘカテーとヴィルヘルミナが口をパクパクさせ始めた。
たまに平井ともやっているあれだ。
悠二に聞かれたくない話がある時。ヘカテーと平井は唇を読み合って堂々と『内緒話』をするのだ。
ヴィルヘルミナとやってるのを見るのは初めてだが。
二人が口パクをやめる。『内緒話』は終わったらしい。
ヘカテーが近寄ってくる。
本当に、この自分に好意を抱いてくれているらしい少女に、自分は何をしてやれるのだろうか。
そんな悠二の葛藤を知らず、ヘカテーは自分の大きく白い帽子に手をかけ‥‥‥
ぴょんとジャンプして、ぽふっ、と、その帽子を悠二にかぶせた。
「‥‥へ?」
見れば何故か満ち足りた顔をしている。
これは‥‥まさかペアルックのつもりなのか?
ヴィルヘルミナに目を向ければ、うんうんと無表情を頷かせている。
何だあの満足そうな仕草は。
明らかに間違った事をヘカテーに教えたヴィルヘルミナに腹も立つが、今は‥‥‥
「♪」
どうすればこの笑顔を曇らせないで済むかを考える事だ。
「あの、ヘカテー?」
「何ですか?」
(‥‥‥眩しい)
どうすればいい?、この自分には恐ろしく似合わない帽子をかぶり続けるしかないのか?
その日、悠二は結局ずっと帽子をかぶり続ける羽目になった。
『惚れられた弱み』とでも言うべきであろう。
(あとがき)
この章の話は、『百鬼夜行』の特性をフレイムヘイズ側が知らない、という仮定を基にして書きます。
実際の所、原作でどうなのかはよくわかりません。