上海の街外れ。
パラの燐子、『温柔敦厚号』と、『大人君子号』が停泊地にて逗留している。
「遅れちまったな」
乗客の徒達が雑談に興じているのを余所に、『百鬼夜行』の頭目、"深隠の柎"ギュウキが先ほどまで使っていた『人化』を解きながら手下二人に話し掛ける。
「どうでしたか?、ボス」
平井の推測は的中していた。
『百鬼夜行』、その中でも、頭目のギュウキの"人使いの才能"は、徒としてはあり得ないほどに高く、情報収集も人間を用いていた。
そしてギュウキは、その慣習としていつものように人間からフレイムヘイズの現状把握に行っていたのだ。
そのギュウキが、二人の手下に現状報告をする。
「すぐにわかった。『万条の仕手』だ」
「‥‥‥‥またか?」
数百年前、最強と謡われた『炎髪灼眼の討ち手』マティルダ・サントメールと共に自分達を襲い、さらに近年襲撃を受け、運行ルートを潰しに現れたフレイムヘイズの名前にうんざりしたようにゼミナが応える。
しかし、ギュウキの方はさほど嫌そうな顔はしていない。まだ、このルートを築いてまるで時間も経っていない。惜しくないはずはないのだが‥‥
「まあ、聞け。その『万条の仕手』だが‥‥どうやら今は、ミステスの庇護をしているらしくてな。それも‥‥‥」
「それも?」
「そのミステス、感知能力の宝具が入ってるらしい」
給仕服の女性や小柄な少女に振り回されながら、時折、「あっちだ」だの「感じ取れなくなった」だのと呟く薄気味悪い少年の目撃情報を多数聞く事ができた。
行き逢った徒から、それがトーチである事もわかっている。
フレイムヘイズと一緒にいる唐突に遠くに注意を払うトーチ。
予測は簡単についた。
「「感知能力!!」」
ゼミナとパラが歓喜の叫びを上げ、慌てて口を塞ぎ、周りの乗客に聞かれていないか確認する。
頼まれれば運ぶ。騒動からは逃げる。そんな金科玉条を持つ彼らにとって、喉から手が出るほど欲しい宝具である。
しかしそれでも‥‥
「しかしまあ、やんちゃをする気はねえけどな」
「ええ。安全運転安全運行が私達のモットーですからね」
未練も執着もある。しかし、危険を侵す気はない。
『万条の仕手』から戦って宝具を手に入れようなどと彼らは当然考えない。
奪うチャンスはうかがうが、少しでも危険を感じれば‥‥‥
「危機に対さば即退散」
悠二達が上海に着いてから三日。その間、ちゃんとそれらしい行動もとってきた。
(そろそろ、いいかな)
この作戦。まだヘカテー達には話していない。
平井と悠二しか知らない。他の三人に言わない理由は単純明快。
演技できるような性格ではないからだ。
しかし、そろそろ話しておくべきだろう。
部屋を出て、朝食の席につく。その場で説明しよう。
‥‥‥‥‥‥
「なるほど。しかし、何故それほど早く我々の存在が奴らに知れていると判断したのでありますか?」
「‥‥‥カルメルさん。鏡見て下さい」
「私はそれで構わない。その編成なら警戒されないはずだし」
「何故‥‥私ではダメなのですか?」
「『タルタロス』の隠蔽があってもヘカテーは見た目を知られてるでしょ?、念のためだよ」
(‥‥‥‥‥‥)
作戦は聞いた。
妥当性も理解できる。
しかし、許容しがたい事も事実。
悠二の扱いも、その編成も。
(!)
妙案を思いつく。
我ながら今日は冴えている。これならイケる。
しかし、賛成してはもらえないだろう。
作戦としてのメリットはほとんどないのだから。
だから、秘密にしておいて独断で決行しようと決める。
「わかりました」
この場は素直に了承しておこう。
「"仕込み"は私と坂井君でやる。あとは各自で役割を果たして。
私は離脱したあと、外界宿(アウトロー)総本部に向かうから」
一人、作戦に全面的には賛成していないヘカテー。そもそも彼女にとって『百鬼夜行』などどうでもいいのだ。
平井が説明し、シャナとヴィルヘルミナが頷くなか(ちなみに悠二はさっきの発言のせいで無様にひっくり返っている)、ヘカテーは可愛い『悪戯』(客観的には)を企む。
街を歩く悠二、ヘカテー、平井、シャナ、ヴィルヘルミナ。
人通りの多い道だ。ここならばすぐに伝わってくれるだろう。
「スゥ」
息を吸い込み‥‥
「何それ!、私が悪いって言ってるの!?」
大声で叫ぶ。
「そうは言ってないだろ?、けどこっちの言い分も聞いてくれてもいいじゃないか!?」
それに悠二も怒鳴り返す。
「もともとそういう話だったじゃない!、あとから文句つけないでよね!!」
この会話の内容自体に意味は無い。"目立つため"にやっているだけだ。
「仕方ないだろ!?、こっちだって都合があるんだから!」
道行く人達が、いきなり道の真ん中で口喧嘩を始めた二人の若者を足を止めて見る。
(‥‥‥十分か)
ドゴッ!!
「ぐあ!!」
「もうあったまきた!、しばらく顔見せないでよね!、行こ、近衛さん、カルメルさん!」
悠二を殴り飛ばし、背を向け、ヘカテーとヴィルヘルミナの手を取り、歩きだす平井(念のため、『ヘカテー』の名は出さない)。
平井に手を引かれるヘカテーの、引かれていない方の手に、一本の黒い筒がある。
「いててて」
(殴るとは聞いてないぞ)
しかも女の子がグーで殴るのは感心しないし、痛い。
「行くわよ。坂井悠二」
予定通りに残ったシャナが気遣いゼロで言う。
これで、『非力なミステスとそれを庇護する"新米"フレイムヘイズ』の出来上がりだ。
いくらなんでも、フレイムヘイズが二人いて、その両方がミステスを放置するというのは不自然だし、逆に警戒される恐れがある。
未だにシャナが少々苦手な悠二としては気が進まなかったが、これ以上の編成はまずない。
前を歩くシャナに追い付こうとして歩を早める悠二、その視界が‥‥
「!、なっ?」
全く違う景色に変わる。
いや、視点の高さも、今出した声すら違う。
「ヘカテー、坂井君とシャナが二人きりで落ち着かないのもわかるけど、あんまりキョドらないでね?」
(‥‥‥ヘカテー?)
小声で話し掛けてくる。今いるはずのない平井の声、自分に使われたらしい『ヘカテー』の言葉、今の光景、全てに混乱する。
「このまま、まず間違いなく私達の方に『足止め』を差し向けてくるはずであります。平井ゆかり嬢、早めに離脱した方が‥‥」
「わかってますよ。あとは、坂井君とシャナのお手並み拝見、かな?」
「な!?、ちょっ!?」
「挙動不審」
「ヘカテー、騒いじゃダメだってば」
作戦は滞りなく進行中である。
(上手くいった)
前を歩くシャナに続く悠二。その体に意志総体を宿すヘカテーである。
以前、ヘカテーと平井の意志総体を入れ替えた宝具・『リシャッフル』。
この作戦で、悠二とシャナが二人きりになる、というヘカテーにとっては甚だ面白くない事態を何とかしようと思い、ヘカテーが使ったのがこの宝具である。
何故シャナと体を交換し、悠二と二人きりになろうとしなかったかというと、出来ないからだ。
この宝具はレンズを覗き込む事で使用者と対象者の意志総体を入れ替えるが、その効果は、『互いの間に"心の壁"がある』と発現しない。
シャナとヘカテーではまず無理である。
そして、悠二となら出来た。
これは、二人の間の信頼の証明でもあった。
(嬉しい)
悠二の事は、知らないわけではないが、きっと、知らない事の方が多い。
自分も、悠二に話していない事がたくさんある。
それでも、自分達の間に『壁』は無い。
若干の恐怖を払いのけて試した甲斐があったというものだ。
シャナと悠二の二人きりも阻止できた。
前を歩くシャナを見る。
(‥‥‥‥‥‥)
おそらく、シャナ自身も、ヴィルヘルミナでさえ気付いていないだろうが、中国に着く前後の時期から、シャナの悠二への態度が微妙に変わってきている。
それにヘカテーは気付いた。おそらく、この場に吉田一美がいても気付いただろう。
そういうものだ。
紅世の関わりがある分、シャナは自分にとって吉田以上に危険な宿敵に成り得るのかも知れない。
『炎髪灼眼の討ち手』というだけで、ヘカテーにとっては十分、相容れない存在であるというのに。
元々、ヘカテーは愛想のいい方ではない。しかし、特定の誰かを嫌いになるような娘でもない。
そんなヘカテーも、このシャナ・サントメールは受け入れがたかった。
悠二の事もあるし、『それ以外』の事もある。
性格以前に仲良くできない要素が多すぎるのだ。
(負けない)
ともあれ、今の自分は悠二に好かれる事を第一としている。
やはり、それに関する事で対抗意識を燃やす。
最近、わかった事がある。最近になって理解できた事がある。
自分が悠二をこれほどまでに求めるようになったのは、オメガに言われ、自分の想いに気付いてからだ。
漠然とした、ただ大きくて方向性の無かった想いが、それをきっかけに、はっきりと、強く、熱く、形を持ってからだ。
それを、このシャナ・サントメールにもあてはめて考える。あてはまる。
(気付かないで)
自分の大事な人を、この少女に奪われたくない。
(お願いだから)
そんな風に願ってしまう自分が、炎髪の少女が想いに気付いても平気だという自信の持てない自分が‥‥‥
とても弱く思えた。
(あとがき)
うーん。次の次辺りで六章終わらせたいかなぁ。
書かないといけないエピソードがまだまだあるからあまり一つの話を長くするわけにも‥‥‥。