「よし。これで大丈夫!」
母と見えないほど若々しい女性が小柄な少女にエプロンを着せる。
「おばさま、いつもすいません」
「そんな事気にしないの。ちゃんと出来た時に少し味見させてね?、それでおあいこ」
今日の朝の鍛練は虹野家で行われている。
週三日が坂井家、週四日が虹野家なのだ。
朝、鍛練しない日は基本的にない。
悠二はもとより、ヘカテーも中国での失態から、鍛練に熱心になった。
悠二を守る。そんな自分でありたいと思っているヘカテーには、あの『海魔』の時、自分の油断から悠二まで絶体絶命の危地に招いてしまった事はかなり堪えた。
実際、"彩飄"フィレスの予想外の救援がなければ悠二もヘカテーも今、生きてはいないだろう。
それほどの窮地だったのだ。
まあ、それはそれとして今日は恒例のお弁当修行である。
悠二は虹野家へ鍛練に行っている。
今のうちにやるのだ。
「で、ありますな」
「精進」
「今日は"頂の座"は?、ヴィルヘルミナもいないみたいだけど‥‥」
「"今日は眠いです"だってさ。カルメルさんは知らないけど」
所変わって虹野邸。
悠二とシャナ、そして庭に生えている木によりかかって寝ている"虹の翼"メリヒムである。
「まあいいわ。じゃあ、始めるわよ」
「‥‥待て、今日は俺の日だったな?」
早速鍛練に入ろうとするシャナをメリヒムが制する。
もう、悠二は体術の基本的な『骨組み』は出来ている。あとは技量全体の底上げをしていく段階。
要するに、細々と教わる必要は無くなってきているのだ。
それを監督たるヴィルヘルミナが判断してからは組み合わせを変えた『仕合い』をしている。
そして今日は悠二とメリヒムの日(と、シャナとヘカテーの日)なのだ。
「行くぞ」
言うが早いか、手にした木の枝による神速の刺突が悠二の顔の横を過ぎる。
「っ!」
メリヒムが外したわけではない。悠二が避けたのだ。
避け、まだ構えてもいなかったため、だらりと下に下げていた木の枝を振り上げる。
下から来るその一撃をバックステップで躱すメリヒム、悠二はそのバックステップに合わせて踏み込み、振り上げた木の枝をそのまま振り下ろす。
それを自分の木の枝で受けとめるメリヒム。
いや、受け流す。
斬撃の軌道を逸らし、今度はメリヒムの方から踏み込み、膝蹴りをカウンターの要領でたたき込もうとするが、それは悠二の空いた左腕に止められる。
バシッと悠二の木の枝を弾き、自分の木の枝を横薙ぎに一閃させ、それを悠二が退がって躱すのを待ってから刺突に切り替える。
悠二はその刺突を体を捻って躱し、そのまま独楽のように体を円運動させて遠心力で木の枝をメリヒムに叩きつける。
ガァアン!
メリヒムはこれを受け止めるが、その一撃に込められた速さ、重さに一瞬動きを止める。
(今だ!)
動きを止めたメリヒムに蹴りを放つ。
が‥‥
「ふっ!」
メリヒムは姿勢を低くしてこれを躱し、逆に悠二の足を払う。
「わっ!」
蹴りを放っていた体勢で軸足を払われ、見事にすっ転ぶ。
そして、倒れた悠二にメリヒムは容赦なく一撃を‥‥‥‥
「おーおーやってるねえ♪」
そこで外野から声が聞こえる。
(助かった‥‥)
完全に一本とっているにも関わらず打ち込もうとしていたメリヒムの一撃から逃れた悠二。
その原因に目を向ければ‥‥
「平井さん、どうかした?、こんな朝から」
この平井ゆかりはたまに(朝夜問わず)鍛練に顔を出すが、学校がある日(まだギリギリ終わってない)の朝に顔を見せるのは珍しい。
「いや、私も眠かったんだけどね。我らがヘカテーの頼みとあれば‥‥」
「ヘカテー?」
「何でもない。カルメルさんなら今日は千草さんトコ行ってるよ♪」
「千草の所?」
さり気なく話題を逸らした平井と、その逸らした話題にあっさり食いつくシャナ。
「別にいいだろう。この人数でもやれない事はない」
シャナの疑問をあっさり切って捨てるメリヒム。
ヴィルヘルミナをフォローしているというより、本気でどうでもいいからなのだが。
「次は俺とシャナの組み合わせだな」
そして、若干穏やかにに次の組み合わせを言う。
(‥‥‥親バカ?)
(親バカ)
平井と悠二は小声でそう言う。
揃いも揃って親バカなのだ。
「ふっ!、ふっ!」
その頃の佐藤邸。
二人の少年がトレーニングに精を出している。
「なあっ!、佐藤、俺達、結構、体力ついたと、思わないか?」
腹筋をしながら相方にそう訊く田中栄太。
事実、佐藤はともかく田中の運動能力は元々御崎高校の生徒中、『人間の男子』では一番だった運動神経にさらに磨きがかかっている。
佐藤にしても以前よりは幾分ましになってきているのだ。
「いや、でもやっぱりマージョリーさんに付いていくってんならまだまだだろ」
その、田中に比べて明らかに劣る佐藤は、自分の非力さ、そして『自分の思い描くマージョリーの凄さ』との遠さを思い、その表情に陰が差す。
「あ‥‥ああ」
対する田中。
こちらは別の意味で表情を陰らせる。
憧れの女傑についていく。それを目指してこのトレーニングを佐藤と共に始めたのだ。
だが、それは田中にとって、一つの別れも意味している。
その事に関して、悩みを吹っ切ってトレーニングに励んでいるわけではない。むしろ、悩んでいるからこそ、それを誤魔化すためにひたすら体を動かしているとさえ言えた。
そして、純粋にマージョリーを目指してトレーニングする佐藤に対し、自分があまりに腑甲斐なく思えたのだ。
二人はトレーニングを続ける。
荒れていた中学時代。
『暴力』というあまりにも未熟な形で自分達を取り巻く環境に自分達を誇示していた二人(佐藤は『狂犬』などと呼ばれていた)は、そんなはた迷惑な行為からは抜け出したとはいえ、
まだ、自分達の力で現状を変えられると思っていた。
二人は、フレイムヘイズと人間の決して埋められない差を知らない。
「おい、マージョリー」
「んん‥‥‥何よ?」
当然のように惰眠を貪っていた『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーに、マルコシアスが声をかけ、それにマージョリーが不機嫌そうに返す。
「御両人の"無駄な努力"、止めてやんーのか?」
「‥‥何だ、その事」
マージョリーは、"その辺りの事情"は当然だが理解していた。
しかしそれでも二人の無謀で無益な行いを止めないのは、圧倒的な差を理解させる事で少年達の矜持を砕きたくないからだ。
「あの二人にも、いずれわかる事よ」
二人の馬鹿な望みを初めて聞いた時、マージョリーは鼻で笑う気さえおきず、「どうせすぐ諦める」と放置し、軽薄だが情に厚いマルコシアスでさえ、思いっきり笑い飛ばした。
のだが‥‥‥
「御両人がああ言い出してから結構経つぜ?」
二人は諦めずにトレーニングを続けている。
「‥‥‥‥だから?」
マルコシアスの言わんとしている事を察した上ですっとぼけるマージョリー。
「‥‥‥ま、いーけどよ。懐かれてんのはお前なんだしよ、我が甘口の師、マージョリー・ドーよ」
そんなマージョリーの心情を察し、これ以上突っ込みはしないが、余計な一言を言う相棒を、
バンッ!
マージョリーは平手打ちで黙らせた。
「とぉころでドォーミノォー、今回の私達の実験の要諦が何であるが分かぁーっていますねぇー?」
どことも知れない空間、その床に壁に天井に、馬鹿のように白けた緑色の紋章が多数輝いていた。
その中で頓狂な声を上げるのは棒のように細い白衣の"教授"。
隣に付き添うのは二メートルを越すガスタンクのようなまん丸の"燐子"ドミノ。
「えー、あー、それは無論、分かりませ、いえ分かっていますので不勉強なわけでは、でも分かっていないのでご教示を、いえどっちかというとつまりそのほひはははは」
「なっぁあーに、あやふやなことを言っているんです?、知ぃーっているのか、それとも知ぃーらないのか、はっきり言ったらどぉーうなんです?」
教授はそのにゅうっと伸びたマジックハンドで、ドミノの頬に当たる部分であり発条をつねりあげながら言う。
「だって教授は私めが知ってます、って言ったら『ナンデシーッテルンデスカ』ってつねりますし、知りません、って言ったら『ナンデシーラナインデス』ってつねるじゃありませんははひはいひはい」
さらにつねる。
「なぁーまいきな口はもおーっと嫌いですよ?、正直にぃ言えば良いーんです」
しかし、その教授の問いに応えるのはドミノではない。
「ふん。正直に言えというのであればこの俺が応えてやらん事もない。
元来、無為に他者を中傷する事はこの俺の本意ではないが、貴様に限っては弁解の余地など皆無であろう。誰であれ、そのイカれたからくりを理解する事などできようはずもない。
いや、理解する気にもならんな」
ぶつぶつと文句を言う硬い長髪とマント、巻き布で顔を隠す長身の男、"壊刃"サブラク。
「ふっふーん。どぉーせ貴方ならそう言うとおもぉーっていましたよ。しかぁーし、先駆者とは理ぃー解されぬもの!、その程ぃー度の事でへこたれる私ではあぁーりませんね」
「全くあの女、俺にこのような変人を任せ一人『零時迷子』を探しに行くなどと‥‥そもそもトーチを巡る特定の宝具を探すなど何十、何百年かかる事か‥‥」
「しぃかーし、今回はそんなナァーンセンスな貴方にも一目でわかるスゥーペシャルでパァーフェクトな発明をご覧に入れましょう!、ドォーミノォー!」
「はいでございますです、教授」
二人はまるっきり噛み合ってない会話を繰り広げ、ドミノが一本の大剣を持ってくる。
西洋風の両手で持つ型の大剣、相当な業物と容易に察する事が出来る風格が宝具全体に漂っていた。
「む、我が宝剣『ヒュストリクス』。貴様、いつの間に我が手元からそれを奪って‥‥‥」
「さぁあー!、今こそ愚鈍な貴方が私の発明の素ぅー晴らしさにその身を震わせる時ぃー!!」
そして、ドミノから受け取った『ヒュストリクス』の"柄元のスイッチ"を押す。
ギュイイイイイン!!
高らかな機械音を上げ、『ヒュストリクス』の刀身が高速回転する。
その機能美に酔い痴れる教授。
もはや言葉もないサブラク。
その機械音は、二人の仲を完全に引き裂く音にも聞こえた。
(あとがき)
朧気に七章の構想が出来てきたのでスタート。
いや、最近ペース落ち気味だけど感想くれる人がたくさんいてくれて嬉しい限りです。