結局、玉子焼きは修得できなかった。
だが、あの後、悠二より一足先に帰ってきたゆかりの言を取り入れた料理を作ってみた。
(おばさまは、美味しいと言ってくれた)
それに‥‥
(他の料理も、ヴィルヘルミナ・カルメルよりはマシだったはず)
今朝やってきて、自分も料理を学びたいと言い出した時は驚いた。
しかし、『同じ立場の者』として、気持ちはよくわかる。自分の『花嫁修行』に関しては、おそらく同居人である平井ゆかりに訊いたのだろう。
そして、あの料理の腕前にはさらに驚いた。
まさか未熟な自分が同情してしまうほどだったとは‥‥‥。
ヴィルヘルミナ・カルメルは、『天道宮』にいた頃から、掃除、洗濯、裁縫、果ては『天道宮』に近代的な電気や水道を通す工事をたった一人でやってのけるなど、異常なほど有能なメイドっぷりを発揮していたが(というか、そこまでくるともはやメイドでも何でもない)、料理だけは全くの不得手であった。
得意料理はサラダと湯豆腐という辺りからその実力は推して知るべしである。
話が逸れた。
とにもかくにも、今まで吉田一美に対して虚しすぎる対抗策ばかり講じてきたヘカテー。
反撃開始である。
そして、御崎高校、昼休みである。
「さ・か・い・くぅん☆、またお弁当作ってきたんですけど」
いつものように(?)、悠二に弁当を渡そうとする吉田一美。
悠二、平井、ヘカテーの三人が揃って欠席していた事に関して疑問がなかったわけでもないが、平井に訊いてもはぐらかされたし、今はとにかく悠二へのアピールである。
何だかんだ言ってもやや劣勢、というか“接点”という部分においては大幅に遅れをとっている気がする。
そう、今の恋愛戦線を分析する吉田。
その胸中には疑惑が広がっている。
(妙だな)
いつもなら弁当の盗み食いや実力行使で止めにかかってくるライバルが妙に静かだ。
もちろん悠二用の弁当も無事。
(何考えてやがる?)
そんな吉田の視線の先のヘカテー。
ゆっくりと、深呼吸をする。
(大丈夫)
お弁当の特訓に際し、坂井千草に教わった言葉を思い出す。
『ヘカテーちゃん。お弁当を作ってあげるっていうのは、"その人が好きなんです"って言ってるのと同じ事なの』
それを最初に聞いた時は激しく狼狽したものだ。
自分が何も知らないうちに、吉田一美はすでに悠二に好意を示していたのである。
自分は違う。長い間、自覚すらなく、悠二に想いが伝わったのも"バレた"だけだ。同時に思う。
以前、自分は一度『その場』から逃げ出した。
しかし、吉田一美はその時、悠二にお弁当を渡しはしなかった。
『勝負な。先に坂井君を振り向かせた方が勝ちの。
今回は見逃してやるからよ』
吉田一美が何を考えてあんな行動をとったのかはわからない。
だが‥‥あれは貸しにしておく。
(大丈夫)
もう一度、気を落ち着ける。
『でもね。いくらお弁当を渡して好意を表しても、ちゃんと言葉にしないと相手は応えてくれないものなの、"こういう事"では特にね』
(そう‥‥)
今から行う行為で、悠二に"決定的な答え"を求めるわけではない。
自分の想いの事は、もう悠二に知られてしまっているはずである。
だからこれは‥‥
("思いやり"を、届ける行為)
くいくい
「え?、何、ヘカテー」
お弁当を差し出してくる吉田に対して(ヘカテーが妨害しないから)どう返事しようか迷っていた悠二の袖口をヘカテーが軽く引く。
「‥‥‥‥‥‥」
何も言わず、かばんの中を探り出す。
かばんを探りながらも、悠二がこっちを見ているか、チラチラと確認している。
(‥‥頑張る)
覚悟は決めた。これが決定的な答えに直結するわけでもない。
でも、やはり恥ずかしい。
だから、頑張る。
「〜〜〜〜っ!」
気合い一閃。
しかしいかにも控えめで弱々しく、ハムスター柄の布で包んだお弁当箱を悠二に差し出す。
あまりの気恥ずかしさに言葉も出せていない。
(‥‥ヘ‥カテー‥?)
ヘカテーの気持ちには確かに気付いていた。
というか、気付かされていた。あの中国行きの船の上で。
(もしかして‥‥)
最近ことあるごとに家から締め出されていたのは‥‥そういう理由だったのだろうか?
しかし、なんというか、未だに信じがたく、時にはあの時に見た姿は何かの勘違いだったのかと思う事さえあったのだが‥‥こう露骨な好意の示し方をされると‥‥‥いや、そういう事ではなくて、ただ‥‥
(可愛い)
耳まで真っ赤にして、恥ずかしくて仕方ないといった様子なのに、それでも一生懸命に勇気を振り絞ってお弁当を差し出してくるヘカテーが、とても可愛かった。
「こ・の・え・さん?」
そんな悠二の思考を吉田の一言が中断させる。
「私の方が先にお弁当渡してたんだけどな〜☆。あとから出てきてちょっと厚かましッ!」
ヒュヒュッ!
「邪魔を‥‥‥」
「コラお子さま。お前日頃の自分の行い思い返してみ?」
「私は子供ではありません!」
「鏡見ろコノヤロー!」
またも争いを始める二人。
「‥‥‥‥‥‥」
何か、軽い感動に浸っていた自分は一体‥‥?
「ほら坂井君。食べたげなって。ヘカテーの修行の成果だよ♪」
そんな悠二を急かす平井。
「わかったよ」
包みを解き、中身を改める。
これは‥‥‥
「寿司?」
弁当箱の中にはサーモン、トロ、キス、金八、カッパ巻き、とにかく様々な寿司が所狭しと並んでいる。
「いやぁ、ヘカテーって火加減がアレだったかむっ!」
自分の欠点を悠二に暴露しようとする平井の口をヘカテーが塞ぐ。
「つーかお前、お弁当に寿司ってどーいうセンス?」
そして吉田が茶々を入れる。
「おばさまは美味しいと言ってくれました」
「おばさま?」
「秘密です」
そして黙って悠二を見るヘカテー。
早く食べて感想を聞かせて欲しいと言ったところか。
「‥‥‥‥‥‥」
パクっ
‥‥‥うん。
「美味しいよ」
そしてに微笑みかける。
瞬く間に朱に染まるヘカテーの顔に。
「‥‥‥‥‥‥」
(何をあんなに騒いでるんだろう?)
たかが弁当。
たかが一食分の食事。
坂井悠二や"頂の座"や吉田一美があれほど騒ぐ意味がわからない。
「はむっ」
いつものように騒ぎには介入せずにメロンパンにかじりつく。
こういう時、昼食の席取りで近くになる緒方真竹の他愛無い話を聞きながらお菓子の山を食べるのが自分の慣習。
ただ、今日のメロンパンはあまり美味しくない気がする。
(‥‥保存状態が悪かったのかな)
そんな風に思った。
そんなシャナを偶然横目で捉えた平井ゆかり。
中国に行った時辺りから悠二に対して微妙な変化を態度に示すシャナを見て。
「ふぅ」
軽いため息と困ったような笑顔を送った。
そして放課後。
特にする事がなかったためいつもの三人組で帰ろうとしていた悠二、ヘカテー、平井を‥‥
「なあ、ちょっといいか?」
呼び掛ける声あり。
悠二達が目をやれば佐藤、田中コンビである。
「どうかしたのか?」
微妙に言いづらそうな二人に怪訝な顔をして悠二が訊ねる。
「いや、おまえさ。たまにちょっと傷作って学校来るだろ?、やっぱりおまえもトレーニングとかしてんのかなって思ってさ」
何だ、そんな事を訊くのをためらっていたのか、と思い、深く考えずに悠二は応える。
「ああ、してるよ。朝早起きするのが辛いんだけどね」
本当は叩き回されるのも辛いのだが自分の恥をわざわざ伝える事もない。
それを聞いた佐藤。
(やっぱり)
彼らがついて行こうとしているマージョリー・ドー本人は、自分達のトレーニングに協力するどころか真面目に受け取ってすらくれない。
そして二人(というか佐藤)が目をつけたのが坂井悠二。
本人も、よくは知らないが火を出す事はできるらしいし、何よりフレイムヘイズや徒の知り合いがたくさんいる。
少年としての強がりから、悠二に頼る事に抵抗がないわけもないが、そうも言っていられない。
いつマージョリーの気が変わって、あるいは悠二が"銀"の事を話して、マージョリーが旅立つかも知れない。
彼女の事情を知っているがため、悠二に「まだ教えないで欲しい」などと言えるわけもないし、いくら悠二が友達でもそれは了承しないだろう。
言うと決めたら言うだろう。普段押しが弱いのにこういう所では譲らない。
悠二のそんな性格を佐藤は理解していた。
何より、自分はまだまだ弱い。身近にいる田中への劣等感が佐藤の焦りに拍車をかけていた。
「俺達もそのトレーニング、参加させてくれないか?」
佐藤のその言葉に、悠二が、平井が、ヘカテーが驚愕した。
そして佐藤の横にいる田中は終始無言。
未だに迷いがある自分。それを考えないようにしてトレーニングに励んでいた自分が今、焦る佐藤に流されてどんどんと"あっち側"に踏み込んで行くような気がしていた。
(俺は‥‥どうしたいんだ?)
自分への問いかけに、答えはまだ出せなかった。
(あとがき)
さてさて、ぐだぐだ感と隣り合わせな今日この頃。調律編は原作でも二巻分ありますからまとめるのは長くなりそうです。