ぎゅっ
(?)
いつもと違う感触に、眠りから意識が戻り始める。
しかし、嫌な感触ではない。どこかで、幾度か感じた感触。
柔らかく、優しく、包まれている。
(これは‥‥?)
その安らぎの正体を確かめるべく、自分を包む、夢に誘われるような心地よい温かさに何とか打ち勝ち、重いまぶたを開く。
青。
その視界いっぱいに青が埋め尽くされている。
その意味する所を、寝惚け頭でじわじわと理解していく。
見慣れた、Tシャツの青である。
これが視界を埋め尽くす事自体は、実は結構ある。
すぐに寝てしまい、なかなか起きない自分はなかなか寝ている悠二にお目にかかれないが、たまにそんな機会があれば遠慮なく抱きついている。
だから今も、寝惚けた自分が抱きついたのだろうか?
なら、この自分を包む温かい安らぎは‥‥?
「っ!」
ようやくになって自分の今の状態を理解する。
悠二に、抱きしめられているのだ。
(嬉しい、嬉しい、嬉しい)
高鳴る鼓動。熱くなる顔。満たされる心。
その全てが喜び。
“自分から”ではなく、“悠二から”、こんな風にしてもらえる事は珍しい。
意識的か無意識的かはわからないが、こんなチャンスを逃す手はない。
自分を抱きしめる悠二に擦り寄り、そのまま眠りにつこうとして‥‥
(!)
一つの見落としに気付き、そんな自分を褒め称える。
キッと睨んだ先には‥‥一つの物。
(っ、ん〜〜!)
悠二に抱きしめられた状態で小さい体と手を懸命に伸ばす。
ぎゅっ
(‥‥‥はぅ)
腕から逃げられるとでも思ったのか、より強くヘカテーを抱きすくめる悠二。
中国の時や、たまに平井家にお泊まりする時には平井の抱きまくらと化しているヘカテーだが、相手が想い人であれば、当然その意味は大きく異なる。
このまま全てを忘れてその腕に身を委ねてしまいたいという強い衝動に駆られるが、歯を食い縛り、魂を奮い立たせ、これに耐える。
まずは『あれ』を何とかしなければならないのだ。
ヘカテーの、仇を見るような視線の先には、一つの器物。
名を、『目覚まし時計』と言う。
「よう」
その頃、吉田一美。
朝早く、夏でなければ真っ暗であろうその時間に、昨日の怪しい少年と出会っていた。
昨日の会話を思い出すと、正直、未だに頭をはたいてやりたくなる。
『ああ、気配の端が濃く匂ったのですが‥‥協力者ではないのですか?』
『ふぅむ、綺麗な目をしておる。適任なように思えるがの』
『‥‥‥おい』
『協力してもらいたいのですよ。知らずにとはいえ、我々の同胞に関わった者として』
『わん?』
『ふむ、君はこの街に住んで何年になるかね?』
『わん?』
『だからこっちに訊けぇえー!!』
その後、“色々と”聞かされ、妙な片眼鏡(モノクル)も渡され、約束通りこの時間、この場所にやってきた。
当たり前だが、学校はさぼる気満々である。
その原因たる“フレイムヘイズ”、“不抜の尖嶺”ベヘモットと、その契約者『儀装の駆り手』カムシン・ネブハーウはその姿を見て、返事を返す。
「ああ、やはり貴女の方が来てくれたのですか」
「ふむ、予想通りといえば予想通りじゃな」
「つーか、エカテリーナに頼むか普通? 馬鹿か? 馬鹿なのか?」
吉田の不遜な物言いにも特に気分を悪くした様子もなく、カムシンは口火を切る。
「ああ、それで、昨日渡した『ジェタトゥーラ』は使ったのですか?」
カムシンが吉田に渡した片眼鏡型宝具・『ジェタトゥーラ』。
存在の力を感じる事の出来ない人間にも、トーチの存在やその消失を見極められるようにする宝具である。
「使ったに決まってんだろ。“全部知った上で手ぇ貸す”っつったのはこっちなんだからな」
この『儀装の駆り手』は、フレイムヘイズの中でも特殊な存在。
この世の歪みを生み出す徒を討滅する事よりも、徒によって生まれた歪みを修正する『調律師』なのだ。
大抵、永い戦いの時を経て、復讐心を擦り減らしたフレイムヘイズがなるものであり、このカムシンも例外ではない。
ヴィルヘルミナやマージョリーが子供に見えるほどの時を生きる、『最古のフレイムヘイズ』であった。
そして、『調律』には、『この世のあるがまま』を感じてしまうフレイムヘイズではなく、『本来そこにあったもの』に“違和感を感じられる”『人間』の協力が不可欠なのである。
そして、この街の歪みを正す協力者として、吉田が目を付けられた。
必要最低限の事だけ伝えて、協力だけ得ようという意図を隠そうともしないカムシンらの態度に吉田は納得せず、“全部”知る事を望んだ。協力を確約する事を条件に。
そして、そのための宝具を吉田は受け取り、今日がその協力を約した日。
「‥‥ふむ。それで、どうじゃったかな?」
『ジェタトゥーラ』を使った結果を訊ねるのはカムシンの左手首にあるガラス細工の飾り紐型の神器『サービア』に意思を表出させるベヘモット。
「良いな。特に片眼鏡(モノクル)ってのが。片目は普通なのに片目だと人が消えるみたく見える。あれが『とーち』なんだろ?」
訊かれた内容が違うとわかって、しかし別の感想を口にする吉田。
この二人に“そんな事”まで答えたくはない。
「ああ、そうではなく、貴女の身の回りの人達の安否についてです」
が、続くカムシンの一言で台無しになる。
殴りたい。
「‥‥‥家族は無事だ。友達も無事。けど‥‥惚れた相手がなぁ‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
吉田のその言葉に、カムシンは僅かに顔を逸らす。
そんな境遇にある少女の顔をじっと見つめるのは酷というものだった。
(ベヘモット)
(ふむ、仕方ない。別の協力者を探すとするかの)
少女の境遇に同情はする。して、しかしとる行動は次の協力者を探す事。
『使命感の塊』
少女にこれ以上の協力を強いる事はしないが、少女のために何かする気もない。
「‥‥巻き込んでしまった事はお詫びします。このまま『何もなかった』事にして日々を過ごす事をお勧めしますよ」
「すまん事をしたのう」
自分達は『ジェタトゥーラ』を渡す前に、「知らない方がいい」と警告し、それを聞かなかった吉田が辛い現実を知った。
それでも非は非日常をもたらした自分達にある。
吉田に手を差出し、『ジェタトゥーラ』を返すように促す。
しかし、吉田は先の言葉に対して、カムシン達の予想と異なる返答を返す。
「あん? 協力はするって言ったろーが」
「‥‥は?」
惚れた相手がすでに人ではなく、すぐに消えてしまう存在だと知った(らしい)少女の、あまりに状況にそぐわない態度に、動揺というものから極めて遠いカムシンが呆気にとられる。
「んで? 具体的に私は何すりゃいいんだ?」
「‥‥お嬢ちゃんはそれを知って、平気なのですか?」
常は使命以外の事に興味すら持たないカムシンが、“協力に関係の無い”問い返しをしていた。
「平気なわけねーけどな。“そうだって知ってれば”やりようもあるからな」
「やりよう、ですか」
カムシンの持つ異様な存在感も、この世の本当の事にも、少女の“芯”は揺るがない。
「散りゆく花のように、ってな」
どことも知れない暗闇、白衣の教授の覗き込む先に、馬鹿のように白けた緑の紋様が渦巻いていた。
「いぃーよいよ実験が始まりますよぉーお? ドォーミノォー!」
それはこの世に紅世の徒の不思議を“現し”、その稼動を図に“表す”『自在式』。
「んー? んんんんー?」
唸りを上げて数秒、長い白衣の男は突然怪鳥のような叫びをあげる。
「ドォーーミノォオオーー!!」
「はぁーーい!!」
打てば響くようにシャリリリて金属を擦り合わせるような声が応える。
自在式と動揺の炎を吹き上げながら現れたのはガスタンクのようなまん丸の物体。
ミイラ男のようにグルグル巻きに巻かれた発条に、大小の歯車を両の目とした顔。手足も顔同様、パイプや歯車で“それらしくいい加減に”形づくられている。
「あなた様の忠実なる“燐子”ドミノはここにおりますですよぉおーーって痛い痛いでほはひはふふふ!?」
「どぉーこへ行っていたのですか。おかげで私は暗闇で寂しく独り言なんか言ってしまったじゃありませんかぁー!?」
現れた『ドミノ』のほっぺたを伸ばしたマジックハンドのように変化した手でつねりあげる。
「ふひはへんふひはへん‥‥‥教授のご指示通り、下で『夜会の櫃(やがいのひつ)』の整備をしていたんでふひはいひはい」
またつねる。
「ドォーミノォー? 遠回しに私を責めていますねぇー?」
「ほんはほほはひはへん‥‥‥痛たたた」
パッとようやくドミノを解放した白衣に、ドミノは丁寧に声をかける。
「あー、ごほん。では教授、いよいよでございますね」
「そぉーうです、ドォーミノォー!」
訊かれて白衣の教授はいきなりテンションを上げる。
「さぁーて、いぃーよいよ実験が始まりますよぉー! これほどの『歪み』はそぉーうはありませんからねぇーえ!」
(あとがき)
年末年始が近づくと何かと忙しげ。そういえば原作は次巻が二月だそうで、いつになく早いです。
SS書く上でも一読者としても嬉しい限り。