自在式を地に広げ、褐色の心臓と見える『それ』、『儀装の駆り手』カムシンの自在法・『カデシュの心室』の中に、一人の少女がいる。
言わずと知れた『調律』の協力者、吉田一美である。
「ああ、どうですか? お嬢ちゃん」
カムシンが事前に街の各所に刻みつけたマーキング・『カデシュの血印』を中継点にし、『カデシュの心室』に入った人間を街と調和させ、違和感、すなわち『歪み』を感じ取ってもらう。
これが『調律』に必要不可欠な作業であり、カムシンが吉田に頼んだ仕事である。
「ああ‥‥わかる。この街が本来の姿とは違うのが感じ取れる」
そして今、その作業をしている真っ最中である。
「ふむ、何だかんだで人選を間違ってはいなかったようじゃな」
吉田の言葉にベヘモットが僅かに喜色を表す。
実はこの協力者探しが調律で一番厄介な作業なのだ。
そして吉田は続ける。
「ああ‥‥明らかにおかしい。この坂井って家の隣は私の家だったはずだ」
「わん」
「ついでに私の家のすぐ側にはコンビニとスーパーとパチンコがあったはずだ」
「わわん」
「‥‥ああ、どうやら妄想とイメージが交ざり合っているようですね」
「‥‥ふむ、思ったより時間がかかりそうじゃな」
吉田と、なぜか随伴しているエカテリーナの協力で、調律は進んでいく。
その頃。
御崎市ミサゴ祭り。
この語呂が良いような悪いような祭りに、御崎高校一年二組、いや、御崎高校のほぼ全員が浮き足立っていた。
悠二はこの祭りに去年まではメガネマン・池速人に誘われて参加していたのだが、今年は誘われてはいない。
なら、参加しないかといえばそんなわけもない。
理由は訊くまでもないだろう。
「ねね、ヘカテー。今日私達ミサゴ祭り行くんだけど一緒行かない?」
「悠二と行きます」
「平井ー。祭り誰と行くのー?」
「ふふん。我が妹分と弟分と行くのだよ。羨ましかろう?」
平井は元々その明るさと人懐こい性格で友達は多い。
そしてヘカテー。入学当初はまあ、確かに危険視もされていたが、最近は随分雰囲気が変わった事もあるし、何よりその小動物的な言動や雰囲気が実は大人気である。特に女子に。
そんな二人がクラスメイト達の誘いをこのように断っているのだが、自分はまだ何も言ってはいない。
いや、行くけど。
というより、誰が弟分だ。
「佐藤と田中はどうする、祭り?」
なんの気なしに近くにいた佐藤と田中に訊く悠二。
「いや、俺はその‥‥なあ?」
「?」
何やら歯切れの悪い田中に疑問を抱くが、すぐに疑問は氷解する。
田中の、話題を振られた事で意識しての事か、向けた視線の先に緒方真竹がいるのだ。
ニヤリと笑みを作り、ポンポンと肩を叩く。
「な!? お前違うぞ! これはそんなんじゃ!」
その悠二の仕草にあからさまに狼狽する田中。
うん。たまにはこういう立ち位置もいいものだ。
「佐藤は?」
まだ騒ぐ田中を無視して、佐藤に話題をふる。
「マージョリーさん誘ってみようかと思ってんだけど‥‥望み薄だよな〜」
"あれ"以来、佐藤は『現実』と『理想』のあまりの違いに思い悩んでいるのだが、それを普段、面に出すほど子供ではない‥‥と思いたい。
「まあ、難しいかもね。あの人連れ出すのは。そういえば、今日は吉田さん休みなんだな、珍しい」
そんな風に他愛無い会話も今日のミサゴ祭りで持ちきりである。
そして、シャナ・サントメール。
「祭り‥‥あの騒がしいの?」
クラスメイトの何人かから誘われはしたが、とりあえず断った。
元々、人混みが好きではなく、何より、ヴィルヘルミナが何というかわからない。
しかし‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥」
坂井悠二に目をやる。
今まで自分が意味の無い事。と割り切ってきた事が本当に無意味なのか。
違う。
それはもう、わかっているのだ。
わかったからこそ、炎を出せた。
認めたくはないが、あいつのおかげで‥‥‥
「祭り‥‥かぁ」
「ああ、ありがとうございました。もう十分です」
「大した事はしてねーよ」
街のイメージの構築も一通り終わり、あとは式を構成して調律するのみ、つまり‥‥
「私の仕事は終わりだな」
「ええ、どうもありがとうございました。おかげで今夜辺りには調律出来そうです」
調律に必要なイメージさえ出来れば、もう人間である吉田に出来る事はない。
別れ時であった。
「んじゃ、もう行くぜ。どれくらい"時間が残ってるか"わかんねーし、今日は大一番だからな」
言って背を向ける吉田に、カムシンはただ別れを告げる。
「ああ、それでは」
「もう会う事のないよう祈っておるよ」
無駄な事はしない。ただそれだけではない。
この少女が今から『どうしようもない事』に向き合うだろう事を察して、しかしかけるべき言葉がないからだ。
打開策などあるわけもない。同情など、この少女には無意味、いや、侮辱だ。
少女と少年はまた別の道を行く。
それがまた、交わる事はまだ、知らない。
「ヘカテー? 平井さん? 早くしないと祭り始まっちゃうよ?」
一人リビングでのんびりとくつろぐ坂井悠二。
男というのは祭りでも楽なものである。
まあ、今ヘカテー達が和室で何をしているかに全く気付いていない辺りはかなり鈍いのだが。
そんな少年には天誅が下る。
タッタッタッタッ
「ゆカテー・コンビネィション!!」
「ごふっ!」
後ろから駆けてきた平井と、『坂井君を驚かせよ?』という平井の提案に乗ったヘカテーの絶妙な連係、ダブルドロップキックが炸裂する。
「痛てて、いきなり何す‥‥‥‥」
蹴られて振り返り、二人の姿を見てようやく今まで何をしていたのか気付く。
いや、見惚れる。
「ふふん。どーかね少年?」
「どう‥‥ですか?」
そう、二人は今、艶やかな浴衣姿になっていたのである。
ヘカテーは白を基調とした水色の雪模様、平井は緑を基調とした桃色の花模様の浴衣である。
今から祭りに行くというのに、全くこの事態を想像していなかった悠二は、この完全な不意打ちに見惚れてしまう。
「ほら、何か言ったげないと!」
平井に言われ、ハッと気付く。ヘカテーが不安と恥じらいに溢れている。
「‥‥可愛いよ」
かぁああああ!
悠二から言われる初めての『可愛い』に、ヘカテーは真っ赤になる。口元も、笑みを抑えられない。
悠二も、頑張ったのだ。これが今、自分が言える限界だという所まで言ったつもりである。
「平井さんも、似合ってる」
「お! 珍しいね。素直に褒めるとは。少しは成長したのかな?」
意外と嬉しそうな平井がくるりと回って、ゆでダコヘカテーに抱きつく。
「そんじゃ行くよ! いざミサゴ祭り!」
「可愛い‥‥‥私、可愛い‥‥悠二に‥‥‥」
「そういうわけなのであります」
「‥‥‥どういうわけだ?」
所変わって虹野邸。一人の来訪者が訪れている。
「ですから、今日はミサゴ祭りというカーニバルが開催されているのであります」
「外出推奨」
「だから! 何故それを俺に言いに来る。一人で勝手に行けばいいだろう!」
ヴィルヘルミナの遠回しな、しかしバレバレなお誘いをメリヒムは断固として断る。
全く、『大戦』の時からまるで進歩がないやつだ。
あの時も戦いであるにも関わらずドレスを着込み、戦う直前まで仮面をつけず、自分が愛したマティルダとは正反対の接し方で自分の心を得ようとしていた。
いい加減あきらめればいいものを。
「シロ」
そこで横から『娘』の声が掛かる。
「!」
赤に白抜きの花模様。
紛う事無き浴衣姿(という衣装をメリヒムは知らないが、娘の艶姿に知識も理屈も無意味だ)。
「坂井悠二の監察も兼ねて、祭りに参加する‥‥じゃなくて‥‥しよう?」
「たこ焼き、焼そば、金魚すくい、射的に輪投げであります」
「娯楽満載」
きんぎょすくい? たこやき? 焼そばは知ってる。
しゃてきに、わなげ?
そしてシャナと行く。
「いいだろう。暇潰し程度にはなる」
格好つけているがその足取りはやや軽い。
「痴れ者が」
どこからともなく聞こえてきた声、それに気付きメリヒムは一つのペンダントを水槽に放り込む。
「うぬぅ! 貴様、またこのような‥ぬぉ、ぬるぬるする‥‥!」
そして中に飼育しているイカの足にペンダントが絡む。
言うまでもなくアラストールである。
メリヒムがシャナに目を向けているうちに、ヴィルヘルミナは己をリボンで包み、純白の浴衣を纏う。
そして用意しておいた紺色の帯で素早くキュッと締める。
締めた所でメリヒムがこちらを向く。
まさに、驚愕という名のスパイスを加味した最高のタイミング。
『戦技無双の舞踏姫』たる絶技を使った一瞬の衣装変化。
言葉少なに繰り出したその一撃は‥‥‥
「何をしているヴィルヘルミナ・カルメル。置いていくぞ?」
気付いてももらえなかった。
「ううっ‥‥ふぅう〜〜!」
「残念無念」
「行くわよ、カーニバル!」
「ほ‥‥本当にいいんですか!?」
佐藤も、マージョリーの勧誘に成功していた。
というより、マージョリーが今を悩む少年に気を遣ったといった方が正しい。
マージョリー・ドーは好き勝手に暴れ、だらける勝手な人間に見えがちだが、実はかなり面倒見のいい人間である。
それが、大事な子分の事となれば尚更だ。
それに、ちょっと祭り自体が楽しみだったりする。
「田中のやつはオガちゃんと行くみたいなんで、もう行きますか? 向こうで会うかも知れないし」
対する佐藤。
実はマージョリーの気遣いに気付いている。
曲がりなりにも一緒に住んでいるのだ。それくらいはわかる。
(情けないな)
とも思うが、こんなチャンスを逃がす気はない。
彼本来のお調子者な面が顔を出している。
「それじゃ行くかい、大将!」
いつもマージョリーの酒の匂いばかりかがされて実は相当乗り気なマルコシアスの号令と共に、マージョリーと佐藤もミサゴ祭りに向かう。
それぞれの想いを乗せて、ミサゴ祭りが、始まる。
(あとがき)
祭りまで行きませんでした。そろそろゆるりとシリアス風味に(でも次話は楽しいお祭り書きたいかも)