「駄目‥‥か」
これで三度目。
この妙な自在法のせいか、"封絶が使えない"。
それは悠二にとって、いや、誰にとっても相当な脅威であった。
封絶の中なら壊れた存在を後で修復できる。
たとえそれが人間であっても(もっとも、喰われ、存在を失った者はトーチとするしかないが)。
それが無い状態で戦いが起これば、どれだけの被害が出るか‥‥‥
(やっぱり、皆と合流して慎重に動いた方がいいか)
そう考え、感知能力を研ぎ澄ませ、仲間の気配を探る。
わりと近くに二つ。
(カルメルさんと、シャナか)
どうやらメリヒムは自分達同様どこかに飛ばされたらしい。
(カルメルさんとシャナ以外の気配はバラバラ‥‥か)
平井や佐藤達の居場所はわからない。こんな事ならあの通信用の栞を自分ももらっておけば良かった。
(とりあえず、近場の方から合流するか)
周りの人達は不思議な現象を目の当たりにしても、すぐにそれを"当たり前のもの"として認識してしまうようになっているらしい。
封絶が使えなくされているのは厄介極まりないが、これだけは好都合だ。
遠慮なく、飛ぶ。
(ど、どうなってんのよ!?)
辺りの異変、明らかな自在法の発現に、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーは困惑していた。
この街にはすでに、数多くのフレイムヘイズや徒が来訪している。
それぞれ理由はあったが、これほどの面子が一つの場所に集まるなど異常以外の何でもない。
だというのに、また新たな徒?
「マージョリーさん。徒は一度会ったらもう一生会わないって‥‥‥」
以前の親分の言葉を思い出し、佐藤が一言。悪意が無いのが余計にタチが悪い。
「う、うるさいわね! 私だって間違える事くらいあるわよ」
そのマージョリーの一言で、この事態が完全に徒の仕業だと気付いた佐藤は、しかし‥‥‥
「それで、今から街をこんなにした徒をやっつけに行くんですよね!?」
この事態に、いや、この事態だからこその一種の興奮状態に入っていた。
周囲の人間誰もが気付く事さえ出来ないこの状況で、あるがままを感じられる。
自分が、"特別な存在"であるかのような錯覚を彼に与えていた。
自分がただの人間、その認識を薄れさせていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
佐藤のそんな内心までは気付かず、その言葉だけに対し、マージョリーが考えるのも数秒、答えは出た。
「‥‥いや、いいわ」
"あれ"以来。徒全てに対して向けていた憎悪、どころか、情けない事に戦意すら湧いてこない。
マージョリー・ドーは自分に残された居場所に、今まで無かった心地好い居場所にただ留まっていた。
『坂井悠二に"銀"の事を聞かせてもらう』
それを理由として、この状況に甘んじていた。
「え‥‥‥‥」
「この自在法仕掛けた徒は『万条の仕手』達に任せて、私はあんたやエータやユカリを連れてとりあえず街を離れる。
こんだけゴロゴロ凄腕が揃ってんだから、私が気張る必要ないでしょ」
その親分の、憧れの女傑の言葉に、佐藤は心底腹が立った。
人任せにして、"足手まとい達"を連れ出す役を自分から買って出る。
自分が理想とした女傑。その期待と信頼を裏切られた気がしたのだ。
「‥‥何か、弱気ですね」
常なら決して言わないであろう非難が口を突いてでる。
「はぁ!? 誰に言ってんのよ?」
その短い非難に込められた想いに"気付いて"、マージョリーの方も苛立つ。
勝手に憧れて。
勝手に期待して。
勝手に失望する。
"何も知らないくせに"
その、子分の身勝手さに、自分でも驚くほどの怒りを覚えた。
しかし、それは佐藤も同じ。
「マージョリーさんが行かないって言うんなら、俺が行きます。殺されたって、何もしないよりマシだ」
先ほどから続く『錯覚』も手伝って、腑甲斐ない親分を焚き付けるつもりで言う‥‥‥が、本気な部分もかなり混じっている。
そして、逆効果だった。
「‥‥‥あんた、自分が何言ってんのかわかってんの?」
先日、坂井悠二や平井ゆかりが計らってわからせたはずの人間とフレイムヘイズとの違い。
その上での佐藤のこの発言は、呆れを通り越して怒りや悲しみをマージョリーに与えた。
揺れる佐藤は、しかし、そんな親分の"優しさ"に気付かない。
「足手まといなんか、ごめんですよ」
そう言って、背を向けて走りだす。
(あ‥‥‥)
駆け出す佐藤に、何か言おうとして、やめる。
悪いのは、あっちだ。
「‥‥ほっといていーのかよ? 我が薄情な守護者、マージョリー・ドー?」
「‥‥‥いーのよ。どうせあいつには、徒の居場所だってわかりゃしないんだから」
佐藤が徒に巻き込まれる。その可能性が頭からとんでしまうほどに怒っている契約者に‥‥
(重症だな‥‥こりゃ)
マルコシアスは『グリモア』から溜め息のようにボッと火を吹いた。
「‥‥‥‥おい」
「知りません」
「‥‥‥私、まだ何も言ってねーぞ。何か知ってんだろ、お前」
「知りません。何も知りません」
人の位置を入れ替える効果のあるらしい自在法により居場所を強制的に変えられたヘカテー。
そこで出会ってしまった吉田一美に追及を受けていた。
調律の媒介となった事でこの撹乱の影響から免れている吉田に対して、"吉田にとっての普通な反応"をとってしまった事で疑いを持たれてしまっている。
そして、ヘカテーは嘘が下手である。すごく。
(何故‥‥何故?)
そんなヘカテーは今、吉田以上にパニックに陥っている。
吉田がヘカテーにしている質問は、ヘカテーから吉田にしたい質問でもある。
何故、"この状態"を理解できているのか?
しかし、ヘカテーにとって、それは気にはなるが、知らなければならない事ではない。
現に、吉田はこの状態を理解している。
ならば、下手に質問などして、こちらの情報を知られる方がまずい。
悠二と自分のいる、"こちら側"に近づけてはいけない。
一刻も早く、ここから立ち去るのだ。
「待てコラ」
「きゅ!?」
さっさと立ち去ろうとするヘカテーを後ろから抱えあげる吉田。
「今さら"私は何も知らない一般人です"が通じると思ってんのか?
あきらめろ。お前にポーカーは無理だ」
「放しなさい!」
「黙れ小動物」
抱えあげられる事で背中に当たる吉田の凶悪なブツが、ヘカテーにさらなる恐怖を感じさせる。
ただでさえ料理やこのブツで、そして、容姿は‥‥‥良し悪しがまだよくわからないが。
とにかく何かと自分より優れているものを持つこの宿敵を、さらに『こちら側』に引き込んでなるものか。
そうは思うのだが、異能を使って逃げ、それを吉田に見せてしまっては本末転倒である。
いっそまた先ほどの自在法で居場所を変えてもらえないか、などと神頼みのような事を考えるヘカテーの耳に‥‥‥
「キャー!」
「何だあの花火!?」
「車の向きが全部メチャクチャだ!」
撹乱を受けて、狂乱に陥る人々の声が届く。
しかし、狂乱に陥った人々は、次の瞬間にはまるでそれが当たり前かのように振る舞うのである。
全く、異常な光景と言えた。
(っ! そうだ!)
今さらのように気づき、封絶を張ろうとする。
これで騒ぎも、吉田の事も解決‥‥‥
(張れない!?)
封絶が張れない。
いつものように因果孤立空間を展開しようとするが、外部の世界と切り離そうと広げた力の流れを掻き乱される。
(っ!?)
その意味するところに気づく。
封絶が張れない。修復が出来ない。おそらく、戦いが迫っている。
人間が、街が、限りなく危険な状態にあるのだ。
「お前、やっぱり"わかってる"な」
人々を見て顔色を変えるヘカテーに、吉田はそう言った。
「それで、新しい気配の方に向かうの?」
「‥‥いや、もっと怪しいのがある」
先ほど合流した悠二、シャナ、ヴィルヘルミナは祭りの中心部に向かって飛んでいた。
新しい気配を疑いもしたが、やはり満場一致でフレイムヘイズだという事らしい。
なら、"こちら"の方が怪しい。
ミサゴ祭りのど真ん中に位置する、『櫓』と、その周辺である。
悠二の鋭敏な感知能力が、この撹乱だらけのメチャクチャな状況で、ここの撹乱の流れが強い事を見抜いたのだ。
「相変わらず、感知だけは鋭いようでありますな」
「便利」
「だけって‥‥‥失礼だな」
「‥‥‥‥‥‥」
封絶が張れない事で、全員が集合するのを待たずに事態の収拾を最優先させ、この三人で行動しているわけだが。
それが、シャナを妙に明るい気持ちにさせていた。
(何でだろ?)
ヴィルヘルミナと一緒に戦う。
それは当たり前のように嬉しい。
『完全なフレイムヘイズ』として、それが正しいのかはわからないが、やはり嬉しい。
しかし‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥」
先ほどよりも、ヴィルヘルミナやメリヒムと一緒に祭りを歩いていた時よりも、気持ちが明るいのだ。
(変なの)
"嫌いなはずのやつ"がいるのに‥‥‥
そんな疑問も、嬉しさも、少女は使命への炎で隠していく。
それが誤魔化しだなどとは、露ほどにも思わない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
目の前、騒ぎ、現れ、消え、不自然に落ち着く人々。
張れない封絶。
考えるまでもない。
危険だ。
自分を守る術の無い人間にとって、あまりにも危険だ。
『逃げんのか?』
恐い。この少女は、自分みたいに臆病ではない。
『勝負な。坂井君を振り向かせた方が勝ちの。とりあえず今日だけは見逃してやるからよ』
自分とは大違いだ。
宿敵が悠二に近づくだけでこんなにも恐い自分とは。
悠二が、吉田一美を好きになってしまうかも知れない。
恐い、恐い、恐い。
"でも"‥‥‥
「‥‥しっかり捕まっていなさい。飛びます」
「は? ってうわ!!」
自分を抱えていた吉田ごと飛び立つ。
恐い。悠二をとってしまうかも知れない恐ろしい宿敵。
"でも"、こんな所において行くわけにはいかない。
それに‥‥‥
頭をよぎる、悠二との日々。
永い、永い時を生きてきた自分の、悠二と出会うまで感じた事がない気持ち。
宝石のような、いや、そんなつまらないものなどよりはるかに綺麗で大切な、思い出。
自分の全てを使って、守りたいもの。引き寄せたいもの。いつまでも寄り添っていたいもの。
たとえ‥‥これが吉田一美を真実に近づける結果になろうと‥‥‥
(絶対に、負けない!)
(あとがき)
サクサク進めるつもりです。しかし、薄っぺらにならない程度で。
どちらにしても過去最長になりそうです。多分。