「オガ‥‥ちゃん」
田中栄太は、御崎市にいる紅世に関わる者の中で、一番今の状況を理解できていなかった。
マージョリーに『この世の本当の事』を教えられ、現に、彼女が起こした"ちょっとした不思議"なら目にしてきた。
だが、まともに紅世の力、自在法に触れるのは今回が初めてである。
気づいたのも誰よりも遅かった。
マージョリーに前もって渡されていた、少々、力を込められた付箋を持っていなければ気づけたかどうかも怪しい。
花火を見上げ、それが歪み、周囲が騒ぎ、何故か落ち着き、そして、気づけば隣にいた緒方がいない。
最初は、迷子かな? とさえ思った。
彼はそれからしばらく後、周りの異様な態度で気づいた。
"これ"は自在法であると。
(この街に徒が、人喰いの化け物が!?)
そう気づき、『自分はどうすればいいのか?』と、悩む。
常日頃から、「マージョリーについていく」、そう言っていた。
そう思って、毎日トレーニングしてきたのである。
だが、実際に徒が現れ、そして、先ほどまで自分は緒方といた。
彼女はどこに行った?
何らかの方法で移動させられた?
それとも‥‥自分が気づかないうちに‥‥
『俺達は封絶っつー特殊な空間を使っててな。そん中で起こった事は、普通の人間は気づく事も出来ねーんだ』
以前、マルコシアスから受けた説明が思い出される。
まさか、もうその『ふうぜつ』が張られているのか? いや、聞いていた話と今の状況は随分違い。
だが、ふうぜつじゃないとしても、自分には緒方の身に何が起こったのかわからない。
(‥‥‥姐さん。すいません!)
親分の手伝いに行く事をあきらめ、少年は少女を探す。
祭りの喧騒からやや離れた、人通りも少ないそこに一人、長い銀髪の男が立っている。
"虹の翼"メリヒムだ。
(何かの自在法か)
大体の現状を理解し、しかし解せない点がある。
これほどの大仕掛けを気配を感じさせずに行う。
そう簡単に出来る事ではない。
それこそ、小さな気配と超絶的な力の高効率な活用が出来る『小夜啼鳥(ナハティガル)』、いや、"螺旋の風琴"くらいのもの。
(さて、どうする)
元々、メリヒムには世界のバランスを守る。などという使命感は無い。
単純に自分のテリトリーを侵す不届き者に対して憤る。
そんな彼に、
「あら、虹野さんじゃありませんか」
穏やかな声が掛けられる。
振り返り見れば、
「奥方か」
坂井悠二の母、千草である。
簡素な模様の浴衣を身につけている。
祭りで坂井悠二に出会った時には一緒ではなかったが、後で合流する予定だったのだろうか。
「奥方も、祭りを見物に来ていたのか?」
疑問もそのままに訊く。
「ええ、ヘカテーちゃんやゆかりちゃんが、"お買い物が済んだら来て"って、ふふ、可愛いでしょう?」
可愛い、とはその二人の事だろうが、ゆかり‥‥平井ゆかりか。
そういえばあの小娘は自分をメリーなどと呼称していたが、腹立たしい。
ちなみに、メリヒムは御崎市に戻って来た際に会い、その後も鍛練に度々顔を出す平井の事は一応知っている。
「虹野さんもお祭りに? シャナちゃんと一緒にですか?」
千草の方も明るく訊ねる。
最近の千草は、息子が高校に入ってから可愛い女の子の『お友達』が増えて絶好調である。
「まあな。シャナと、一応ヴィルヘルミナ・カルメルとだ」
誇るべき『娘』と来た事をやや自慢気に言い、ついでにおまけの名を口にする。
「まあ!」
しかし千草はその答えに両手をパンと合わせて感嘆の声を上げる。
その喜色に、メリヒムは疑問を抱く。
(シャナと会えるのがそれほどに嬉しいのか?)
などと推測するが、当然外れる。
「カルメルさんもご一緒なんですか! いつも何かと避けていらっしゃったようなので、てっきり仲がお悪いのかと‥‥」
千草はヴィルヘルミナの恋心については知っている。
そして、その上でメリヒムのとる態度も今まで幾度と無く目の当たりにしてきた。
だからこそ、『メリヒムがヴィルヘルミナと一緒に祭りに出かける』。
それは千草には実に微笑ましい事のように思えたのだ。
当然、メリヒムはそんな誤解を見逃さない。
「‥‥‥奥方、少し昔の話をしようか」
これ以上、無用な誤解を広めないよう、語る。
いや、誇るのだ。
自分が曳かれ、愛した女を。
「「っ!?」」
「うわっ!?」
「驚愕」
ドォン!!
櫓に向かって飛んでいたはずの悠二、シャナ、ヴィルヘルミナが、何故か突然"地面に向かって"突撃、撃沈した。
「痛てて、何だこれ?」
「おそらく、これも撹乱の一種であろう」
悠二の素朴な疑問に、いたのか、という魔神が答える。
「櫓と、その周りね」
シャナがその効果範囲を、今受けた撹乱から推測する。
どうやら、徒やフレイムヘイズの使う異能さえねじ曲げる強力な『撹乱』が使われているらしい。
櫓どころか、その周りの提灯がつるしてある一帯にすら近付けない。
「っは!」
ヴィルヘルミナが鋭く吼え、無数のリボンを櫓に伸ばす、その表面には桜色に輝く『阻害』や、『防御』の自在式が浮かび上がっている。
しかしそれら全てがデタラメな方向に曲げられ、目標を見失う。
「やはり、ダメでありますか。であれば‥‥‥」
試しに使った攻撃が当然のように成功しなかったヴィルヘルミナが、悠二に向けて目で合図する。
"こういう場合"は、自在師の方が適任である。
「わかってる。ちょっと待って下さいよ。マージョリーさんみたく、すぐ出せるわけじゃないんだから」
言いながらも、悠二の両手の間には銀に輝く自在式が踊っている。
どうやら、ヴィルヘルミナがリボンを伸ばす前から力を練っていたらしい。
そして、
「ふっ!!」
掌に在る銀炎の周囲を、十重二十重の自在式が取り巻いた状態で放たれる。
ありったけの他の存在からの干渉を阻害する自在式に守られた炎弾は、しかし櫓までの距離、半分も行かないうちに自在式を破られ、炎弾は空に飛ばされる。
悠二が習慣的に行っている自在法、自在式鍛練の成果であったのだが‥‥
「‥‥あれでも駄目かぁ」
「正攻法だと突破は難しい?」
自在法の行使に関しては自分より、いや、ヴィルヘルミナよりも優れていると認めざるを得ない悠二に訊ねるシャナ。
口調が、やや柔らかくなっている。
「? ああ、多分正面からじゃ、マージョリーさんでも無理だと思う。
でも、これだけの自在法なら、多分何か仕掛けがあるはずだ。まずはそれを‥‥‥」
「破壊」
シャナの普段と違うその様子(ヘカテーがいない為だ)を不思議に思いながら、今の自在式の手応えからそう判断する悠二の言葉を、ティアマトーが引き継ぐ。
「その仕掛けの見当は?」
そして、ヴィルヘルミナの根本的な質問。
「‥‥やっぱり、他の皆とも一度合流しよう。平井さんの『玻璃壇』は必要になってくると思うし、例のフレイムヘイズも何か知ってるかも知れない」
「わかった」
「「「「?」」」」
いつになく素直なシャナに、悠二、ヴィルヘルミナ、ティアマトー、アラストールはまたも頭に?を浮かべるのだった。
「そう、あの女は美しいという言葉では言い表わせない。
淑女と呼ぶには苛烈に過ぎ、女傑と呼ぶには高雅に過ぎる。まさに秘された宝剣と称するにふさわしい‥‥‥‥」
人も少ない石段に座り、メリヒムは延々と先代『炎髪灼眼の討ち手』、マティルダ・サントメールの自慢話をしていた。
顕現の規模を抑え、白骨となっていた数百年はもちろん、それ以前でもこれほどに『彼女』の事を口にして話した事があっただろうか。
懐かしむように、振り返るように、次々に言葉が口を突いてでる。
紅世に関する事をついつい口にしてしまいそうになる事ももう何度目か。
坂井千草の持つ独特の穏やかさ、柔らかさが、本来口数の多い方ではないメリヒムに"話そう"という気を起こさせていた。
「ふふ‥‥虹野さんがそれほどに褒められるなんて、よほど素敵な方なのでしょうね」
そんな、自分にはまるでわからない話を延々と、しかしとても嬉しそうに語るメリヒムの話を、千草も嫌な顔一つせずに聞き入っている。
「それで‥‥まだそこに残るものが在るのですか?」
そして、メリヒムがようやく少し黙った所で口を挟む。
メリヒムの話し方や、今、その女性がどうしているかなどについて全く触れない事から、そのマティルダという女性がすでに何らかの事情でいなくなってしまった事に気づいていた千草が、『今の』メリヒムに大切な質問をする。
少し不躾かも知れないが、彼には必要な事に思えたのだ。
だからこそ、出来るだけ柔らかい、遠回しな言い方をする。
訊かれたメリヒムは、千草が単純な好奇心ではなく、"自分のために"訊いている事がわかったために、答える。
「‥‥‥‥"いや"」
彼女の姿は、目に焼き付いて離れない。
永遠に忘れる事などありはしない。
だが、もう彼女の死を目の当たりにしてからずっと消える事の無かった、
愛する女を止め得ずに地に転がった日の、心を火箸でかきむしられるような痛みや熱さはもう、無い。
あの少女との、最期と思われた別れ、その時に無くなっていた。
自分は、彼女への愛を完遂させたのだ。
「‥‥だったら、『今』に目を向けてみるのも良いかも知れませんよ?」
メリヒムの迷いの無い言葉を訊き、穏やかにそう言う千草。
「‥‥‥‥‥‥‥」
その言葉を受け、悪くない気分に浸るメリヒム。
(確かに‥‥それも悪くない)
甦ってみて、今の世も悪くないと思えるようになってきていた。
『私はもう、新しい時を見ているのであります』
ふと、先の千草の言葉と、かつてのヴィルヘルミナ・カルメルの言葉が重なり、ふと気づく。
坂井千草の顔が、妙に嬉しそうになっている。
これは不味い。
「だが、それとヴィルヘルミナ・カルメルの事は関係無い」
それとこれとは話が別だ。
これ以上、妙な邪推をされてたまるものか。
メリヒムのその言を受け、千草は「あらあら」と困った風に笑うだけである。
悠二達が去った後、ごそごそと櫓の中から、二メートルはあるガスタンクのような体の燐子が出てくる。
『お助けドミノ』である。
ガチャガチャと櫓をいじくっている。
どうやら、この仕掛けに関わる重要な作業の真っ最中であるらしい。
「ガオー! 私は忙しいんだ!! 早く逃げないと食べちゃうぞ人間どもー!!」
周りでやかましく騒ぐ人間達を脅かして追っ払う。
そんな中、一人の少女と目が合う。
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥えーと、ども♪」
「‥‥‥‥逃げないんでございますですか?」
「逃げます!!」
脱兎の如く駆けて行く。
ドミノはもう少女には目もくれず、作業を再開する。
忙しいのである。
(セッ‥‥‥ーフ!!)
少女は、先の自在法で居場所を変えられた、
平井ゆかりだった。
(あとがき)
メリークリスマス。読者の皆様。
今回はかつて無いほどの字数制限ギリギリでした。
では良き聖夜を。