すりすり
自分を抱きしめる悠二の胸に頬擦りする。
もう、二人共泣いてはいない。
悠二は、謝り続けるのはやめた。
よくわからないが、どうやら許してもらえたらしい。
もう、悠二は怒っていない。悲しんでいない。泣いていない。
嫌いにならないと言ってくれた。
それだけで、全身を蝕んでいたあの底冷えするような恐怖が綺麗さっぱり消えていた。
そして、恐怖が無くなった途端、気づけば、目一杯悠二に甘える行動をとっている。
我ながら、現金だと思う。
「ん!」
悠二の胸に力いっぱい顔を埋める。
この至福の時を、一秒でも長くと。
(泣き止んで‥‥くれた?)
小柄なヘカテーを抱きしめているため、顔は見えない悠二であるが、胸に顔を擦り付けられるのを感じる。
いつもの小動物のような雰囲気を醸し出している。
名残惜しいが、今はいつまでもこうしていられる状況じゃ‥‥‥
そこではたと気づいて周りを見渡す。
ヴィルヘルミナがニヤニヤした雰囲気(無表情だが)。吉田は、自分がこの状況を招いたからか"今回は仕方ないか"という顔。シャナは"普段"通りである。
見られている事をすっかり忘れていた。
まずい、あれだ。凄く、恥ずかしい。
「ああ、どうやら落ち着いたようなので、話の続きをしましょうか」
「ふむ、あまりのんびりする時間があるとも思えんしな」
二人で一人の『儀装の駆り手』がこの恥ずかしいような、気まずいような空気を軽々とぶち壊す。
「‥‥‥‥‥‥‥」
悠二としてはありがたいような、ありがたくないような微妙な心境であるが、確かに状況が状況だ。
ヘカテーを放して、話の続きを‥‥‥
(?)
離れない。
ヘカテーが離れない。
悠二に抱きついたままカムシンを氷のような無表情で睨む。
元々、大昔の因縁があって許しがたい討ち手、さらにこの仕打ち。
この時、ヘカテーはカムシンを『絶対に仲良くなれないやつ』と判断した。
「"探耽求究(たんたんきゅうきゅう)"ダンタリオン?」
「"教授"、でありますな」
「なるほど、極めつけだ」
カムシンの言う"心当たり"を聞いた悠二、ヴィルヘルミナ、アラストールの三者三様の反応。
"探耽求究"ダンタリオン。
己の知的探求心のみに突き動かされて生きる"紅世の王"。
この世と紅世、双方の在り様に関わる『実験』を幾度も繰り返し、その興味の対象はコロコロ変わり、さらに他者の迷惑をまるで考えないため、徒の中でも彼を嫌う者は多い。
何より厄介なのがその"変人"と称すべき人格に、あの"螺旋の風琴"と並ぶ天才的な技能を備えている事である。
思考が全く読めない上に、どんな事をやらかしても不思議ではない。
厄介極まりない男。通称"教授"である。
しかし、悠二としてはそういうプロフィールよりも気になる事が二つ。
一つは、
(どっかで聞いた事あるような‥‥‥)
いつか、大分前に、すごく日常的な場面でその名前を聞いた気がする。
もう一つは、
「‥‥‥‥‥‥‥」
その名前を聞いた途端、悠二の背中に隠れてしまったヘカテーである。
そのヘカテーを見て、何かが繋がり、思い出される。
(あ!)
最初の一度以降、正式な名前を使われた事がないためにすぐには思い出せなかった。
("おじさま"か!)
そう、ヘカテーとの日常会話にも時々名が出る、昔からの仲良しらしい"おじさま"の本名である。
しかし、何故それで自分の背中に隠れてしまうのだろうか?
そのおじさまと戦いたくない、とかそういう理由であろうか?
「ああ、そういえば"探耽求究"は『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の客分でもありましたね。
今回の事は?」
「知りません」
「結構」
そんなヘカテーに、この企みが『仮装舞踏会』の仕業か?と訊いて、返事を受け、すぐに興味を失うカムシン。
"教授"の動機など推測しようとするだけ無駄であるし、この"頂の座"は『万条の仕手』が太鼓判を捺している。
何より、『仮装舞踏会』という組織自体が、『大戦』に『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の援軍として参加して以降の数百年、大きな活動を起こしていない(それ以前も、千年単位で『武力抗争』と呼べるものは起こしていない)。(ちなみに、『とむらいの鐘』は、かつてメリヒムが身を置いていた徒の『軍団』である)
どころか、この世に渡りくる徒達に、この世を生きるための封絶、トーチの配置などの『常識』を、『訓令』という形で説いているらしい。
それは徒にとってはフレイムヘイズに狙われないための知識だが、同時に世界の歪みを最小限に抑える事にもなる。
そういう意味では、フレイムヘイズの側にとってもありがたい面もある組織、『徒の外界宿』とでもいうべき集団だった。
ヴィルヘルミナが当時、ヘカテーを過剰に警戒しなかった理由にも、これが多分に含まれる(『個人的』な理由で世を荒らす"千変"などは別だが)。
「‥‥‥‥よし、とりあえずカムシン。あんたはその印が壊せるかどうか試してみてくれ。僕とヘカテーは平井さんを探す。
カルメルさんメリヒムを探して下さい。シャナはマージョリーさんとか佐藤がここに来た時のために吉田さんと待機」
とりあえずの情報交換も済み、各自、各々の役割を悠二が割り振る。
「ああ、いいでしょう」
「了解であります」
「「‥‥‥‥‥‥‥」」
簡単に同意するカムシンとヴィルヘルミナ。
小さいの二人は返事をしない。
ヘカテーはおじさまの事でまだ思う所があるのだろう。
シャナは‥‥まあ、こんなもんか。さっきまでが単に機嫌が良かっただけなのかも知れない。
「‥‥‥ふっ!」
掌から銀の自在式を生み出し、それに今から行使する力のイメージを込める。
カムシンから驚いたような気配を感じるが、無論無視する。
(イメージは、静かな水面に石を放り投げる事)
まだ支離滅裂で意味を為さない力の羅列が、悠二のイメージに沿って、力と意味を持っていく。
(石が落ちた所から波紋が広がって、水面に出てる障害物に当たって、はね返る)
自在式を乗せた手をかざし、解放する。
(はね返った波紋を感じる事で、障害物の位置がわかる)
街中に向け、銀色の自在式が広がっていく。
『探知』の自在法である。
(‥‥‥‥見つけた!)
『探知』の自在法と、悠二の鋭敏な感知能力を合わせた驚異的な捕捉術。
平井の持つ、ちょっとした力を持つ羽根や栞の位置を特定する。
「それじゃ、吉田さん。こんな事になっちゃって残念だけど、今は‥‥」
「わかってます。邪魔だけはしませんから」
久しぶりにノーマルで返す吉田。
「シャナ、吉田さんを頼んでいいか?」
「構わない。どうせ今は、こっちから何か出来る状態じゃない」
理路整然と応える、その姿が今は頼もしい。
「ヘカテー、行くよ!」
ヘカテーの手を引き、悠二は飛ぶ。
その後ろ姿を、シャナと吉田は見守る。
「‥‥‥形勢不利、かな」
「今はまだ、この撹乱をどうにかしないとどうしようもない」
「"そっち"じゃねーよ。そういや、お前は"何"?」
「フレイムヘイズ」
「あっそ」
「‥‥驚かないの?」
「今さらってもんだろ?」
「‥‥‥お前、図太いの?」
「強いの」
居残り組は他愛無い話を続ける。
(今の、坂井君の自在法、かな?)
街に放たれた自在式の飛んできた方に走る平井。
手にした羽根が一瞬銀に光ったため、悠二であると推測している。
先ほどの怪物(ロボット?)の特徴。
最近、第八支部で警戒をするよう言われていた"探耽求究"の燐子、『お助けドミノ』だろう。
滅多にあるデザインではない。
(およ?)
走る平井の目に、一つの景色が映る。
はて、いつも坂井家に行く時には目にするのだが、何故だか今、目がいった。
(電柱に隠れてこそこそと覗いてたんだっけ)
あの時は、ヘカテーが外界宿の関係者、悠二もそれに関わる関係者。
人間ではないなどとは考えていなかった。
覚悟を決め、だが無知で。
人間には介入しようのない戦場に留まった。
『応えろよ‥‥何で平井さんを巻き込んだ!?』
「‥ふふ」
何となく、笑みが零れる。
普段は押しが弱いくせに、無謀はお互い様ではないか。
『出来るだけ、遠くに離れて、全速力で。
あとで‥‥全部話すから』
楯にでもなるつもりだったのだろうか。
結果的に、ヘカテーが来ていなければどうなっていた事か。
「‥‥‥ばーか」
腹いせに悪口を言ってみる。
嘘つきは嫌いである。
「‥‥‥‥‥」
あれから、色々あった。
外界宿で仕事したり、中国で『剣花の薙ぎ手』虞軒と一計を仕組んだりもした。
しかし、やはり‥‥‥遠い。
「‥‥‥‥‥」
やめだやめだ。
深刻ぶって考えるのなんか、似合わない。
らしくない。
『今』を、大切に生きる。
悠二やヘカテーと、いつか避け得ぬ別離がある。
そんな事は考えない。
今を、精一杯楽しんで生きてやる。
しかし、
(何で今さらあんな場所に感傷的になっちゃったのかな)
軽く、軽く疑問を抱いて、走る平井の目に、飛んでくる二人の親友が映る。
「調律‥‥‥で、一美も巻き込まれたわけ?」
「‥‥‥うん」
なるほど、どうやらもう一人の親友も見事に巻き込まれたらしい。
自分も似た立場だし、とやかく言われるのを好むタイプではない。
それに‥‥
「全然動揺してなかったでしょ?」
「よく、わかるね」
「付き合い長いからねぇ♪ それで、ヘカテーは何で"そう"なの?」
いつもより輪をかけて挙動不審なヘカテーを指して平井は言う。
実はヘカテー。教授と戦う事にも確かに抵抗があるのだが、それ以上に教授から実家へ、実家からベルペオルへ自分の近況が伝わる事が何より恐いのである。
楽しい下界生活が終わってしまうかも知れないし、何より、悠二がどうなってしまうかわからない。
(今回ばかりは、目立たず、人任せで‥‥)
もちろん、悠二の炎も見せてはならない。
いとも簡単に『零時迷子』だと推測されてしまうに違いない。
先ほどの自在法も危険だったが、薄い力の発現だったため、遠くから見たら色はかなりわかりづらかったはずだ。
「"おじさま"だよ」
「‥‥‥あ! "おじさま"か!」
悠二同様、おじさまについては何度か聞かされていた平井も気づく。
「悠二、今回は私達はなるべく目立たず、支持に回りましょう」
ヘカテーの言葉に、悠二と平井は困ったように顔を見合わせる。
少女の懸念が杞憂に終わるかどうか、それは馬鹿げた天才の出方次第。
(あとがき)
前作のあとがきに応え、感想をくれた読者が多数。どうやらヘカテー派が過半数、そして以外に吉田が二番人気な模様(いや、感想だけじゃ断言は出来ませんが。
感想をくれた方々、ありがとうございます。
そしてヘカテーの大昔の因縁、これは原作で『あったかも知れない』程度ですが、新刊の際に矛盾が出ないようにちょっと入れておきました(原作で因縁がなければオリジナルにするつもり)。