七夕からしばらく経ったある日曜日。
坂井家では、息子がいない時の恒例行事が行われていた。
「火加減は中火で、固まってきたら弱火にしてね?」
「はい」
坂井千草とヘカテーである。
自分の胸の内を明かしたヘカテーと明かされた千草は二人、共同戦線を張って坂井悠二を陥落させようと目論んでいる。
悠二に好かれるための努力。そのための第一段階として、宿敵・吉田一美がしていたお弁当作戦からとりかかっている。
なぜ今までこれを思いつかなかったかを悔やむヘカテー、しかし、あまり成果は思わしくない。
元々、ヘカテーは美術と家庭科だけは全然ダメであった(ちなみに、美術は平井もダメだ)。
(また、失敗)
フライパンにこびりつき、何故か焼き加減は部分部分で黒焦げから生までという幅広い(要するに無茶苦茶)ものになってしまう。
卵焼きを作りたいのに、いり卵にすらならない。
味見以前の代物である。
「‥‥‥‥‥‥‥」
悠二は、ヘカテーのこの影の努力を知らない。
『おいしいご飯を作ってくれる女の子』という風に思ってもらう事が目的なのだ。
それに、そういう打算を抜きにしても、悠二が自分の作った料理を食べて『おいしい』と言ってくれたら、きっとそれは凄く嬉しいと思う。
千草からの教え、そしてそこから自分で連想した結果から、ヘカテーはそう考えている。
いずれにしろ、まだ悠二に教えるには時期尚早である。
こんな無様なところは見せられない。
「もう一度、お願いします」
「はいはい、何度でも付き合いますよ」
花嫁修行はまだまだ続く。
その頃、悠二。
「なぜ、なぜ私と"あの子"が引き離されねば‥‥」
「わかりましたよ。何度目ですか、その話」
借りていたCDを返しに寄った佐藤邸で、酔っぱらいに捕まっていた。
「で?、要領得ないけど、何でまた『万条の仕手』だけ別居中なわけ?」
そう、メリヒムとシャナが平井の仲介で外界宿(アウトロー)の援助を受け、住居を設けたにも関わらず、ヴィルヘルミナはまだ平井家に居候している。
「メリヒムのわがままだよ」
まあ、自分に片想いの相手と一緒に暮らす事に抵抗を感じるのもわからないではないが、ヴィルヘルミナが少々不憫だ。
「嫌なやつであります。あまつさえ、あの子まで引き込んで‥‥うぅ」
「あの子って、『炎髪灼眼』だっけ?、この街に来たの」
ちなみに、悠二より早くヴィルヘルミナのやけ酒に付き合っていた『弔詞の詠み手』、マージョリー・ドーは、直接シャナとはまだ面識がない。
両者、別に用もないのに顔を合わせるつもりもないし、両方の契約者の仲があまりよろしくないからだ。
「そう、シャナ・サントメール。一回会ってみたら?」
「やーよ、面倒くさい。それよりあんた、今日は"頂の座"は一緒じゃないの?」
「今日は家にいるよ」
「ヒャーハッハ!、いよいよ愛想尽かされたか兄ちゃん?」
母やヘカテーに半ば追い出されるようにして出かけた悠二は少し気にしていた事を言われてむっとなる。
「ただ家にいるってだけだろ?、愛想尽かすも何も‥‥」
「二人共!、私の話を聞いているのでありますか!?」
「傾聴」
「「はいはい」」
その頃、佐藤家の庭では佐藤と田中がトレーニングに励んでいた。
「では、平井君。『万条の仕手』にくれぐれもちゃんと伝えてくれよ。
『傀輪会』と『剣花の薙ぎ手』の連名の通達なんだから」
「はい、任せて下さい!」
平井ゆかりは御崎市に隣接している大戸に来ていた。
彼女が師事している関東外界宿第八支部がここにあるからである。
ヴィルヘルミナと第八支部のパイプ役として書類を受け持つのもいつもの事だが、今回は少し仰々しい。
「それで、最近の上海の外界宿の事件の目撃情報は?」
「いや、平井君?、その書類届けてくれるだけでいいんだけど‥‥‥」
「言われた事やるだけなんてヤです。通達内容だけじゃ情報不足なんてざらなんですから。
"出発"までにこっちで集められるだけの情報は集めておきます」
「‥‥平井君、まさか君も行くつもりかね?」
「もちろん♪、先方に伝えておいて下さいね。了承の場合、構成員一名と、協力者数名の同伴で参ります。って!」
そして、夜が来る。
場所は虹野邸の広い庭。
夜の鍛練、自在法での戦いの鍛練である。
今日の悠二の鍛練のお相手は、ヘカテー。
ヘカテーが手にした笛から高音を発し、沸き上がった水色の炎が無数の竜を形作り、悠二に襲い掛かる。
「くっ!」
大きく横に飛び、その攻撃を躱す。が、ヘカテーはすぐさま二発目の竜の怒涛を放つ。
悠二は右腕に絡み付く自在式を一瞬浮かび上がらせ、次の瞬間生まれた轟然と燃える銀の炎を竜の怒涛にむける。
その炎が、中空で大蛇に変じる。悠二の自在法『蛇紋(セルペンス)』である。
ボンッ!!
盛大な破裂音を立て、竜の怒涛が貫かれ、ヘカテーに迫る。
「っ!」
タンッと跳んで、銀蛇の一撃を躱すヘカテー。
さっきまで立っていた場所が一瞬で焦土と化す。
「ふっ!」
さらに悠二の繰るに合わせて『蛇紋』はうねり、その頭部を旋回させてヘカテーを襲う。
ヘカテーは脅威的な反射と対応で『飛翔』し、危うく躱す。
そして、
「は!」
悠二に向け、小さな炎弾。速さも威力も並以下のそれを一直線に放つ。
だが‥‥‥
「うわ!」
そんな稚拙な攻撃に悠二は驚き、『アズュール』の火除けの結界を張り、防ぐ。
と同時に、銀炎の大蛇と繋がっていた悠二の右手の炎も消え、制御を失った『蛇紋』はまるで見当違いの方へと飛んでいく。
「威力、速度ともに申し分無し。そして誘導という付加要素まで付いている。大した自在法、ですが‥‥‥」
「‥‥‥うん。わかってる」
悠二の『蛇紋』は確かに威力も速度も誘導能力もある。
だが、当然、その力に見合うだけの存在の力を消耗するし、今、ヘカテーが示したような欠点もある。
そう、"手動式"であるという事。
蛇と悠二の手が炎で繋がっていて初めて制御でき、さらに『蛇紋』を操っている時、銀蛇の行使に注意を割かれ、さっきのように隙が生じてしまうのだ。
当然、顕現させている間に存在の力を消耗し続けもする。あまり外しまくって出し続けるわけにもいかない。
「目下の目標は、『蛇紋』を使いながらちゃんと相手への対応を取れる集中力を身につける事。
力の底上げはそのあとです。」
「わかった」
自在式いじりで新しい自在法を模索、修得し、この鍛練でそれを実践する。
悠二はそうやって戦う力を少しずつ身につけるやり方をとっている。
そして、シャナも。
「はあああああ!」
『贄殿遮那(にえとののしゃな)』から炎が溢れ、煌めく紅蓮の大太刀になる。
「やっぱり、武器だと顕現させやすいみたい」
名を与えられて以降、炎をどんどん扱えるようになっている。
やはり、育ての親達に囲まれているこの環境がいいのだろう。
流石、といえる成長だ。
もっとも、本人は慢心などしない。むしろ、より成長の早い悠二を目の敵にしている節さえある。
内心で喜んでいるのは育ての親たるメリヒムやヴィルヘルミナである。
『娘』の成長に、ばれないように目を細める(ちなみに、シャナにはばれている)。
「まだ、腕の顕現は難しいか、炎の剣を使い、慣れ、感覚で掴んでいくしかあるまい」
シャナの胸元から、アラストールが、内心は別として諫める。
「うん」
その理由や妥当性もわかっているため、シャナも頷きで返す。
その姿は、少し前と同じに見えてわずかに違う。
欠けていた大切な何かが埋められたような『根』の強さを感じさせる。
もっとも、埋められてはいても満たされたわけではない。
それすら、使命以外にあまりに未熟な少女は気付けない。
ドクン
「零時か‥‥」
悠二の力が、回復する。
「はい、鍛練も終了した所で皆さん注目!」
何故かヴィルヘルミナに付いてきて、危険だからとメリヒムやヴィルヘルミナの側にいた平井が呼び掛ける。
「えー、こほん」
なにやら偉そうに構えているが、何故か目だけ真剣だ。
「本日、上海外界宿総本部の『傀輪会』と、フレイムヘイズ『剣花の薙ぎ手』虞軒の連名で、『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルに協力要請が届きました。
こちら、日本関東外界宿第八支部の返答として、カルメルさんの返事を頂かなくてはなりません」
なるほど、フレイムヘイズの仕事か、カルメルさんも大変な事だ。
しかし‥‥
「何でそれを"皆"に言うんだ?」
激しく嫌な予感がする。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥てへ♪」
「誤魔化すなよ!、何たくらんでる!?」
くいくい
袖を軽く引っ張られる、目をやればヘカテー。
「‥‥ゆかりが、考えそうな事です」
「‥‥‥‥わかってるよ」
ちょっと、悪あがきしてみたかっただけなのだ。
「それじゃ、張り切って行ってみよー!、初の海外進出!」
そしてこっちを見てウインクしてくる。
ヘカテーに目を向ける。
そして頷き合う。
仕方ない。
「‥‥‥行こうか。中国」
夏休みは、まだ始まっていない。
(あとがき)
というわけで中国です。御崎サイドはしばらくなしです。
早くぐぁーと展開進めたい、しかしまだやるべき話が多々あります。