溢れる。
茜に燃える炎と凶刃が溢れる。
油断、ではない。戦いは不意打ちが基本だ。
ましてや今の今まで戦っていたのだ。気を抜くはずがない。
それなのに、
咄嗟に纏った黒衣、『夜笠』をまるで紙のように貫いて、自分を襲う。
全く容易く、その意識を奪われた。
見覚えがある。
何度も何度も襲撃された。
なのに、いつも、今回も、突然の不意打ちを察知する事が出来なかった。
その刃と炎の怒涛をいなそうと構える。
だが、目に映る。
銀髪をなびかせる剣士が。
決して忘れる事など出来ない思い出が、半ば無理矢理に頭をよぎる。
その先にある死を享受して、それでも振り返らずに行った男が。
自分と友人達の絆を、命を蝕んだ茜の炎が。
頭では理解している。
自分一人なら、いなせる。無傷とはいかずとも、軽傷に抑えられる。
だが、『心』は思うようにはならない。
心の奥底に刻まれた『傷』が、自分の冷静な部分をあっさりと打ち砕き‥‥‥
体はもう動いていた。
大雑把すぎる攻撃をしていた最古のフレイムヘイズに、怒鳴るように文句を言っていた。
突然の襲撃。
正確性に欠けるらしいその攻撃は、瓦礫の巨人の反対側に浮かぶ自分には届かない。
凄まじい攻撃力。
だが、大威力を誇るフレイムヘイズの生み出した巨人の耐久力を信じ、巨人の陰に留まる。
攻撃が止んだ時、中にいるフレイムヘイズ本人にまで攻撃が及んだのか、瓦礫の巨人は崩れ落ちた。
「な‥‥‥‥?」
周りにいる、今まで自分が戦った。あるいは共に戦った仲間や、今日知り合った無茶苦茶な威力を誇るフレイムヘイズが、何の力の発現の気配もなく湧き上がった茜の怒涛に倒れていく。
見える位置にいたシャナや瓦礫の巨人はもちろん。メリヒムやヴィルヘルミナの気配も突然弱まった。
気配が消えていないのが唯一の救いか。マージョリーは‥‥‥無事か?
何故自分とヘカテーのいるこの場だけが襲撃されていない?
危難に際して切れる悠二が、瞬時にそんな思考を巡らせる中‥‥
「!」
いきなり、全くのいきなりに目の前に、硬い長髪に、全身をマントや布で隠した男が立っていた。
考えるまでもなく一瞬で悟る。
“教授”などより遥かに戦闘向きの『紅世の王』。
それが即座にわかるほどに、大きく、強い気配の持ち主。
「な!?」
何故こんな気配に今まで気づかなかった!?
あり得な‥‥
ズバッ!
(あ‥‥‥‥)
悠二がそれを口にする。抵抗する。助けを呼ぶ。
それら一切を行う暇もなく、浅く、数ヶ所を、斬られた。
壊さないように、動けないように。
「悠二!」
異常な事態に呆然と動けず、声に振り返れば、もう悠二が斬られている。
あれは‥‥
「‥‥“壊刃”、サブラク」
名を呼ばれた男、“壊刃”サブラクは、『依頼人の身内』に対して、殺気を解く。
「まったく、あのイカれた教授は、この俺よりも“頂の座”や『こいつの銀の炎』に多く接していると聞いているが‥‥。
いかに優れた技術と知識を持ち得ようとやはり狂人は狂人に過ぎぬというわけか」
ぶつぶつと、ヘカテーに言っているのか独り言なのかわからない言葉を紡ぐ。
“悠二が探知や干渉の自在法を使うのを見ていた”サブラク。
「何故、こんな‥‥」
未だ混乱するヘカテーが、感情だけの言葉を言う間にも‥‥
「俺が三眼の女怪から受けた本来の依頼は『零時迷子』にかの式を打ち込み、宝具自体をも奪取する事。
かつては半端な結果に終わってしまい、俺の『殺し屋』としての矜時を傷つけたものだが、こうして時を経て依頼を完遂出来たのは‥‥認めたくはないがあのイカれた教授の引き合わせによるものか」
ぶつぶつと話すサブラクの言葉に、ようやくヘカテーは思考が追い付く。
この『王』は、かつて、『大命』の鍵として『零時迷子』に目をつけた同じ『三柱臣(トリニティ)』の“逆理の裁者”ベルペオルの依頼、まだ終わりと思っていなかったらしい依頼を果たそうと、今、悠二を‥‥
「もっとも、かの“逆理の裁者”の身内が『零時迷子』のミステスと行動していようとは予想外。
いや、あのイカれた教授の実験に巻き込まれる恐れさえあった以上。貴様がここにいた事には感謝すべきなのかも知れんな」
『こいつ』の力は聞いている。自在法・『スティグマ』。
一度つけた傷を、時と共に広げる力。
悠二に浅い傷をつけたのは、破壊による無作為転移を避け、だが少しずつ広がる傷で戦えないようにするためか。
他の皆は‥‥自分の感知能力では今一つ曖昧だが、やられてはいない、と思われる。
考え方を変えろ。
これはチャンスだ。
悠二の傷は浅い。
他の皆はわからないが、信じるしかない。
だが、噂に聞く気配察知の不意打ちは、今、自分の目の前に現れた事により意味を失くした。
「これも一つの幸い。今ここで『零時迷子』を貴様に渡す。貴様の口から三眼の女怪に伝えてもらいたい。『依頼は無事完遂したと』な。ここにいる死に損ない共は、事のついでに始末してお‥‥‥」
ヒュッ! と、サブラクの頭がつい今まであった空間を、大杖『トライゴン』が過ぎる。
「‥‥‥‥何のつもりだ?」
いきなりの事に、大杖を手にした目の前の巫女に、サブラクは訊ねる。
「‥‥‥おまえは、悠二の事を知っている。そして悠二を傷つけた‥‥」
言いながら、ヘカテーは想う。
この街も仲間も、今はもう大切なものになった。
「だから、おまえは生かして帰すわけにはいかない」
そして何よりも、愛しい少年を。
「おまえはここで、滅します」
「ヘ‥‥カテー?」
傷ついた体で、二人の会話を聞く。
以前、師である“螺旋の風琴”からも聞いた。
『永遠の恋人』ヨーハンを襲った“壊刃”とヘカテーは、何かしらの繋がりがあると。
自分はそれを知って、だからこそ『零時迷子』のミステスで在り続ける事を決めた。
そして今、ヘカテーははっきりと、目の前に現れた“壊刃”らしき男を倒すと。
以前に何があったのかは知らない。
今、ヘカテーにとって『零時迷子』がどういうものなのかもわからない。
だが、一つだけ言えるのは、今のヘカテーにとって、それら全ての事よりも、この街や、仲間の方が大切なのだという事。
過去の事は知らないが、もう、以前のヘカテーとは違うのだ。
「場所を変えます。ついて来なさい」
溢れる殺気を隠そうともせずに、ヘカテーはサブラクを悠二達のいるこの場から離そうとし、
「‥‥‥依頼人の身内と戦うというのは、俺の流儀に反するが、依頼遂行こそが最優先。邪魔をするなら、貴様も除くぞ」
その殺気からヘカテーを『敵』と判断したサブラクがその案に応じる。
敵戦力の分散は、サブラクにとっても都合がいいらしい。
「ヘカテー!」
今のヘカテーの在り様を見せられ、今の自分の無力さを痛感し、叫ぶ。
振り返るヘカテーの顔には、先ほどまでの凍てつくような殺気は欠片も無い。
「大丈夫」
穏やかに、優しく、純粋に、少年に微笑みかける。
(‥‥綺麗だな)
と、こんな時なのに思う。
一点の迷いも、淀みも無い。純粋無垢な意志力からなる、ヘカテーの強さ、美しさ。
今という状況も忘れ、魅せられていた。
そんな悠二に、ヘカテーは誓う。
「貴方は、私が守ります」
「‥‥‥ああ、“これ”は、“壊刃”です、か」
「生きてる? 爺い」
サブラクの察知不能の不意打ちは、瓦礫の巨人の体さえ貫き、カムシンの体に達していた。
もっとも、瓦礫の巨人があったからこそ、致命傷には到っていない。
が、
「どうにも‥‥戦える状態ではありませんね。傷口が広がっていくのがわかります」
「ふむ、奴お得意の『スティグマ』じゃろう」
「回復どころじゃない、か」
横たわるカムシンに語り掛けているのはマージョリー・ドー。その姿は‥‥
「‥‥‥『弔詞の詠み手』、貴女は無傷なのですか?」
「おかげさまでね」
そう、マージョリーはカムシンの瓦礫の巨人の側にいて、結果としてそれを『盾』とする事でことなきを得ていた。
無論、カムシンはそんな事に腹など立てない。
わざわざ二人揃ってやられる方が間違っている、と考える。
「ああ、それは何より。ところでこれは‥‥」
“頂の座”の手引きなのではないか。と、あまりのタイミングの良さからヘカテーを疑うカムシン。
その雰囲気から、カムシンの言いたい事を、まだ言葉にしていないうちに把握したマージョリーが即座に否定する。
「そーゆうわけでもないみたいよ」
正確には、指を指して見るように促す。
その先で、茜と水色がぶつかり合うのが見える。
無垢な少女は杖をとる。
それは正しい事なのか、三柱の眷属たる彼女がとる行動として正しい事なのか。
わからない‥‥ふりをする。
今はただ、想いのままに‥‥
守りたいという想いのままに、戦う。
(あとがき)
ようやく八章、長かった七章でした。
と言っても八章は短章です。七章との連章でもあります。
いやー、ホント、こんなに続くとは最初思ってませんでした。
皆様のおかげですとも。いつもありがとうございます。