「‥‥‥‥あれ?」
何か、違和感がある。
この状況、この物事の流れに違和感を感じる。
(封絶って、やつか?)
そうだそうだ。そういえば徒はどうなった?
街、これといって戦いの後のようには見えないが、これも修復された後だという事か?
(ん?)
誰かが階段を上ってくる。
下の立ち入り禁止を無視して上ってくるという事は、あの、味方という事。
(さ・か・い・きゅーん☆)
そしてすかさず着物を着崩し、見えそで見えない状態にしてから床に倒れる。
「!」
下に倒れ伏しているからわかりずらいが、駆けよってくる。
(今だ!)
ガバチョッ!
ドサッ
「怖かった。坂井君。助けに来てくれたんですね?」
「∴♀♂℃¥$c!」
「ああ、こんなに暖かい。こんなに優しい坂井君が、人間じゃないなんて事、絶対にありません」
戦いの後、倒れた少女、突然の抱擁、魅惑の肢体、存在全肯定。
これは‥‥いける!
「私は、そんな坂井君が好きなんです」
キマった! よし、後は勢いに任せてめくるめく官能の世界へ‥‥
「ははは、あの‥‥吉田ちゃん?」
‥‥‥‥は?
「俺、坂井じゃないんだけど‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
ドゴォッ!
「ぐぇえ!」
「立てチェリー(童貞)。頭蓋骨変形させてやる」
「ちょっ!? 俺が何したって‥‥‥‥」
「黙れ」
ギリギリギリ
「ああ、お嬢ちゃん、そのくらいにしておかないと危険ですよ」
さりげなく戻ってきたカムシンがそう告げても、吉田はやはり佐藤を締め続けた。
戦いが終わってすぐに、またこんな事にならないよう、満身創痍の傷を押してカムシンは『調律』を終えた。
そして、あの熾烈な戦いを終えて二日。どうやら今まであの教授の起こした事変によって、調律した街に何か異常が無いか見て回っていたらしい。
そして今、旅立つカムシンを見送ろうと一同集まっている。
「ふぁ〜あ。カムシンさん達も何も日曜の朝から行かなくてもいいのにね。眠い」
早朝の六時に真南川御崎大橋が待ち合わせである。
「‥‥‥‥‥‥‥」
あれから、平井はほとんど常に、悠二の傍にいる。
平井の人間としての存在を喰らった悠二の傍にいる。
もう、平井の体は成長しない。歳もとらない。悠二から力の供給も受けなければならない。そして、彼女が死んだ後に、彼女が生きていた証すら消える。
この世の真実を知らない人々の、記憶にすら残らない。
そして、平井はあのまま人として死ぬ事も出来たのだ。
あの時、人として死に、皆が彼女を覚えている。彼女が生きた証が残る。そんな選択も出来た。
だが、悠二は『平井の意志とは関係なく』、人間を捨ててでも在り続ける事を強いた。
実際、平井が絶命寸前という状況下とはいえ、ヴィルヘルミナやカムシンよりもよほど質が悪い。
極めつけが『これ』だ。
「ま、私も慣れなきゃね! これからは鍛練にも『参加』するし♪」
「ゆかりも参加するのですか?」
「もちよ♪」
『人間を失った自分に悩む』のではなく、『罪悪感に苛まれる悠二』を心配して傍にいるらしいという事。
まるで、傍で自分を見せて、『気にする必要はない』とでも言うかのように。
(全く、本当に‥‥)
どうしようもないな。と思う。
この期に及んで平井に心配などかけている自分が心底情けなかった。
だから、まずはしっかりしなくてはならない。
今のヘカテーの事も、今の平井の事も、原因、そして今後に関わるのは間違いなく自分なのだから。
「わざわざあいつの見送りに行くという事に気が進みません」
悠二と対照的にヘカテー。
実は、不謹慎ながらこの状況に喜んでしまってさえいた。
このまま『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の目から隠れて悠二と生きる。
悠二の存在を『仮装舞踏会』から守る手段を探す。
それら、悠二に振り向いてもらってからの未来を密かに考えていた。
振り向いてもらえなかった時の事は、考えるだけで辛かった。
そして、そんな思い描いていた未来にさえ、親友である平井との別離は、避け得ぬものとしてあった。
それが、晴れた。
もう平井は人間ではない。
存在する事に力を消費し、悠二から力の供給を受ける必要があるという点も、もう人を喰らわない事を誓った自分と大して変わらない。
これからどうなるかはわからないが、ヘカテーは悠二と、そして平井と共にその道を進める事に喜んでいた。
平井の辛さを想い、しかし、そう、喜んでしまっていた。
「はは、ヘカテーも坂井君もカムシンさんとは相性悪いね」
そして当事者たる平井ゆかり。
実は悠二が考えているほど沈んでいるわけではない。
自分が、人間ではない別のものへと変わってしまった事に対して、言い知れない恐怖感があるのは事実。
自分が死んだ後に、自分が生きた証が残らない事が悲しいのも事実。
だが、
「‥‥‥‥‥‥」
"嬉しい"のも事実なのだ。
いくらしがみついても結局届かなかった二人に、確かに届いた。完全に同じ場所に立てた事もそう。
もう、これから先は、すぐには無理でも、いつまでも戦いの足手まといではなくなるだろう事もそう。
そして何より‥‥
「ありゃ、まだ皆来てないね、早く来過ぎたかな」
死にたくなかったのだ。
今まで、覚悟を決めて、『こっち側』に足を踏み入れて、
結果的にあの時致命傷を負って、運良く最期の時に悠二と語らう事も出来た。
あの時の言葉に、嘘偽りは一切ない。
後悔してはいなかった事も、楽しかった事も。
そして、まだ皆と一緒にいたかった事も。
覚悟なら決めていた。上辺だけの覚悟でも無かった。
だがやはり、悲しかった。
死にたくなかった。
さよならなんて嫌だった。
だから、『今の自分』を憂いてはいない。
心の底から思い知ったのだ。
自分は、人を捨ててでも皆と一緒に生きたいと思っていたという事に。
「ああ、これで全員揃いましたね」
御崎大橋に集まる異様な面々。しかし実際には集まっているのは全員ではない。
メリヒムと、そして、田中栄太も来ていない。
メリヒムが来ないのは別に意外でも何でもないのだが‥‥
「佐藤、田中は?」
ちなみに皆、あの場にいなかった田中を除いて、平井の事情は知っている。
まあ、悠二の事を受け入れて、平井の事は受け入れないはずもないからそこは大した問題ではないのかも知れないが。
平井を同じ立場にしてしまった悠二からすると、やはりまだ知らないだろう田中と平井の接触が気に掛かる。
しかし、佐藤の返答は遅い。
「‥‥‥‥佐藤?」
何だと言うのだろうか?
「‥‥あいつ、来ないってさ。それに、あいつあの後から何か変なんだよ」
(田中が変?)
あの時、自分だけ姿を見せなかった事を気にしているのだろうか?
田中なら、意外とそういう事を気にしてそうな気もする。
「まあ、来ないなら来ないでいいじゃないですか。こんな朝早くですし」
吉田がフォロー。
そういえば、平井の事で気にする余裕もなかったが、吉田も『こっち』に巻き込まれてしまったのだった。
その吉田、カムシンの方を向く。
「ほら」
「あ」
深くかぶったフードを外し、持ってきた麦わら帽子をカムシンにかぶらせる。
「餞別だ。真夏にフードじゃ暑いだろ」
丁寧な喋り方はしない。自分に真実全てを隠さず話してくれたこのカムシンには、猫をかぶる気にはどうにもなれない。
その貫禄と堅物さから、人間、フレイムヘイズ双方にそんな態度をとられた事のないカムシンは、柄にもなくやや慌て、しかしすぐに平静を取り戻す。
「ああ、ありがとうございます」
寂びた声で礼を言い、しかしすぐに帽子のかぶり具合を確かめ始める。
カムシン・ネブハーウという人物を知る誰もが、密かに驚愕する。
その姿は、見た目通りの子供にしか見えなかった。
「ああ、最後に一つ。忠告をさせて下さい」
具合良く帽子をかぶると、また寂びた声で話しだす。
さっきの様が見間違いに思える。
「話を聞く限り。いや、今の現状だけで説明できますが、この街には異常な頻度で、異常な面々が次々に来訪しています」
「う、む」
カムシンの、全く今さらな言葉に、アラストールが低く唸る。
「もちろん、杞憂であればそれに越した事はありませんが、この街が『闘争の渦』である可能性もあります」
(闘争の渦?)
聞き慣れない言葉に、悠二や佐藤や吉田は怪訝な顔をする。
平井はしない。知っているからだ。
「それも考慮に入れて警戒して下さい。ここがかつての『オストローデ』にならないとも限らない」
その言葉を知っている者は当然。知らない者も、何やら会話の不穏な雰囲気に緊張する。
「例えそうだとしても、阻止するのみであります」
「断固」
彼女にとって悪夢に通じるその言葉に、ヴィルヘルミナは断固として応える。
二度と、繰り返さない。
「ええ、あなた方を信頼してはいます」
「ふむ、じゃからこそわしらも安心してこの地を去れるというものじゃからな」
ベヘモットはその言葉を合図のように、カムシンに促す。
別れの時だ。
最後にカムシンはもう一度吉田の方を向く。
「ああ、お嬢ちゃんの選択がどうなるかは分かりませんが‥‥」
そこで、少し口が止まる。
侮辱にならないかと、僅か躊躇って、だが『良かれと思って』続ける。
「あなたが『良かれと思って選んだ事』が報われるよう祈っていますよ」
「後悔するガラじゃねえよ。心配無用だ」
と、吉田はカムシンの"期待"通りに突っぱねる。
だが、さらに続く。
「報われなくても、後悔はしない。お前も、そうなんだろ?」
「!」
自分の感情を感じさせないはずの態度から、信念の根幹たる部分を見破った吉田に驚愕と、感嘆を覚える。
「‥‥‥‥‥‥‥」
気分がいい。
こんな出会いは本当に久しぶりだ。
「ありがとう。"吉田一美さん"」
背を向けて去るカムシンの、振り返って別れを告げたその時‥‥
確かにその表情に、笑顔があった。
(あとがき)
前章エピローグ、なかなかに反響が大きかったようです。凄まじい数の感想を頂きました。
愛されてるなあ、平井嬢。
ありがとうございます。
では、のんびりとした日常編に入ります。