「げほっ! ごほ! きょ、教授、大丈夫でございますですかぁ〜?」
「キーッ! おのれおのれ! わぁーたしの実験がぁあっ!」
UFOの墜落地点。
ヘカテーの予想通りに、その長髪をマリモと化している細長い教授とドミノ。
「ふ〜ふっふ、しかぁ〜しぃ、新たな研究対象も見つかりましたからねぇ〜。ドォオーミノォー! では早速あのフレイムヘイズの子を捕らえる計画を‥‥‥」
「探したよ。同志、"探耽求究"ダンタリオン」
新たな研究に燃える教授の叫びを、別の声が遮る。
やる気に水を差された教授はやや不機嫌そうに体を縦に後ろに曲げ、その声の主を見やる。
「んーふっふ、そぉーの呼び方をされるのもひぃーさしぶりですがねぇー。私はあなたなど知ぃーりませんよぉー?」
振り向いた先にいた興味なさそうにこちらを見ている男。
それを見て教授も興味を失う。
何かつまらないやつに見えたからだ。
「確かに、俺は直接あなたに会った事はない。知り合いの知り合いと言った方が正しいか」
すでに教授は男の方を見ていない。
「そぉーれで、私に何か用でもあるのでぇーすかぁー?」
言いながら、すでに歩みは男と逆の方に進んでいる。ドミノも当然ついてきている。
「中国で同志・カシャから面白い話を聞いた。あなたの力が借りたい」
男はそんな教授の態度を全く気にしていない。
自己の存在を周囲に誇示する者が多い"徒"には珍しい気質である。
「ん〜ふっふ、残念で〜したねぇ〜? 私は今まさにェエーキサイティングな実験にとりかかろうとしている真っ最中でしてねぇ〜」
「あなたにも興味深い話のはず。もっとも、俺から話すまでもなく知る事になったようだが‥‥」
そこでようやく教授は足を止める。
気に掛かる言葉があった。
「どぉいう事ですかねぇ?」
振り返り、メガネがキラリと光る。
男の方は、教授のその態度に内心密かに驚かされる。
「‥‥‥あの街に実験に行ったのに知らないのか? "銀の炎"と『零時迷子』の関連はあなたから聞いたと言っていたんだが‥‥」
『零時迷子』、その言葉に教授はピキーンと背筋を伸ばす。
「頼みというのは、その『零時迷子』で一つの『実験』をしてもらいたい、という事。あなたにとっても、悪くない話じゃないか?」
男が言い終わる前に、すでに教授はやる気全開である。
「ドォオーミノォー! 何をしているんです!? 早くUFOの機体を修復するんですよぉー!?」
「ええ!? 教授、でも『零時迷子』は『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の大切なひはいひはいひはい」
「ドォーミノォー? あなたは私がベルペオルとサーレがシイタケよりも嫌いな事を忘れたんでぇーすかぁー?」
ドミノをマジックハンドでつねり上げる教授に、男は勧誘の成功を悟り、無関心そうなその顔の口の端が、僅かに上がった。
今から二日ほど、前の話である。
スゥ、と息を吸い、フゥ、と吐く。
悠二は、あの時までトーチを作った事などなかった。
トーチの構築など、徒やフレイムヘイズなら誰でも出来る簡単な干渉なのだが、錯乱状態だった事もあり、何をどうやったのかよくわかっていない。
実際の所、悠二が行なったのは、通常のトーチの形成とは異なる。
ほんの火の粉一欠片の存在を喰い、『人間・平井ゆかり』を、何の加工も無しにそのまま形を変えて『顕現』させた。
これは、通常の『緩衝材としてのトーチ』の作り方ではない。
その人間が、過去、現在、未来において、世に与える影響力・『運命という名の器』に、その力の総量を定めて生まれる作り方。
むしろ、『戦闘用のミステス』の作り方に近かった。
ヨーハンがミステスになった時も、このやり方だったらしい。
「‥‥‥‥‥‥」
平井は、外界宿(アウトロー)で働き、高校卒業後には正式に採用される予定だった。
さらに、平井はまだ耳にしていないが、中国での活躍からか、『剣花の薙ぎ手』虞軒直々の紹介文により、『東京総本部』からの勧誘まで来ていた。
外界宿で活躍し、世界に、『人間として』大きな影響を与える"はずだった"平井ゆかり。
その、世に与えるはずだった影響力は、そのまま平井の『運命という名の器』として力の総量を定めた。
ヘカテーほどではないが、十分に『紅世の王』並みの力の総量である。
平井が将来的にどれほどの大人物になるはずだったかを物語っている。
そして今、その力は外れた世界を生きるための力となった。
(‥‥‥よっし!)
これは、その最初の一歩。
「封絶」
自在法発現と同時に、美しい音色が響き渡り。
坂井家全体を、陽炎のドームが包み込み、地面に奇怪な火線が走り、炎が溢れる。
その炎獄を染めるのは、透き通るような"翡翠(ひすい)"。
本来なら平井を喰った悠二の炎の色に準ずるはずだが‥‥‥
「よし、成功!」
「封絶の色が‥‥」
「この色は‥‥宿した『宝具』の製作者の色でしょうか?」
そう、平井は悠二に喰われた後、体内に宝具を取り込んだ。
かつてヘカテー達が戦った"愛染の兄妹"が所持していた『オルゴール』。
一度打ち込んだ自在式なら、どんな複雑な式でも半永続的に奏でられる。
『ミステス』という形になる事で、本来の、『一つ所に据えていなければ動かない』という枷は外れたようだ。
『動いて当たり前のオルゴール』だからだろうか。
「う〜ん。他に考えられないね」
平井の目下の課題は、身に宿す『オルゴール』に『封絶』や『炎弾』などの基本的な自在法を打ち込み、その自在法を『オルゴール』の力で行使する事で自身が身につけていく事である。
「まあ、色違いの方がカラフルでいいかもね♪」
「‥‥カラフルはメリヒムで十分だろ」
「‥‥‥‥‥‥」
悠二も、いつもの態度を取り戻してきている。
ヘカテーは最近、悩む悠二に何かと気を遣い、どうにもペースを見失っていたのだが、ここにきてヘカテーも調子が戻ってきた。
(炎の色‥‥‥)
平井は、『オルゴール』の影響が無ければ悠二と同色の炎だった、という部分に着目する。
(‥‥おそろい)
今度、悠二をちょっとだけかじってみようか、色がおそろいになるかも知れない。
「よっし! 今度は自力でやるか!」
平井はやる気十分である。
元々、たまに鍛練に顔を出して『リシャッフル』でヘカテーと体を交換して"色々と"遊んでいた。
適性は確認済みである。
「っよ!」
平井の胸の灯りから、封絶を現す自在式が飛び出す。
『オルゴール』には、一度に一つの自在式しか刻んでおけない。
「封絶」
再び翡翠色の空間が形成される。
ちなみに、平井が誤って自分を焼いたりしないように、悠二は『アズュール』の火除けの結界を最大にして、平井も結界内にいる。
ちなみに、シャナやヴィルヘルミナ達は本日お休み。
あの『スティグマ』に延々苦しんだのだ。たまの息抜きも必要だろう。
「‥‥‥ちょっと不安定かな?」
「‥‥ゆかりは悠二ほど自在師向きではないようです」
地に描かれる、少々雑な火線を見て、悠二とヘカテーが評する。
悠二はヘカテーとの『器』の共有をした後、封絶は一回で完璧に発現させている。
「まだまだ、もう一丁!」
親友達の酷評もなんのその。
平井ゆかり、奮闘中。
明くる日の事。
朝の鍛練で組み手を終えた後の学校である。
教授の騒ぎや、"壊刃"サブラクの襲撃、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の再会(今はホテルにいる)、平井ゆかりの転生など、やたらと濃密な休日だったので何やら学校が久しぶりな気がする。
「おはようございます。さか‥‥‥」
ヒュヒュヒュ!
吉田の挨拶すらも終わらないうちにヘカテーの『おしおき星(アステル)』が飛ぶ。
もはや吉田も"関係者"である。弱腰になってはいられない。
チョークの先を少し尖らせてある。
赤いチョークだから問題ない。
「ヘカテー、今のシャレになってないよ?」
「大丈夫だよ、ゆかりちゃん。それはね、この小動物が私を恐れてる証拠だから。私が優勢な証拠だから☆」
ゴォオン!
「‥‥‥‥‥‥‥」
そんないつもの騒動をとりあえず放置し、悠二はクラスを見回してみる。
佐藤と、緒方が話している。
珍しいツーショット、いや、緒方が田中以外の男子と二人ってだけで珍しいから佐藤がどうとかいうわけでもないのだが。
その佐藤が、悠二を見つけ、手招きする。
何だろうか?
悠二まで来た事で、僅かに緒方が狼狽する。
佐藤は悠二に説明せずに、緒方との会話を再開する。途中からでも通じるという事か。
「で、田中はその後は?」
「あ、いや、それはちょっと‥‥‥」
何やら恥ずかしそうに口籠もる緒方だが、佐藤の様子もかなりおかしい。
「オガちゃん、話してくれよ、大切な事なんだ!」
声に、全く余裕がない。
その大声に、ようやく緒方が話し出す。
悠二は、昨日田中の様子がおかしいと言っていた佐藤の言葉を思い出し、この会話の意図を知る。
「わ、わかったわよ。だから、迷子になってまた見つけた時に‥‥その、泣きながら抱きついてきたんだってば。
はは、田中も大袈裟だよね。たかが迷子で」
緒方は、恥ずかしそうに誤魔化す。
だが、その言葉で悠二は凍りつく。
佐藤はその悠二の反応を見て、自分と同じ考えだと悟り、自分の『嫌な想像』がより有力になった事に苦虫を噛んだような顔になる。
(‥‥‥迷子?)
間違いなく、祭りの時の話だろう。
あの時、あそこは『戦場』だった。
(泣きながら、抱きついて‥‥?)
あまりにも田中らしくない行動。
(まさか‥‥)
あの田中に、そうさせるだけの『何か』が起こった。
『何か』、とは何か?
「‥‥お、おはよう」
その時、教室の入り口に、田中がやってくる。
田中は、悠二と佐藤の姿を見て、表情を"強ばらせて"、目を逸らした。
「‥‥‥‥‥‥‥」
もう、間違いない。
あの、異常な状況下で、あの男らしい田中の心を折るだけの『何か』があったのだ。
あの時、あそこは『戦場』だった。
『何か』は、いくらでも想像できる。
「田中」
だが、悠二は田中に声をかける。
確かめたかった。
今の田中が、自分をどんな目で見るのかを。
確かめなければ不安だった。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
田中は、目を合わせない。
だが、その声にこもるのは、恐怖というより、『顔向けできない』といった種類のもの。
友人の、異常な経験を経ても根元の部分は変わらない事を知り、悠二は僅かに安堵する。
(大丈夫、だな)
きっと、立ち直れる。
悠二はそう思った。
自分はいつか、人の"振り"すら出来なくなる。
その時、ここから旅立たなければならないだろう。
だから、今ここにある日常は、悠二にとってかけがえのないものだった。
もう、それが崩れるのは、嫌だった。
(あとがき)
原作で『オルゴール』は、ティリエルが持ってましたが、ティリエルが作ったとは明記されておらず、誰が作ったかもわかりません。トーチの下りもかなりオリジナル