「‥‥悠二」
「ん? どーかした、ヘカテー?」
学生の天敵、期末試験や成績発表も、とりあえず補習などは免れた悠二達。
いや訂正、佐藤と田中が補習である。
まあ、とにかく補習を免れた悠二。
平井の事でしばらく今一つ元気がなかった悠二だが、ようやく調子を取り戻した(無論、忘れるわけもないが)。
それに伴い、悠二を心配していたヘカテーも本調子。
ようやく、『あの約束』を持ちかける余裕が出来た。
「‥‥ご褒美」
上目遣いに、目を期待に輝かせながら言うヘカテー。
そう、ミサゴ祭りの騒動にて悠二は、“教授”に正体がバレる危険を冒したヘカテーにご褒美をあげる約束を交わしたのだ。
(ご褒美‥‥ご褒美‥‥)
今から悠二がくれるであろうご褒美に瞳を輝かせる。
唇に、とまでの贅沢は言わない。
こちらにも心の準備などもある。
だから、久しぶりにおでことか‥‥ほっぺたなどでも妥協しようと思う。
「ああ、ミサゴ祭りの時の約束か」
「!」
悠二が約束を忘れていなかった事、いよいよ来るご褒美の瞬間に鼓動が早くなる。
「ちょっと待っててね」
言って‥‥ホットプレートを用意する。
小麦粉を、砂糖を、卵を、材料を次々に用意し、適量で混ぜ始める。
焼く。
「久しぶりだからうまく出来るといいけど」
「‥‥‥‥‥‥」
悠二があまりにも自然に行動するものだから、ヘカテーも口を挟めない。
ひっくり返す。
両面綺麗な黄金色だ。
「はい、お待たせ」
バターを塗って出来上がり、悠二としてもうまく出来たホットケーキ。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥ヘカテー?」
嬉しい。確かに悠二お手製のおやつは嬉しい。
だが、その、何というか‥‥
パクパク
「おいしいです」
「良かった。タネまだあるからどんどん食べて」
悠二ホットケーキに舌鼓をうちながら思う。
(‥‥あきらめない)
「つまり、ヨーハンと再会した後、のんびりと観光をしながら御崎市に向かっていたと」
「まあ、そうなるわね。ヨーハンの話だと、ヴィルヘルミナはここに戻るだろうと思ったし」
平井家に客人来たる。
『約束の二人(エンゲージ・リンク)』である。
「あの時は本当に嬉しかった。ずっと会いたかったヨーハンにまた会えたから」
「僕の方がもっと会いたかったさ」
「私の方が」
「僕の方さ」
「私」
「ぼぐ!?」
睦み合うフィレスとヨーハン、家主たる平井、後ろからヨーハンをはたく。
「痛いじゃないか、何をするんだい?」
「何か、イラッと来ました」
「私のヨーハンを叩かないで! 痛っ! ‥‥ヴィルヘルミナ?」
「イラッと来たのであります」
「馬鹿林檎」
「「‥‥‥‥‥」」
バカップルとの評価を受けて、ちょっと不満、ちょっと嬉しい『約束の二人』。
ふと、ヨーハンが平井に目を向ける。
「‥‥“大丈夫”なのか?」
その問いには、彼と同じミステスへと変じてしまった平井への気遣いが見てとれる。
平井はヨーハンとは違い、自ら望んでミステスになったわけではない。
唐突な話題転換にも関わらず、それは平井に通じる。
確かに、自分で選んだわけではない。
だが‥‥‥
「嫌だとは、思ってないんですよ」
そう、
「私は『ここ』を進みます」
「‥‥そう」
フィレスといつまでも在りたいと願い、ミステスとなったヨーハン。
トーチの中をランダムに移動するタイプのミステスも、徒に道具として生み出される戦闘用のミステスも、自らの境遇を知り、その現実を呪わない者はまずいない。
望んでミステスになったヨーハンこそが異例中の異例なのだ。
だから、平井が今の自分を悲観していない事を知り、安堵する。
「まあ、自分で納得してるんならいいんじゃない?」
以前、顔を合わせた程度のフィレスも、今の平井に何の隔意も持たない。
ヨーハンが恋人なのだから当然といえば当然だ。
前に会った時と大分雰囲気が違うが、彼女の半身たるヨーハンが傍にいる今の方が地なのだろう。
(そういえばカルメルさんが‥‥)
フィレス本来の性格はでたらめに楽しく明るい性格だと言っていたか。
「‥‥‥貴女自身が現状に納得しているのなら、私から言う事はないのであります」
ヴィルヘルミナも、平井とは浅い関係ではない(というか同居人だ)。
平井が“自分同様”人間を失ってしまった事には胸に少なくない痛みが走る。
「‥‥‥‥‥‥‥」
だが、坂井悠二の気持ちも、苦悩もわかる。
傍目には無感動に見えるヴィルヘルミナだが、その内面は誰よりも情に深い女性だ。
だから今は、平井が今の彼女自身を受け入れている事を素直に喜ぼうと思う。
「ま! 湿っぽい話はこれくらいにして、フィレスさん?」
微妙に固くなった空気を、平井自身がうち払う。
「な、何?」
いきなり場の空気が変わり、話を振られてフィレスが戸惑ったように応対し、平井が畳み掛ける。
「面白い話、あるんで・す・け・ど♪」
もの凄いいい笑顔で、フィレスに言いながら、にやりとヴィルヘルミナの方を向く。
(ま、まさか!?)
甚だしく嫌な予感を感じ、ヴィルヘルミナが狼狽し、それにフィレスが目ざとく気づく。
「何? 何? 面白い話って?」
「むふふ、それがですねえ〜」
「や、やめるのであります」
「恋心暴露」
「はは、楽しそうだね」
こちらはこちらで、夏休みを満喫している。
キュッ! キュッ!
何をするでもなく過ごし、度重なる鍛練や戦いに精神的に疲れていたのか、悠二はソファーで横になって昼寝している。
要するに、チャンスである。
無駄に軽快なフットワークで、右に左に蛇行しながら悠二に近づくヘカテー。
その姿はさながらエセ忍者である。
キュッ! キュッ!
確かに、悠二お手製のホットケーキはおいしかったし、嬉しかった。
だが自分は、親しいおじさまと戦い、“壊刃”とも戦った。
いや、確かに結局は助けられてしまっ‥‥
『僕が君を守る』
かぁあああああ
そうだ、悠二は、自分を守って‥‥‥
「!」
ハッと気づく。確かに悠二がそんな風に思って、実際に戦ってくれた事はとて嬉しい。
だが、それとこれとは話が別である。
危うく色仕掛けにしてやられる所だった。
本来のご褒美の条件よりも自分は頑張ったのだ。
それなのに、食べ物で済まそうという悠二の考えが気に入らない。
おいしかったけど。
もっと、こっちの気持ちを汲んだご褒美をくれてもいいと思う。
おいしかったけど。
「すぅ‥‥すぅ‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
よく寝ている。
もはや、悠二に自分の想いはバレてしまっているのだ。
今さら、『求愛』してなんの問題があるというのか。
今、正当なご褒美としてその唇に口付けて何の問題があるというのか。
自分の願望を理論武装で固め、いざ悠二の下へ行く。
ドキドキ、ドキドキ
全神経を唇に集中し、目をつぶり、顔を近づける。
「‥‥‥‥‥?」
接触しない?
「ヘカテーちゃん?」
ふと気づけば、自分の体が浮いている。否、抱えあげられている。
自分を抱えあげている人物に目をやると、そこには悠二の母たる坂井千草。
「おばさま、放してください」
今、とてもいい所なのだ。
「ヘカテーちゃん、いくら何でも寝てる悠ちゃんの唇を奪うのは感心しないわよ?」
違う。これは正当なご褒美なのである。
「求愛です」
「私はね、口と口のキスは誓いのようなものだと思っているの」
腕の中でじたばたと暴れるヘカテーに、千草は穏やかに語りかける。
「誓、い?」
「そう、誓い。自分の全てに近付けてもいい。自分の全てを任せてもいい。そう誓う行為」
(‥‥誓い)
悠二が、自分の全てに近付いてくれる。
自分の全てを、悠二に任せられる。
自分の全存在に関わる事だけに、少しの不安こそあるものの、喜びがそれを遥かに上回る。
「誓います。誓うから放して‥‥」
「ヘカテーちゃん? 悠ちゃんをあまり買い被っちゃダメよ? あなたはとても高い。それは私が保証してあげる。
だから、あまり自分を安売りしちゃいけないわ」
そこで、ヘカテーはようやく暴れるのをやめる。
(‥‥‥安売り?)
今、悠二にキスするのは、もったいない事なのだろうか?
買い被ってなどいない。見誤ってなどいない。
ずっと一緒に戦ってきた自分は確信している。
安売りというが、吉田一美もいる。シャナ・サントメールも少々怪しい。
いつ悠二を奪われるかわかったものじゃない。
自分などより悠二の方がよほど高いような気がする。
こんな自分で悠二を買えるなら安いものだ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
頬を僅かに膨れさせ、不満も露に千草を見る。
しかし、今回ばかりは千草も折れない。
息子と、娘同然のこの少女のファーストキスをこんな形で成立させるわけにはいかない。
「ヘカテーちゃん。誓うっていうなら、悠ちゃんと一緒に誓った方が良くない?」
「悠二と、一緒?」
その言葉だけで、何だか嬉しい気分になる。
「自分の全てをあなたに任せます。自分の全てにあなたを近づけて構いません。そういう事を、一緒に誓えたら素敵だと思わない?」
悠二が、自分に全てを任せてくれる。
自分は悠二の全てに近づける。
それは、甘美な響きを持ってヘカテーの心に染み渡る。
「‥‥‥‥‥‥‥」
未だ眠る悠二の唇に、未練がましく目を向ける。
勝手に誓ってしまいたい。
あの唇に、自分の唇を重ねてしまいたい。
でも‥‥‥‥
「‥‥‥いつか、“一緒に”‥‥」
何とか誘惑に打ち勝ったらしい少女に、千草はようやく安堵のため息をはく。
(悠ちゃん、いつからこんなに隅に置けなくなったのかしら?)
高校に入ってから、やたらと美女や美少女を家に連れてくる息子に、からかいにもにた感情を抱いた。
(あとがき)
今章は必要な部分以外は書きたい放題ののんびりとした日常で行きます。
長さとか全然わかってません。