「ん、しょ!」
塀をよじ登り、庭を一望する。
いた。
庭に生えている大きな木に背を預けて日陰でお昼寝中のようだ。
「いました。寝てます、木のトコで」
以前ヴィルヘルミナと旅をしていた『約束の二人(エンゲージ・リンク)』だが、ヴィルヘルミナの片想いの相手について聞いた事は一度もなかった。
出会った当初、彼女は想い人、"虹の翼"メリヒムを失った(と思っていた)、それは深い傷として胸のうちにあり、話す事さえ辛かっただろうから当たり前ではある。
事実、悠二達がヴィルヘルミナと出会う前にメリヒムに出会い、復活させていなければ、悠二達やシャナですらも、ヴィルヘルミナの片想いを知る事はなかっただろう。
とにかく、フィレス(とヨーハン)にしてみれば、あの堅物な友達が恋した相手(これだけで何か面白い)。
しかもあの『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の両翼が右、"虹の翼"メリヒムである。
大いなる好奇心と僅かな老婆心で以て、『確認』する必要がある。
しゅた!
庭に侵入。
気配からして、シャナはいないらしい。
ササッ!
接近。
標的をつぶさに観察する。
(どうですか?)
(顔は一応‥‥)
(及第点だね)
小声で確認しあう野次馬トリオ。
「あとは性格ね。ちょっとお茶に付き合ってもらいましょう」
フィレスがいきなり声を潜めるのをやめ‥‥
「っは!」
琥珀の突風を放つ。
「!」
攻撃の気配に即座に目を覚ますメリヒム。
すかさず飛びすさり、これを躱す。
ドン!
派手な音を立てて、大木の幹が軋む。
「‥‥何のつもりだ。おまえ達」
「ハロー! メリーさん。遊びに来ました♪」
「いい加減な男だったらうちの子はやれないわよ」
「ごめんね。騒がせちゃって」
手荒な挨拶と共に、メリヒムの品定めが始まる。
「恋されるってのは、すごくおっかない事なの、わかる?」
もはやただの雑談飲み会と化している佐藤家室内バー。
いや、本来それが正しいのだろうが、とにかく、先ほど聞いた相談内容、シャナの異変について聞いたマージョリー。
見ただけではそこまではわからなかったが、ヴィルヘルミナの話で"それ"が何なのか、大体見当はついていた。
だから、余計なお節介として、『恋愛に関する話』を悠二とヴィルヘルミナにしている。
自分の口から伝えるような事ではないから、これが精々の『協力』だ。
ちなみに、『それ』が悠二だとは露ほどにも考えてはいない。
「普通じゃ考えられないような力を捧げられる。真摯の重さ。
その力を呵責なく使い潰せる。ゾッとするほどの愉悦。
温かい安らぎと表裏一体の綱渡りのような緊張、恋や愛っていうのは、相手にそういう事を"感じさせる"ものなの、わかる?」
マージョリー先生の深い言葉に、深々と頷く生徒二人。
悠二は"恋される側"として、ヴィルヘルミナは"恋する側"としてそれを受けとめる。
なるほどと思う。
ヘカテーの想いを知り、ヘカテーが自分に嫌われると感じたらしい時の、あの今にも壊れてしまいそうな姿が思い出される。
ヴィルヘルミナとしては、そんな力をたやすく使い潰されている哀愁が漂う。
マージョリーの気遣い虚しく、二人はその話をシャナの事とは一切結びつけず、あくまで『自分の』参考にしていた。
まあ、マージョリーの方も、今や酔いが回ってただのおしゃべりになっているからあまり人の事は言えないが。
「マージョリーさんこそ、佐藤や田中はどうなんですか?」
ここで悠二、少年二人のために軽いジャブとしてフォローをだす。
ちなみに、マージョリーは田中に起こった事を知らないし、付箋も佐藤が預かったままだ。
佐藤としても、複雑な思いがあるのでまだ言っていない。
「あれはただの無邪気な憧れ。あの二人からそういうものを感じさせられた事は‥‥‥」
『あなたを生かす、生かす事だけに全てを賭ける』
「‥‥‥‥ゴホン。とにかくユージ、あんたが"頂の座"にそういうものを感じさせられてるっていうなら、それだけあの子が本気って事。
私達外野からじゃ、"そんな風に見える"の域を出ないからね」
悠二の質問を絶妙な話題転換で流すマージョリー。
悠二の方も、"図星"を指され、狼狽する。
「我にもわかる! 我らが愛は共に歩む全てであった!」
何やら、ワインの入ったコップに漬けておいたペンダントからも同意の声が上がる。
いい感じに酔っているらしい。
「『万条の仕手』もよお、せっかくのメイド服なんだから有効活用しねぇとダメだぜぇ?」
同じく、ワイン入りのタライに漬けておいたマルコアスも口を出す。
「メイド服?」
当のヴィルヘルミナには自らの服装が不自然な自覚は当然ない。
「ユージ。おめえも男ならわかるよなぁ、男の浪漫をよぉ! あの『尽くしてあげます』って感じが、あぁあ!」
「いや、その感覚はわからないでもないけど‥‥」
「‥‥『万条の仕手』のどこにそんな要素があんのよ?」
「一体どういう事でありますか?」
いつの間にやらただの酔っぱらいの絡みに成り果てつつあるその場で、
悠二の「わからないでもないけど」の発言の際、眠っていたはずの水色の少女の指が、
微かに動いた。
「それで、結局おまえ達、何しに来た?」
虹野邸の無駄に広いリビングで、今四人が座っている。
(‥‥ゆかり、こいつはお客さんにお茶も出さないわけ?)
(っていうか、この家に料理出来る人いないから台所は基本、空です)
まずメリヒムのマナーを測るフィレス。
とりあえずマイナス1ポイント。
「だ・か・ら、遊びに来たんですって♪」
「用が無いなら帰れ。昼寝の邪魔だ」
ビキ
マイナス3ポイント。
「ああ、その、今日はヴィルヘルミナとの事について話を聞きたいなと思ったんだ」
ヨーハンが穏やかに質問するも、
「おまえ達には関係ない事だろう」
ビキビキ
マイナス5ポイント。
「平井ゆかり、お前も何とかしろ。折角別々に居を構えたというのに事ある毎にこの家を訪れられては意味がない。
お前はヴィルヘルミナの同居人だろう?」
マイナス、10ポイント。
ドッカァアアン!!
ついにフィレスの堪忍袋の尾が切れ、目の前の大きなテーブルをひっくり返す。
「ちょっ、フィレス!?」
「ダメだわ。こんなちゃらんぽらんで非道な男にうちのヴィルヘルミナは任せられない」
「ドウドウ、フィレスさん落ち着いて、ね?」
「これのどこがいいの? 何このエゴイスト。何この欝陶しい長髪。ゆかり、こういうのどう?」
怒れるフィレスを宥めるヨーハンと平井。
しかし当のメリヒムが火に油を注ぐ。
「お前にどう思われようと構わん。大体、お前の恋人だって随分な優男だろうが」
プチン
「‥‥いいわ、成敗してあげる。表に出なさい」
「面白い。お前に俺の相手が勤まるかな?」
フィレスとメリヒムがずかずかと外に出ていき、前代未聞のバトルを繰り広げる中、
それを見物する二人のうちの一人、平井ゆかりは気づいていた。
メリヒムのヴィルヘルミナへの呼び方が、フルネームの『ヴィルヘルミナ・カルメル』から、ファーストネームの『ヴィルヘルミナ』に変わっていた事を。
「あ〜、何で夏休みなのに学校なんて行かなきゃならないんだか」
いや、赤点をとったからなのだが。
面倒な補習を終えて、佐藤啓作が我が家に帰宅する。
「‥‥‥‥‥‥」
田中は、家に来ない。マージョリーに合わせる顔がないらしい。
自分が、まだ田中に渡された付箋をマージョリーに返せないのは、田中が『自分の側』から完全に決別する事に未練でもあるからなのか、自分で自分がよくわからない。
ガチャリ
(ん?)
靴がいっぱいある。
客が来ているのか。他はともかく、このブーツはすぐに誰のものかわかった。
(カルメルさんと、あと三人か)
自分が不在なのにまだいるという事は、マージョリーの客だろう。
鞄だけ自室に放り込み、室内バーに向かう。
「マージョリーさん、誰か来てるんですか?」
来てるとわかっているのに何故か訊ねながら入ると‥‥
「ああ、佐藤おかえり。皆酔い潰れちゃってさ」
坂井悠二、ヘカテー、ヴィルヘルミナ・カルメル、シャナ・サントメール、そしてマージョリー・ドー。
見事に皆、酔い潰れている。
悠二を除いて、
「‥‥坂井、皆、いつから飲んでたんだ?」
「えーと、来てすぐだから、朝の十一時かな」
この光景に、明らかな違和感がある。
「坂井お前、気持ち悪くないの?」
何故悠二だけけろっとしているんだろう?
前の宴会の時もそういえば。
「‥‥そういえば、今まで酔った事無いな」
坂井悠二、大蛇(うわばみ)。
夢うつつで聞いた少年の一言、しかし少女はそれを幻だとは思わない。
否、幻であろうと一つのきっかけと捉える。
(あとがき)
十章から多分またシリアスなんで、今のうちにほのぼのをやりたいだけやる腹積りです。