ガッ!
朝の坂井家、木と木がぶつかり合う音が響き渡る。
「っふ!」
『殺し』を乗せた一撃。しかし眼前の坂井悠二はこれを体勢を大きく沈めて躱し‥‥
「っは!」
足を払う一撃を繰り出してくる。
跳んでこれを躱すが、
「もらった!」
中空にある自分に、さらにもう一撃が放たれる。
前より、"返し"が速い。
ガァン!
自分の木の枝でこれを受け止めるが、重すぎる。
体勢を崩して吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる前に受け身をとる。
「‥‥‥‥‥‥」
強い。あの祭りの時を境に、また動きに磨きがかかっている。
元々、腕力が並ではない。動き一つ変わるだけでこれほど厄介だとは。
だが、自在法で引けをとり、体術まで追い付かれてたまるものか。
後足をぐっと踏み、勢いのついた刺突を繰り出そうと構えたところで‥‥
「悠ちゃん、シャナちゃん。そろそろ時間よ?」
坂井悠二の母、千草が鍛練終了を告げる。
千草は、この一般人には必要ないはずの鍛練自体について何も訊かないし、止めない。
ただ、こうやって鍛練の時間に区切りを持たせる事を自分の役割りだと考えているらしい。
「今日の所は、無勝負ね」
少しだけ、残念だ。
「悠ちゃん。女の子相手なんだから顔とかにぶつけないようにしなきゃダメよ?」
「‥‥僕の方が殴られてるんだけど‥‥わかったよ」
坂井家の縁側に腰掛けて、オレンジジュースを飲む、悠二とシャナ。
そろそろ母の前でする鍛練にも何か工夫が必要かも知れない。
ちなみに、平井家のお泊まり会につき、今朝は悠二とシャナのみである。
メリヒムは自宅以外の鍛練には参加しない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
今の自分の状況と、心境を意識してみるシャナ。
今、まさに今この瞬間においての『今』である。
「‥‥‥‥‥‥」
どうやら初めの頃はともかく、今、自分は坂井悠二を嫌っているわけではないらしい。
坂井悠二と自分の二人しかいない鍛練だが、胸中に不快感はない。
「そういえば、悠ちゃん今日は‥‥‥」
「うん。このまま出掛けてカブト虫狩り、だってさ」
そんな思考の最中、嫌いではない(と思われる)坂井悠二と、嫌いではないどころか好きな坂井千草が何やら話している。
そう、悠二は今日はこのまま出掛けて平井、ヘカテーと合流してカブト狩りに行く事になっている(最初、ヘカテーが『リベザル狩り』と言っていたから意味がわからなかった)。
ちなみに、ヘカテーはカブト虫(リベザル)を図鑑で見て知っている。
「‥‥カブト狩り?」
シャナはただ意味がわからない風につぶやくのだった。
「っりゃ!」
「っ!」
平井のマンションの屋上でも、悠二達同様に鍛練が行われていた。
平井とヘカテーの組み手である。
「よし、ヘカテー、お風呂入ろ!」
自在法構築は悠二ほどの適性は無かった平井。
しかし体術の方は呑み込みが早い。
ちなみに、ヴィルヘルミナはもう平井とヘカテーの寸法を計り終えている。
鍛練を終え、お風呂に入り、朝食を済ませ、出掛ける。
それらを二人で行なう姿は、仲の良い姉妹のように見えた。
「行くぞヘカテー、カブト虫狩り!」
「はい」
平井とヘカテーとの待ち合わせ場所に向かう悠二。
「あそこでメロンパン買う」
と、シャナ。
何故かついてきている。
悠二としては、ヘカテーとシャナがまたいがみ合わないか心配である。
スーパーのパン売り場で、鍛練の時と同じかそれ以上に真剣な眼差しでメロンパンを睥睨するシャナ。
このままでは待ち合わせに遅れかねないと判断した悠二、一つのメロンパンを手に取り、奨める。
「これは? 本物のメロンの果汁入りとか書いてるぞ」
しかし、
「ダメよ」
一蹴。
「メロンパンっていうのは網目の焼型がついてるからこそのメロンなの! 本物のメロン味なんてナンセンスである以上に邪道だわ!」
いっそ見事なまでのメロンパンへのこだわりを見せるシャナ。
周囲から感嘆の声が漏れる。
恥ずかしくなった悠二は、シャナにメロンパンを手短に選ばせて、スーパーを後にする。
「お前、前に見た時メロンパンの食べ方がなってなかった。まずはこう、カリカリな部分を食べて、その後に内側のモフモフな部分を食べるの。
そうする事でバランス良く双方の食感を味わえる」
悠二にとって激しくどうでもいい持論を披露してくる。
「あ、そう」
と生返事をすれば、
ギロ!!
洒落にならない眼で睨んでくる。
何なんだ。
「‥‥何で世間知らずもいい所なのにメロンパンだけやたらとこだわるんだ?」
その問いに、シャナは一瞬だけ迷い、
「これを食べるのは、"ここに私がいる"って事なの」
最高に意味のわからない事を言い、そして満開の笑顔でメロンパンにかぶりつくのだった。
目的地。街から少し離れた森に入る階段の前に、虫取り網に麦わら帽子の少女が二人。
ヘカテーと平井である。
「ごめん、遅れて」
謝り、近づく悠二、しかし平井やヘカテーは悠二の方を見ていない。
その横のシャナを見ている。
「‥‥‥‥‥‥」
無言で近づき、ぎゅうっと悠二の腕を抱き寄せてシャナを睨むヘカテー。
これでもかというほどの独占の意思表示。
この行動が悠二にどう思われるかは今、思考のうちにない。
今までの経験から、『退いてはいけない』事を知っているのである。
そしてシャナは確信する。『坂井悠二と"頂の座"が揃うと不快である』と。
そして悠二は照れる。ヘカテーの露骨な愛情表現に。
「よ! この幸せ者♪」
平井はとりあえず、悠二を肘でつっつきまくる事にした。
「わざわざカブト虫を捕まえる意味がわからない」
ついて来たくせにカブト虫狩り否定派らしいシャナ・サントメールが何やら文句を言ってくる。
せっかく三人でリベザルの子供たちを捕まえる、楽しい休日のはずだったのに。
「嫌なら帰れば良いのです。誰も止めません」
はっきりくっきり宣告する。
「お前に命令される筋合いはない」
「命令ではありません。推奨です」
「とりゃぁあ!」
言い合う二人の会話を切って平井が叫ぶ。
そして、大木に蹴りを入れる。
ドシン!
木は大きく揺れて、ヘカテーは事前に平井に聞いていた情報から即座に跳びすさる。
「へ?」
ヘカテーの行動の意味がわからず、シャナは一瞬呆気にとられ、
「シャナ、上だ!」
アラストールが叫ぶが、手遅れだった。
ぼとぼとぼと
今の平井の蹴りにより落ちてきたカブト虫、クワガタ虫、合計五匹。
何の運命の悪戯か、それは全てがシャナ一人に降り注ぎ、張りついた。
「‥‥‥‥き」
忌まわしい記憶が、怪物列車の中で体験した忌まわしい記憶が蘇る。
「きぃゃああああ!!」
常ならばあり得ない種類の叫びを上げるシャナ。
平井にも、ヘカテーにも、悪意は無かった。
ただ、今の彼女達は夏を駆けるカブトハンターだったというだけだ。
全くの反射的行動の下、二人はカブトやクワガタを網に捕らえた。
シャナごと。
「きぃゃああああ!!」
楽しい楽しい夏休み。
「「‥‥‥‥‥」」
「ほら、機嫌直して、二人共」
「シャナももう仕返しはしたでしょ?」
カブト虫狩りも終えた帰り道。あの後、シャナはヘカテーと平井にカブト虫達をけしかけて仕返しをし、平井はこれに耐え、ヘカテーはしてやられた。
結果としてヘソを曲げたヘカテーとまだ不愉快醒めやらんシャナが残ったのだ。
悠二と平井はご機嫌とりに四苦八苦である。
(ん?)
そんな悠二の目に、一軒の店が映る。
パン屋さんである。
いいタイミングだ。
これでヘカテーはともかく、シャナの機嫌は直せる。
「平井さん。ちょっと二人みててね」
平井に小さいの二人を托し、店に入ってパンを買う。
ちょうどメロンパンが焼きたてらしい。
自分と平井の分も合わせて四つ買ってから戻る。
「ほら、これあげるから機嫌直して」
未だにそっぽを向き合っているシャナとヘカテーにメロンパンを差し出し、平井にも手渡す。
「‥‥‥あったかい」
彼女の代名詞のはずのメロンパンを手にし、何故か戸惑うシャナ。
おずおずと、その温かくて柔らかいメロンパンにかぶりつく。
「!!!!」
声こそ出さないものの、異常なまでの反応を示す。
肩が震えるどころではない。ちょっと体が浮いたほどだ。
目を丸くしてメロンパンを見つめ、感動にうちふるえる。
(こ、れが‥‥‥)
先ほどの不機嫌などもはや雲の彼方である。
(本当に、メロンパン!?)
無我夢中で手の中のメロンパンを貪るシャナ。
「「‥‥‥まさか」」
平井と悠二、気づく。
「パン専門店のメロンパン‥‥‥」
「‥‥初めて?」
コクコク
悠二と平井の問いに応える間も惜しいとばかりにパンを食べながら頷く。
「‥‥‥‥‥‥」
少しだけ呆れる悠二。
あれだけ偉そうに語っていたくせに『本物のメロンパン』を食べた事すらなかったとは。
まあ、ああいう間違った知識を与えるメイドには心当たりがあるから敢えて訊きはしない。
(‥‥‥おいしそう)
そんなシャナの様子を見ているヘカテー。
カプリ。
(おいしい)
だが、自分にはシャナ・サントメールほどこのパンにこだわりはない。
いつまでもいがみ合っていると、悠二達にも迷惑をかける。
それに、あの食べっぷりは見ていて面白い。
あっという間にメロンパンをたいらげるシャナ。
足りない、と思いっきり顔に書いてある。
「‥‥‥はい」
自分のメロンパンを半分にちぎる。
「半分、あげます」
そしてシャナにあげる。
この時、初めてシャナ・サントメールから好意的な視線を感じたヘカテーであった。
『炎髪灼眼』を継ぐ偉大なる者はその日、人生最大級の喜びを知った。
(あとがき)
展開遅っ! 自分でもびっくりするくらい進んでません。
メイド服に続いてカブト虫に一話使ってしまった。