「‥‥よし」
永かった。ここまで来るのに、何百という時を掛けてきた。
いや、本来なら、こんなものでは済まなかった。
一夜にして人間、万の位の力を何度も与えてくれた、自分を師などと呼んでいた少年のおかげか。
消えかけのトーチの力を摘むのは、普通に人間から力を奪う事の千分の一、万分の一程度の力しか得られない。
あの少年と出会えた事で、途方もないほどに永くなるはずだった時を、ここまで縮める事が出来たのだ。
感謝、すべきだろう。
だが、今は何より‥‥
「‥‥‥‥‥‥」
地に描いた自在式、異様な数の、また異様に複雑に絡み合っているはずのそれは、凡人には理解出来ない。
ただ、芸術的だと思わせる。
その自在式の端に、トン、と、深緑の炎が灯るステッキの先端を下ろす。
ゴッ!!
轟然と炎が湧き上がり、自在式全体に輝きが溢れていく。
その間にも、清げな老紳士の左手にある毛糸玉は、スルスルと解け、その中に込められた、永い時をかけて集めてきた力を、この自在法のために消費していく。
地に描かれた複雑な自在式は形を変え、この世にあり得ない不思議を起こすため、またその在り様を示すため、その力を発現、変質させていく。
今が自在法発現に最も重要な時。
毛糸玉を、深緑に燃え盛る自在式の中に放り込み、両手をかざして制御に備える。
ゴォオオオオ!!
深緑の炎は渦となり、前代未聞の不思議を起こすための力を示すが、その自在式の炎は中心に吸い込まれ、一切の"無駄な力"の消費を無くす。
(いけ‥‥‥)
自在式が、炎が、その中心に収束、凝縮していく。
理論的には可能なはず。だが、当然ながら前例などない。
上手くいってほしい。
否、必ず成功させる。
(いけ!!)
カッ!
全ての力を一点に集結させ、自在法が完成する。自身の生み出した深緑の光の輝きが一帯を包み、視界が閉ざされる。
(見えない)
成功したのか? 失敗したのか?
何百年という月日が無に帰したかも知れないという恐怖。
それほどの時をかけてまで望んだ物への期待。
双方にその胸中を揺らしながら、視界が戻っていく。
「‥‥‥あ」
視界が戻り、自在式の中心、力を集結させた所に、一枚の、額に入った絵画が、ある。
それは、以前自分を妖精だと呼んで、馬鹿な事に笑い、馬鹿な事で喧嘩し、神の教えなどを自分に説いていたくせに、自分の使う自在法に目を輝かせていた男の描いた絵。
自分が起こす不思議が、人を喰らって起こすものだと知った時、本気で怒り、心から泣いていた、男。
「ド‥‥ナー、ト?」
自分が、何の疑いも持っていなかった、"人を喰らう"という行為。それを、彼の全てで否定された。
そんな彼が怖くて、彼をそこまで怒らせ、悲しませた自分が怖くて、全てから逃げ出した。
愛して、いたのに、逃げ出した。
いじけて、逃げて、自分から全てを捨てた馬鹿な自分に、彼は、一つの希望を、果たされる事の無くなったはずの約束を、残してくれた。
『あの鎧のトンカチ爺さん‥‥あなたのことを知って、散々文句言ってたわ。
"苦しむ振りをして、あいつに当て付けている、そんな自分に満足してるイジケ娘め"、ってね』
それを、伝えてくれた者がいた。
『私、そういう奴が嫌いなの。本当に殺されたくなかったら、自分でなんとかしなさい』
あの、宝剣のような炎の女が、そう言ってくれなければ、その約束に、応える事さえ出来なかった。
でも、ようやく届く。
「ドナート‥‥」
『君の絵を描いたよ』
あなたとの約束に、届く。
トーチに身を借りた、仮初めの姿を捨てる。
"自分自身の"目で見たかった。自分自身の手で触れたかった。
それは、もう失われたはずの物、奇跡的な力で、だがあくまでも彼女の力で蘇った物。
目で見て、確かめる。触れて、確かめる。
絵に描かれた、薄い布を纏った、紫のベリーショートの儚げな印象の少女。
それと全く同じ姿の、"螺旋の風琴"リャナンシーが、大切に、大切に抱きしめる。
絵の中の自分は、微笑んでいる。
彼と共に在った頃、そのままの無邪気な笑顔で。
彼の中の、自分の姿で。
「う‥‥あぁあ‥‥」
自分でも、種類のわからない涙が、とめどなく流れる。
あの時、全てから逃げ出した弱い自分が憎い。
そんな弱い自分に、『これ』を残してくれた、彼が愛しい。
「ドナート‥‥!」
涙は、止まらなかった。
「‥‥で、少しは整理がついたかな?」
「‥‥‥‥‥‥」
ヴィルヘルミナのお祝い会(実際はシャナの記念日と言えたかも知れないのだが)。
上がるだけ上がって、緩やかな落ち着きを見せていく宴の中、田中栄太が平井を、虹野邸の庭に呼び出していた。
「‥‥何で、そう思うんだ?」
宴の中、田中栄太は一人、素直に、賑やかに騒げていなかった。
前の、"壊刃"サブラクの襲撃の最中に起こった事が、彼に"紅世"に関わる事への恐怖を刷り込んでいたのだ。
気まずさと申し訳なさを向けるマージョリーのいるこの場にも、歯を食い縛って現れた。
日常の中で、大切な者と生きたいと思った。
だが、"非日常に生きる友人達"も、"自分の日常"に在る大切なものだったからだ。
その繋がりが、このまま自分が震えている間に、消えてしまいそうで怖かったのだ。
実際に来てみれば、呆れるほどに『普通な』、温かく、楽しい宴だった。
だからこそ、辛い。
「何かよくわかんないけど、ずっと塞ぎ込んでたのに今日は来たからね。悩み事は吹っ切れたのかなって思って」
平井がミステスとなったと、人間ではなくなったと聞いて、自分は思わず、目に見えてわかるほどに恐怖を表してしまった。
大切な少女が、砕かれる光景を目にした後、自分でも仕方ないとは思うが、あれで平井が傷つかなかったはずもない。
「‥‥‥あの時は、ごめん」
聡明な平井ならこれでわかる。そう考えて、自分の犯した愚行、言いたくない言葉を削る自分に、また自己嫌悪する。
「‥‥いいよ別に。そりゃ、友達がいきなり人間やめました、じゃ、戸惑うでしょ普通」
その言葉に、違う、と言い掛けて、やめる。
言い訳にすら、なりはしない。
だが、理由は話しておかなければならない。
「実は、あの時‥‥‥」
腸のねじ切れるような思いで、言葉を紡ぐ。
「そっか、オガちゃんが‥‥‥」
「‥‥‥ああ」
元々そんな陰性な感情を表に出す少女ではないが、やはり、傷ついていたのか、話しを聞き終えて、幾分さっぱりしたように見える。
「ん! 大体わかった!」
飾り付けの石像の上に腰掛けていた平井が、ぴょんと着地する。
話を聞いただけで、もう一切のわだかまりを無くしている。
その強さに、自分の弱さに、胸が痛む。
「‥‥大切にしてね」
普段とは印象の違う声色で、平井は言う。
「‥‥私も坂井君も、もう"そこ"には戻れないから」
その言葉に、田中がバッと顔を上げる。
「勘違いしないでね。私は自分からこっちに踏み込んだの。そして、"こう"なった事も、実は結構喜んでる」
田中が口を挟む暇もない。平井は"心配される筋合いの無い"自分の心情を紡ぐ。
「ただ、"そこ"が大事じゃなかったわけじゃないってだけ。だから、持ってる人には大切にして欲しい」
田中は、そう言える平井に、自分の道を受け入れ、進む平井に、羨望を抱く。
自分は、怖くて逃げ出しただけだ。
「俺は‥‥」
「この話はおしまい! 悪いけど、懺悔なんて聞いたげる柄じゃないの。私はパーチーに戻るからね♪」
自分の、"無意味だとわかっている"自虐を、平井は聞く気はないらしい。
本当に、自分がどこまでもちっぽけに見える。
だが、
「‥‥いい加減、らしくない、な」
まずはウジウジするのをやめろ、そう言われたような気がした。
だからというわけではないが、もう少し、自分を許してみようと思う。
自分が迷うのは、揺れるのは、大切なものがあるからだ。
それくらいはカッコをつけたかった。
田中から離れ、パーティーに戻る平井。
去り際に、
「ま、どっちにいたって、足りないものはあるからね」
ぽつりと呟いた。
テレビの前のテーブルの近くのソファー。
中心に座る、真っ赤になったヴィルヘルミナを囲む女性陣。
普段ならこういう話に率先して参加するタイプではないシャナも、ヴィルヘルミナとメリヒムの話なら話は別だ。
ヴィルヘルミナの右隣をキープしている。
フィレスは訊き出し役だ。真っ正面に座ってニヤニヤ。
ヘカテーは座るヴィルヘルミナの膝にちょこんと顎を乗せてヴィルヘルミナの顔を覗き込みながら目をキラキラと輝かせる。好奇心と、真剣な様の混ぜ合わさった面持ち。
先ほど戻ってきた平井もしっかりと左隣をキープ。
吉田は斜め前。マージョリーはヴィルヘルミナが座っているのと隣のソファーに寝転びながらもしっかり起きている。
恋愛話が好きなのは女性陣皆同じらしい。
いや、ヨーハンや佐藤、田中も興味ないふりしてちゃっかり会話が聞こえる位置にいる辺り、男もこの不思議カップルには興味津々である。
ばか騒ぎも小康状態に入り、今からじわじわじわじわと話を訊くつもりである。
「‥‥‥‥‥‥」
こういう事を率先して話すタイプではないヴィルヘルミナだが、この結束の力を前にして無言を貫けばどうなるかわからない。
喋るしかなかった。
なにより‥‥
「自制不可」
「興奮状態」
「熱烈物語」
頭の上の、一部始終を知っている相棒はノリノリで話す気満々である。
口下手なのかおしゃべりなのかどちらかにしろと言いたい。
「‥‥‥‥‥‥‥」
周囲の好奇の視線に耐えかねて下を向けば‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥」
仔犬(ヘカテー)が、真剣すぎる熱い眼差しで上目遣いしている。
‥‥いいだろう。
もう開き直ってやる。
ごくごくごくごく
「おぉ! カルメルさん一気♪」
平井の喚声を受けながら、ワイン(先端をリボンで"切り飛ばして"いる)を一本丸々空にする。
「‥‥では、そろそろお話しするのであります」
「赤裸々」
もう、盛大に"惚気て"やる。
「坂井悠二」
「‥‥何?」
ベランダにいる悠二とメリヒム。
この骨がいると話がやり辛いと判断しての措置である。
まあ、話は後で話し上手の平井に訊こうと思う。
まあ、こんな話をするヴィルヘルミナというのを見たくないと言えば嘘になるが仕方ない。
「今日は、シャナが俺達の許に来た日だ」
「? ‥‥うん」
今は、メリヒムを引き止める事に専念しよう。
「そんな日に、ヴィルヘルミナがお前の父親と出かけた。そしてお前たちは宴の用意をしっかりしていた」
「‥‥‥うん」
「シャナはお前たちが連れて行ったはずなのになぜヴィルヘルミナと一緒にいた?」
「いや、それ‥‥」
「お前の差し金か?」
やばい。会話の方向が怪しい方に。
「あの、それは、だから‥‥‥」
「‥‥肯定と見なす」
「いや、ちょっ、待っ‥‥‥‥」
「消し飛べ」
「ぎぃやああああ!!」
(あとがき)
いつもありがとうございます。