「‥‥‥‥‥‥‥」
ベッドに、仰向けに寝転がる吉田一美。
その胸中には、ややの哀愁が漂う。
「‥‥‥‥‥‥‥」
想い人・坂井悠二。
今まで、露骨とも言えるようなアピールを繰り返しては来たものの、どうにも、自分を"そういう対象"として見ていないのは明らかである。
「‥‥‥‥ふぅ」
坂井悠二と、仲は良い。仮装パレードに参加した九人は、仲が良いグループなのだから、ある意味は当然。
だが、明らかに自分は、"平井やヘカテーとは違う"。
紅世に関わる者、そういう力を持った存在、という意味ではない。
共に歩く力と資格を持った存在、という意味ではない。
そんな事は何の関係もない。
ただ、想いに於いて、違うのだ。
あの三人には、仲の良い自分達の中でも一際強い、余人には踏み込めない絆がある。
「やっぱ、勝てねぇ‥‥かな‥‥‥」
珍しく、本当に珍しく、弱音が口をついて出た。
「♪」
(これは‥‥まずい)
坂井悠二の部屋。夕食も食べ終え、夜の鍛練までのわりと暇な時間帯。
部屋に一匹の子犬がいた。
すりすり
(‥‥あったかい)
もちろん、清秋祭の仮装(犬のトト)をそのまま持って帰った犬耳メイドヘカテーである。
胸にしなだれかかり、しっぽを凄い勢いでふりふりし、とろけそうな表情で頬を嬉しそうにすりつける。
甘える。思う存分甘える。
今、自分は犬なのである。犬には主人に甘える権利がある。
だから文句は言わせない。
「‥‥‥ん」
犬の衣装を纏う事で言い訳を作り、愛しい人との触れ合いを楽しむ。
不思議だ。恥ずかしさは依然として在る。
だが、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』やヴィルヘルミナとメリヒム達を見てきて、そこから、何かを掴んだ。
恥ずかしさも、拒絶の恐怖も、まだある。
だが、それを避けていたら、本当に欲しいものを掴み取れないのだ。
(‥‥ううん、違う)
そんな、小難しい事ではない。
もっと単純に、恥ずかしさや拒絶の恐怖を超える愛しさが、自分の中で大きく育った、という事。
そして、もうその大きすぎる想いに振り回される事もない。今まで悩んで、苦しんで、助けられて、学んできた。
ただ、求め続ければいい。
「んー‥‥」
この少年を、愛し続ければいい。それが、この愛しい人に振り向いてもらう事にも、きっとつながる。
それ以前に‥‥
「ふ‥‥あ‥‥」
悠二は、自分を拒絶したりしない。いつか坂井千草に言われた事に、今なら強く自信が持てる。
拒絶されなければ、悠二との触れ合いは、これほどまでに心地良い。
『そういう感覚は、わからなくもないけど‥‥』
『可愛いよ』
以前の悠二の言葉から、思う存分甘えるならこの衣装、と考えたのだが、不思議と自分も衣装の違いで気分が変わっている。
甘える自分を、ごく自然なものとして受け入れられるような感覚。
何やら硬直し、いつものように撫でてくれない悠二。
不満な気持ちを込めて、悠二の胸元から伸び上がり、
チュッ
「っ〜〜〜〜〜!!」
その頬に口づける。
のぼせたように、自分の顔が真っ赤になっている事がはっきりわかる。
しかし、それも心地良さの一つであるように感じられる。
(何て‥‥)
何て幸福に満ちた時間だろうか。
クレープ屋にシャナ・サントメールと二人で現れた時、シャナ・サントメールの方の雰囲気がいつもと違う事に気づいて、その不安に駆られてこんな行動をとったのだが、こんな事ならもっと早く、日常的にやっておけば良かった。
自分の想いを確と持ち、ヘカテーは坂井悠二という存在に陶酔していく。
(これは‥‥まずい)
少し部屋の外で待たされて、入室許可をもらったと思えば、清秋祭で着ていた犬耳メイドとなっていたヘカテー。
そのままベッドに座らされて、抱きつかれて、甘えに甘えきっている。
また何か、不安にさせていたのだろうか?
しかし今回はいつもと大分違う。僅かに不安そうだったのは最初だけで、一度抱きついてからは終始ご満悦の満面の笑顔。
(これは‥‥まさか、"そういう事"なの、か?)
などという馬鹿な思考が一瞬浮かび、
(違う違う違う!)
すぐに打ち消す。
ヘカテーにそういう知識がないのは明らかであるし、大体犬耳メイドなどと‥‥いや、ヘカテーは常識自体に疎いからそこはあまり関係ない、か。
(とにかく!)
これはヘカテーにとっては、撫でられたり、抱きついたりの触れ合いを思う存分楽しもう、という意味しかないはずだ。
馬鹿な事を考えてはいけない。
しかし‥‥
(今は、ちょっと‥‥)
いつも、というほど多くはない(はずだ)が、自分達がこういう触れ合いをする時は、ヘカテーが泣いたり、壊れそうになっている時だ。
そういう時は、無意識に『守る』という庇護意識が強くなるため、あまり"そんな風に"意識する事はないのだが、こう、ただ純粋に求められると‥‥
(まずい)
馬鹿な事を考えて‥‥いや、馬鹿な行動をとってしまいそうになる。
チュッ
「っ〜〜〜〜〜!!」
まずい。ここは‥‥
「あっ! そろそろ夜の鍛練の時間だから、メリヒムの家行ってくるね。
確か今日はヘカテーが平井さんに教える日だから、平井さんうちに来たらよろしく!」
要件を手短に、口早に告げて、逃げた。
(あ‥‥‥)
悠二が自分の肩をやんわりと押して、どかせて、逃げていく。
幸福な時間の喪失に、一瞬、底知れぬ悲しみを抱いて、しかし‥‥
(あの、表情‥‥)
言い訳をして逃げる悠二の表情に、気づくものがあった。
とんでもない熱に浮かされたような、真っ赤な顔。今、自分もきっと同じくらいに赤い。
しかし、その熱を受け入れられない。そんな表情。
いつか、悠二におでこに口づけられて、気絶した自分も、あんな表情をしていたのだろうか。
「‥‥‥‥‥‥‥」
目先の幸せを失った悲しみもわずか、あの悠二の表情の意味するものを夢想し、悦に入る。
あの表情は、悠二も、自分と同じ、少なくともよく似た感情を抱いてくれた証。
(きっと‥‥‥)
気持ちを通じ合わせられる日は、遠くない。
(ヘカテー、だんだん行動が露骨になってきたな)
それだけ、自分の事が好きだという事か。気持ちを抑えられなくなってきているのだろうか。
と、ふと自分の、少々自惚れた思考に呆れ‥‥そうになって、
(いや、いい加減そこは認めよう)
もはや、ヘカテーの気持ちはわかりすぎるほどにわかっている。
今さら自惚れなどと考えるのはヘカテーに対する侮辱ですらあるだろう。
(吉田さんも‥‥本気、何だろうな。やっぱり‥‥)
からかってるにしては四月からずっと、と長すぎるし、何より、彼女が『こちら側』に関わった理由も、"そういう事"だと考えた方が自然である。
(いつまでも、逃げてられないよな)
自分の気持ち、恋愛感情、情けない事に、今でも雲を掴むような感覚なのだが、そんな事は言い訳にすらなりはしない。
ちなみに、今の坂井悠二。虹野邸に向かっているわけではない。虹野邸から帰っているのだ。
今朝の鍛練にも何故か一人も現れなかった虹野ファミリー、つい先ほどに至ってはわざわざ出向いたのに「今日は鍛練は無しだ。帰れ」である。
あの骨、一度ぎゃふんと言わせたい。
(けど、一体どうしたんだろ?)
理由も無しに追い返されるなど、今まで無かったのだが、ヴィルヘルミナは来ていたようだが‥‥‥
その頃の虹野邸。
「「抹殺しかなかろう」」
「いえ、それは貴方の身の保全に危険であります」
「最終手段」
「「いや、抹殺しかなかろう」」
『炎髪灼眼の討ち手』を育てた"親"達、先日、シャナの異変の原因が坂井悠二にあると気づき、早速対策を立てていた。
メリヒムとアラストール。こんな時だけ息が合う。
「シロー、ヴィルヘルミナー、アラストールー、今日の鍛練はー?」
「今、重要な会議中であります」
「入室禁止」
「ぬう、いつか"そういう者"が現れる事は覚悟していたが、まさかあのような愚鈍な‥‥‥」
「考察などいらん。ここは抹殺しかないだろう」
親バカな育ての親達。坂井悠二の身は、本人の知らないうちに実に危険な状態に追いやられていた。
「‥‥‥‥‥‥」
自宅、居候の少女と親友の少女が夜の鍛練をしているはずの自宅を目指してのんびり歩く坂井悠二。
突如、足を止める。
(‥‥視られてる)
気配こそ、ほとんど感じないが、これは‥‥
(徒か!?)
気づくと同時。悠二を飲み込んで、そこまで大きくもない陽炎のドームが、辺りを覆う。その中に漂う炎は、朱鷺色(ときいろ)。
「‥‥‥出てこい」
何故、こんな距離に来られるまで気づけなかったのか、と悔やみながら、この封絶を張った徒に呼び掛ける。
そして現れたのは、仮面と、頓狂な衣装に身を包んだピエロ。
そして、気づく。
あまりに存在の力が小さいのだ。これが、こんな至近に来られるまで気づけなかった理由か。
そして、
(この封絶‥‥構成が普通じゃない‥‥)
自分達を囲む封絶の違和感にも気づく。
(持ってる力は小さい、得体の知れない封絶を持った徒、か‥‥)
存在の力の総量だけでは徒の力量は計れない。
それを、師である"螺旋の風琴"や、かつて出会った"愛染の兄妹"の前例から、悠二は理解していた。
「ご機嫌よう、私は"戯睡卿(ぎすいきょう)"メア」
それを理解しているから、
この徒が何か厄介な力を発動する前に‥‥
「な!?」
一瞬で懐に飛び込み、
「はっ!」
右手から溢れる銀炎で、その卑小な徒を、全く呆気なく、爆砕した。
(さあ‥‥)
何処かで‥‥
(束の間の夢に微睡みなさい)
少女が笑った。
(あとがき)
メアは設定を色々と改変してますなので、突っ込み所も多いかと思います。ご了承を。