「‥‥‥‥‥‥」
結局平井家には行かず、包帯で止血した後で替えの制服に着替え、登校した悠二。
昼食を終え、屋上の金網にもたれかかりながら、今日、いや、昨日からの出来事を反芻する。
今の違和感だらけの状態でおとなしく平井家にいるつもりにはなれなった。
そして、今日の授業内容も、やはり清秋祭の片付けなどではなく、普通の授業。
しかも、前にやった事のある内容ばかり。
極めつけが‥‥
ヘカテーに、先ほど戦った"天凍の倶"ニヌルタの事について訊いてみたところ、どうやら昔メリヒムの属していた徒の軍団、『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の最高幹部・『九垓天秤』の一人にして、『中軍主将』だという。
思っていた以上に大物だった事にも驚いたが、おかしいのはここからだ。
その"天凍の倶"ニヌルタは、数百年前の『大戦』で先代・『炎髪灼眼』の討ち手に討滅されたはずらしい。
しかし、ヘカテーはニヌルタについて教えてはくれたが、自分がニヌルタと戦った事に関しては何一つ反応を返さなかった。
メリヒムの前例があるのだから、何かの間違いで生きていた、という事も考えられなくもないだろう。しかし、何の驚きも示さないとはどういう事か。
先ほどの戦いに駆け付けなかった事に関しても、当然のように的外れな応えしか返らなかった。
(絶対おかしい)
もはや、違和感どころではない。"何かある"と確信している。
(何かの、自在法か?)
それが一番しっくり来る。
こんなにおかしな状況、普通ではありえない。
だが、いつ、誰が、どんな自在法をかけた?
(‥‥自在法?)
ふと思い当たって、ポケットから通信用の栞を取り出し、栞ごしに話し掛ける。
「‥‥マージョリーさん」
《ん〜、何よ、ユージ? あんた今お勉強の時間じゃーないのぉ?》
栞ごしに、いつも通りの気だるそうな声が返ってくる。
「今まで訊いた事無かったんですけど、マージョリーさん、どこの国の生まれ何ですか?」
実質、今はどうでもいい事だが‥‥
《で? 酒は出んの?》
的外れな応えが返る。
フッと込めた意思を解き、通信を切る。
世に名立たる自在師たる『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーも、おかしい。
いや、この状況は、もはやおかしいなどというものではなく、
(ありえない)
マージョリーがおかしいという事は、おそらくこの街の仲間達皆がおかしくなっているだろう。確認するまでもない。
だが‥‥
(何で僕だけ無事なんだ?)
と考え、
(‥‥違う)
その考えを切り捨てる。
そう、自分以外の、あの強者達があっさり何者かの自在法の影響下に陥るなどありえない。
(発想を逆にするんだ。皆がこんな状態になってるんじゃなく、"僕だけが"こんな状態になっているとすれば)
辻褄が合う。
そして、いつ、誰に自在法を受けたのか、自分には"心当たり"まである。
「グォオオオッ!!」
突然、凄まじい咆哮が響き、見上げれば、巨大な鈍色の竜が飛んでいる。
またもや気配を感じなかったが、もはや驚くに値しない。
ダンッ!
封絶を張り、空に飛び上がる。
「あんたは?」
「"甲鉄竜"イルヤンカ」
もう、気づき始めているようだ。ただのミステスと侮るなと聞いていたが、どうやら頭も切れるらしい。
だが、それでいい。それでこそ、良い。
「バハァアー!!」
「っ!」
鈍色の巨竜、"甲鉄竜"イルヤンカが、その口から火山の噴煙にも似た鈍色の煙が吐き出される。
『大戦』当時、当代最硬の自在法と言われた、『九垓天秤』の『両翼』が左、メリヒムと並び称されたイルヤンカの『幕瘴壁(ばくしょうへき)』である。
「うっ‥‥わ!」
その広がる煙に、それに込められた力に危機を感じ、危うく躱す悠二。
そのまま、イルヤンカの巨体ゆえの小回りの効かなさを利用し、一気に死角まで全速力で移動し‥‥
「っはあああ!!」
そのがら空きの背中に、特大の銀の炎弾を放つ。
ドォオン!
まるで溶解炉のような灼熱の銀の炎が、鈍色の巨竜を包み込む。
(こんな状態になってるのが、僕だけ‥‥)
あれで倒せたとも思えないが、考える時間は稼げたと考えた悠二、目の前の巨竜ではなく、"この状況"を打開するべく思考を巡らせる。
しかし、
「舐めるな!」
銀炎の中から、何事も無かったかのようにイルヤンカが飛び出し、その口からさっきとは違う、最硬の砲弾を煙の噴射によって悠二に飛ばす。
(効いてない!?)
それを持ち前の感知能力を活かして、何とか躱しながら、鈍色の煙だけではない、イルヤンカ自身の強靭な鱗に戦慄する。
戦慄し、しかし、目の前の巨竜が"本当の敵"ではない事に頭のどこかで気づいていた。
(皆が、いや、僕がおかしくなったのは、昨日のピエロみたいな徒に会ってから‥‥)
「ガハァアー!」
再び放たれる『幕瘴壁』を必死に避けながらも、考えるのはやめない。
(こんな徒、僕は知らない、でも、皆、"今までやった事"を繰り返すような事しかしない。"新しい反応"が出来ない)
「っだあ!」
右手に構えた『吸血鬼(ブルートザオガー)』を、その硬い皮膚に斬りつける、が、悠二の並々ならぬ膂力を持ってしても、浅い傷しかつかない。
(何か、"別の要因"がある事は間違いない。でも‥‥"これ"は‥‥)
距離を取り、イルヤンカと向き合う。
「ガァアアアア!!」
猛る巨竜、口から鈍色の煙を溢れさせながら襲いくるイルヤンカに、悠二も正面から突っ込む。
恐がる事など、ないのだから。
(そう‥‥‥)
大剣・『吸血鬼』を振り上げる。
「これは僕の夢だ!!」
途端、景色が歪み、目の前の巨竜がついさっきまで撒き散らしていた存在感と威圧感が、見る影もなく霧散する。
「っはあああ!」
「ゴアアアア!」
虚ろう景色の中、あまりに強靭な鱗を持っていたはずのイルヤンカを、悠二の大剣が嘘のように斬り裂いていた。
ゾクッ
また、ニヌルタを倒した時と同様の寒気を感じ、次の瞬間‥‥
「!!」
景色が完全に"戻る"。
それは、虹野邸からの帰り道。昨夜、ピエロのような徒と戦った場所、同じ不気味な封絶の中。
だが、眼前に在るのは‥‥
「おかえりなさい。束の間の夢から」
暗い赤のドレスに、日傘、鮮やかな金髪から羊のような角を生やした、少女。
「ゆ‥‥め。やっぱり夢‥‥あんたの自在法か?」
"自分の感覚での昨夜"から、まるで時間が経っていないらしい事に少なからず驚愕し、しかし努めて冷静に眼前の少女に確認する。
「そう、自在法『ゲマインデ』。掛けた相手を夢の舞台で遊ばせる自在法、楽しんでもらえたかしら?」
どこまでも馬鹿にした口調で、少女は自分の力を説明しだす。舐められているのだろうか? むしろ好都合だが‥‥
「最悪の気分だ。あの徒達は、何でだ?」
望み薄だと思いながらも、一応訊いてみる、が、予想外にペラペラと少女は語る。
「それは残念ね。改めて名乗らせてもらうわ。
私は"戯睡卿"メア。"昨日の"はただの燐子よ。
私の『ゲマインデ』は貴方の記憶から作る夢だけだと、すぐにバレてしまう。だから、"別の対象"の夢と合わせる事で、その不自然さを埋めるのだけど、貴方と"彼女"は日常の類似が少なすぎて、あまり上手くいかなかったみたいね」
(夢と、夢を‥‥)
と、目の前の少女、メアの説明をなぞるうちに、一つの単語に気づく。
(‥‥彼女?)
そして、
「!」
いつの間にか、メアの後ろに、食虫植物のような禍々しい台座に捕われた、薄い布を纏う、紫のベリーショートの髪の、儚げな印象の少女が現れていた。
「‥‥‥誰?」
彼女がもう一人の"対象"だろうか?
「あら、彼女の記憶には貴方の姿はあるのに、ひどいものね。"殻を脱いだ"くらいでわからなくなるなんて」
(殻を、脱ぐ?)
自分の知り合いで、あんな強力な徒を知っていて、"殻"を‥‥
「まさか‥‥‥」
「そう、"螺旋の風琴"リャナンシーよ」
「!」
そういえば、実は女だと言っていたような、しかし、今はそんな事より‥‥
「お前が、師匠を‥‥」
そう、今、師・リャナンシーを捕らえているのも、夢の媒介にしたのも、間違いなく眼前の"戯睡卿"メア。
大剣を手に、じりっと足に力を込める。
しかし、悠二から溢れ出した強力な存在の力を前にしても、メアは余裕の態度を崩さない。
「あら、怖い。でも、私にはまだ成し遂げたい事がある。ここで殺されるわけにはいかないから‥‥」
日傘を消し、かざした掌の先の空間が歪み始める。
「抵抗させてもらおうかしら」
悠二はこれを、先ほどまでと同じ、虚像を作り出しているのだとアテをつける。
「無駄だ。お前の自在法は、対象が"夢だ"と認識すればその効力は激減する」
悠二は、さっき夢の虚像だと理解したイルヤンカをたやすく斬り裂いた事から、『ゲマインデ』の欠点を分析していた。
「やってみないと、わからないでしょ?」
そして、歪んだ空間から、再び虚像が現れる。
「無駄だ!」
その姿が明確になる前に飛び掛かる。
そして現れた白い影は、白い長衣に白いスーツの装いの美青年。
以前ヘカテー(と悠二)が戦った、"狩人"フリアグネ。
だが、所詮は夢、さっきのイルヤンカと同じ、"そうだ"とわかっていれば怖くな‥‥‥
ドスッ!!
「‥‥‥‥え?」
フリアグネを斬り裂き、そのまま後ろのメアに向かう。そのはずだった。
なのに、予想をはるかに上回る速度で、フリアグネが動き、
「か‥あっ‥‥!」
今、その白い腕が、"自分の胸に突き刺さって"いる。
「彼女の『ゲマインデ』の最も素晴らしい所は、対象に見せる夢の世界に"第三者"をも取り込める事だ。私を、"夢だと思った"だろう?」
「あ‥‥ぐ、ぁあ!!」
おかしい。イルヤンカやニヌルタと明らかに違う。
この"現実感"は何だ!?
「私の『アズュール』、返してもらうよ」
胸を抉った手を抜くと同時に、悠二が服の中に潜めていた火除けの指輪を抜き取られる。
虚ろう意識の中、悠二は気づく。いつの間にか、『ゲマインデ』がただの封絶に成り代わっていた事に。
(こいつ、生‥‥きて)
そこで、悠二の意識は途切れた。
「さあ、舞踏会(ダンスパーティー)を始めようか」
(あとがき)
次話、エピローグの予定です。
気づく人は気づいてた一章からの伏線。百話以上の話数を超えてようやく回収。
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いつも感想くれたり、見たりして下さる皆様に最大の感謝を。