ロンバルディアの片田舎に、古ぼけた、意外としっかりした作りの家が、丘の上に建っている。
「あっ! またやりやがったな小娘め!」
世話好きな鉄の面覆い、この世に渡り来た自分に、色々な常識を教えてくれた"髄の楼閣(ずいのろうかく)"ガヴィダが、自分が先ほど、ガヴィダが寝てる間に勝手に能力を付加させた宝具を見て、何やら騒いでいる。
家の裏手に隠れていよう。またどやされるかも知れない。
「こら、またガヴィダの"芸術品"に悪戯したのかい?」
家の壁に隠れて玄関を覗いていた自分に、唐突に後ろから声が掛けられる。
かくれんぼはもうおしまいのようだ。彼はいつも自分の悪戯に荷担してくれない。すぐに密告する。
たまには一緒にあのトンカチ爺さんをからかうのも楽しいと常々思っているのだが。
「今日は、あっちの山を絵に描こうと思うんだ。この季節、この時期じゃないとこの風情は出ない」
わざわざ"この"を強調して目の前の景色を熱弁している。芸術家というのは皆こうなのだろうか?
「見せてくれ、ドナート」
彼の絵を見て、知った風な口を叩く自分。家の中から、ガヴィダが怒鳴りながら出てくる。
それから逃げ回っていると、街へと続く田舎道を通って、赤い髪の女騎士と、無表情の仮面を張りつけた姫が、炎の悍馬に乗ってやってくる。
自分の大切なものが、全て詰まった、素晴らしい時間。
こんな時間が‥‥
(永遠に、続けばいいのに‥‥‥)
「‥‥‥‥‥‥‥」
あのミステスの言った通り、『ゲマインデ』は対象のどちらかにでも夢だと見破られればその干渉力は激減してしまう。
対象の夢なのだから、それから拒絶されては力が発揮出来なくなるのだ。
だが、夢の世界・『ゲマインデ』に捕らえた"螺旋の風琴"も、そして先ほどは『ゲマインデ』を見破ったあのミステスも、今は夢に捕われている。
"事実として"眠っている事が都合が良い。
「‥‥‥‥‥‥‥」
『ゲマインデ』は、一瞬にして永遠の夢。今フレイムヘイズ達に使っても、一番重要な"時間稼ぎ"が出来ない。
だから‥‥‥
「行け」
"戒禁"を使い、虚像を生み出す。その力のみを使う。
狙いは、後続のフレイムヘイズ達。
必ず、成し遂げる。
彼に、笑われてしまわないように。
「囲め」
マネキン人形のような燐子が無数に生まれ、ヘカテーを宙空で取り囲む。
そして、バッと燐子達全てがヘカテーに向けて手をかざし、薄白い炎弾を放つ。
「『星(アステル)』よ!」
しかし、ヘカテーは自分の全周に向けて水色に輝く光弾を放ち、炎弾全てとぶつかり、弾け、融爆する。
とんでもない統御力であった。
しかし、ヘカテーの気持ちはこの戦いにはない。
(あの、時計塔!)
一人の少年の居場所だけに向けられていた。
今一番得体が知れず、一番怪しいものに着眼する。
「戦いの最中に、よそ見か?」
「っ!」
水色と白の爆炎を裂いて、血色の大鎌が飛び出してくる。
ガッと、手にした大杖『トライゴン』で受けとめる。
しかし、
(な!?)
受けとめたはずの大鎌がぐにゃりとうねり、伸びた刃がヘカテーを襲う。
「くっ!」
至近での予測不能な攻撃に、しかしヘカテーは驚異的な反応で躱す、が、しかし、頬を浅く斬られ、傷口から血のように水色の火の粉が零れる。
そして、
「ふんっ!」
ヘカテーが斬撃を躱す隙に、ガルザの蹴りが正確にヘカテーの腹に突き刺さる。
「か‥‥っ!」
たまらず後退するヘカテーに、さらなる追い打ちが掛けられる。
「行け、『コルデー』!」
フリアグネの右手の中指の指輪が放たれ、さらに宙空で無数に分裂する。
それは高速の弾丸となってヘカテーに襲いかかる。
「くっ!」
ガルザから受けた蹴りに痛む体を無理矢理に動かし、自分に当たる軌道の指輪・『コルデー』のみを、大杖による最少の動きで弾く。
しかし、弾かれた指輪、ヘカテーを通り過ぎるはずの指輪、それらはヘカテーの予測をあっさり裏切る。
「弾けろ!」
ドドドドドォン!
放たれ、ヘカテーに接近した『コルデー』全てが、白い炎を撒き上げてヘカテーを呑み込む。
「戻れ、『コルデー』」
炎を撒き上げた指輪が、宙を飛ぶ間にも連なっていき、元のフリアグネの中指に戻る頃には一つの指輪となる。
白炎が晴れ、周囲の光点を水色に輝かせるヘカテーが現れる。
「ふん、"それ"で防いだのか、だが‥‥」
周囲を光で覆い、白炎を凌いだヘカテー、しかし、全くの無傷とはいかない。
「いずれにせよ、時間の問題だな」
言われ、ヘカテーも当然気づいている。
二対一で勝てる相手ではない。いや、『宝具使いのマリアンヌ』がいる。さらに状況は悪くなる。
あの時計塔の気配も、どんどん大きくなっている。
状況は最悪と言えた。
だからこそ、
(皆‥‥‥)
頼れる仲間が来ない事が、胸に重かった。
(何故、来ない‥‥?)
「仲間が来ないのが疑問か?」
そんなヘカテーの当惑を見透かしたかのようなタイミングでガルザが言う。
「俺達『革正団』も、ここにいる者で全てではないという事だ」
「何だ、あれは?」
空を飛ぶメリヒム、シャナ、ヴィルヘルミナの目に、巨大な飛行船が映っていた。
巨大、本当に巨大な飛行船。それが、"気配が無いにも関わらず"、"封絶の中を"飛んでくる。
そして‥‥
「徒!?」
その飛行船から、異形異様の者から、ごく普通の人間のような姿の者まで、様々な姿の徒達が次々に飛び降りてくる。
「まさか、あの飛行船いっぱいに徒が乗り込んでいるのでありましょうか?」
徒達が飛行船から離れると同時に、その違和感、存在感ははっきりと感じ取れる。
「ヴィルヘルミナ。あの飛行船もしかして‥‥」
「‥‥まず間違いないのであります」
シャナに言われ、ヴィルヘルミナもその見覚えのある力に気づいていた。
それはかつて、『革正団(レボルシオン)』が大規模な『戦争』を起こした際に、彼らの足として暗躍した影の花形(ダークスター)。
そして、ごく最近自分達が戦い、どうやら取り逃がしていたらしい『運び屋』。
その飛行船の操縦席に、三人の徒が、在る。
「全く、まだこんなに目立ちたがりの変人共がいやがるとはなぁ」
それは、"深隠の柎"ギュウキ。
「まあ、私達『運び屋』も、見る者によっては変人と見る者もいますけどね」
それは"輿隷の御者"パラ。
「まあ、奴らの目的も思想も、あまり関係ない。我々は我々の本分を果たすだけだろう」
それは"坤典の隧"ゼミナ。
「ああ、だからさっさと乗客共に下りてもらわなきゃ困るんじゃねえか。俺達ゃ運ぶ事しかしねえんだ」
「ええ、私達のモットーは‥‥」
「安全運転、安全運行」
「危機に対さば即退散、だからな」
それは、『百鬼夜行』。
「何て、数‥‥」
自儘に世界を放埒する徒が、ここまで一つ所に集まるという異常事態を、数年前に契約したばかりの『若いフレイムヘイズ』であるシャナは見た事がない。
「おそらく、『革正団』でありますな」
目の前の徒達が声高に叫ぶ、言い方こそ各々で違えど『我らと人との在り様を変える!』という言葉から、ヴィルヘルミナが推察する。
『革正団』はかつての『戦争』でその大半はフレイムヘイズに根絶されたと見られているが、そもそもが実体も首魁も存在しない集団。
“思想の根絶”は不可能に近い。『革正団』の思想を持ち、しかし表立った行動を起こさなかった徒達が、これほどの数で決起する“何か”が、今、この街で起きようとしているという事になる。
「レボルシオン?」
その聞き慣れない単語に、メリヒムが反応する。
『革正団』が大規模に活動していたのは封絶普及以降から二十世紀初頭、メリヒムが骨してた時期の事である。
「説明は後、この場は私が引き受けるのであります」
「引き受けるって‥‥」
飛行船から飛び出してくる徒の数は、すでに千にも上ろうかというほどである。
「あの徒達の目的の中核が、先に"頂の座"が向かった先にある事は明らか。ここに戦力の大半を向けるのはあまりに危険」
「愚策」
「相手は坂井悠二が不覚をとったと思われるほどの相手、くれぐれも油断される事の無きよう」
「要警戒」
「‥‥‥‥‥‥」
ヴィルヘルミナの言葉、そして、"頂の座"が向かった先に在る、得体の知れない気配。
ヴィルヘルミナの身を案じ、しかしシャナもその作戦の妥当性は理解している。今は感情的になる所ではない。
「‥‥わかった、行く!」
すかさず紅蓮の双翼を勢いよく燃やし、シャナは飛ぶ。
もう少し躊躇して欲しかった、と馬鹿な事を一瞬考えて、そんな自分に自己嫌悪を抱くヴィルヘルミナ。
気になる事がもう一つ。
「‥‥‥貴方は行かないのでありますか?」
「‥‥ふん。俺の勝手だ」
‥‥‥可愛い。
じゃなくて、
「では、一刻も早く"片付ける"のであります。『神器』ペルソナを‥‥」
「承知」
ヘッドドレスが解け、純白のたてがみを溢れさせる狐の仮面へと変わる。
それは悪夢では決してない夢の住人。『戦技無双の舞踏姫』。
「不備なし」
「完了」
「来るぞ!」
一騎当千の二人の実力者に、徒の群れが襲いかかってくる。
「お前達の相手は我々であります」
「開戦」
得体の知れない気配に向けて、"頂の座"の戦いの気配に向けて、真っ直ぐに飛んでいた。
後ろに、巨大な飛行船と、無数の気配が現れるのにも気づいて、しかし『万条の仕手』達に任せて先にこっちを何とかしようと考えた。
自分の周りに、気配は無いはずだった。
なのに、いきなり現れた。
「は、はは‥‥‥」
もう、いつかのように狂気には捉われない。
炎のような熱さと、氷のような冷徹さ、二つの強烈な殺意が、胸中に渦巻いていた。
目の前にある、その手に両刃の斧を携えた、歪んだ西洋鎧。
その兜から、たてがみのように銀色の炎を撒き散らし、そのまびさしの下には、目が、目が、目が、目が‥‥‥
「殺す、殺す殺す殺す‥‥‥‥‥」
もう、他の全てがどうでもよくなっていた。
"これこそが、自分の全てなのだから"。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」
『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーの目の前に現れた存在は、
彼女が何百年も前から、全てを掛けて追ってきた‥‥‥
"銀"だった。
(あとがき)
悠二&ゆかりが全く出なかった。悠二はともかく次こそ平井を出さねば。
多分ヘカテーがここの読者の中で一番人気なんでしょうが、平井もそこそこ人気な様子なので(私も気に入ってます)。