「『星(アステル)』よ!!」
ヘカテーの頭上に、光り輝く水色の星天が広がる。
それが、海中に潜む徒に問答無用に降り注ぐ。
ドドドドドドォン!!
明るすぎる水色に輝く盛大な水柱が次々に生まれる。
だが、
「ぎ‥‥‥がああああ!!」
まともな声にすらなっていないひどく聞き取りづらい叫びを上げ、その足を暴れさせる『海魔』。
(しぶとい)
だが、性質的にこの『海魔(クラーケン)』に対抗できるのは自分だけだ。
"個人的な恨み"もある。先ほどの、今まで一度として感じた事が無いほどの『期待』。その期待の先にあったであろうものを、この『海魔』の襲撃で台無しにされた。
あのまま、悠二が何か凄く嬉しい事を言ってくれるような気がしていたのに‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥‥」
気配を掴む。
どうやら、見た目以上の脅威のようだ。
以前戦った"愛染自"ソラトよりさらに粗雑で荒々しいが、凄まじい存在感と違和感を撒き散らしている。
さっきの耳障りな叫び声といい、どうやら、『達意の言』すら繰れないらしい。
まあ、この『海魔』が何であれ関係ない。
跡形もなく消し飛ばしてやる。
「集え」
大杖『トライゴン』を舞いのように踊らせ、ヘカテーの周囲の光点が光量を増し、大杖の遊環の先に吸い込まれるように集まっていく。
そして、いつもの『星』とは違う。全ての光弾を束ねるように舞わす。
凄まじい怒りの籠もった流星の川。
「『星』よ!!」
"無数の流星の、一条の光"、それを、無粋な『海魔』に撃ち放つ。
カッ!と、辺り一帯が明るすぎる水色の輝きに覆われる。
その場にいた全員の視界が光に包まれる。
そして、
ドォオオオオオン!!
激しい轟音が響き渡り、桁違いの水柱が立ちのぼる。
海水が、文字通りの『津波』となる。
(まずい!)
その津波が、平井ゆかり、シャナ、フィレスを乗せた船に迫る。
怒りに駆られて、加減を間違えた。
すかさず、船と津波の間に飛び、津波に『星』を放つ。
そして‥‥‥
「弾けよ!」
津波に触れる直前で『任意爆発』させ、船を襲う津波を無力化させる。
ふう
親友とおまけの危機を脱し、安堵のため息を吐くヘカテー。
その‥‥背後。
一本の巨大な蛸の足。
「っ!」
(直撃を避けていた!?)
バァン!!
「っああ!」
ヘカテーの体よりはるかに巨大な蛸の足に叩き飛ば‥‥‥‥されない。
(吸‥‥盤!?)
痛みで朦朧とする意識の中、ヘカテーは自らの体を蛸の足に付着させるものに気付く。
だが、気付いてどうこうできるわけでもない。
まだ、体が動かない。
体の半分近くが吹き飛び、ちぎれた体から海色の炎を吹き出させる『海魔』は、ヘカテーをその足に捕らえたまま海中に潜ろうとする。
そこで、
「はっ!」
『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルのリボンが、ヘカテーに巻き付き、海中に引き込まれるのを防ごうとする、が‥‥
「くっ!!」
あんな巨体と力比べなど出来るわけもない。
あっさり力負けし、引っ張られる。
ブチッ!
海色の炎であぶられたリボンはその巨体の力も加えてちぎれる。
そして、ヘカテーを捕らえたまま『海魔』は海中に戻っていく。
「ヘカテー!!」
海中であの徒に対抗できる術はないはずだ。
まして、ヘカテーはダメージを抱えている。
もう、冷静に作戦を立てる時間も、余裕もない。
(ヘカテーが、死ぬ?)
かつてない危機感。
かけがえのない少女を失う恐怖。それに有効な策を持たない自分への無力感。
自分とあの徒への怒りによる熱さと、少女を失う恐怖による寒さ、荒れ狂う激情が悠二の胸中を巡る。
もう、止まれなかった。
無駄死ににしかならないであろう事はわかっている。
だが、もう止まれなかった。
そんな思考が頭を駆け巡るのもほんの二、三秒。
悠二は、一切の打算を捨てて、海中に飛び込んだ。
(‥‥ヨーハン!)
傀儡が向かう先、夢にまで見た最愛の恋人。
すぐさま、自分の『本体』を傀儡のいる場へ向かわせる。
自在法・『風の転輪』を解き、力の全てを"在るべき場所"、最愛の人の隣へと向かわせる。
いや、一つだけ戻さない。
自分を庇ってくれた、自分のために苦しみ続けた友達への、けじめをつける。
それに、伝えたい事もある。
「ヘカテー?、坂井君?、引きずり込まれた!?」
横で騒ぐ人間の少女。
平井ゆかり、だったか。
そして、どうやら空を飛べない自分が許せないらしい『炎髪灼眼の討ち手』。
まずは、この二人をどうにかしなければならないだろう。
飛ぶ。
「なっ!?」
「フィレスさん!?」
騒ぐ二人を無視して、友達の横に行く。
「フィレス?」
海中に引き込まれた少女と、その少女を追っていってしまった少年、今自分に何ができるか思案していたヴィルヘルミナ。
突然のフィレスの行動に怪訝な声を出す。
「ヴィルヘルミナ、あの船にリボンで、帆を張って、さらに補強して」
「フィレス?」
フィレスが何を言っているのかわからない。
「大丈夫」
だが、さっきまでと様子が違う。あのフィレスの顔はまるで‥‥
「"また会えるわ"」
ヨーハンと共に在った頃の笑顔そのもの。
(ヘカテー!)
海中を進み、ヘカテーと『海魔』を追う悠二。
そして追い付く。
なぜ海中で追い付けたのか?
その疑問はすぐに氷解する。
こちらに向き直っている。この絶好の環境で自分を仕留めようというのだろう。
ヘカテーを見る。
あの後からずっとあの足に締め付けられ続けていたのだろう。
かなり弱っている。
しかし、生きている。
最初に、その事に対する安堵、その次にヘカテーを痛め付けた徒に対する怒りがあり。
そして、その徒が自分やヘカテーを見る視線に込められた"食欲"。
(ヘカテーを、喰おうとしてる)
それに気付いた時に抱いた感情が最後。
明確な"殺意"だった。
(っこいつ!!)
動きが著しく鈍る水中で、体が半分近くちぎれているとはいえ、巨体な『海魔』に向かっていく。
無謀にも。だが、完全な無策でもない。
バァン!!
先ほどのヘカテー同様、足で殴りつけられる。
が、
「ぎぇっ!」
殴られると同時に、大剣を足に突き立てる。
動きが鈍くなっても、あれだけ的が大きければこれくらいできる。
そして、
(裂けろ!!)
大剣の刃に血色の波紋が浮かび、蛸の足が突然無数に刻まれる。
悠二の持つ『吸血鬼(ブルートザオガー)』、存在の力を込める事で刃に触れているものを斬り裂く魔剣である。
(まだまだっ!)
さらに、『海魔』が苦しむうちに、ヘカテーを捕らえた足を、今度は『吸血鬼』の特殊能力を使わずに斬る。
(よしっ!、あとは一度上に上がって‥‥‥)
そんな風に"暢気"に思う悠二の眼前。
怒りに燃える『海魔』の眼があった。
「『黒い嵐(カラブラン)』」
フィレスが呟くと同時。
荒れ狂う竜巻が生まれ、海中に突っ込む。海に渦潮のように穴があき、突き進む。
「「っ!?」」
その竜巻が悠二とヘカテーを飲み込み、フィレスの眼前、つまり海上まで運ぶ。
「へ?、あの‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
まさに今、『海魔』の脅威にさらされていた悠二とヘカテーはいきなり暴風にさらわれ、目の前にはフィレス、というわけのわからない状況に目を白黒させる。
「フィレスさん?、あの、ありがとうございます」
助けられたらしい事に気付いた悠二が礼を言うが、フィレスはそれを無視する。
『この体で』こんな力を使い続けるのは限度がある。
時間がないのだ。
トン
悠二に抱えられているヘカテーの額に、琥珀色の光を宿した指先をあてる。
ヘカテーに、伝えたい事をわからせるように、いくつもの光景を見せる。
「‥‥‥‥‥あ」
全てを理解したらしい、自分と同じ、でもまだ満たされない未熟な少女の頭を撫でる。
「頑張って」
最後に、穏やかな微笑みを見せる。
ゴッ!!
そこで突然暴風が吹きすさび、悠二とヘカテーを再びさらう。
そして二人が飛ばされたのは、先ほどの船の上。
これで、良し。
再び『黒い嵐』を使い、今度は巨大な『海魔』を海中から引きずりだす。
荒れ狂う暴風の中、いるのはフィレスと『海魔』のみ。
「"最後に"名前を訊いておきましょうか」
似合わない、偽悪的な笑みを浮かべ、眼前の『海魔』を見る。
「‥‥ほう‥‥‥‥い‥‥ん」
聞き取りづらい事この上ない。
「"朋飮"、ね。嫌な真名」
この調子じゃ、この世で名乗る通称すら持ってはいないだろう。それに、真名だけで十分気分が悪い。
(ヴィルヘルミナ)
もう、無駄な会話をやめ、始める。
フィレスの体がどんどん薄くなり、琥珀色の、風の球へと変じていく。
(今度の時は‥‥ヨーハンと二人で会いに行くわ)
「ぎっ!」
「さよなら」
完全に風の球へと変わったフィレスが、『海魔』に告げる別れ。
そして、ここに在るフィレスの全てを込めた風の球が膨れあがって‥‥‥
弾けた。
爆発的な風が、『海魔』を呑み込み、悠二達を乗せた船、ヴィルヘルミナが帆を張り、補強した船を遠方まで荒々しく運ぶ。
短すぎる再会は終わった。
でも、数奇な運命は真実を知ったすぐあとに一番大切なものを返してくれた。
友達とはまた離ればなれ。
だけどまた会いに行く。
今度は『約束の二人(エンゲージ・リンク)』として。
(あとがき)
これからしばらく忙しくなり、一、二週間くらい更新がないと思います。
また再開した時に見て下さると嬉しく思います。感想もらうとさらに嬉しく思います。