「ん〜ふふふん〜ふふふん〜ふふふふ♪」
「吉田ちゃん! 免許持ってんのか!?」
水色の封絶に包まれた街を、二人乗りのバイクが爆進する。
「大丈夫。これでも昔はブイブイ言わせてたんだよ☆」
「うそつけ! 絶対無免許で初運転だろ!?」
吉田の後ろの佐藤がギャーギャー騒ぐ。
「‥‥あれ」
吉田の促す先、"群青と銀の炎"がぶつかり合うのが見える。
「何で、マージョリーさんと‥‥坂井?」
それはいつしか地に落ちて、不気味なほどに静まり返る。
「行くぞ」
それを見届けた吉田。迷わずハンドルをそちらに向ける。少しドリフトした。
「よっ、吉田ちゃん。危ないん‥‥‥」
「なーんか、嫌な予感がすんだよ」
「‥‥‥‥‥‥‥」
吉田がいきなり漢モードに入っている。こういう時は何を言っても無駄だ。
それに、自分も何か嫌な予感がする。
自分達が行ってどうにかなるかは別問題だが。
「飛ばすぞ!」
ドルゥン!
「吉田ちゃん! スピード落としてくれ!」
「ふ〜んふふふん〜ふ〜♪」
「サントメール!」
以前とは違い、油断も慢心も今は無い、近代で五指に入ると言われる紅世の王・"狩人"フリアグネと戦うヘカテーの目に、血を吹き出しながら街へと落ちて行く炎髪の少女が映る。
気に入らない相手、しかしその姿には少なからず胸が痛む。
そして、血色の死神がこちらに向かって来る。
「これでまた二対一、さあ、どうする?」
どこか淡々とした男の口振りが、またヘカテーの怒りを助長させる。
しかし‥‥
(大丈夫)
確信もあった。
(あの程度で、死ぬわけがない)
そんな確信。
だが、現状、一対二なのは紛れもない事実。
悠二を助けに行くどころか、このまま自分が殺されてしまってもおかしくない。
しかし、ヘカテーのその現状把握はあっさりと裏切られる。
ヘカテーにとって、全く嫌な予感しか持たない形で。
「ガルザ。それ何だが‥‥」
敵であるフリアグネによって。
「何だ?」
「"頂の座"は君に任せてもいいかな? そろそろ、"あちら"も大丈夫のようだからね」
そう言ってフリアグネが促す先、先ほどから変貌を続けていた時計塔の持つ気配が、相当に膨れ上がっていた。
「‥‥‥‥‥‥」
ガルザとしては、一気に勝負を決め、完全に安全な状況下で"敖の立像"の完成を待つ絶好の勝機。ここでフリアグネに戦線を抜けられるのは不都合極まりない。
しかし‥‥
「いいだろう。あなたにとっては、それが目的の全てなのだからな」
『テッセラ』の奪取、自在式『テルマトス』、そしと今この場の戦い。
全てフリアグネがいなければこうはいかなかっただろう。
多少のわがままは許されて然るべきである。
その言葉に、フリアグネは薄く笑って、長衣に包まれてその姿を消す。
(悠二!)
現状は一対一になり、普通ならば戦局の変化に喜ぶ所かも知れない。
しかし、ヘカテーは、目の前の強大な王が姿を消した事が、まず間違いなくこの敵達に何らかの形で利用されているだろう想い人のこの上ない危機にしか思えなかった。
(悠二に、何かされる‥‥‥)
そんな思いが、膨らんでいく。
(させない!)
「『星(アステル)』よ!」
目の前の敵に、無数の光弾を浴びせ、それが確実に足止めになっていると、自身の自在法への信頼により、脇目も振らずに時計塔へと飛ぶ。
こんな奴の相手をしている暇はない。
全速力で一直線。ものの十数秒で時計塔の目前まで迫るヘカテー。
時計塔の頂きに立つ赤いドレスの少女も気に留めない。
「!」
見知った顔。仲の良い"おじさま"を発見し、自分の諸事情の事が頭を巡るが、やはり止まりはしない。
今さら隠せはしないし、今は何を置いても悠二である。
そのヘカテーの視界が、
「!」
突然無数のシャボン玉で埋め尽くされる。
「っは!」
咄嗟に『トライゴン』で弾けず、全身から湧き上がらせた水色の炎でこれらを焼き払う。
シャボン玉の飛んできたらしい方向に目をやれば、薄手のジャケットにスラックスという出立ちの青年。
その手には金属の輪のような宝具がある。
「"敖の立像"には、触らせねえ!」
青年、"駆掠の轢"カシャは、手にした金属の輪に、息をフウッと思い切り吹き掛け、そこからまた無数のシャボン玉が飛んでくる。
(捕縛の宝具!)
先ほどのシャボン玉の威力の低さからそう察するヘカテー。
しかし、
「!」
同時に、ヘカテーを追ってきたガルザの大鎌が伸びてくる。
(二つ同時には、防げない!)
より早く飛んできた大鎌を弾くヘカテー。
しかし、炎を出す間が、一拍足りない。
(捕まっ‥‥‥‥)
「とりゃああっ!」
瞬間。炎を纏った高速の弾丸がぶち当たり。シャボン玉を放ったカシャを、その宝具・『アタランテ』ごと叩き潰していた。
同時に、ヘカテーに迫っていたシャボン玉全てが消え失せる。
あまりにもあっけない。"駆掠の轢"カシャの、悲鳴すら上げる間の無い最後。
それは、未熟ゆえに取れる唯一の戦法ともいえる、ただ全力の突撃を選んだ少女の、力任せな一撃が生んだ結果。
今、初の実戦。初の勝利に、グッと右拳を握ってガッツポーズを決めている少女の生んだ結果。
その少女の纏う羽衣の炎は、"翡翠"。
「お前‥‥何者だ?」
突然の、全く知らないその少女に、ガルザは訊ねる。
「む?」
少女は振り返り、名乗る。
「ただのしがないミステスだよ」
その目に、緊張と覚悟を秘めて。
《後続の戦力はその半分が壊滅! 手が付けられません!》
教授作の通信機で、『革正団(レボルシオン)』の徒が戦局を知らせてくる。
まだ立像は起動すらしていないのに、頼りない事だ。
「ぬぉお! ヘカテー! こぉーの私の実験を邪魔しようと言うんですかぁー!?」
こっちも、あまり余裕というわけではなさそうだが、いざとなれば"狩人"もいる。
先に、"虹の翼"と『万条の仕手』を仕留めておいた方が後顧の憂いが無いだろう。
あのミステスに残る、全ての『戒禁』の力を、使う。
天に手をかざす。
(何故、私は戦っている?)
自在法・『ゲマインデ』の力を応用して、虚像を実体化させる。
(何のために?)
「あ、あ‥‥?」
これが、こんな事が、自分の求めていたものだったのだろうか?
「う、ぐ‥‥ひっく」
達成感などほんの刹那。いや、それすらも惨めな自分を慰めるために自分自身を騙した結果であったのかも知れない。
("銀"‥‥‥)
復讐の対象。憎悪の対象。自分から、何も大切なものなど無かった自分から、"奪う"事すら奪った仇。
それを倒したというのに‥‥
「う、あああ‥‥」
昏い歓喜に酔い続けるわけでも、全てを"成し遂げた"脱け殻になるわけでもない。
自分でも全く予想していなかった心の動き。
かつてないほどに、"何もない自分"が悲しくて、かつてないほどに、"何か"が欲しくてたまらない。
『せめて、こいつだけでも、ブチ壊させて!!』
そんな、"銀"を憎み、壊す事だけを願う事によって"誤魔化す"事はもう出来ない。
もう、"銀"を壊してしまったのだから。
寂しい。
"本当の自分"は、こんなにも寂しい。
(もう‥‥嫌だ)
復讐も終わった。全て終わった。何もない。
(死にたい‥‥)
そんな絶望に墜ちていくマージョリーに、
「マージョリーさん!」
よく知る声が、掛けられた。
「何があったんですか!?」
膝を抱えて、肩を震わせて、小さく蹲る。
全く常にない女傑の様子に危機感を感じ、佐藤啓作は叫んでいた。
「マルコシアス、何があった!?」
佐藤より幾分冷静な吉田が、マルコシアスの方に訊く。
が、マルコシアスは応えない。
今、「"銀"を殺した」などと口に出してしまえば、マージョリーが壊れてしまう。
そんな気がしたからだ。
「うっ、あ‥‥」
目の前の、聞き覚えのある声に顔を上げたマージョリー。
常の貫禄など欠片もなく、涙をボロボロと流す、あまりに頼りない表情。
危うさを、感じた。
「マージョリーさん!」
強く、呼び掛ける。
しかしマージョリーは、そんな、彼女を心配しての叫びにさえ、ビクッと震える。
全く、正気ではない。
(マージョリーさん‥‥)
憧れの、強い、強い女傑。
その女性の、あまりにも脆い姿を見て、佐藤は失望など欠片も感じなかった。
ただ、この人が大切で、死なせたくなくて、守りたくて‥‥‥
自分でも、何故そういう行動に出たのか、よくわからなかった。
「んっ!」
そうする事で、絶望に沈む彼女を引き止めようとでもするかのように、強く、口付けた。
普通であるなら、さらなる混乱を生むだけかも知れない。
しかし、マージョリーの瞳は、ほんの僅かだが、正気の色を帯びる。
自分のために全てを賭ける、そう言った少年の目を、みつめる。
その口から、一言、あまりにも弱々しい一言が、発せられる。
「私‥‥‥」
まるで、乞うように。
「‥‥"ここ"にいても、いいの?」
(あとがき)
『アタランテ』。原作でウコバクが持ってた宝具ですが、破壊されたとは明示されていないので、壊れず、フリアグネが拾って、カシャの『コルデー』と交換したという設定にしてます。