薄暗い、仄かに明かりの点る広大な一室。
ここは、『敖の立像』の心臓部たる一室、『渾の聖廟』である。
その最奥、無茶苦茶に歯車やコード絡み合う機械だらけの壁の中心に、一人の少年が、まるで壁の一部のように埋まり、眠っていた。
そして、その眼前には、白の長衣とスーツに身を包む美青年と、粗末な作りの小さな人形。
「始めよう、マリアンヌ」
"狩人"フリアグネと、その燐子・『可愛いマリアンヌ』である。
「はい、フリアグネ様」
かつて、フリアグネが御崎市で、秘法・『都喰らい』を起こし、街一つ分の膨大な存在の力を得ようとしていたのには理由がある。
"燐子"という存在は、あまりにも儚い。
徒と違い、人から存在の力を奪う事は出来ても、己に足す事は出来ない。
その燐子の作り手たる徒から存在の力の供給を受けなければ、三日と保たずに消えてしまう。
ある意味、トーチより儚い存在。
それは、フリアグネの恋人であるマリアンヌも、例外ではない。
「むっ」
マリアンヌは、傍に置いていた一つのマネキン、その中に"潜り込む"。
そしてその目に光が宿る。茶色の、ウェーブのかかった長い髪の女、装いは純白の花嫁衣装。
「よし」
言って、フリアグネは左手の薬指にある指輪、『アズュール』をかざす。
この『アズュール』には、宝具本来の力とは別に、あの"螺旋の風琴"の編み出した、『転生の自在式』が刻み込まれている。
内蔵するものの在り様を組み換え、他者の存在の力に依存する事なくこの世に適合・定着させる自在式。
マリアンヌを、『燐子という運命』から解放し、この世で一つの存在へと変える。
『都喰らい』も、そして今、目の前にある『渾の聖廟』も、フリアグネにとってはその目的を成すために必要な莫大な存在の力を得るための手段にすぎない。
「行くよ」
指輪から、光の文字が次々に零れだす。それはいつしか広大な一室の上部を埋め尽くす光の球体となり、それが、純白の花嫁を包み込んでいく。
そして、マリアンヌの内に編まれた自在式が共鳴するように鼓動する。
「‥‥"注げ"」
さらに、マリアンヌを囲むように四方に鉄の柱が生え、そこから、本来なら"敖の立像"の動力である莫大な存在の力が溢れだし、マリアンヌを包む『転生の自在式』が、その力を起動のために喰らっていく。
「おお‥‥!」
悲願の成就、恋人の『転生』に、フリアグネは歓喜する。
莫大な力を飲み込みながら、マリアンヌの内に自在式が吸い込まれていく。
マネキンの内に在る、"今までは"マリアンヌの本体であった粗末な人形が、マネキンに融けていく。
カッ!
全ての自在式がマリアンヌに呑み込まれ、自在法発現の証のように白い閃光が部屋全体に広がる。
そして、
「‥‥フリアグネ様」
光の中から現れたのは、新しい体と存在へと生まれ変わった恋人・マリアンヌ。
元はマネキンであったはずのその体は、フリアグネのように、傍目には人間そのものの姿へと変じていた。
「ああ、マリアンヌ‥‥‥‥」
感極まり、フリアグネは恋人を抱き締める。その今までには無かった暖かさ、柔らかさが、尚更に願いの成就を強く実感させてくれる。
「フリアグネ様」
「マリアンヌ」
ただ、互いに名前を呼び合って、いつまでも抱擁し合っていた。
「っやあ!」
翡翠の炎弾が、血色の死神に向かって飛ぶ。
「っふん!」
しかしガルザは、撃たれた炎弾とは比較にならない血色の炎を放出し、呑み込み、貫通する。
しかし、あのミステスに当たった手応えはない。
「ヘカテー、坂井君はあの中!?」
横合いに飛んで逃れている。
「おそらく。ゆかり、何故来たのですか!?」
親友の無謀ともとれる行動に、ヘカテーは怒鳴り付けるが、平井は大して気にした様子もない。
「邪魔にはならないし、死ぬ気もないよ。それに、頭に血が登って無茶な特攻する誰かさんより冷静なつもりだけど?」
意地悪な笑顔でそう返す。
そう、事実として窮地に陥ったのはヘカテーの方で、それを助けたのは平井なのだ。
「とりあえず、この兄さん倒すよヘカテー。それが結果的に坂井君を助ける事にもなるから」
そう、平井一人で紅世の王と戦う事も、あの得体の知れない時計塔に乗り込む事も全くの無謀。
平井のサポートでヘカテーがガルザを一刻も早く倒す。それしか選択肢はない。
「‥‥‥‥‥‥」
全く冷静ではなかったのは自分の方だったと気づかされ、ヘカテーは少し恥ずかしくなる。
悠二の事になると、冷静でいられなくなる。良くも悪くもだ。
それは心地良い事。しかし、冷静さを欠くのは戦いでは命取りになる。結果として悠二も助けられない。
頭を冷やす。今度は、馬鹿な行動はとらない。
その上で、悠二を助ける。
「あの鎌に、気をつけて」
言って、ヘカテーは放つ。
光の星弾を。
「集え」
ヘカテーを取り巻く光の光点が、大杖『トライゴン』の先端に収束していく。
「『星(アステル)』よ!」
無数の流星が一本に束ねられ、強力無比な破壊光となってガルザを襲う。
「っはあああ!!」
ガルザの、再び放たれた血炎の大奔流がそれとぶつかり、融爆する。
しかし、やや威力で劣るのか、弾けた炎はガルザに片寄り、熱がガルザを襲う。
「くっ!」
肌をチリチリと灼かれながら、ガルザは先ほどから、大熱量の炎を乱発していたせいで自身の炎の威力が落ちている事を痛感する。
"頂の座"は自分よりさらに消耗しているはずなのに圧し負ける。それは、『器』、持てる存在の力の総量でこちらが下回っているという事を意味している。
(長丁場は、不利か)
と、考えるガルザの上空から、また別色の炎が、血炎を裂いて襲いかかる。
「っはあ!」
翡翠の炎弾。
大剣『吸血鬼(ブルートザオガー)』でこれを薙ぎ払い、反撃に炎弾を放つが、またも手応えはない。
(まずは、あいつから!)
そう考え、まずは触角頭のミステスに、炎弾を、炎の波を、次々に放つ。
しかし、
(当たらない)
それらは、空飛ぶ少女にかすりもしない。
(疾い!)
「『星』よ」
無論、ヘカテーもこれを黙って見てはいない。
平井に気をとられるガルザに、今度は無数の光弾を流星のように放つ。
「っだあ!」
また、ガルザは炎の波で融爆させる。
効率的な防御法を持たないガルザは、こうやって広範囲攻撃で敵の攻撃を薙ぎ払うしか、『星』のような高速の多角攻撃を防ぐ術がない。
しかし、それは消耗が激しすぎる。
「くそ!」
先ほどまでと、立場が逆転していた。
(よく見ろ)
平井は、別にヘカテーや悠二達と同じくらい強くなったわけではもちろんない。
(止まるな)
ただ、彼女の特技とも言える高速の『飛翔』だけは今の御崎市で誰よりも速い。
(考えろ)
常に止まらず、そのスピードで動き、決して接近戦や、あの鎌の間合いに入らない事で、攻撃を逃れていた。
速さで実力を"誤魔化している"と言ってもいい。
(自分に出来る事を)
平井は、未熟な自分と、強力な紅世の王との差をよく理解していた。
(ヘカテーを活かすために)
そうして、彼女は戦う。
カッコ悪い、所を見せた。
『グリモア』に乗り、宙に浮かぶ。
『いい、の? ここにい、て‥‥』
まるで、媚びるような態度だった。抱き締められて、いつまでも泣いて、ようやく平静さを取り戻してから、恥ずかしくなって離れた。
「行くのか?」
相棒のマルコシアスが、まるで様子を見るように訊いてくる。
少し、心外だった。
『いて下さい。俺はまだ、貴女に何も"してあげられてない"!』
そう言ってくれた少年に、全く自分らしくない。甘えきったセリフで返した。
『私があんたを守ってあげる、だから‥‥』
でも、悪い気分ではなかった。
『あんたは私を、一生支えなさい!!』
自分でも笑える。命令口調で、『助けて』と求めたようなものだった。
それでも、涙混じりの笑顔で、嬉しそうに何度も頷いていた、少年。
「当然でしょ?」
全てを無くしたと思った自分にも、まだ居場所があった。
暖かい、暖かい居場所。
今度は、壊すためじゃない。
「守るものがあるんだから」
守るために、"戦える"。
「キリが無いのであります」
「今、半分くらいか?」
「弱音禁物」
次々に押し寄せてくる徒。『虹天剣』も、そう乱発しすぎるわけにはいかない。
メリヒムもヴィルヘルミナも、体力的にはまだ余裕があり、十分に全滅させる事は出来るが、とにかく時間がない。
得体の知れない気配は膨れ上がる一方、乱戦となっているらしく、シャナやヘカテー達の気配も今一つはっきり掴めない。
いつまでもここで足止めを食うわけにはいかなかった。
しかし、状況はさらに悪い方へと傾く。
ビシッ
「?」
ヴィルヘルミナの足下、地が割れる音がする。
「避けろ!」
メリヒムの呼び掛けに反応して、下方からの攻撃を躱す。
(これは‥‥木?)
違う。木にしては固すぎる"それ"は、石で出来ていた。
ビシッ ビシッ ビシッ
次々に地割れが起き、石の木が生えていく。
それは瞬く間に『森』といえる規模にまで広がる。
「これは‥‥」
「『碑堅陣』だと!?」
事態を理解する間もなく、さらなる攻撃が二人を襲う。
ゴォオオオオッ!!
やや離れた遠方に、濃紺色の竜巻が巻き起こる。
その竜巻には、市街の様々な物を巻き込んだ、種々雑多の"鉄"が溢れていた。
「ちいっ!」
「『ネサの鉄槌』!?」
ヴィルヘルミナを抱えて飛んだメリヒム。
それから一拍遅れて、濃紺色の鉄の竜巻が、今まで二人がいた場所を粉微塵に打ち砕いた。
(あとがき)
今回、原作で今後何か重要な役割になるかも知れない『転生の自在式』をこちらでやってしまった事で原作の感じと大きく違えた可能性があります。
ある意味、原作をやや無視した流れ、もう開き直ってこの作品なりに進める覚悟で行きます。
ちなみに、『転生の自在式』は他者の力に依存せずに定着させる、とは原作にありますが、その名の通り好き勝手に別生物に変えられる、などとは(今のところ)一切記述されていません。