「ヘカテー、平気?」
「‥‥‥はい」
あの後、船は"何故か"ずれていた進路を調整して中国に向かっている。
ヘカテーの特異な能力で『器』を合わせ、ダメージを等分化した悠二とヘカテー、平井達は、今、外にいる。
「‥‥‥‥‥‥‥」
ヘカテーは混乱していた。
悠二が無謀にも自分を助けようと海に飛び込んだ。
その事自体はとても嬉しい(抱きしめたい)。
だが、そんな危険な事はして欲しくない。
しかし、その事で悠二を責めるわけにもいかない。
悠二にそんな行動をとらせたのは、自分の未熟さが招いた事だと理解しているからだ。
「‥‥‥‥‥」
これだけなら『混乱』はしない。
混乱するのは、この事も含めて同時に色んな事が起こりすぎたからだ。
あの時、悠二は自分に何か言おうとした。そして、今、何か言ってくれそうな気配は無い。
もう、悠二は自分の恋心に気付いているだろう。
それも、動揺の一因だ。
そして、"彩飄"フィレス。
海中で絶体絶命の危地にあった自分達を助けてくれた紅世の王。
フィレスが指先に込めた光は、ヘカテーにフィレスがあの時何をしたのかを明確に伝えていた。
人の触れ合いに乗じて己の感覚を広げていくフィレスの自在法・『風の転輪』。
最初にいきなり悠二の前に現れたのもこの自在法で悠二の『零時迷子』を感知したためだ。
そして、感知した先にすぐさま『本体』を呼び出せられるわけでもない。
自分達が見て、戦って、助けられ、あの時、自爆したかのように見えたフィレスは、フィレスが『風の転輪』で具現化した『傀儡』であり、本当のフィレスは生きている。
そして、その『風の転輪』が、別の場所で『永遠の恋人』ヨーハンを見つけた事も、フィレスはヘカテーに伝えていた。
喜びに溢れた涙と笑顔で、ヨーハンに抱きつくフィレスの姿を。
ヘカテーは、これらフィレスに伝えられた事を、皆に‥‥『風の転輪』の能力をここまで深くは理解していなかったヴィルヘルミナにも伝えている(これを聞いて、ヴィルヘルミナはフィレスの自爆を目にした時からの茫然自失から立ち直った)。
("彩飄"は‥‥何故‥‥)
ヘカテーがフィレスから伝えられ、皆に伝えていないのは一つだけ。
一つの光景だけ。
秋の空。時計塔の屋根の上。
そこに立つ、二人の男女。
"彩飄"フィレスと、『永遠の恋人』ヨーハン。『約束の二人(エンゲージ・リンク)』。
今と違うといえば、その片割れ、ヨーハンが『人間』である事。
『ずっと君を見ていた。そして、ずっと君だと決めていた』
目の前の少年に対し、一切の否定を持たず、しかし、だからこそ怖い。
この気持ちを、欲望だと思っていた。
だが、違う。
彼と二人でこの世を放埒し、逃げて、大笑いしてきた。
だが、違う。
この先にあるものは、大笑いなどではない。
なら、何が待っている?
逃避行の果てに、答えがあった。
『君を愛している。僕は、君と一緒に、どこまでも行くんだ』
それは、『恋』だったのだ。
いつだって叶えてきた少年の夢、願いが、他でもない"彩飄"フィレスの全てだとわかった。
わかって、たまらなく怖くなって、思わずその場から逃げ出した。
与えた自分の全てが、彼を満足させられなかったら?、叶えた自分の結果が、彼を失望させたら?
そんな想いに駆られて、逃げた。
数時間たち、戻ってきて、同じ場所に、変わらないヨーハンの微笑みがあった。
『僕は、ただ君についていくだけの自分が嫌だった』
変わらない微笑みで、戸惑う"恋人"に語り掛ける。
『君は、僕を愛している。僕も、君を愛している。
僕らは、一緒にいたい、離れたくない、絶対にだ。
その望みを、一緒に持っている。それを、僕は確信している』
抵抗する恋人を優しく抱きしめ、語り掛ける。
フィレスはもう、抵抗しなかった。二人で夜空に飛び上がる。
そして、時計塔がばらけていく。
『フィレス、僕らの宝具を作ろう』
ヨーハンはもう踏み出した。
『フィレス、時の継ぎ目を迷わせて、僕と永久に、君と共に、ここに在ろう』
フィレスも、それを追う。
『時に悪戯をしよう。巡った時を、零時で迷子にしてやろう』
二人は隣に並ぶ。
『さあ、願って、愛する人よ。僕と永久に在りたいと』
ばらけ、二人の周囲を舞っていた時計の部品が、ヨーハンに吸い込まれていく。
『そうして、僕は君と永久に在るために‥‥ミステスとなる』
少年は誓い、二人は共に歩きだす。
『さあ、僕の時よ、止まれ。美しき、君と在るために‥‥』
「‥‥‥‥‥‥」
この事を、皆に伝えていないのは、自分"だけ"に向けられたものに思えたからだ。
光景、言葉、そしてその時のフィレスの気持ちがダイレクトにヘカテーに伝わってきた。
何故そんな事をしたのかはわからない。
だが、フィレスは自分に、恋に迷う自分に、一つの道を示してくれたのだ。
そう‥‥‥
(『愛』)
あんな風に、相手に全てを求められて、自分の全てが、相手を満たす。
自分の全てが、悠二に求められる。
(羨ましい)
あんな風になりたい。
悠二と、寄り添って、どこまでも一緒に‥‥
『約束の二人』と自分達は違う。
全く同じ『愛』は、望めないのかも知れない。
いや、悠二に好きになってもらえない限り、『愛』すら望めない。
それでも、だからこそ、目指す。
いつか、きっと、と。
(ありがとう)
大切な時を見せてまで自分に『愛』を伝えてくれた"先輩"に、心の中で礼を言った。
「‥‥‥‥‥‥」
先ほどの『海魔(クラーケン)』に強打されたヘカテーの背中をさすりながら、悩む悠二。
『海魔』が現れる前、自分に触れてくるヘカテーの姿で気付いた。
まず間違いなく、ヘカテーが自分に好意を抱いている。
今までも、そう考えた事がなかったわけではない。
しかし、どうせ他愛無い妄想だと片付けてきた。
それが、現実となった。未だに信じられないが。
(だって、僕は‥‥‥)
綺麗で、可愛くて、儚くて、強くて、そんなヘカテーが、今まで何度もヘカテーに助けられてきたような情けない自分に好意を抱くなど、まさしく驚天動地の事態と言えた(と、悠二は思った)。
(じゃあ、"僕は"どうなんだ?)
ヘカテーの気持ちはわかった。ならば、自分はどうなのだろう?
好きか嫌いか?、で問われれば、もちろん好きなのである。
しかし、それはヘカテーが自分に向けるような"好き"なのだろうか?
憧れや友情と履き違えてはいないか?
自分はいずれこの外れた世界を歩いていく。
その事からの打算のような考えはないだろうか?
考えた所でわかるような事ではない。
自分の情けなさにいい加減嫌気が差す。
"好きがわからない"
ヘカテーの想いに答えを出す以前、前提条件にすら達していない自分が虚しかった。
直接ヘカテーに『告白』という形を取られていない事が唯一の救いか‥‥
(‥‥‥くそ!)
心中で口汚く吐き捨てる。
あの時、あのまま何か掴めたかもしれないのに‥‥‥‥
あの『海魔』の襲撃を、今となってはヘカテーより悠二の方が苦々しく思っていた。
「よっ」
船の手すりに乗る。
さっきまでの封絶の中の荒波に比べれば揺れの小さい事小さい事。
「はぁ」
平井ゆかりは、似合わない溜め息を吐く。
紅世の戦い、親友達の戦い。
その中の自分は役立たずどころか足手まといだ。
いや、足手まといにさえならず、誰にも気付かれずに巻き添えで消える。
そうなってもおかしくない。
たった今、嫌というほどに思い知らされた。
(わかってた‥‥つもりだったんだけどね‥‥)
本当に、ちっぽけだ。
外界宿(アウトロー)に関わろうと、当然だが『こういう』分野では何も変わらない。
共に在る事の限界を、突き付けられたみたいだ。
「ちぇっ」
そんな軽い抗議を言の葉に乗せる。
平気な振りをする。
そんな程度の強がりしか出来なかった。
(気に入らない)
成り行きで、坂井悠二と共闘する事になった。
それは仕方ない。使命のために私的感情を、『駄々』をはさむつもりはない。
気に入らないのは、それで予想外に坂井悠二と息が合ってしまった事だ。
最初に会った時から、何かと気に喰わないやつだったというのに。
しかも、その後の『海魔』の襲撃に、自分は何も出来なかった。
そして、海中に引きずり込まれた"頂の座"を、坂井悠二が助けに行った。
何故、助けに行く?
海中でなす術がないのは坂井悠二も同じはずなのに‥‥
何故、命を‥‥いや、存在をむざむざ捨てるような真似をする?
行った所で、"頂の座"を助けられるわけでもなかった。今回はたまたま"彩飄"が助けたから助かった。それだけだ。
「‥‥‥‥‥‥」
何か知らないが、苛々する。
(やっぱり、嫌な奴)
フレイムヘイズ『炎髪灼眼の討ち手』シャナ・サントメールは、そう結論づけた。
思考の最中、実は坂井悠二と息が合った事が気に入らなかったのではない事には、気付かない。
(‥‥‥フィレス)
悩める少年少女とは裏腹に、ヴィルヘルミナ・カルメルは、友達の無事と、またいつか必ずある再会に、淀みの無い喜びを胸に抱く。
それぞれの想いを乗せ、船は中国を目指す。
(あとがき)
忙しいのもとりあえず一段落したので再開します。
久しぶりなので上手く書けたかな?、とか緊張してます。
フィレス編からいきなり中国じゃ説明不足なので、心理描写の回を一回挟みました。
またお目通し、感想など、よろしくお願いします。