「『銀時計』」
御崎市からほどよく離れた白峰市のホテルの屋上に、一人の少年と一人の少女。
坂井悠二と平井ゆかりである。
「それが‥‥?」
「うん」
そう訊く平井に応える悠二の足下には、悠二を中心に半径三メートル程度の円形自在陣が展開されていた。
一から十二の英数字と、長短の針のような紋章で作られた自在陣。
悠二が独自に編み出した自在法・『銀時計』である。
悠二は一ヶ月以上もの間、ただふぬけて自在式をいじり続けていたわけではない。
ヘカテーが帰ったであろう『星黎殿』は、かつてシャナ達が暮らしていた『天道宮』と対となる要塞型宝具。
そして、感知不可能と言われる異界・『秘匿の聖室(クリュプタ)』に包まれているのである。
この『秘匿の聖室』の絶対の隠蔽を破るため、自在師たる悠二は日々試行錯誤を続けていたのだ。
実際にその事に気づいていたのは平井ただ一人だったが、悠二は確実に前に進んでいた。
「これで、本当に『星黎殿』、見つけられるのかな? 絶対に察知不可能だって話だったけど」
「絶対なんてないよ」
悠二は珍しく自信ありげにそう応える。
実際、悠二も平井も知らない事だが、かつて"愛染の兄妹"の片割れ"愛染自"ソラトが、その特性たる『欲望の嗅覚』によって、『星黎殿』を察知していた事例もある。
とにかく、今まで悠二が取り組み続け、ようやく完成に到ったのがこの『銀時計』である。
『それで、見つけられるのか?』
「見つけるさ。大体、貴方が『星黎殿』への行き方知ってたらこんなに時間かかる事も無かったのに」
『余がこの世に在ったのは数千年も過去の事。正確にこの世の状態を掴めるわけではない』
「悠二、今"話してる"の?」
「ああ、うん」
折角のお披露目であるから、久しぶりに『彼』とも"通じて"いるのだが、集中力がいるから精神的に疲れる。
対話するだけでこれでは先が思いやられる。
まあ、それは"今後の課題"である。
『この者が‥‥平井ゆかりか?』
「そう。僕としか話せないの不便だね。そこも何とかしないと‥‥」
平井が悠二の目の前で「見えてる? 見えてる?」と手を振っている。
が、今は『彼』の事より優先すべき事がある。
「この長針が、『目標』の方向、短針が目標までの距離を指してる。だから今、十時の方角に‥‥『星黎殿』は在る」
この自在法は『目標』との因果を、『繋がり』を辿り、示してくれる。気配も隠蔽も関係ない。悠二が求めるものへと導いてくれる。
ただ、言い方を変えれば悠二と『繋がり』の無い、つまり知らないものは探せない。
だから、今『銀時計』が示すのは正確には『星黎殿』ではなくヘカテーである。
ようやく拓けた、少女へと繋がる道である。
『‥‥永い時を掛けてきた計画だ。余は特段焦るつもりはなかったのだが、な』
「‥‥うん」
そう、本当ならまだ、平和な日々を、皆一緒に‥‥‥
でも、あの少女は"逃げ出して"しまった。
だから‥‥
「‥‥捕まえて、ひっぱたいてやんないとね」
「‥‥うん」
志を同じくする平井と共に、
『ゆくか』
「‥‥うん」
また、道を同じくする『彼』と共に、
「ヘカテーを、迎えに行こう」
「意外と、陰気な隠れ家だね、マリアンヌ」
「フ、フリアグネ様、悪口はあまり‥‥」
"蠱溺の杯"ピルソインの案内の下、『星黎殿』を訪れた"狩人"フリアグネ、そしてその恋人のマリアンヌは、そのまま客分として『星黎殿』に居着いていた。
その目的もよくわからず、ただ『盟主』の事について訊き回り、しかも"頂の座"が塞ぎ込んでいると知ってからは出ていく気配すらない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
ベルペオルはこれを敢えて放置している。利用価値のある強大な王が手元にいるのはむしろ都合が良いからだ。
しかも、何故か『零時迷子』のミステスについても知っていた。
『将軍』や、ヘカテーを崇拝する徒、忠誠心や野心に溢れた徒が不用意に『零時迷子』のミステスに手出しをしないよう、フリアグネには口止めはしている。
ちなみに、ヘカテーはフリアグネが『星黎殿』に来た事を知らない。
通常ならヘカテーが行う『訓令』もベルペオルが代わって行い、しかもヘカテーは自室から一切出てこないからだ。
もうそろそろ、二ヶ月になるというのに、全く回復の兆しが見られない。
いや、むしろ悪化していっている。
『零時迷子』のミステスを破壊せずにそのまま連れて来るか?
いや、それで解決するなら最初からヘカテーが連れて来ているだろう。
つまり‥‥
「参謀閣下」
そんなベルペオルに突然話し掛けるのは、獣毛に覆われ、頭部は無く、目や大きな口はやたらと張った胸に在る鳥男という姿の『布告(ヘロルト)』・"翠翔"ストラスである。
「どうしたね、ストラス?」
もちろん、ベルペオルは部下の前で無様な葛藤を晒さない。
「‥‥いえ、例のミサキ市を見張らせた『捜索猟兵(イェーガー)』からの報告なのですが‥‥」
その言葉が、言いづらそうに淀む。
ちなみに、なるべく機密にしている現・『零時迷子』のミステスの事も、必要最低限、冷静で信頼出来る部下には伝えてある。
「『零時迷子』のミステス、あともう一人ミステスと思われるトーチが、ミサキ市から姿を消したそうです」
言いづらい事を、しかし自らの職命としてきちんと言い切るストラス。
「‥‥‥そうかい。ならばそのまま『零時迷子』のミステスの探索を『捜索猟兵』に伝えておくれ。無論、バレないようにね」
動揺を見せずにそう返すベルペオルに、ストラスは安心したように「は!」と言って立ち去る。
「‥‥‥‥‥‥」
いつの間にか"狩人"の二人も消え、この酒保には今誰もいない。
椅子に座り、机に突っ伏して、
「‥‥もうやだ」
愚痴をこぼした。
「‥‥‥‥‥‥‥」
平井の中の『オルゴール』に悠二が刻んだ気配隠蔽の結界を、平井が発動させる中、悠二は意識を集中させる。
「‥‥"よし"」
「わぁ‥‥!」
「存外、上手く出来るものだな。トリガー・ハッピーの力を借りた"あれ"以降『顕現』した事もないというのに」
『余とお前が同調可能な性質を持ち合わせていなければ、この"顕現"自体あり得まい。"大命詩篇"の扱いに、お前が馴れてきたという事だ』
「しっぽだ、しっぽだ♪」
「ゆかり、遊んでくれるな」
平井が遊ぶ。
複雑な気配隠蔽の自在法も、容易く奏でてくれる『オルゴール』の力を借りているから余裕である。
「どうでもいいけど悠二、その喋り方何とかならないの?」
「あ‥‥いや、ごめん」
指摘されて、つい恥ずかしくなる。
『顕現』している時は自分で自分に違和感を感じられないから、なかなか治せない。
「ま、貫禄ついて見えるからいいかもね。けど"プライベート"ではやめてよね。違和感ありすぎるから」
「‥‥わかってるよ」
わざわざ念を押されなくても、四六時中これは無理である。精神的に。
悠二と平井が旅に出て、十日が経っていた。
ドクンッ
(‥‥まただ)
手にした『大命詩篇』が、僅かに脈打つ。
ここ最近頻繁に起きている異変。今日のは一段と強い。
(悠二‥‥)
"言い訳"は出来た。しかし、この異変が少年の危険を表すものではない事を、巫女である自分は理解出来ていた。忌々しい事に。
もし、"勘違い出来たなら"、少年の許に飛んでいけたのだろうか。
(悠二‥‥)
会いたい。会いたい。会いたい。
あれから、"何年"経ったのだろうか。
「悠二‥‥」
この『大命詩篇』の脈動は、何を意味するのだろうか。
ベルペオルがおじさまを捕まえて、『暴君』を稼動させているのかと思って飛び出した事も何度もある。
おじさまに口止めする役割も自分は持っている。
だが、『暴君』には何の変化もなく、おじさまもいない。
ギリッ
嫌になる。
気を緩めると『大命詩篇』に危機が迫る事を"期待"してしまいそうになる自分が心底嫌になる。
悠二を守る。それだけでいいはずなのに。
悠二が笑っていてくれる。それだけでいいはずなのに。
「‥‥‥‥‥‥‥」
もし今、悠二の笑顔を見て、その傍にいられない自分を思った時、自分はどうなってしまうのだろう?
どうもこうもない。悠二が笑顔でいる事に満足して、また遠くで彼を守る。
そう"断言する事すら"、今や出来ない。
壊れてしまうかも知れない。
あるいは、もう壊れてしまったのかも知れない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
冷たい涙が、"いつものように"頬を流れた。