「‥‥‥‥‥‥‥」
ヘカテーの意向なのか、それ以外の理由なのかはわからない。
だが"それ"は、日本国内、この北海道の地に在った。
在るはずだ。
縦に、横に、斜めに、複数同時展開した『銀時計』の全ての長針が、一点、斜め上空を刺していた。
もちろん、肉眼にはただの夜空しか映らない。
「ゆかり、時間はどう?」
「あと十分」
傍らの平井ゆかりに訊く。
それは作戦、などと呼べはしない、ただの突入。
("好きがわからない"、か‥‥)
それも仕方ない。いくら位置が特定出来ていようが、『秘匿の聖室(クリュプタ)』の中の様子は知りようがない。
情報ゼロの突入、出たとこ勝負である。
(全く、厚顔無恥ってやつだな)
少女の好意に甘え、自分の気持ちすら掴めなかった日々が思い出される。
(好きだと思える欠片は、日々の中に積み重なっていたはずなのに)
"こう"なって初めて思い知らされた。"こう"なるまで気づけなかった。
(でも、ここまで来た)
また、出会うために。
(ここまで、来たよ)
「行くよ、ゆかり」
「あいよ!」
(ヘカテー)
何も見えない、しかし確かに在るはずのものへと、二人は飛ぶ。
「中の構造はわからないから、どんな場所に出るかわからない。いきなり戦闘になるかも知れない」
「百も承知!」
前方三十メートル先へと‥‥‥‥
「今だ!」
『転移』。
今、『星黎殿』が北海道という地に停泊しているのは、最近の習慣のようなものだった。
常の回遊ルートを変更し、一定の間隔でこの島国に逗留するようにしている。
無論、ヘカテーに関する"何かあった時"のための措置であり、また、この地に多数放った『捜索猟兵(イェーガー)』の乗り降りのためでもあった。
今、"巫女の悲痛な気配"の渦巻く『星黎殿』。
その巫女に対する崇拝がゆえにこの要塞にいる事に耐えられなくなる者多数、巫女への忠義あればこそ留まる者もまた多数。
常駐に比べればやや閑散としてしまっているのが現状である。
(‥‥ふぅ)
『星黎殿』内部の『祠竃閣(しそうかく)』、『参謀』ベルペオルの副官にして『星黎殿』の守護者たる"嵐蹄"フェコルーはもう何度目かという溜め息を漏らす。
行方不明だった巫女の帰還。それ自体は喜ぶべきなのだろうが、その巫女が異常とも言える消沈を見せ続けている事で、結果として『仮装舞踏会(バル・マスケ)』全体が消沈状態に陥っている。
ヘカテーは『仮装舞踏会』の構成員達から、『三柱臣(トリニティ)』の中でも最も絶大な尊崇を集める、正しく『星』。
月は数千年前に隠れ、星も輝かない。今の『星黎殿』の夜空はあまりにも暗すぎた。
結果としてベルペオルやシュドナイまで消沈しているのだから、はっきりと最悪の状態だった。
ベルペオルの副官として、ヘカテーの部下として、『星黎殿』の守護者として、何度となく無為な溜め息をつく。
これも、最近では日常的な事。別に、全くいつも通りのその一時に、
「!!」
フェコルーが、いや、『星黎殿』にいる誰もが驚愕する。
『秘匿の聖室』内部、『星黎殿』の上空に、突然大きな自在法発現の気配が現れる。
「な!?」
位置は『星黎殿』外部。『星黎殿』でいきなりこんな自在法を使う不埒者など、今いる『仮装舞踏会』の構成員には心当たりがない。
フレイムヘイズなどもっとあり得ない。『秘匿の聖室』の感知は何者にも不可能である。
(まっ、まさかあの"狩人"が!?)
最近居着いた部外者にして強大な王を疑いながら、守備兵に状況を訊く。
「なな、何事ですか!?」
フェコルーの声に応えて、竈型の宝具・『ゲーヒンノム』を満たすどす黒い灰が素早く渦巻き、要塞の細かい全体像を映し出す。ほどなく、要塞守備兵からの自在法の映像が送られてきた。
《た、大変です! 侵入者です!》
「なっ!?」
ミニチュアに映るもの、そして送られてくる映像。
それは"侵入者であるという以上に"あり得ないものが映っていた。
"それ"は組織の中核にしか知らされる事の無い存在。『大命』の鍵の一つ。
くすんだ西洋風の板金鎧。"銀"、あるいは『暴君』。しかもそれが、二体。
驚愕はそれのみに止まらない。『星黎殿』の上面に無数そびえる尖塔の間に二体の『暴君』が隠れたかと思った次の瞬間、
『暴君』が"増えた"。
幾百にも。
驚愕にあるのはフェコルーのみではない。
『星黎殿』に侵入者など、過去に前例のない前代未聞の事態である。
「何があった!?」
"千変"シュドナイが。
「‥‥『祠竃閣』に行くよ」
"逆理の裁者"ベルペオルが。
「‥‥‥来たか」
"螺旋の風琴"リャナンシーが。
「面白い事になってきたね」
"狩人"フリアグネが。
それぞれ反応する。
しかし、
「‥‥‥‥‥‥」
ただ一人、何事にも興味を失ったように、まるで脱け殻にでもなったかのように、"頂の座"ヘカテーだけが、動かない。
「ちくしょう! 参謀閣下や大御巫(おおみかんなぎ)がこんな時にどこのどいつだ!?」
ベルペオル直属の『巡回士(ヴァンデラー)』、巨大な三本角の甲虫のような姿の『紅世の王』・"驀地しん"リベザルが、まだ侵入者かどうかすらわからないままに駆け出していた。
誰であっても関係ない。こんな時に自分が忠誠を捧げる上官達に心労をかける不忠者など、問答無用で叩き潰してやる。
彼は"ベルペオル直属"という地位にあり、それなりに『三柱臣』に近しく接する事が出来る位置にある。
そして、彼女らからの任務を達成する事に大きな喜びを感じる、実に忠誠心溢れる構成員だ。
そんな彼は最近の悲惨な状況、そしてそれに対して何一つ出来ない無力な自分に激しく憤っていた。
そんな中、いきなり『星黎殿』で大規模な自在法を使った不埒者。彼が怒りを存分にぶつけるには十分な理由だった。
そして、一つの尖塔の屋根の上で、
「おう、お前達」
「「っ、はい」」
マントで全身を隠した二人組と鉢合わせになる。
"人間の感覚ならば"珍しい格好だろうが、この『星黎殿』においては特段珍しい姿でもない。
この事態に真っ先に動きだす心構えは気に入った。
「この騒ぎは何だ。何が起こってやがる?」
「侵入者です。敵は無数の西洋鎧でございます」
敵、か。どうやって『星黎殿』に入り込んで来たかはわからないが、これで問答無用にブチ殺せる。
「よし、お前達はそのまま他の『巡回士』にも伝えてやれ。あとは俺が侵入者をやる」
「「はっ」」
行って、リベザルとは反対方向に二人は飛んでいく。
二人を見送る間もなく、銀の鎧達が散らばっていくのが見える。
「うおおおお!!」
上手くいった。
突入時にあんな格好をさせたのはそういう理由だったのか。
このまま上手くやって無駄な力を使わずに行ける、か?
この徒だらけの場所なら気配隠蔽など不要だ。木を隠すには森、である。
胸の“灯火”を隠すくらいわけはない。
そして再び、徒に遭遇する。さっきから"王"ばかりと会うな、と思う。
目の前に現れたのは、緩い衣を纏った直立するヒトコブラクダ。
「お前達、"侵入者は"?」
なるほど、こいつはもう侵入者だという事は知らされている。思ったより情報が回るのが早い。
「『星黎殿』各所を逃げ回っております。今、私達も強力な『巡回士』へ報告して回っているところです」
ああ、何かこのスパイ感覚、たまんない。
「そうか。なら直接見てきた状況を参謀閣下にお知らせしてこい。この非常時に位階等級などと言っている時ではない。光栄に思うのだな
私は直接賊を討ちに行く」
「はっ、では私達は今より"逆理の裁者"ペルペオル様の下へと参ります」
全く、ちょろいものである。
背を向け、宮殿の中枢部らしき方へと足を向け‥‥‥‥
「ちょっと待て」
呼び止められた。
「貴様、今何と言った?」
あれ? 何か間違った?
「‥‥参謀閣下の通称は"べ"ルペオル様だ」
‥‥‥‥あ
「「ふんっ!」」
ドゴォオ!!
相棒と同時に渾身のボディーブローを叩き込み、気絶させてから逃げる。
「間違えるなって言っただろ!?」
「だって紛らわしいんだもん!」
もう、マントも無意味か‥‥‥。