ビザンツ帝国………後の世にそういわれるローマ帝国は東西に分裂したローマの東方を所管し、千年の栄華を極めていた。同時にキリスト教組織もローマの分裂とともに東西に分かたれており、西方のカトリック教会に対し東方を正教会という。ルーマニアはいうに及ばず、セルビア・ブルガリア・ウクライナ・ロシア・ギリシャなど東欧の諸国のほとんどは正教会に所属していると言っていいだろう。 しかし第四回十字軍の奇襲によって王都コンスタンティノポリスを占領されて以来、ローマ帝国の斜陽は明らかなものとなっていた。もはやローマ帝国の領土はコンスタンティノポリスとペロポネソス半島の一部だけとなっており、その国力は小国ワラキアにも及ばない。かろうじて歴史上最も堅固なテオドシウス城壁に拠って独立を保つのに汲々としている……それがローマの現状であった。 マヌエル二世の巧妙な外交手腕によって小康状態を保っていたローマがここまで窮乏した責任は現皇帝ヨハネス八世にあると言わねばなるまい。自信家の彼はムスタファとムラト二世を争わせることでオスマン帝国を二分しようとし、逆にムラト二世に王都コンスタンティノポリスを包囲されるはめになったのみならず、東西のカトリック・正教会の同盟により十字軍を組織すると1444年ヴァルナの戦いで完膚なきまでに敗北していた。これにより、東ローマ帝国はオスマン朝に莫大な貢納金を納めることを余儀なくされたのである。また、皇帝の主導するカトリックとの合併問題は国内正教会組織や大貴族にまで不和と不信の種を蒔く結果となったのであった。 だが帝国の権威が全て失われたわけではない。正教会の信仰の拠り所として東方世界に対する影響力は健在であったし、なんといってもボスポラス海峡の要衝コンスタンティノポリスを擁するかぎり、オスマンもヴェネツィアもジェノバも帝国を無視することはできないのだった。 「殿下、ヤーノシュ公が正教会からの仲裁案に同意いたしました」 「そうか………では急いでコンスタンティノポリスに使者をたてよ。使者には……イワン伯爵が良いだろう」 「御意」 イワン伯爵はワラキアきっての伊達男だ。文化と芸術の擁護者を自称し、戦場ではまったく役に立たないがその鑑定眼と豊富な知識で国内の出版作業や工芸の振興に辣腕をふるっている。デカメロンの出版を請け負った彼の表情が今でも忘れられない。歓喜の笑みとともに「ボッカチオは良い仕事をしている」と言った彼にオレはこう問わずにはいられなかった。 「………いい~仕事してますね」と言ってみてくれないか、と…………。 それにしてもこの一ケ月は生きた心地がしなかった。チキンレースなんてやるもんじゃないよ、まったく。なにせカトリック教会からは正式に抗議文をもらったし、ワラキアを長期離れているのも不安ありありだし。もっともトランシルヴァニア支配については順調だけどな。北部からヤン・イスクラと直接連携がとれるようになったし、トランシルヴァニアの鉱物資源を直接調達できるようになったことは大きい。サス人やマジャル人たちについては財産の半分を没収するにとどめ、ルーマニア人と同様の保護を与えることとした。反発もあったが没収した財産を分け与え為政者の多くがルーマニア人で占められるとそんな反発も消えていった。だいだい今から民族紛争なんて抱え込んでいられるかってんだ! 補給についてもそれほど深刻な問題はない。ワラキア国内で生産させたザワークラウトやピクルスのような保存食品が補給の軽減に役立っているからだ。というかむしろ引く手あまたで供給が追いつかないのでブラショフの近郊でも試験的に生産を開始している。ヤン・イスクラに送ってやったところまるで青汁のように味に文句をつけながら見る間に食い尽くしていったらしい。これで顔が八名信夫(まずい!…もういっぱい!の人)に似てたら笑い死ねるな、きっと。 もちろん問題がないわけではない。ていうかむしろ深刻だ。それはトランシルヴァニアの国民は概ねワラキアの支配を歓迎しているのだが、地元貴族の反発が根強いのである。そりゃ確かにワラキアの政策は彼らの既得権益に大きく影響しているのだからそれも当然なのだが。とりあえず面従腹背でも従うふりをしてもらえればよしとしておかなくてはならないのが実情だ。それすらもできない者については討伐するよりほかない。 だが、ヤーノシュの逼迫具合はオレのさらに上を行く。クーデター同然にハンガリー宮廷を支配した以上旧勢力の反発は必至である。軍権を支配しているのでかろうじて内乱には発展していないが、もし何かのきっかけでヤーノシュの統制が軍に及ばなくなればたちどころにヤーノシュ糾弾の兵があがるのは避けられない。トランシルヴァニア討伐の兵をあげ王都を留守にした瞬間、宮廷クーデターを起こされそうなほどなので迂闊に出征もできない有様だった。このままワラキアとの軍事的緊張が続けば、上部ハンガリーのヤン・イスクラが蠢動しても有効な手立てがうてないだろう。それもまたヤーノシュにとっては失脚の原因になりかねない。それになんといっても息子ラースローとマーチャーシュを取り戻したいと願っているのも事実だった。ラースローならば宮廷でヤーノシュを支える力になってくれるであろうし、権力の座は子孫に伝えてこそ華と言えるものだ。一代かぎりの成り上がりはむなしい。 ヤーノシュにとっては断腸の思いであったろうが、ここに正教会コンスタンティノポリス総主教ヨセフ二世の仲裁を受け容れることで休戦協定が結ばれたのだった。 ヴェネツィア共和国を仲介に東ローマ帝国にもたらされたワラキア・ハンガリー両国の仲裁の依頼に帝国宰相ノタラスは狂喜していた。教皇の三重冠を見るくらいならコンスタンティノポリスがターバンで埋まるのを見るほうがましだ………それが彼の口癖であった。オスマン朝の侵略を前に、東ローマ帝国が風前の灯なのはもはや誰もが理解している。だからといってカトリックに信仰の基盤を譲り渡すことは滅亡よりも質の悪いことだと彼は考えているのだっだ。仮に東ローマ帝国滅びようとも信仰は生き続けねばならないからである。しかし、ここにきてオスマン朝の圧力を前に屈伏と忍従を余儀なくされてきた東欧の正教会派の国家から協力を求められるということはノタラスにとって特別な意味を有していた。すなわち、カトリックに媚を売らずに済む可能性であった。 「遠路よくおいでなされた、イワン伯爵殿」 コンスタンティノポリスに降り立ったイワンはその歓迎ぶりに目を剥いた。たかが公国の一伯爵に帝国の宰相がお出迎えとはいったいどういう風の吹きまわしなのだ? 「まさか宰相閣下にお出迎えいただくとはこのイワン伯爵グリモール恐縮の極み………」 「昨今世情を賑わしているワラキア公国のご使者を今か今かと待ちわびておりました。まずは拙宅にてごゆるりとお話をお聞かせ願いたい」 帝国の宰相ともなれば所蔵する美術品はローマの伝統と格式に相応しいものであるに違いない!芸術の擁護者を自認するイワンは一も二もなく頷いた。 「宰相閣下の御厚情に心より感謝申し上げる」 その晩の会食は豪華なものであった。なんといっても内陸国のワラキアにはない海産物と舶来品がイワンの目を惹く。広間の正面に飾られた絵画はアンドレイ・ルプリョーフの大作に他ならず、テーブルを彩る器の数々は色絵も鮮やかな陶器ばかり。後にビザンツ家具とまで呼ばれる家具の色調もなでやかな曲線もイワンの心を魅了してならぬものだった。 「伯爵にはお気に召しましたかな?」 「………ここはまるで私にとっての天国にほかなりません」 歓談はなごやかなものであった。航海の様子を聞き、また宰相の外交で訪れた各国の文物を聞いてその批評を交わす。イワンにとっては至高の時間であった。ワラキア国内で芸術の話をしてもイワンほどの深みある会話のできるものは一人としていない。わずかに何故か主君たるヴラド三世がイワンの見識に評価を与えてくれるくらいだ。これといって鑑定眼もない主君が自分を擁護してくれる理由がイワンには理解できなかったが。いつしか酒を過ごしすぎたらしく呂律も危うくなってきていたが、イワンは宴を去ろうとは思わなかった。それほどにイワンにとって文化の中心たるコンスタンティノポリスの文人たちとの会話はすばらしいものであった。ノタラスは好々爺然とした笑みを浮かべた。頃合は万全だった。 「イワン殿のような文人がワラキアに重きを為すとはご主君たるワラキア公もさぞや素晴らしい文人であられるのでしょうなあ」 「ところがそうでもないのです。あのお方はただ、知っているだけなのです。画家、陶芸家、作家いずれも一流のものばかりでその知識は西欧の各国にまで及びますがなぜかご自身の鑑定眼はまるで利かない。こんなお人は私も始めてですよ」 「西欧の各国と申されますのか?」 「というより全ヨーロッパになりましょうかな。なにせハンガリーポーランド・セルビアは言うに及ばずウィーンやパリやフィレンツェに到るまでまるで見てきたように話しますのでね。いったいどこでどうご見聞なされたのか見当もつきません」 ノタラスはイワンの言に驚きを禁じえなかった。 ワラキアは欧州の感覚では田舎もいいところだが少なくとも情報に取り残されているということだけはない。むしろ積極的に情報収集に努めているのではないのか?ワラキア公の優れた芸術の知識はその副産物なのではないか? 「伝え聞くところによればワラキア公は近来稀にみる博識でおられるとか………」 「いや~まったくたった16歳で……もう17歳になられましたが聖アンデレのお告げでも受けているのかと思う博識ぶりですよ。天然痘の種痘の時は実際に聖アンデレの夢のお告げがあったというもっぱらの噂でしたしね」 「ははは………そういえばワラキアでは天然痘を撲滅する画期的な種痘法が発見されたという噂は私も聞き及んでおりますよ」 「その方法を発見されたのはワラキア公殿下だというのだから開いた口が塞がりません。実際今年に入って天然痘の患者は激減しておりまして公都トゥルゴヴィシテではいまだ一人の発症者もないのです。かと思うと今度は農耕の方法にまで指示を出される」 …………これは冗談ではない。 ノタラスは背中を冷たい汗が流れるのを感じていた。イワンは嘘を言ってはいない。それは長年外交の一線で培ってきた己の経験からいっても明らかだ。本当に天然痘を根絶できるのか?だとすれば是非ともその知識が欲しい!コンスタンティノポリスのような大都市において防疫対策は必須なのだから。 「なんでも一切休耕地を作らないという画期的な農法だそうで…………」 これにはもはや歴戦の外交官たるノタラスも限界であった。 ブフーーーーッ!! 武勲に縁のないイワンは意図せずして、帝国宰相にワインを噴出させるという前人未到の武勲を成し遂げたのだった。