「…………問おう、貴殿が我が夫となるものか?」 いったいお前はどこのセイバーだってーの!だいたいオレはマスターになんざなった覚えは………?あれ?今なんていったっけ? 「どうした?もしや妾の美しさに言葉もでぬか?」 マスター……じゃなくて……我が夫…夫?もしかして夫って言いやがりましたか?このお子様は!? 「イワン……誰だ?このおませなおチビちゃんは?」 イワンがぶるぶると顔を振る。しかも顔面は蒼白で脂汗が噴き出していた。なにかこの世ならざる化け物でも見えているのだろうか? 「黙っていてはわからんぞ?」 今度はおチビちゃんを指さして謝罪のゼスチャーを始めている。新手のブロックサインか?ていうかお前主君に対してその態度はどうなのよ? 同乗したローマの外交官らしき男が心底同情した目をオレに向けつつ信じられない言葉を口にした。 「そちらの御令嬢はアカイア侯ソマス様のご息女ヘレナ様にございます。大公殿下」 「ローマの……………姫君…………?」 ギギギ……と首からきしんだ音をさせながらオレが少女に目を戻すと、すっかりお冠で頬をぷっくりふくらませた幼女がオレを睨んでいた。 ジーザス!これはあんまりです! 「…………なあ、頼む。嘘だろう?頼む、頼むから嘘だと言ってくれイワン!」 「残念ながら真実はいつもひとつでございます。大公殿下」 コナンの決め台詞を聞きたいわけじゃないんだよ!だって侯女が単身海を渡ってくるなんて思わないだろ?普通!そもそもなんでいきなり結婚前提なんだっつーの! 「………妾では不服だと申すつもりではあるまいな?」 「滅相もございません!」 こんなお子様の背中に獅子が見える!……理由はわからんが逆らえねえ!何故だ?どうして?WHY? 「いやあ!これはまたとない良縁でございますな!」 「我が甥が帝国の縁戚になるとは、なんとも名誉なことよ!」 お前らそろいも揃ってオレの退路を断つんじゃねえ!ってかアントニオも叔父上もなにかオレに恨みでもアリマスカ!? 「…………お気持ちはお察しいたします。しかしヘレナ様がその身命を賭してこうして参った以上冗談では済まされぬとお覚悟なさいませ」 東ローマ帝国から同行した外交官の男が気の毒そうな顔でオレの肩を叩いた。 ………当然だ。正教会組織の頂点に立つ東ローマ帝国からその皇族たるアカイア侯ソマスの息女ヘレナがわざわざワラキア公のもとに単身海を渡ってきたのだ。これをもし追い返しなどしたらワラキアはキリスト教世界から永久に背信の烙印を押されるであろう。 「…………………終わった…………」 こうしてオレはロリコンの烙印を押されていくんだ……きっと後世にドラキュラはロリコンの代名詞になってしまうんだ。ヴラド・ツェペシュならぬヴラド・ロリータとか言われてしまうんだ………そんなのはいやあああああああああああああああああ!! 「そんなに感激されると照れてしまうではないか♪」 小悪魔はあくまでもにこやかに笑っていた。しかしその瞳は少しも笑ってなどいない。獲物を追い詰める冷徹な理性がその翡翠の瞳に微妙な濃淡を与えていた。 モルダヴィア公の熱烈な歓迎により開かれた晩餐会のさなか、オレはようやく平静を取り戻しつつあった。正直面食らったのは確かだが、帝国の政治的姿勢は歓迎すべきものだ。おそらくこの縁談によってワラキアの国家の格は比較にならぬほどはねあがるであろう。帝国の縁戚ともなれば東欧の田舎小国の扱いは金輪際できぬはずだった。 しかし逆にオスマンの疑念を招きかねないとも言える。名目上ワラキアも東ローマ帝国もオスマン朝に朝貢している関係上、宗主国をないがしろにしているように思われるのはまずい。即刻使者をたて弁明させる必要があろう。 「ようやく戻ってまいったようじゃな。我が背の君は」 いつの間にか思考に没頭していたオレの隣には白いドレスに着替えたヘレナがいたずらっぽい笑みを浮かべていた。 「姫がどうして私などをお気に召したのか聞いてもよろしいか?」 「………当分は先になろうが……既に心は汝の妻じゃ。ヘレナと呼ぶが良い」 なぜ………当分先だとわかる?まさか………この姫君は……… 「婚約者………ということでよろしいか?」 「それが妥当であろうな………まあ呼び名など些細なことよ。こうして汝の傍にいれることが何よりも大切なのだからな」 あからさまに過ぎる好意の言葉にオレは頬が紅潮するのを押さえられなかった。隣にいる少女の言葉はすでに年頃の女のものにほかならない。 「私がオスマンに婚約のみを願い出ると読んでおられたのか………」 この聡明な少女はオレがスルタンを必要以上に刺激しないために、婚約の許可を求めるという形で事態を収束させようとするのを正確に洞察していた。そうでなければあの言葉はでない。恐ろしいほどに鋭利な政治感覚であった。とても十歳の少女のものとも思われない。 「敬語など使うな……それにまだヘレナと呼んでもらっておらぬぞ、我が夫よ」 「お手柔らかに頼むよ、ヘレナ…………」 どうやら手強い女傑を女房にしてしまったようだ。それにしても流石に十歳を相手に妻と呼ぶのには抵抗を感じるよヘレナ…………。 …………冷や汗がひかない。もしかしてこれはその…………初夜というやつなのでショウカ? 目の前のベッドにはこれ見よがしな枕がふたつ並べられており、ヘレナはレモン色の寝巻きに着替えて興味津々と言った風情でオレを見つめている。ちょっと待て!これはないだろう!ヘレナはあくまでも婚約者であって、しかもそれはまだスルタンの許しのない暫定的なものなのであって………というかそもそも十歳相手なんか人として失格だから! 「………急用を思い出したのでヘレナは先に寝ていてくれるかい?」 「女に恥をかかせるものではないぞ、我が夫よ」 貴女絶対その言葉間違ってますからーーー!! 「冗談だ。妾も皇族の一員としてそこまで軽はずみな真似はせん。もっとも我が夫が望むなら別じゃがな?」 よかった………最低限の分別があってよかったああああああ!! キリスト教徒において処女性は信仰に近い尊重を受ける。基本的に離婚の許されないカトリックであっても、白い結婚………すなわち花嫁との性行為がなく花嫁が処女である場合にかぎり離婚が認められるほどである。婚約者とはいえ、未婚の女性でしかも帝国の皇族が処女を失うなどあってよいことではなかった。 「全く残念じゃ……この身がもう少し男を受け容れるにふさわしく成熟しておったなら……このような機会は逃さぬのだが………。」 前言撤回、なんの分別のありません。この姫様。 まるで当然のようにオレの隣にもぐりこみ、袖を握って身体を摺り寄せる様はそれでもやはり幼子のそれだった。すくなくとも外見に関する限りオレの守備範囲ではない。このときばかりは自分の真っ当な趣味を褒めたかった。 「…………その………お願いがあるのだが、我が夫よ」 上目使いになにやら照れたようにヘレナが続ける。ベッドに入って緊張が解けたのか先ほどまでの大人びた様子と違い年相応な表情がなんとも可愛らしい。 「聞かせてくれぬか?万能の人よ。汝にとって世界はどんなものなのか?汝は世界をどのようにしていくのかを」 万能の人?レオナルド・ダ・ヴィンチの愛称だがそれはもしかしてオレのことか? 「妾にとって未来は定められたただ一本の道じゃった………」 ヘレナの言葉にたいそう真摯な響きを感じ取ってオレは表情を改めた。 「妾に求められるのは帝国のために嫁ぎ、子を産み、帝国の血筋を残すこと、それだけじゃった。妾の才、妾の夢、妾の理想、それらには等しく価値がない。なぜならそれは帝国の皇女に求められるものではないからだ」 …………人並みはずれた才ある彼女が、それを知ったときに感じた絶望はいかばかりだったろう。 「…………されど妾は可能性を見つけた。汝という可能性だ。万能の人よ。汝とともに人生を歩むかぎり妾は緩慢な死に向かうような毎日から解き放たれるようなそんな気がするのだ。勝手な願いなのはわかっている、しかしどうかあるがままの妾を受け容れてくれ我が夫よ」 才気走った彼女の聡明さの中に、どこか悲愴が漂っていたわけがやっとわかった。しかし今はそれは問うまい。 「オレはとうてい万能などではないが、これでも大人の端くれだと思っている。子供は大人に甘えるものだぞ、ヘレナ。それが将来の夫であるなら尚更だ」 「………残念であるな。これで顔があさってを向いておらねば素直に感動できるのだが」 これ以上くさいセリフを語るのはオレには無理だよヘレナ。 「だが、それでこそ妾の愛しき夫じゃ」 ふわりと甘やかな香りに包まれたかと思うと、ヘレナの小さな唇がオレの唇に押し当てられていた。