オレは………オレはいったい何を見ていたのだ?こうなることはとうに予測できてしかるべきではなかったか。カトリックがその教義に抵触する者に対してどれほど残虐非道になれるものか……オレは既に知っていたはずなのだ。現代人の……いや、日本人特有の宗教に対する寛容さが目を曇らせ最悪の事態を呼んでしまっていた。 カトリック教会の異端に対する弾圧の歴史は古い。「皆殺せ!主が見分けたもう」という教皇特使の命を受け、都市住民の大虐殺を引き起こしたアルビジョア十字軍をきっかけに作られた異端審問所は12世紀末からすでに欧州各地で死神の鎌を振りおろしていた。中世史上に悪名高い魔女狩りは1487年に刊行された「魔女に与える鉄槌」によって神学的な裏づけが与えられたことにより15世紀から17世紀にかけて猛威を振るうが、しかしその起源はおよそ9世紀に遡る。異端に対する近親憎悪的な、ある種変質的な恐怖と敵意はカトリックの宿唖としかいいようのないものであった。カトリック教会が寛容と慈愛の精神をもって異端への蛮行を自戒するにはフランス革命以降の近代合理主義の発展を待たなくてはならないのだ。後年になるが血液循環説を唱えたミシェル・セルヴェが生きたまま火刑に処せられたように、医学者が異端とされた例も多い。ましてペストや天然痘の流行を魔女やユダヤ人の仕業として大虐殺を行ってからいまだ半世紀しかたっていないのにオレの教えた種痘法がカトリック教会に受け入れられるはずもなかったのだ。全ては主の御心のままに………彼らにとって運命とは受け入れるものであって、切り開くものであってはならない。 しかも衰退しきった東ローマ帝国を吸収合併する形でとりこもうとしたフィレンツェ公会議から数年で、今更東ローマ帝国が息をふきかえすような事態はカトリック教会にとってとうてい歓迎しえない痛恨事である。オレがやろうとした正教会の権威復興がカトリック教会側から見ればオスマン以上の異端支援に映ったのは想像に難くなかった。教皇の受けのよいハンガリー王国と交戦し、さらにフス派残党のヤン・イスクラと結んでいることからも信仰上の敵と言われかねない要素は出揃っていた。ただ、オレが勝手に宗教指導者の理性を過信していた、それだけのことだった。 そして現在のワラキアは各国にとっては宝の山である。欧州全体に広まろうという医療法製法の知れぬ様々な保存食品群士官学校の創設と独創的で旧来にない新戦術謎のベールに包まれた新技術による新世代の兵器たちどれをとっても血で贖う価値があると各国の君主が判断するだけのものがある。 最後に、教会大分裂が収束したのもつかの間バーゼル公会議の支持者たちがフェリクス五世を推戴し、つい先頃ようやくこれを退位させて唯一の教皇となったニコラウス五世は大幅に権威を失ったカトリック教会の影響力を再構築する必要に迫られていた。宗教的権威の復権には宗教的対立こそ望ましい。 ここに教皇と各国の間には利害の一致を見たのである。 物苦しい狂熱が一匹の蛇となって胸を千々にかき乱す。何たる理不尽何たる傲慢何たる無知目指すものはただワラキアの自存自立与えたものは繁栄と安寧それを否定するいかなる理もオレは許容するつもりはない。 自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立自立祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由自由矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持矜持 そうとも、わかっている、悪魔(ドラクル)よ今こそオレとお前は同じ者だ。 我が前に立ちふさがる敵に絶望と後悔と悲嘆を与えよう。彼らの流す涙で口を漱ぎ彼らが流す血でこの喉を潤そう。 彼らの無数の屍の上にオレはオレの王国を打ち立てて見せる。 ヘレナが驚きの色を隠さずに何かに魅入られたかのようにオレを見つめていた。 ……………怖がらせてしまったか………… 理不尽な抑圧に対する狂おしいほどの激情………それはオレがヴラドである証であり、偽らざるオレの本性でもある。是非もない…………。いかに聡明な知性と帝国皇女の矜持を持とうとも、ヘレナは年端もゆかぬ少女なのだ。屍山血河の巷に耐えようはずもないではないか。 そう思ったオレの予想は、正直なところ全くの見当違いなものであった。 「……いつもの優しい汝も夫として申し分ないが、今の汝はなんともいえぬ漢が薫っておるぞ。この未熟な妾に女を感じさせるほどに」 ……………どうやら似合いの夫婦ということらしい。 オレもまた、オレの魔性を許容するいまだ花咲かぬ蕾に女を感じていたのだから。 「シエナ」 「はっ」 「セルビアの貴族どもをかたっぱしから調略しろ。戦に参加できぬ程度に混乱してくれればそれでよい」 「御意」 セルビアはコソヴォの戦い以後戦力の低下が著しい。ステファン・ラザレビッチ侯はともかくジュラジ・ブランコビッチは理性的な判断を下してくれるはずだった。少なくとも今ある戦力が失われれば亡国は避けられない、という戦力保存主義の徒であったとオレは彼を理解している。同じ正教徒であることからいっても彼らの戦力化は至難を極めるであろう。 「デュラムはいるか?」 「御前に」 「食糧の取引価格を引き上げろ。財政が許容するなら穀物を買い占めてもよい」 諸侯にそれほど潤沢な資金があるわけではない。ワラキアのように常備軍編成が進んでいない諸侯軍の主力は傭兵だ。手強い傭兵ほどその価格は高く、東ローマ帝国滅亡の折にはローマ教皇の資金と東ローマ帝国が有り金をはたいてもわずか五百人のジェノバ傭兵しか雇えなかったことでもその費用の莫大さはあきらかだった。 「十字軍に参加する国との取引の一切を停止する。ヴェネツィア・ジェノバ両国にもその旨を伝えておけ」 「御意」 「イワン!」 「御前に」 「コンスタンティノポリスの総主教猊下に勅命を要請しろ。正教徒の信仰を守護するために異端と戦う者たちに祝福あれ、と」 「御意」 東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス11世陛下はいまだカトリックとの合同をあきらめていないようだが、宰相を始めとして総主教も他の重臣も、正教会維持へと既に舵を切っている。これでカトリックがさらに失墜するようなことになればもはや歯車が逆に回ることはないだろう。その意味でも十字軍の跳梁を許すわけにはいかない。そして正教徒が真の意味で結集する日のためにも。 「ヤン・イスクラに使者を出せ。ドイツ騎士団にも、グルジアにも、トレビゾントにもだ。カトリック(普遍の意)どもに奴らの信じる普遍などこの悪しき世界にはないのだということを教育してやる。」 異端を狩る奴らに狩られる恐怖を与えよう。異端から奪う奴らに奪われる痛みを与えよう。異端を殺す奴らに殺される絶望を与えよう。 歴史の中心が西欧に移りつつあるならば、東欧こそ歴史の中心にして見せる。 もはやすでにして賽は投げられた。しかし神は賽を振らない。投げられたものは人の心の妄執・夢・欲望・理想…………そして贖うべきは命そのもの。賽を神に預けた気になっている亡者どもに代償を支払わせるのは……… ……………………悪魔(ドラクル)たるオレの役目。