1450年の年が明けた。正直当初はワラキアが生き延びることしか考えていなかったが、今のオレにはヘレナの故郷東ローマ帝国を見捨てることはできそうにない。ならば、1453年の4月までにはオスマンと正面きって争う戦力を保有するしかないだろう。しかしそれはあまりにも難しい命題であった。 ほとんどルーマニア人で占められ生活習俗なども共通点の多いトランシルヴァニアはともかく、ハンガリーやクロアチアをどのようにして早期に戦力化するか、そのためにブダに常駐しているような有様だがいまだその成果は見えてこない。しかし上部ハンガリーやオスマンへの出兵がなくなり、経済が目に見えて好転したこともあって国民の間ではオレの評判は上々のようであった。好事魔多しというが、オレをハンガリー王位につけ、ハンガリーにとりこんでしまおうという勢力も存在するので対応が難しい。少なくともオレの治世を歓迎し協力の姿勢を見せている連中だからだ。それに加えてハンガリーへ亡命してきたセルビアやボスニア貴族が同じ正教会の同胞として奪還のための軍を発しろと運動を開始していた。現実問題としてそんなことができるわけがないのだが、できないなら背教だ!とかぬかしやがるので始末に終えない。いずれろくでもないことを企むだろうから、そのときにまとめて粛清してしまおう。今やワラキア大公の称号は実体に即したものではなくなっているが、仮に王号を名乗りとするなら、それにはオスマンのスルタンの許可が必要なことは間違いない。さしずめルーマニア国王とでも名づけることになるだろうが……… 「………かといってスルタンの威光で戴冠なんかしたら……誰もついてこないな、きっと」 今のところは我慢しておくしか手はない。いつか敵になるそのときまで。 「シエナ」 「御前に」 「…………カリル・パシャと繋ぎはついたか」 「御意。もっとも信を得たわけではありませぬが」 「パイプを繋げたなら今はそれでいい」 史実通りコンスタンティノポリスが陥落されれば族滅の憂き目を見る宰相だ。ムラト二世が元気でいるうちはいいがメフメト二世が即位すれば今の立場はないことぐらいは承知しているだろう。そもそもメフメト二世を一旦退位させた黒幕はこの爺さんなのだから。 「ムラト二世の健康状態を探れ。オレの教師をしていた学者兼医者でメムノンという男がいる。奴に近付けばある程度の情報はとれるだろう」 「御意」 「それと…………ラドゥは元気にしているか?」 キリリ…と胸を刺すような痛みを幻知する。ほとんど無条件に慕ってくれたたったひとりの弟オレをこの世界で必要としてくれた初めての人間遠く距離を隔てても、家族の誓いは今もこの胸にある。 「ワラキアの磔公の弟としてスルタンにも目をかけられております。お健やかなるものと」 ……変に期待をかけられすぎなければいいが。あいつはこの戦乱を生きるには優しすぎるからな…… いつからだろう、夢が終わったと知ったのは。それは偉大なる遠征の途上であったのかもしれずまたあるいは崇敬するヤン・ジシュカが死んだ瞬間であったかもしれない。もしかしたらあの夕暮れの丘で兄弟たちの鉄と血で染め上げられた地獄を見るまでわからなかったのかも。 いずれにしろ夢は終わった。いや、終わらせなければならないのだ。夢と夢のはざまにたゆたっていたあの陶酔を認めるわけにはいかない。何故ならオレは真実を知ってしまったのだから。 ヤン・フスが唱えたウィクリフ主義の思想は新しい時代を告げるものに思えた。そう思えるほどに聖職者たちは堕落しきっていたし、悪名高い免罪符はそのよい証左にほかならなかった。ミサで司教だけが飲むことができたワインをあらゆる人民が飲むことができる、いわゆる二重聖餐もつきつめていけば絶対的であった教会権力の否定であり、人間は生まれながらに神の前には平等であることの表象であったのである。人民の人民による人民のための統治、後の世リンカーンによって引用されるジョン・ウィクリフ訳聖書の冒頭に綴られたあまりにも有名な一節はまずプラハ大学の知識階級に熱狂的に迎えられ、教会の搾取に苦しむ大衆へと広まり始めた。神への信仰を聖職者の手から自らの手に取り戻すという使命感はいつしか燎原の火の如くボヘミア中に燃え広がっていった。だが、そんな理想とは裏腹に現実の策謀は堕落した聖職者たちとさほど変わらぬ距離にいた。 ボヘミアは国土の三分の一が教会領となっている稀に見る宗教国家であった。教会の威勢は政治経済司法のあらゆる方面に及び貴族や商人は長く忍従の時を強いられてきたのである。その彼らにとってフスの教義はひどく都合のよいものに思えた。貴族たちは教会の領土を、商人たちは自由な商売を求める方便として、フス教徒の支援に乗り出したのはあくまでも論理的帰結だったのである。 ボヘミアに神の国を造ろう。ジェリフスキーの爺さんもジシュカの親父も、誰もがそう信じて疑わなかった。しかしそれも結局は奴らにいいようにこきつかわれただけだった。教会の威信が地に堕ちた後、用済みになったオレたちはリパニで生きながら業火の火に焼かれた。そう、神の国なんざほんのひとにぎりの連中以外、誰も望んじゃいなかったんだ………。 オレも人のことは言えねえか。なにせプロコプやフロマドカを見捨てて逃げ出した男だからな。 …………あの時オレはほとんど無我夢中で重囲した敵を突破するのに必死だった。わずかに東の包囲が浅いのに気づいて損害を省みずにひたすら前に進んで、ようやく包囲を抜けたと思ったとき、オレは気づいた。プロコプが、……オレの親友がオレの背後を支えていてくれたってことに。前を向いて戦いながら、背後からの追撃が薄かったのはプロコプが身を挺してかばっていてくれたからだった。 ………早く行け、そしてお前は生きろ プロコプの目がそう言っていた。もう引き返そうにもオレとプロコプの間にはチャペック率いる裏切り者が再び重囲を形成しようとしていた。どうして決断したのか覚えてもいないし、言い訳をする気もない。オレは友を見捨てて一人戦場を生き延びたのだ。 オレに命令していいのは、死んだプロコプやジシュカだけだ。あの夢を語っていいのは、リパニで死んだオレの兄弟たちだけだ。死んだ夢を語れるのは死者以外にいないのだから。 「イスクラ将軍!……押されています、このままでは………」 あの日の血のような夕暮れと同じ光景が目の前で繰り広げられていた。上部ハンガリーを実効支配していたヤン・イスクラ軍団はヤン率いる傭兵軍とフス派残党軍に分かれて戦闘状態に陥っていたのだ。フス派の戦いは堡塁車両で形成した戦線を挟んでの火力戦である。リパニの戦い同様、お互いにこの戦術を使えば、延々と続く火力の消耗戦になる。そうなると先に根気を無くした方が負ける、士気の低いほうが負けるのが自明の理であった。ヤンの傭兵軍も士気が低いとはいえないが、相手は狂信をもってなるフス派教徒の群れである。ヤンの劣勢は誰の目にも明らかだった。 「背教者、ヤン・イスクラを討て!」 次第にヤンの軍から放たれる銃声がまばらになり始めていた。押され始めた形勢を感じ取った傭兵たちの逃亡が広がっていたのだ。勝利を確信したフス派教徒が堡塁車両から続々と姿を現し追撃の体勢に入ろうとしていた。 ………どうやらオレもここまでか……… 不思議と逃げる気にはならなかった。プロコプたちを見捨ててまで助けた命なのに、なぜかどこかで安堵を覚えている自分がいた。 なんのことはない。自分の好きなように生きるとは言いつつも、心のどこかで贖罪を求めていたのだ。いや、叶うことならもう一度あのときに戻って友を助けに行きたかった。 プロコプを助けたかった。もう一度親友とともに戦いたかったのだ。 ……………まったく度し難い未練だな……… あのときオレには友を助けるだけの力がなかった。もし、今の自分があのときの丘にいたら兄弟たちを助けられるのだろうか?助けたかった助けたかった助けたかったあの場で逃げてしまったことへの悔恨がオレを永久にあの丘の夕暮れに縛り付けてしまっていた。もう一度友に会うことがあればオレは………。 「死ね!ヤン・イスクラ!この背教者め!」 突進するフス教徒たちの鼻面に突如爆発の華が咲いた。全く予想もしない攻撃に狂信的な教徒といえども戸惑いを隠せない。誰だ?いったい誰がこんな攻撃を………… 「擲弾兵が再度投擲後一斉射撃!銃兵は突撃せよ!」 いったい誰が………友を見捨てたオレなんかを助けにくるっていうんだ? 「イスクラ将軍……あれは………ワラキア公国軍!ワラキア大公ヴラド殿下です!」