スカンデルベグことジョルジ・カストリオティ当年とって四十五歳。武将として為政者として脂の乗り切った年代である。がっしりとした体躯に獲物を狙うような鋭い眼光、身体中から発散される威厳は英雄と呼ばれるに相応しいものだった。アルバニアの一地方領主にすぎなかった彼がアルバニアの北半とはいえ統一し、今なおオスマン帝国に抵抗を続けられる理由は彼自身の圧倒的な統率力とカリスマ性に負うところが大きい。決してまとまりがよいとは言えないアルバニアの諸侯を指揮下に治められるのはひとえに彼の力量あればこそであった。 その彼にして現在のワラキア公には畏敬の念を禁じえなかった。即位からわずかに三年たらずで小国ワラキアをトランシルヴァニア・ハンガリー・スロヴァキア・モルダヴィアといった連合国家に成長させてしまった手腕は空恐ろしいほどのものだ。これがオスマンの傀儡ならば、身命を賭しても討ち果たすべきところだが、内実は来るべき日に備えて力を蓄えているにすぎない。味方として頼もしいことこのうえない相手だった。ワラキアの外交官ソロンが数隻のキャラベル船を率いて陸揚げしたワラキアからの支援物資の山に、ジョルジはますますその念を強くした。 なんのことはない。上部ハンガリーで討ち果たしたフス強硬派の堡塁車両や榴弾砲・手砲をリサイクルでアルバニアに送りつけただけでワラキアの懐はひとつも傷んでいない。しかしそれは防衛戦を戦わなくてはならないアルバニアにとって喉から手が出るほど欲しいものであった。国土が荒れ、産業も突出したものがないアルバニアにとって銃や大砲の大量生産など望むべくもなかったからである。 「ワラキア公に感謝を伝えてくれ、ソロン殿。いつか轡を並べて戦うことを楽しみにしているとも」 「必ずやお伝えしましょう」 「………この車はいったいどうやって使うものなのだ?」 そう言って会話に割り込んできたのは年のころ十代後半といった風情の美しくも勇まし気な一人の少女だった。特徴的な赤毛を肩で切りそろえ、女性用の胸当てに剣を佩いている。見るものによっては女将のひとりに見紛っただろう。 「アンジェリーナ!控えよ!」 ソロンはいかにも不思議そうな目を堡塁車両に向けているお転婆な少女に苦笑しつつ彼女の要望に答えることにした。 「これはあのフス教徒が使っていたもので車と車の間を鎖で繋ぎ一種の城砦と化すためのものです。鉄板とオーク材で作られた正面装甲は槍や銃弾をはじきかえし、至近距離で放たれる手砲の銃弾は豪華な鎧を身に纏った重装騎士ですら易々と打ち抜きます。騎兵の突撃を完全に無効化することが出来たゆえに、フス教徒はドイツ諸侯軍に対し無敗を誇っていられたのです」 「なるほど、ではワラキア公はいったいどのようにしてその城砦を打ち砕いたのだ?興味が尽きぬ」 ソロンは返答に窮していた。実のところ文官の彼にとってワラキア軍の何が決め手となったのかは想像の埒外にあったのだ。 「………さて、私は門外漢ゆえくわしい事情までは存じませぬが………今度訪れるまでに殿下に伺っておくといたしましょう」 「………父上ならどうする?この城砦をどう攻略する?」 興味津津といった風情で父親に戦略を問う娘にジョルジは苦虫を噛み潰したような顔で頭を振った。 「全く……どういうわけか息子のジョンより娘のほうが殺伐と育ってしまって………」 そうは言うものの、その表情には拭いようのない娘への愛情が見え隠れしている。英雄スカンテルベグもまた、娘の前ではひとりの親ばかでしかないのであった。 「私はスカンデルベグの娘だぞ。戦に興味を持つのは当然だ。それで?父上ならどうする?」 「どうもこうもないわ。正面からぶつかっても被害を増やすばかりよ。背後に回るか包囲して消耗を待つよりほかあるまい」 もともと城攻めは強攻するものではない。攻城兵器で突破口を開くか、敵の消耗を待つか………いずれにしろ素直に正面からあたるのは愚か者の選択に決まっていた。 「しかしワラキア公はわずか一日で一蹴したと聞く。………わからん。わからんが面白い、ひどく面白いぞ!」 ………どこの戦狂いだ、この姫は。 思わずジョルジに同情を覚えたソロンはアンジェリーナの次の言葉に目を剥くハメになった。 「ちょうどよい、私をワラキア公のもとへ連れて行ってはくれまいか?これでも些少は役に立つぞ?」 オレは久しぶりに落ち着いた休暇を楽しんでいた。戦に政務にと、休む間もなく働き続けてきたオレをベルドが見るに見かねたのか半ば強引にブダにある療養所に入れられていた。 …………甘いな、甘いよベルド君 残念なことに少しも心の休まる暇がなかった。むしろリアルにピンチ! 「我が君、入るぞ?」「……御前失礼いたします………」 湯煙の向こうからやってくる二人のシルエットが目に痛い。 周知のとおり、ハンガリーは温泉が普及しており、名だたる療養施設には必ずと言っていいほど立派な温泉がある。そんな施設で羽を伸ばそうとするオレを、この二人が指を咥えて見ているはずがなかった。 「いい湯じゃの、我が君」「…………生き返るようですわ………」 そういいつつも二人の顔は真っ赤に染まっている。照れるくらいなら一緒に入らなきゃいいのに………。もっともオレも、視線をそらして鼻血を噴かずにいるだけで精一杯なのだけど。 だって二人とも全裸なんですよ? ヘレナのまだ○の生えてない股間とか、フリデリカの両腕をもってしても盛大にはみだしてしまう巨乳とか、ぶっちゃけありえないから! 「それでは背中を流そうか?我が君」「どうか私にお任せくださいませ………ヘレナ様ではまだ肉つきが物足りませんでしょう?」 …………はじめやがった。この数日オレの胃を痛めつけているのがこれだった。げに恐ろしきは女の嫉妬……… 「ほほう、面白いことを言うな……贅肉を無駄に垂らしてる分際で、この妾の引き締まった美がわからぬとは………」「不躾ながらヘレナ様では殿下に骨が当たってしまいますもので………」 そういって巨乳をふにゅりとオレの背中に押し当てるフリデリカ。チョーク!チョーク!1・2・3・4………! 「ぬぬぬ……よかろう!貴様に胸の差が女の魅力の決定的な差でないことを教えてやるわ!」「胸こそ全ての母性の象徴だということがお解かりにならぬとは………往生際の悪いこと」 ぐにゅにゅにゅにゅにゅ………!!! ごめんよ、ヘレナ。今とってもフリデリカの意見に頷きそう。 「くっ!見苦しいものをおったてるでないわ!この大ばか者~~~~~!!」 「マッドドーーーーーーーーーーーグ!!」 頼むからベルド、早くオレを政務に戻してくれ。こんなのが毎日続いたら死んでしまうから、マジで。 「それでは商人殿がワラキアに帰られたら伝えて欲しい。陰ながら殿下の武運をお祈りしておる、と」 「きっと殿下もお喜びになるでしょう。それでは縁あればまた………」 知性の光が傍目にも見て取れる厳格な老人に、商人らしい風体の男が深々とお辞儀をして辞去していく。男は商人として商いに携わってはいるが、その正体はシエナ配下の諜報員であった。それと気づいていながらあえて接触を持ち、お互いの情報を交換しあっていたこの老人こそ、かつてヴラドの教師を務めていたこともあるメムノンであった。オスマン帝国でも屈指の医者としても知られるこの老人はムラト二世の典医のうちの一人でもあった。 諜報員の知りたかったことはムラト二世の健康状態である。ヴラドだけが知っていることだが、ムラト二世は来年早々に病死するはずだからだ。病状から原因が推測できれば知識を総動員してでもムラト二世の延命を図らなければならない。メフメト二世の即位を阻止することは十万の援軍に勝るからであった。 ところが意外にもムラト二世は健康そのもので一向に床につくような気配はないという。それはメムノンの医者としての誇りにかけて間違いなかった。ムラト二世は全く健常だ。 ただし、害しようとするものがいればその限りではないのだが。 「先生(ラーラ)も人が悪い。あの使者が知りたかったことの一番肝心なことを隠しておくとは」 メムノンの天幕の向こうから現れたのは白面をつけた少年だった。 「あの使者が我が前に現れたことだけでも恐るべきことです。あの男は陛下の命が縮むことを恐れている。つまりどこで知ったのかわからないが、それは貴方の野心と力量を知っていることにほかなりません。どうやら計画は急いだほうがよさそうですな………」 面に覆われた少年の表情は伺うべくもないが、苛立たしげな空気だけは隠せなかった。 「あの男の手はどこまで長いのだ!もう待てぬ!あの男が十分に力をつけてしまう前に余の権利を回復しなくては!」 男と生まれたからには歴史にその名を残したかった。千年の時を越えて大王と称されるあのアレキサンダー大王のように。しかし今、巷間の噂に上るのは忌々しいワラキアのあの男でありその多角的な業績は史上類がないとまで言われている。その事実が少年には悔しい。悔しくてならなかった。 「歴史に名を残すのは余ひとりでいいのだ…………」 その呼び名が少年が誰かを雄弁に物語っていた。マニサへ蟄居しているはずの先代スルタン、メフメト二世その人にほかならなかった。